5.大事なひと 【エヴァルト】
母上の後ろ姿を見送った後、父上がため息を吐く。
「エヴァルト。ローウェル公爵の様子は……どうだった?」
窺うように父上が僕を見てくる。
「それはもう、怒ってましたよ。ルナリア嬢が怪我をしたんです。しかも、アルセリアを優先したがために負った怪我で、重症のようですから。かの家の、王家に対する不信感は相当なものかと思います」
「……ルナリア嬢の様子は」
父上の言葉に、僕は首を横に振った。
「会っていません。会える状況ではないのでしょう」
答えると、父上はふたたび深くため息を吐いた。
ローウェル公爵家は、手放してはならない。
離反など到底認められない。
代々王は、ローウェル公爵家を上手く手懐けてきた。離反されないように、臣下として重用してきたのだ。
年々脅威を増すベルフォール国に対して、我が国が打てる手は少ない。
唯一、アドバンテージを保てるとしたら、常に一定数の魔石供給を見込めるということ。
もし、それが無くなったら──かなり苦しい状況になることは、想像にかたくない。
同じことを考えたのか、父上がむっつりと口を開いた。
「……ルナリア嬢を妻にしなさい」
は?という言葉をすんでのところで呑み込む。
「私がですか?」
「お前以外に誰がいる。アシュルトはまだ十二。ログリスに至っては七つだ。年齢に釣り合うのはお前しかいないだろう」
僕は、この歳でまだ婚約者を持っていない。
いわゆる、婚約者筆頭候補というものはいるが、確定はしていなかった。
理由は至極簡単で、情勢が不安定だからだ。
この状況下では、自国の令嬢を妻にするより、他国から姫君を貰った方がいい。
姫でなくとも、王家に縁がある高位の貴族なら構わない。
隣国ベルフォールの不安が高まる中、本来ならすぐにでも、軍事力に秀でた国の姫を婚約者に据え、娶るべきだろう。
だけど、そこで二の足を踏んだのが父上だった。
なぜなら、既に失敗した前例がある。
父上は、身をもって政略結婚を失敗している。
母上は、他国の姫君だった。
前国王であった祖父は、近隣諸国との関係向上を狙い、他国の姫君であった母上を、父上の婚約者に据えた。
だけど、よくある話。
父上には愛人がいたし、それは母上も同様だ。
体が弱いアルセリアなんかは、父上ではなく、ほかの男の子供なのでは、と密かに噂される始末。
両親の恋愛事情は興味が無いし、どうでもいい。
大事なのは、姫君を妻にしても、その国との関係改善があまり見込めなかった、という事実だけ。
むしろ、母上があることないこと母国に報告するので、余計関係がギクシャクしてしまっている。
そんな状況だからこそ、父上は考えてしまうのだろう。
他国の姫君を迎える政略結婚に意味があるのか、と。
そして、今、こう考えた。
結局無駄になる(最悪の場合、関係悪化を招きかねない)可能性の政略結婚より、自国の関係強化をはかるべきだ、と。
今まではグレンがいたから王家の出る幕はなかった。
グレンだって、王家の縁戚だ。
グレンとルナリア嬢が結婚すれば、遠いが、王家とも縁ができる。
だけど、このままいけば、グレンとルナリア嬢の婚約は解消される。
ここで、ルナリア嬢が高位貴族でもなければ、最悪、他国の人間なんかと結婚してみろ。
ローウェル公爵家と、王家の縁は薄くなる。今後、その距離を縮めることに苦心するのは目に見えている。
とはいえ、だ。
ローウェル公爵の反応を見るに、王太子との婚約など、まず拒絶されるだろう。
「慰謝料も断られました。今、私との婚約を打診すれば火に油を注ぐようなものでは?」
何せ、僕はアルセリアの兄である。
「それに、正直申し上げますと、ルナリア嬢の怪我では、王妃は務らないかと」
「……そうだな。では、ローウェル公爵家の次男のエイリクはどうだ?彼にはまだ婚約者はいなかったはずだ。アルセリアの相手に勧めるのは」
「それこそ、冗談でしょう?」
そんなことをした日には、ローウェル公爵家は一家揃って田舎に引っ込んでしまうだろう。
