9.あなたは誰 【前】
お父様に、お手紙を書いた。
返信はすぐに届いて、そこには、グレンと王女殿下の婚約披露パーティーには出席しない方がいいと書かれていた。
「え……」
お手紙に視線を走らせていた私は、書かれていた文面に戸惑った。
【お前には今まで伝えていなかったが、
騎士殿はまだ、邸を訪ねている。もちろん、追い返しているがね。
ウィンザー公爵家も、今回の婚約解消に異議を申し出ているんだ。
騎士殿はどうしても、また、お前と話がしたいらしい。
夜会に行けば、騎士殿は必ずお前に接触するだろう。
だから、勧められない】
グレンが私に、話を?
(……今更、何の話をするというの?)
正直、困惑した。
(もしかして……)
私を責めるためだろうか。
嫌味をぶつけて、鬱憤を晴らすため?
そうとしか思えない。
今回の婚約解消は、彼のプライドをいたく刺激したに違いない。
彼はいつだって、私より優位に立ちたがった。
それを、年長者が年下を導くためのものだと、昔は思い込んでもいたりしたけど──。
手紙は、お兄様からも届いていた。
そこには、私のお願いを聞いてくれた旨が書かれていた。
オスカーというひとからのお手紙も同封されている。
便箋は、花柄。蔦が四枠を彩るようなデザインで、色は緑。
可愛くて、それでいてホッとするデザインだった。
早速封を切って読む。
丁寧な筆跡で、文章が書かれていた。
【拝啓 ルナリア・エヴァ・ローウェル様
秋の夜長、王都は昼夜涼しく、虫の声が聞こえてくるようになり、秋の訪れを感じる日々となりました。
私は食の秋を堪能しておりますが、ルナリア様はいかがお過ごしでしょうか。
さて、今回、友人のエリアス・リオン・ローウェル様より、
ご紹介をいただき、この度、筆を取らせていただく運びとなりました。
第二魔術師団所属のオスカー・エゼキエルと申します。
エリアス様よりお聞きしているかもしれませんが、
私はこの通り、高貴な方との手紙に慣れておりません。
無作法があるかもしれません。
先んじて、お詫び申し上げます。
ルナリア様は、スイーツを好まれると伺いました。
私はスコーンを好むのですが、ルナリア様のおすすめのパティスリーはございますでしょうか。
ご都合がよろしければご教示いただけますとありがたく存じます。
お返事は、お時間がある時にお願いできれば結構です。
季節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。 敬具】
「…………」
知人宛てへの手紙とは思えないほど硬い文章に、目を瞬いた。
そして、この手紙に重要な事実が書かれていたことにも驚いた。
(オスカー・エゼキエル……)
ミドルネームを持たないのは、平民だけ。
オスカーは、平民出身なのだ。
それと同時に、なぜお兄様が彼を紹介したのかも理解した。
「第一魔術師団は顔と名誉の採用の営業職。第二魔術師団は実力重視の実戦部隊」
そんなふうに言われているのを、私も知っている。
第二魔術師団所属というなら、彼の魔法の腕は確かなのだろう。
平民からのたたき上げ。騎士職も、魔術師職も、なんだかんだ言って、コネが重視される。
そのコネを持たずに第二魔術師団所属にまでなったのだから──相当な魔法の腕前なのだろう。
そういえば以前、お兄様は気になることを言っていた。
『魔術師団のやつで、育ちがちょっと特殊だから、体術も使えるよ』
もしかして、お兄様はこれのことを言っていたんじゃ……。
平民出身なら、魔術師団に所属した当初は風当たりも強かったはず。
彼が体術を習得したのはこのあたりも関係しているのかもしれない。
筆跡は丁寧で、よく見ると下書きしたような跡があった。
きっと、とても気を使ってくれたのだろう。
返信も、すぐでなくて構わないと配慮が見受けられる。
私はすぐに、返信用の便箋を手に取った。
私の足は、代足杖があれば歩行可能だ。
2、3時間という時間制限はあるけれど……夜会ではじゅうぶんなはず。
グレンとのことを過去にするために。
一刻も早く、この噂を収束させるために──頑張りたいと思った。
