3.再会
唖然として、言った。
解消したい、と強く思っていた。
だけど、グレンは納得していないようだったから、もしかしたら時間がかかるかもしれないと思っていたのだ。
だから、少し驚いた。
拍子抜けした、ともいうかもしれない。
呆然とした私に、お兄様は僅かに眉を寄せた。
「……嫌?」
「そんなわけないわ!ただ……もっと時間がかかるのかもしれないと思っていたから、驚いたの。彼は……納得していないようだったから」
私が言うと、お兄様は鼻で笑い飛ばした。
「ハッ、いくら騎士殿が不満に思っていようがどうでもいい。むしろ、奴の感情など心底どうでもいいね」
辛辣に言い捨てたお兄様は、ちらりと私を見た。
「ルナリア。王太子殿下は、お前の次の婚約について言及されたよ」
お兄様の言葉に、そうだった、と思い出す。
次の、婚約。
実感が伴わなくて、正直困惑した。
(グレンとの婚約を解消した、後?)
私は、貴族の娘だから。
貴族の常識で言えば、どこかに嫁がなければならない。
その相手は、ローウェル公爵家に利をもたらす相手か、そうでなければ、ローウェル公爵家の面子を保てるような相手。
ローウェル公爵家に泥を塗らないためにも、ちゃんと、貴族の娘として振る舞わなければならない。
それは、分かっている。
でも。
(次の婚約……。考えたく、ない)
気が進まないのもまた、事実だった。
お兄様が苦笑して言葉を続ける。
「あいつとの一件が終わって、はい次……なんて。すぐには考えられないよね。でも、ルナリア。お前には選択肢があるんだよ。お前には、未来があるんだ」
隣のエイリクも、手を握ってきた。
そして、何度も頷きながら言った。
「そうですよ!姉上。それこそ、ユジュで良いひとを見つけたらどうですか?」
「えっ……!?」
エイリクの想定外の発言に、思わずエイリクを見つめる。
だけどエイリクは、冗談ではなかったようで、真剣な顔をしていた。
「姉上は、ローウェル公爵家唯一の娘ですし、やっぱり社交界だと、色眼鏡で見られちゃうと思うんですよ。僕はほら、二番目ですし、優秀な兄上がいますし?そんなに窮屈な思いをせずに済んでますけど、姉上は……そうじゃないですよね?」
エイリクの歯に衣着せぬ発言に、お兄様は頭が痛そうに額を押さえている。
エイリクは、今まで一回も女性と、そういう噂になったことがない。
まだ十四歳だから、恋人がいないのは当然かもしれない。
でもエイリクには、そもそも、そういった親しい異性がいないのだ。
もっぱらエイリクは、男の子同士で遊ぶことを好む。
ティーパーティーでも、外行きの愛想笑いを貼り付けたかと思えば、いつの間にかいなくなっている。エイリクは、そんな男の子だった。
困惑している私に、エイリクが反対の手で、拳を握って力説した。
「それこそ、傭兵とかどうですか?」
「傭兵!?」
突拍子もない単語に、目を瞬いた。
傭兵。どこから出てきたのだろう。
「ユジュの傭兵ですよ!強いんじゃないですか?兄上?」
尋ねられたお兄様は、少し考え込んでから「まあ……そうなんじゃない?」とどこか投げやりに答える。
それに、エイリクは何度も頷いた。
「傭兵なら、契約を結んじゃえば姉上のことを第一に守ってくれますし、安心です」
それから、エイリクは早口に続けた。
「騎士はだめです!国のために~っていざの時に全く!頼りにならない」
「エイリク。皆が皆、そうではないよ」
お兄様が諌めるも、エイリクは首を横に振った。
「いいえ。僕は今回の件で、騎士に対してだけは、とても印象が悪いです」
「グレ──今回の件は、特殊だったと思うわ」
彼の名を口にしようとして、ひやりと心臓が冷えた。だから、言葉を変える。
グレンを庇うわけではないけど、皆、彼のような考え方、というわけではないと思う。
だけど、だからといってまた、騎士と婚約したいか、と聞かれたらそれは……。
やっぱり否、だけど。
