8.同情と、憐憫と、好奇心
それから、その男性とは二回ほど顔を合わせた。
合計三回、私は男性と鉢合わせたことになる。
そして、その三回とも、毎回彼の手には向日葵の花束があった。
男性はいつも、私に気がつかない。
花束を海に流した後、ようやく私に気がつく。
そして、ハッとしたようにその場を後にするのだ。
私に気を使っているのであれば、申し訳ないと思っていた。
そして、四回目の遭遇。
彼は、今までとは異なり、向日葵の花束を持っていなかった。
ただ、静かに海の向こうを眺めている。
その日も私に気がついて、その場を去ろうとしていたのでつい、声をかけてしまった。
「あの……」
私に声をかけられるとは思っていなかったのだろう。驚いたように、足を止める。
「私に気を使っているなら、気にしないでください。……ここは、誰の土地でもありませんから」
叔父様が所有している土地にも、海辺はある。
だけど、丘から少し離れたところだ。
そこに行くには、この足では難しい。
そのため、私はいつもこの海辺に足を運んでいた。
ここは、街から少し離れているためか、人気も少なかった。
「…………」
男性からの返答はない。
沈黙が続いて、不安が募る。
(なにか不味かったかしら……)
話しかけるのが急すぎた?
不躾だった、かしら……?
居心地が悪くなってきた時、ようやくそのひとが口を開く。
「……すみません、気を遣わせてしまいました」
「い、いいえ」
「ありがとうございます。では、次からはもう少し、長居させていただきます。今日は……この後、予定があるものですから」
その言葉に、私はハッとした。
いつも、私に気付いてから去るので、私に気を使っているのかと思っていた。
だけど、今までの三回とも、予定が押していた可能性だってあったのだ。
もしそうなら、私はとんでもなく恥ずかしい勘違いをしたことになる。
無言で羞恥心に耐えていると、男のひとがふと、口を開いた。
「ここは、静かな街ですね」
「……ユジュの方ではないのですか?」
尋ねると、男性は頷いた。
「用事があって、この近くまで来ています。私はノイル。あちらに控えている方々は、あなたの使用人でしょうか?とても、疑われていますね」
尋ねられて、ハッとして振り返る。
確かにそこには、静かにこちらを見るカティアとローラ、騎士たちがいた。
カティアとローラはともかく、騎士たちまで姿を見せているということは、そういうことだ。
警戒している。
牽制されていることを正しく理解したのだろう。
ノイル、と名乗った彼が呟くように言った。
「信じていただけるかは分かりませんが……私がこの海辺に足を運ぶ理由は、向こうの国が理由です」
水平線の向こう。その国といえば。
「ベルフォール国……ですか?」
「はい。この海の向こうにかの国があると思うと……なんだか、感慨深くて」
その気持ちは、わかる気がした。
私も、この水平線の向こうに王国があるのだとはにわかには信じられず、不思議な気持ちになった。
納得していると、ふとノイルさんが私を見た。
「ですから、お伝え願えませんか」
「え?」
「使用人の方々に。『そちらの大事なお嬢様に悪しき考えは抱いておりません』……と。私が伝えても、かえって怪しまれるでしょうから」
口端を持ち上げて、ノイルさんは微笑む。
だけど、びっくりするくらい表情がないので、私は逆に困惑してしまった。
「……では、失礼します」
「今日は、花束を持っていないのですね……?」
ほぼ、同時に私たちは言葉を発した。
いつもは手に持っている、向日葵の花束。
あの後、トロテさんに聞いたのだ。
だけど、花束を海に流す風習は、ユジュにはないとのことだった。
それなら、彼はどこか違う地の人間、ということになる。
探りを入れたわけではないけど、気になった。