その思いを手紙に認めようとして、思い至る。
少し迷った末、私はお父様へのお手紙に追記した。
【襲撃犯はまだ捕まっていないと聞いています。
もし、私が参加することで不用意に襲撃のリスクを増やすようなら、今回は参加しません】
お父様からのお返事はすぐに届いた。
王家も、ローウェル公爵家も、前回の二の舞にならないよう、より一層警備に気を配ること。
【前回は、第一魔術師団を配置していたと聞いている。
今回は厳重警備ということで、第二魔術師団がメインとなって配置につくことになった。
第一魔術師団は、お前も知っているとおり、パフォーマンス部隊だからね。
お前が参加するなら、エリアスの友人でもあるオスカーくんにエスコートを頼む予定だ。
安心なさい。彼の腕前は抜きんでている。
異例の若さで、魔術師団長補佐への打診が内々にされているそうだ。
彼は平民だが、魔術師団補佐、ゆくゆくは魔術師団長に昇級するのであれば、
ローウェル公爵家としても不足はない。
そうなれば、叙爵もされるだろうしね。私が持つ爵位のひとつを譲っても構わない。
そして、ひとつお前に相談だ。
前回の襲撃で、襲撃犯はお前が祝石を持っていることを知っていた。
敵に知られている以上、隠しておくのはリスクがあるのでは、と考えてね。
公表しようと思う。そちらの方が、警備もしやすいだろう?
その場合、お前を今のようにユジュに置いておくことはできない。
公爵邸で、窮屈な思いをすることになるだろう。
これは、強制ではない。
お前が選ぶんだよ。
悔いが無いようにしなさい。
ユジュでの生活はとても楽しそうだと聞いている。
このままもう少し、そちらで療養していても構わない。
エイリクは、もうずっとそちらにいたいと言っているよ。
返事は急がないから、今、お前がどうしたいのかだけを考えて、答えを出しなさい】
お父様のお手紙は、それで締めくくられていた。
(私が、どうしたいか……)
考えて、答えが出ない。
未来を思い描いても、どこに私がいて、誰と共にいるのか。
答えは得られなかった。
☆
あれから、度々私はノイルさんと出会うようになった。
彼はほぼ毎日、海に足を運んでいるようだ。
なぜ、花束を海に流していたのか。その訳を知ってしまった今、迂闊にその話をすることもできず、彼とは互いに会釈をして通りすがることがほとんどだった。
その日も、ノイルさんと顔を合わせた私は、帰宅途中、カティアに尋ねた。
「初七日……って何か、知ってる?」
カティアは首を傾げ、答えたのはローラだった。
「隣国の文化ですね。亡くなったひとを悼んで、命日から数えて七日間。海に花を流すそうです」
それはつまり、ノイルさんは、向日葵の花束を持って七日間。
毎日足を運んでいたのだろう。
私は二日に一回しか海に行かないから、三回しか会わなかったのだ。
四回目に会った時、彼の手に向日葵の花束はなかった。
「……それは、毎年やるもの?」
尋ねると、ローラは首を横に振った。
「いいえ?一年目だけです。流石に毎年七日間、花束を用意して海に流すのは大変でしょう?」
答えてから、ローラは私をじっと見つめた。
「ノイルさんのことですか?」
「亡くなられたのは十年以上前と話していたわ。でも、今も花を流している。どうしてなのかしら……」
「それは……わかりかねますが。もしかしたら、ベルフォール国でも地方によっては異なるのかもしれません。こういったものは、どんどん細分化されていくものですし」
「そうね……」
どちらにせよ、きっと彼の悲しみはまだ癒えていないのだろうと思った。
十年以上前に亡くなったひとを悼んで、今も海に花束を流している。
最初に見た時、贈っているようだと思ったのは──あながち、間違いではなかったのかもしれない。
あれから、私は寝室に毎日、ハイビスカスとプルメリアの花束を用意してもらっていた。
ハイビスカスの芳しい香りと、プルメリアの甘い香り。
目が覚めた時に、目に入る鮮やかな赤と優しい白の花束は、すっかり私のお気に入りになっていた。
翌日。