僕が非難すると、しかし父上も本気ではなかったようだ。
ため息を吐いて、肩を落とした。
「だが、王家としては、ローウェル公爵家の信頼を損ねたままでいるのは具合が悪い。特に今の情勢ではな。なにか手を打たなければなるまい」
もし、グレンとルナリア嬢が結婚していたら、父上とルナリア嬢の関係は、父上から見れば、従兄弟の息子の妻。
ルナリア嬢から見れば、夫の父親の従兄弟が父上……ということになっていたはずだ。
僕とはもっと関係性が近くなる。
そもそも僕とグレンは再従兄弟だ。
だから、ルナリア嬢がグレンと結婚すれば、彼女は僕の再従兄弟の妻となっていた。
父上は、それを狙っていたのだ。
本当は、僕の婚約者として考えていた時期もあったらしいが、あまりルナリア嬢が目立つのはミルヴァールとして良くないと考えたらしい。
それで、父上はウィンザー公爵に相談を持ちかけ、ウィンザー公爵はグレンにそれとなく指示を出した。
そうして、グレンはルナリア嬢に接触し、ふたりは婚約者になったのだ。
実際、グレンにルナリア嬢への恋心があったかどうかはこの際どうでもいい。
だけど、ほかに女を作らなかったことから、ある程度の好意は寄せていたのだろう。
ローウェル公爵の手前、女遊びを控えていたとも取れるが、気付かれないように火遊びをする方法などいくらでもある。
それに、あの男はいつだって、アルセリアを優先した。いっそ、笑ってしまうほどに。
あの襲撃事件さえなければ、ルナリア嬢とグレンは、何だかんだ言って結婚していたと思う。
あの襲撃さえ起きていなければ。
襲撃者の狙いは、ルナリア嬢の持つ祝石だった。
それなら、二回目の襲撃は必ずあるはずだ。
だから、ローウェル公爵には、王家から騎士団を派遣すると申し出たが、あっさりとそれは断られてしまった。
信用されていないのだろう。それも当然か。
ローウェル公爵は、含みある笑みで
『いざと言う時、指示に従ってもらえねば混乱を招きますので』と固辞した。
父上との話が終わると、僕は父上にアルセリアにこのことを話しておけと命じられた。
つまり伝書鳩だ。
アルセリアの部屋を訪ねる。
今日は、アルセリアの体調はそう悪くなさそうだ。
「アルセリア?入るよ?」
扉をノックすると、侍女が応対して、室内に足を踏み入れる。
アルセリアは、ベッドの上で本を読んでいた。アルセリアが好むのは、恋と冒険を詰め込んだような小説だ。
アルセリアは僕に気がつくと、笑みを浮かべた。
「お兄様。ごきげんよう」
僕もにっこりと微笑んで、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「体調は?」
「悪くないわ。……ねぇ、それより。どうしてこんなにお城は騒がしいの?何が起こっているの?」
困惑したように、アルセリアが尋ねてくる。
それにどう答えたものか迷った末、僕は正直に話すことにした。
父上が僕を寄越したということは、全部話しておけということだろう。
「夜会の襲撃事件がまだ解決してないからね」
「夜会の……。蛍涼祭よね?そうだ。ルナリアは無事?怪我をしたって聞いたわ」
「ルナリア嬢は足を怪我して、療養中だよ。その彼女のことで、お前に話がある」
「ルナリアのことで?何?」
「今回の件、王家には責任がある。王家主催の夜会で起きてしまったことだからね。ローウェル公爵家に慰謝料の支払いを申し出たのだけど断られてしまった。代わりに求められたのが、グレンとの婚約解消だ」
「グレンとの婚約解消!?」
アルセリアはびっくりしたように目を見開いた。
それから、手に持っていた本を、サイドテーブルに置いて、身を乗り出すように僕に尋ねてくる。
「どうして!?」
「分からない?アルセリア。お前だったらどう?婚約者が、有事の際、自分ではなくほかの女のところに走っていったんだ。嫌気も差すだろ」
「ほかの……って。私は王女よ?グレンの主人だわ。男とか、女とか、関係ある?」