私の言葉に、ノイルさんが足を止める。
「……お嬢さんは、好きな花はなんですか?」
「お、花?」
思わぬ質問に、面食らう。
戸惑っていると、ノイルさんが答えた。
「突然聞かれても答えられませんよね。すみません」
「い、え……」
好きな、花。
今までだったらきっと…………。
考えても、答えは出なかった。
花言葉や、花の種類など、淑女教育の一貫として、ある程度は知っている。
だけどどれもピンと来なくて、私はてきとうでも構わないだろうに、答えあぐねてしまった。
だけどノイルさんは、私の返答を求めていたわけではないのだろう。
ふと顔を上げて、海の向こうを眺めるようにしながら言った。
「初七日が、終わりましたから」
「初七日……?」
尋ねると、彼は私を見た。
ノイルさんの瞳は、深い群青。
近くで見ると、左目の下に、薄いホクロがあることに気が付いた。
「私の生まれ育った地では、故人が好きだった花を海に流す、という習わしがあるんです。向日葵は、彼女が好きだった花です」
故人。
つまり、彼はそのひとの死を悼んで──。
それに気がついて、私はとても失礼な質問をしたのだと気がついた。
「──ごめんなさい。不躾に」
「いえ。十年以上も前の話です。お気になさらず」
今度こそ、ノイルさんは足を止めることなく、去っていった。
「お嬢様っ……!」
ノイルさんが去って、すぐにカティアとローラが寄ってくる。
「何を話されていたのです……?」
「あの方は、一体?」
口々に尋ねられて、苦笑した。
とても、心配させてしまっている。
見れば同行している騎士たちも、こちらを窺っていた。
私は、首を横に振って答えた。
彼に話しかけたのは、私だ。
「いつも……私が来ると、帰ってしまうでしょう?だから、気を遣わないで欲しいと伝えたの」
「それだけ、ですか?」
他にも、海辺に足を運ぶ理由。花束を海に流す訳などを話すと、ようやく彼らはホッとしたような顔になった。
「そうでしたか……」
それから、ローラが私に尋ねる。
「では、今日も海をご覧になりますか?」
尋ねられて、私は少し考えた。
いつもであれば、頷いていただろう。
だけど今日は──
「…………お花屋さんってどこにあるかわかるかしら?」
思わず、尋ねていた。
『好きなお花はなんですか?』
答えられなかった。
好きな花、と聞かれて──今までなら、すぐ即答していただろう。
だけど今の私には、思いつくものがなかった。
苦笑しながら尋ねると、カティアとローラは揃って目を丸くした。
その後、私はフラワーショップへと足を運んだ。
今日は、海を眺めなかったから、代足杖の魔力に余裕がある。途中までは馬車を出してもらって、フラワーショップの近くで下ろしてしまう。
カティアとローラに手伝ってもらってゆっくりと馬車から降りて、私はフラワーショップに足を踏み入れた。扉を開けると、カラン、と鈴がなる。
すぐに、元気な女性の従業員がやってきて、声をかけられる。
「いらっしゃいませ。何をご入用ですか?」
「え……と」
目的の花が、決まっているわけではない。
困った私は、店内に視線を走らせた。
「お花を……見たくて」
端的な言葉だったけど、従業員は私の目的を理解してくれたらしかった。
すぐに頷いて、問われる。
「どんなお花をお求めですか?元気が出る花、癒される花。香りがいい花。色々ありますよ」
「元気が出るお花……」
思わず、ぽつりと零すと、従業員は頷いて「お持ちしますね!」と奥に消えていった。
その間、手持ち無沙汰になったので、店内を見て回る。鮮やかな大輪の薔薇。堂々と咲き誇る、向日葵。
その中で、妙に惹かれるお花があった。
白の花弁が、渦巻くように咲いている。
思わず屈んでじっと鉢植えを眺めていると、いつの間にか戻ってきた従業員に声をかけられた。