私はふたたび海辺へと足を伸ばした。
そこにはやはり先客──ノイルさんがいて、彼は静かに海を眺めていた。
彼は私に気が付くと、ぽつりと言った。
「こんにちは」
「こんにちは」
互いに挨拶を交わして、海辺に立つ。
いつもなら、そのまま少し離れたところに座るけれど、今日は立ったまま、ノイルさんに話しかけた。
「好きなお花、決まりました。その、ご報告です」
「…………お花?」
一拍置いて、ノイルさんが私を見る。
ざぁ、と風が吹き抜けていく。潮風だ。
風に煽られてなびく髪を抑えながら、私は頷いた。
「以前、好きなお花は?と尋ねられました。その時はお答えできなかったですが──今なら、お返事できます。私の好きなお花は、ハイビスカスとプルメリア、ですわ」
「──……」
ノイルさんは、少し驚いたようだった。
目を見開いて、数秒してから笑う。
困ったような苦笑、だった。
それでも、私はこの時初めて、彼の愛想笑いではなく、本心からの笑みを見た気がした。
「深い意図はなかったのですが……そうですか。それは、よかった。どちらも美しい花ですね。ハイビスカスは強さ、プルメリアには愛らしさがある」
「あなたのおかげで、好きなお花に出会えました。ありがとうございます。……お礼が言いたくて」
「大したことはしていません」
いつもより、少しだけ長い会話。
それに背を押されて、私は彼に尋ねた。
「毎年……ここで、花を流しているのですか?」
尋ねると、彼が目を丸くする。
いつも表情がなかったから分からなかったけど、もしかしたら思ったよりも表情豊かなのかもしれない。
彼は少しだけ声のトーンを落として、視線を前に向けた。
海の向こう──水平線の向こうにあるであろう、ベルフォール国を見つめながら。
「いつもは、地元で。今年は……珍しく休みが取れたので、ユジュに来ました」
「花束を海に流すのは、ベルフォールの風習だとお聞きしました。ノイルさんは、ベルフォール人なのですか?」
ノイルさんは、困ったような目を私に向けた。
だけどすぐに、頷いて答える。
「そうです。……お嬢さんは、位が高いところの娘さんでしょう」
「えっ?」
「こんな、いかにも怪しげな男と関わりあいになるのは、よろしくないのでは?使用人が、心配しますよ」
確かに、カティアもローラも、私とノイルさんの距離が近づくことを心配しているようだった。
エイリクは、彼に会ってみたいと言っていたけど。
私たちは、他人以上、友人以下の関係だ。
顔見知りに過ぎないのに家族を紹介されても、ノイルさんも困るだろう。
返答に困っていると、ノイルさんがふたたび口を開いた。
「私が好きな花は──」
しかし、その先は言葉にならない。
「あなたに尋ねたのだから、私もまた、答えようと思ったのですが、なかなか難しいですね。向日葵、だと思ったのですが。あれは、母が好きな花で、私個人は特別な思い入れはありません」
亡くなられたのは、お母様だったんだ。
ここで、初めて私は彼が失ったひとを知った。
ノイルさんは視線を下げて、寄せては引き、寄せては引く波を見つめながら考えに耽っているようだった。
「これは受け売りですが……どんなお花が好きか、と考えると答えを得られるかもしれませんわ」
私は、フラワーショップの従業員に
『どんなお花をお求めですか?元気が出る花、癒される花。香りがいい花。色々ありますよ』
と聞かれて、答えが出た。
彼女と同じように、私はノイルさんに尋ねた。
「どんな?」
「例えば……花言葉は恋にまつわるものが多いですけど、幸福や希望といったメッセージ性を持つものもあるのですわ。癒しとか、強さ、とか。個性的なものもあります」
山吹の花言葉は【崇高】。
白の撫子は【才能】。
リンドウは【誠実な人柄】。
色々とあげてみせれば、ノイルさんは少し驚いたように私を見た。
「詳しいんですね」
「昔、習いました」
これも淑女教育の一貫だ。
はにかんで答えると、ノイルさんは少し考え込んでから、ふたたび私に尋ねた。
「ハイビスカスと、プルメリアは?」