私が諭すと、エイリクは納得がいかなそうに鼻を鳴らした。
「だとしても、王家の犬ってところが鼻につきます。姉上は、姉上だけをオンリーワンに思う相手を見つけるべきですよ」
「オンリーワン……」
不敬のギリギリを攻める弟に、私は困惑しながら言葉を返した。
「姉上は、姉上だけの犬を見つけるべきです」
「犬!?」
何だか、次から次にとんでもない発言を聞いている気がする。
私が目を瞬いていると、お兄様が話を変えるように咳払いをした。見ればお兄様も苦笑していた。
エイリクのとんでも発言に困惑していたのは何も、私だけではないみたいだ。
「それはともかくとして。ユジュの目的は療養だからね。だけど……そうだな。ルナリア」
「はい」
お兄様に呼ばれて、私は返事をした。
それに、お兄様がふわりと微笑む。
「いきなり婚約とか、結婚とか、そういう話をされても困るだろう?だから、お前にも考えてみる時間が必要なんじゃないかな。例えば……まずは友人から、とかどうだい?お前には、異性の友はいないだろう?」
「それは……。はい」
当然だった。
何せ、私は、グレンと婚約していたのだから。
異性の友人なんて、持てるはずがない。
噂に、なってしまうもの。
噂になってしまえば、事実はどうあれ、周囲はそういう目で見てくる。社交界は、そういうものだと私は既に知っている。
私が答えると、お兄様が微笑を浮かべて言った。
「それなら、文通から始めるのはどうだい?」
「文通?」
「僕の友人にね、あまり喋らないけど、真面目で、落ち着いたやつがいるんだ。感情的でもないし、だからといって冷たいわけでもない。小動物とかに庇護愛を感じて、懐かれるタイプ。ああ、でも、貧乏くじを引きやすいタイプでもあるかな?」
「兄上。その説明はどうなんです?」
エイリクの発言に軽く微笑みを返して、お兄様は言う。
「歳は二十二。ルナリアの三つ上だね。魔術師団のやつで、育ちがちょっと特殊だから、体術も使えるよ。思考や考え方の癖、っていうのかな。ルナリアに似ていると思うんだ」
お兄様は至って真面目に、だけど私が気負わないようにだろう。軽い調子で穏やかに言った。
「まあ、今すぐにってわけでもないし。考えておいて。ああ、それとエイリク。お前は興味があるんじゃない?オスカーに。お前、魔術師の仕事に興味あるって言ってたでしょう?」
そのひとは、オスカーというらしい。
お兄様に問われて、エイリクは弾かれたようにお兄様を見た。
「は、はい!!」
そして元気よく答える。
もし、エイリクが犬だったのならきっと尻尾をぶんぶん振っていただろう。それくらいエイリクは分かりやすく喜んだ。
その分かりやすい反応に、思わずくすくすと笑ってしまう。
「ふ、ふふっ……」
口元に手を当てて控えめに笑うと、エイリクとお兄様の視線を感じた。
「……どうしたの?」
不思議に思ってふたりを見ると、エイリクはホッとしたように。
お兄様はいつものように柔らかく微笑んだ。
「いいや?……興味あるならエイリク。お前がオスカーの文通相手になってみるかい?興味あるなら、打診してみるけど」
お兄様の提案に、エイリクがびっくりしたように固まった。
「えっ!?いや……僕、筆まめではないので、それはちょっと。あと、それなら直接紹介してください」
キッパリ言うエイリクに、お兄様もそれもそうかと納得したらしい。
「確かに。それじゃあ、今度会わせるよ」
「お願いします」
こうして、ローウェル公爵家の秘密から始まった会話は、和やかに終わった。
翌週──九月初め。
人目を忍ぶようにして、王都を南下し、ようやく私とエイリクは、ユジュの街に到着した。
関所には既にお父様から連絡を受けていたのだろう。叔父様の迎えが私たちを待っていた。
私たちの馬車がとまると、数名の騎士がこちらに礼を執る。
先にエイリクが降りて、エイリクの手を借りて私も馬車から降りる。
「姉上。……大丈夫ですか?」