「気になりますか?それは、プルメリアというお花です」
「可愛いですね……」
感嘆するように答えると、従業員が愛想良くニコッと笑った。
「宜しければ、ブーケに纏めましょうか?こちらのお花との相性も良いですし」
そう言って、従業員は奥から持ってきたお花を私にみせた。それは、大輪の薔薇を思わせるほど華やかな花だった。
「ハイビスカスです。赤のハイビスカスの花言葉は【勇敢】。どうでしょう?元気が出るお花でしょう?夏にピッタリの花で、ブーケとしても人気なんですよ」
真っ赤に咲く花は、飾りとして使っても可愛いだろう。目を奪われていると、従業員が手に持ったハイビスカスを、プルメリアに並べた。
「トロピカルブーケ、って言うんですよ。本当はもう、少し種類があるんですけど……。でもせっかくですから、このハイビスカスと、お客様が選んだプルメリア。このふたつでブーケを作りませんか?ほら、とっても綺麗!」
並べられたハイビスカスとプルメリアは、確かにとても華やかに映った。
大輪のハイビスカスは豪華で、こぢんまりとしたプルメリアは、可愛らしい。
これを、寝室にでも飾ったら気分がとても浮上するに違いない。
そう思うと、こころが踊って、私は従業員にブーケをお願いした。
ブーケを用意しながら、従業員が言った。
「白のプルメリアの花言葉は【気品】です。お客様にピッタリだと思いまして」
「ありがとうございます」
少し照れくさくなってはにかむと、それから従業員はしたり顔で言葉を続けた。
「それに、プルメリアにはとてもロマンチックな言い伝えがあるんです。それも、お客様にピッタリです!」
「ロマンチック?」
「恋のおまじないです」
にこ、と微笑まれて、私は目を瞬いた。
「もし、想い人がいるのでしたら、ぜひ、またいらしてください。その際は、朝露をまとったプルメリアをご用意しますよ!」
明るい笑顔で言われて、私は苦笑するしか無かった。従業員の気持ちは嬉しい。
だけど──想い人なんて、今はいない。
また、ふたたび、恋をするのか。……できるのか。
また、ふたたびひとを愛するようになるのかも。
今の私には分からなかった。
ブーケを受け取って、私はカティアとローラに、歩いて帰りたいと申し出た。
「少しでいいの。これを持って、歩きたい」
そう願いでると、ふたりは私の足をとても心配したけれど、私が大丈夫だと言うと、引き下がってくれた。
花のブーケは、思ったよりも重い。両手で持って、少しふらつきながらも道を進む。
時々、カティアとローラ、騎士たちが心配そうにこちらを見るので、私は何とか花束を持つ手にを力を込めた。
これで転倒して たら、きっと彼らは気に病んでしまう。
だから、必要以上に気をつけた。
ゆっくり、歩く。
夏の終わり。秋の始まりを思わせるほんのりと冷たさを帯びたぬるい風が、吹き抜けていく。
風に揺らされて、手に持った花が揺れた。
ハイビスカスとプルメリアの芳しい匂いに、気分がにわかに踊った。
足が、こうでなければ、スキップでもしていたかもしれない。
そのまま、大通りまで出ようとした時だった。
不意に、耳に飛び込んできた声があった。
「王女様と騎士様の婚約パーティーも、もう今月かぁ」
「──」
驚いて、足を止める。
思わず立ち止まった私を見て、カティアとローラが心配そうにこちらを窺ってくる。
だけど、何も返せない。
その間も、話し声は聞こえてくる。
見れば、カフェのテラス席で男性ふたりが話している。
彼らは、立ち止まった私たちには気が付いていないようだ。
「本当に婚約すんのかね?」
「するだろ。もう発表したんだから」
「でもほら、騎士様には婚約者がいたろ?公爵家の……」
会話に、自分が出たことにドキリとした。
足は、急に動かなくなってしまった。
凍りついたように動かない。