さらに困惑したようにアルセリアは瞳を揺らす。戸惑っているようだ。
「感情と理性はまた別物だろ。正しいと思ったことでも、割り切れないことだってある。それに……あいつは下手を打った。いくらパフォーマンスにしても、やり過ぎだ」
苦笑すると、アルセリアは分からない、というふうに首を傾げる。
それに、僕は微笑みで流した。
もとより、詳しく説明する気はない。
話しても意味が無いというか、そこまでの労力と時間を裂く気が無い。
これでも僕は忙しい身の上だ。
アルセリアのなぜなぜ攻撃にいちいち構っている余裕はなかった。
僕は、確かめるようにアルセリアに尋ねた。
「お前は、王家の姫だね?」
「え、ええ……」
やはり、困惑したように、不安げにアルセリアが瞳を揺らす。それに、僕は微笑みかけた。
よかった。
自覚はあるようだ。
「それなら、この件の収拾をつけるために、姫としての責任を果たしなさい」
「せき、にん?」
瞳を揺らして、アルセリアが僕を見上げる。
不安げな薄青の瞳に、僕が映り込む。
「アルセリア。お前は、ウィンザー公爵家に嫁ぐんだ」
「ウィンザー……?」
ファミリーネームを口にしてから、数秒して。アルセリアはそれが、グレンのファミリーネームであることに気がついたようだった。
「グレンのこと……!?」
驚きに目を見張る彼女に、僕は頷いて答えた。
「どうして……!?」
「『どうして?』そうせざるを得ない状況になったからだよ」
「嫌……!嫌よ!グレンと結婚、なんて。だって私は……!」
「ベルフォールの王妃になるんだ、って?夢物語もいい加減にしなさい。お前が王妃になどなれるはずがないだろう」
正論を言うと、アルセリアはくちびるを戦慄かせたものの、言葉が出てこないようだ。
「それにお前は、あの王と会ったこともなければ、話したこともない。どうせ会って、冷たくされて、思ってたのと違った、と泣くのがオチだ」
「そんなこと……。そんなこと、ないわ。だって……」
「だって、何?」
「…………」
アルセリアは答えない。
ただ、俯いて視線をシーツに落としている。
「父殺しの王。血も涙もない、非情の冷徹王。ま、どこまで本当かは分からないけど、ベルフォールの王が、父親を殺して王位を奪ったのは事実だ。そんな野蛮な男に、お前は丁重にもてなされると思ってるの?機嫌を損ねたら殺されるかもよ?」
病弱。社交はできない。知識はない。常識も欠けている。そんな王女を寄越されたところで、ベルフォール王だって、持て余すだろう。
本当に、ベルフォールの王が噂通りに血気盛んなら、アルセリアは嫁いで幾日もしないうちに剣の錆にされかねない。
その可能性を指摘すると、アルセリアは顔を青ざめさせた。
「でも……なにか、訳があるのかも、しれないし」
くっだらねー。
何で【かもしれない】ってだけでそこまで希望を持てるんだよ。
意味わかんねぇ。……と、口をついて出そうになったが、呑み込んだ。
王太子としても、兄としても、言うべき言葉ではない。
「その点、グレンなら安心だろう?グレンは何があっても、お前を守ってくれるからね」
それは、間違いないだろう。
僕が断言すると、アルセリアはまだ困惑しながら「それは……そう、でしょうね」と当然のように頷いた。
だけど、アルセリアはそれがなぜか、までは分かっていない。
きっと、ルナリア嬢も。
ローウェル公爵も、エリアスも、そして、陛下だって気がついていないだろう。
あの男が好きなのは、ルナリア嬢ではない。
もちろん、アルセリアでもない。
なぜなら、あいつが好きなのは──【騎士】の振る舞いをする、自分自身だ。
あいつは、理想とする【騎士】を演じる自分に酔っている。
ただ、それだけのこと。
だから、あいつは何がなんでもアルセリアを守るだろう。
なぜなら彼は、アルセリアを守ることが、すぐにアルセリアの元に駆けつけることが、自分の有能さの証明だと信じている。
アルセリアは、彼にとって自分の有能性をアピールするための道具に過ぎないのだから。