エイリクに小声で聞かれて、私はエイリクを安心させるように微笑んで答えた。
「大丈夫よ、ありがとう」
エイリクが聞いてるのは、足の具合についてだ。
代足杖を着けてから、歩く練習が始まった。
だけどまだ、ひとりでは、歩けない。
バランスを崩して転んでしまう。
それでも、代足杖がない時に比べれば断然マシで、誰かの支えがあればゆっくりと、歩行が可能だった。
すぐに、ローウェル公爵家からついてきた騎士に抱えられる。
移動中、私はこうして誰かしらに運ばれている。
まずは、叔父様への挨拶のために城に向かう。
……その予定だった。
だけど既に関所には、叔父様の姿があった。
お会いするのは、七年ぶりだ。
関所の奥──応接室に通されると、叔父様が腕を広げて待っていた。
お父様と、お兄様。そして、私とエイリクと同じ、淡い栗色の髪。
だけど、線の細いお父様に対して、叔父様は体格がいい。身長はお父様とお兄様とあまり変わらないはずなのに、前に立つと、圧迫感があった。
叔父様は元中央騎士団所属の騎士だった。
元々体を動かすことが好きだったそうで、御前試合ではいつも優勝争いを繰り広げていたとか。
そして、その腕を評価した先代の辺境伯が、叔父様に打診したのだ。娘婿にならないか、と。
叔父様は笑い皺を深めて、私たちとの再会を喜んだ。
「久しぶりだなぁ!ルナリア、エイリク!」
叔父様は先に私を見て、それからギョッとしたようにエイリクを見た。唖然としたように、エイリクを見下ろしている。
「エ……エイリク……!!大きく、なったなぁ……!」
感激するように、叔父様が言った。
最後に叔父様とエイリクが会ったのは、エイリクが七歳の時だ。
今のエイリクは十四歳で、今年十五を迎えるのだから、その成長に驚いたのだろう。
びっくりしたように、まじまじと叔父様は、エイリクをつま先から頭まで見つめた。
それに、エイリクは気恥ずかしくなったのだろう。困ったように笑って答えた。
「お久しぶりです。ヴォムフラム叔父上」
「はぁ~~~~……!あんなにちょこまかちょこまかしてたお前が、こんなに……」
うっ、と叔父様は呻き声を零して、目尻を拭った。
な、泣いてる……?
びっくりした私たちに、叔父様は親指と人差し指で目元を押えた。
「すまない。感動しちまって……。歳かねぇ」
「父上とそんなに変わりませんよね?」
「ばか。五十過ぎてんだぞ、俺は」
乱暴に言うと、それから叔父様は私を見た。
「こりゃあまた。どこの美人かと思えば、ルナリアじゃないか。綺麗になったなぁ」
しみじみに叔父様は言うと、労わるように私を見た。
「話は聞いている。大変だったな」
「叔父様……。急に押しかけてしまって、申し訳ありません」
「良いんだよ。兄さんには世話になってるし、久しぶりにお前たちの顔が見れた。義姉さんは元気か?エリアスも」
「母上は……最近は珍しく社交界に顔を出してます。兄上は……眠そうです」
端的にエリアスが答えると、叔父様が吹き出した。
和やかな空気に、ホッと落ち着く。
グレンといた時は……ずっと、苦しかったことを、今になって思い出す。
(思えば……私は)
ずっと、彼の顔色を窺っていた。
どう言ったら、不快に思われないだろうか、とか。
どこまで私は、踏み込んでもいいのだろうか、とか。
その許されるラインを見極めようとして、必死だった毎日を、思い出した。
グレンを思い出すと、やはり、同時に意識が引っ張られる。
秋の、あの日に。
金木犀の香りに。
目を閉じればすぐにでも思い出せるくらい、あの記憶は強烈で……長く大切にしていたものだった。
今年の秋。
金木犀の季節になった時──私は、何を思うのだろう?
願わくば。
グレンとのことを過去にして、前を向けていたらいいと思う。
襲撃事件が片付いて、足も……少しは、動かせるようになって。
穏やかに、過ごせていたら、と、そう願っている。