「いろいろありますけど……私が好きな赤のハイビスカスは【勇敢】。プルメリアは、【陽だまり】です」
私が好きなのは白のプルメリア。
だけど、その花言葉は【気品】なので、自分で言うのは少し、照れ臭かった。
私のごまかしに気が付いたわけではないだろうけど、ノイルさんが何度も頷く。
「確かに、お嬢さんにあってますね」
「あって……ますか?」
首を傾げると、ノイルさんが私を見た。
「あってますよ。少なくとも私が、あなたに抱く印象と変わらない。陽だまり……というのも、何となくわかります」
これは、褒められているのだろうか。
ノイルさんは事実を口にしているだけ、という様子で、ほかの感情は見られない。
困っているとふと、彼がぽつりと言葉を零した。
「……そうか、木漏れ日」
「木漏れ日?」
「あなたは、木漏れ日というイメージです。私が思うのは……白薔薇、かな」
「白薔薇」
さっきから、ノイルさんの言葉をひたすら繰り返している。
彼は花言葉に疎いようだから知らないのだろう。
白薔薇の花言葉を。
ノイルさんはまだ考え込んでいるようで、さらに言葉を続ける。
「日向ぼっこしている猫、というような」
「…………」
これは、本当に褒められているのか分からない。
猫ちゃん……は可愛いし、たとえられて嬉しくないはずがない。
だけどその前の、日向ぼっこしている、とは何なのだろう。
返答に困っていると、ノイルさんも我に返ったらしい。
ハッとしたように顔を上げる。
「申し訳ありません、お嬢様を獣に例えるのは無作法でしたね。ですが侮辱したわけでは、ありません」
「……褒めてくださってた?」
困ったように、ノイルさんは答えた。
「悪い意味では、ありません」
「なら、嬉しいです。ありがとうございます」
お礼を言うと、ノイルさんはふたたび、ぽつりと私に尋ねてきた。
「向日葵の花言葉は、ご存じですか?」
「えっ?」
「ご存じなら、教えていただければ、と」
向日葵の花言葉は、とても有名だ。
知らないことに狼狽えたけど、社交界に身を置かないひとなら、当然かもしれない。
私はすぐに答えた。
「あなただけを、見つめています」
「はい?」
「……という、花言葉があります、わ」
まるで愛の告白のようになってしまって、少し気恥ずかしい。
だけど、ノイルさんは気にしていないようでまた考え込んでしまった。
いつまでたっても彼が顔を上げないので、名を呼んだ。
「ノイルさん?」
「……いえ。失礼しました。母はなぜ、向日葵が好きだったのか……考えていました」
「聞いたことは、ないのですか?」
尋ねると、彼が口の端を持ち上げて苦笑する。
いつもの、表情がない笑みだ。
「訳を尋ねる前に、母は亡くなってしまいましたので」
「そうでしたか……」
「ありがとうございます。少し、分かった気がします。長く悩んでいたことに、答えが見つかりそうです」
「それなら、良かったのですが」
曖昧に頷く。
何せ、私が話したことと言えば、好きなお花と、花言葉くらい。
だけど、その話が、彼の悩みを解決する一助になれたのなら、嬉しかった。
ノイルさんは、やっぱり、口の端だけで笑って言った。
「次にお会いする時には、答えられるようにしておきますね。好きな花のこと、考えておきます」
そして、彼は踵を返した。
今日はもう、帰るのだろう。
その時、気が付いた。
私はノイルさんの名前を知ってるけど──彼は、私の名を知らない。
さっきも、お嬢さん、と呼んでいた。
本名を名乗るは、よくない。
ユジュでは、私はエヴァと名乗っていた。
ミルヴァールでは良くある名前だし、貴族のフルネームを全部頭に入れているひとは少ない。
だから、そう名乗ろうとした、のだけど──。
ずっと立ち話をしていたため、だろうか。
足の向きを変えたことで、力の入り方。重心の位置が変わったからだろう。
ずっと忘れていた痛みが──ふくらはぎの痛みが、熾烈によみがえってきて、声を失った。
「──ッ…………!!」
声も出ずに、その場に崩れ落ちてしまう。
そのまま砂浜に倒れ込んでしまうと思った私の手と腰を支えたのは、ノイルさんだった。