手に持った花束が、一気に重みを増す。
どこに視線を定めればいいかわからなくて、私は地面を見つめていた。
「何でも、大怪我をして寝込んでるんだろ?不憫で仕方ねぇよ」
トポポ、と何かを次ぐ音。
お酒かしら。紅茶かしら。
考えても詮のないことが、頭に浮かぶ。
「名前は……何だっけ?いやー、本当に可哀想だよな。俺が父親の立場なら、絶対に許さないよ」
「まあでも、それが貴族ってやつなんじゃないか?そこら辺割り切ってるだろ。なんたって公爵サマなんだから」
「もしそうなら、ほんとに可哀想だ。ご令嬢だっていうのにこんなことになって……。良いふうに言ってるけど、結局のところ、ご令嬢は捨てられたってことだろ?」
「──」
「お嬢様。……行きましょう」
息を呑んだ時、隣のカティアに袖を引かれた。
彼女に促されて、私はようやく、足を動かす。
ふらふらと、足元はおぼつかない。
思考も、乱れていた。
【可哀想】。
そっか。
私は、やっぱり……。
同情も、憐憫も。
ほとんどの場合、そこには愉悦という感情と、優越感がほんのり交ざっている。
自分の方が、相手より高い位置にあるからこそ、抱く慈愛。
哀れまれるのは、とても……悔しくて、悲しかった。
「…………」
ゆっくりと、顔を上げる。
風に吹かれて揺れる花束を見つめて、考える。
王女殿下と、グレンの婚約披露パーティー。
お父様も、お兄様も、エイリクからも。
その話は聞いていない。
意図して、私に知らせないようにしていたのだろう。
出る必要は無い、という気遣いなのかもしれない。
だけど──ふたりの婚約披露パーティーを、私が欠席したら。
周りは、社交界は、どう思うだろう?
ますます私を可哀想だと思い【哀れな令嬢】のレッテルを貼るのだと思う。
そして、気を使われるのだと思う。
『もう大丈夫なのですか?』
『大変でしたわね』
同情を込めた視線を向けながら、その瞳の奥の好奇心は隠しきれていない。
王都にいる時、顔見知りの知人から何通かお手紙を受け取った。
そのお手紙のほとんどが、形ばかりのお見舞いの言葉と……内情を知りたがるものだった。
親しいひとほど、深くは尋ねてこない。
関係の浅いひとほど、事情を知りたがった。
今はこうして、療養をしているけれど。
でも、いつまでもここにいるの?
私は公爵家の娘で、貴族なのだからいずれ社交界には戻らなければならない。
戻れるように、足のリハビリだってしているのだから。
社交界の復帰が遅くなればなるほど、腫れ物に触れるような扱いを受けるだろう。
あることないこと囁かれ、療養期間が長ければ長くなるほど、戻りづらくなる。
ふたたび社交界に戻る時に、覚悟を求められるだろう。
それなら──今。
あの事件をなかったことには……できないから。
だから、それを、いち早く過去にして……終わらせる。
(逃げちゃ、だめ)
本当は、行きたくない。
会いたくない。話したくもない。
顔を見て、何を話せばいいと言うのだろう?
お祝いの言葉を……私は、言えるのだろうか?
(ううん。言えるのか、じゃない)
言うのだ。もう、何も感じていないように。
何も思っていないように。
上辺だけの笑みを貼り付けて──貴族の娘として、振る舞う。
逃げたい、と願う気持ちをねじふせる。
帰ったら、お父様に、お手紙を書こう。
代足杖をつければ歩行は可能。
ダンスは……難しいけれど。
王女殿下とグレンの婚約披露パーティーに、でなければならない。ローウェル公爵家の娘として。
お父様は不要だと言うかもしれないけど、せめて。
貴族としての振る舞いに瑕疵はないのだと、表明したかった。
周囲に、そして、社交界に。
これ以上、ローウェル公爵家に泥を塗るような噂を……許したくなかった。
※初七日については、25話で触れています。ご確認ください。




