2.万が一に備えて
ユジュへの出立まで、一週間を切った頃。
私とエイリクは、お兄様に呼び出された。
場所は、応接室。ティーセットが運ばれてきて、応接室にアールグレイの香りが広がった。
「本当は、父上が話をする予定だったんだけどね。急な予定が入ってしまったから、僕が代わりに」
対面のソファに座るお兄様が、肩を竦めた。
ここ最近、お父様もお母様も、そしてお兄様もまた、忙しくしていることは私も知っていた。
最近、お兄様は帰りが遅く、日付が変わる頃の帰宅が多い。そして、朝食前には家を出る。
そんな生活だから、疲労が滲んでいた。
目の下には、ほんのりとクマがある。
私と同じように、エイリクも心配になったのだろう。居心地悪そうにモゾモゾと座り直してから、お兄様に言った。
「兄上。あまり、眠られてないんですか?顔色が、悪いですよ」
「ああ、これ?」
お兄様は、自分の目元に触れた。
目の下のクマは自覚していたらしい。
だけどすぐ、ふわりと微笑む。
「ジェニファーとあちこち行ってるんだ。……楽しいよ?婚約者とのデートは」
お兄様は美しく微笑んだけど、なぜ連日家を空けるかは、口にしなかった。
お兄様が頻繁に家を開けるようになったのは、あの事件……私が、寝込むようになってから。だからきっと、お兄様は何かしら、私のことで動いているのだと思ったし、そうに違いないと、私の勘と長年の経験が言っている。
……お兄様は、とても優しいけど。
誰にでも優しいわけではない。
以前、お兄様は言った。
『僕はね、大事なひとと、そうではないひと、結構ちゃんと分けるタイプなんだ』と。
優しいように見えてお兄様は一線を引いている。配る優しさの量を、ちゃんと見極めている。
だからこそ、お兄様は一度、自分の懐に入れたものには、特別優しい。大事にしているひとが傷つけられたら、お兄様は必ずやり返す。
お兄様は、そういうひと。
(……きっと、ジェニファーも協力してくれているんだわ)
あれから、ジェニファーから手紙がよく届く。
それは、些細な日常の出来事……庭の猫が子猫を産んだ、とか。ダンスのレッスンで久しぶりに筋肉痛になった、とか。
そういうものだったり、最近王都に出来た話題のパティスリーやブティックだったり。
流行りの小説や、オペラの話だったり。
ジェニファーの手紙には、最初の一通以来、怪我や襲撃に触れる内容は書かれていない。
それもまた、きっと、彼女の気遣いだ。
顔を上げると、お兄様が話を続けた。
「それで、本題なのだけどね。お前たちを今日呼び出したのは、ローウェル公爵家の家業について。ルナリアとエイリクにも話しておこうと思ったからなんだ」
「家業?」
尋ねると、お兄様は頷いた。
「うん。ローウェル公爵家の家業は、魔石造りだ。それは、お前たちも知っていると思う」
私とエイリクは互いに頷いた。
ローウェル公爵家は、ミレヴァール王国で唯一、魔石加工が許されている。魔石はローウェル公爵家の専売特許で、このミレヴァールで流通している魔石の九割は、ローウェル公爵家が卸したものだ。
残りの一割は、不法に作られた粗悪品。
それか、品質に問題はなくとも、出処や使用用途に問題があったりする──いわゆる、裏取引などに使われたりしている。
つまり、このミレヴァール王国で魔石といえば、ローウェル公爵家なのだ。
だからこそ、ローウェル公爵家が魔石に困ることはない。
魔石を頻繁に使用する代足杖も、ローウェル公爵家の当主だから、お父様は二つ返事で頷くことができた。
本来、魔石がとても高価で、希少なことを、私とエイリクも知っている。
私たちが頷くのを見てお兄様が微笑んだ。
「本来、この秘密は、当主と、次期当主以外には知らせてはいけない決まりだ。だけど、ルナリアは祝石持ちで、襲撃があった。それに僕になにかあれば、次の当主はエイリクだろう?だからお前たちには言っておいた方がいいとの父上の判断だ」
そう言うと、お兄様は手のひらをこちらに向けて、中指に嵌めている指輪に触れた。
お兄様がこのローウェル公爵家の直系であることと、次期当主であることを示す金の指輪。
アンバーの宝石が、嵌められてある。
「この指輪。お前たちもしているよね?」
お兄様に尋ねられ、私とエイリクはそれぞれ右手を出す。
私たちの中指にも、指輪は嵌められている。だけど、石はダイヤモンド。
これは、私たちがローウェル公爵家の直系であることを示すものだ。
物心ついた時から、この指輪をしていた。
もし、何かがあった時。手持ちが何も無くても、この指輪が私たちの素性を証明してくれるから、とお母様に言われた。
ローウェル公爵領か、その親戚の領地なら、この指輪を見せるだけで無条件で入れてもらえる。
だからこそ、この指輪は決して紛失してはならないと、幼少期から口酸っぱく言われてきたのだった。
今、指輪の話をするということは……
(この指輪と、魔石造りになにか関係がある……?)
私とエイリクが揃いの指輪を見せると、お兄様は頷いた。
「そう。それはね……というより、僕たちが持つこの指輪が、なんだけど。ご先祖さまの、祝石が使われているんだ」
「…………えっ?」
「祝石、ですか?」
私の驚きの声と、エイリクの声が、同時に響いた。
祝石……?
思わず、指輪を見つめた。
「ご先祖さまの祝石の加護は、魔石発見。ルナリアも、エイリクも、知っているよね。魔石というのは、山ならどこでも取れる。だけど、どこにあるか分からない。どこで取れるかまでは分からないんだ。漠然と、山のどこかにある、っていうだけ」
お兄様の説明に、私とエイリクはふたたび頷いた。
「それは砂漠から、砂金を探すようなものだ。探すためには、こういった道具が必要になる。だから、我々ローウェル公爵家にしかできないことなんだよ」
「……その祝石は、兄上の指輪にのみ使われているのですか?それとも、父上?」
困惑しながら、エイリクが質問した。
「祝石はね、砕いてこの指輪の宝石に混ぜられているんだ。何でも、持ち主本人の意思だったみたいで、子から孫に、孫から、その子孫に。そうやって、祝石が伝わるように、と考えてこの指輪を作ったんだそうだ。だから、お前とエイリクの指輪にも祝石が使われている。この指輪は予備があと三つほどあってね。持ち主の指のサイズに加工し直してきて、もう何百年かな……。石自体はずっと古いものなんだよ」
「知らなかったわ。祝石が、使われているなんて」
思わず、右手の中指に嵌る指輪を見つめた。
確かに、ほんの少し。私の持つ祝石と同じような煌めきを……帯びているような気がする。
それは、見間違いか、と思うほど微かな光だった。
私が答えると、お兄様が頷いて言った。
「それで、ユジュには、鉱山があるでしょう?手始めに、エイリクにはそこで、指輪の使い方を覚えてもらおうかな、と思ったんだ。僕も、父上もね」
「えっ?僕がですか?」
エイリクがびっくりしたように目を瞬く。
それに、お兄様が苦笑した。
「さっきも言ったでしょう?僕に何かあれば、次期当主はお前だよ、エイリク」
「ですが……」
「万が一のことを考えて、お前は指輪を使えるようになっておいた方がいい」
(万が一……?)
その言葉に引っかかったのは、私だけではなかった。
エイリクもまた、眉を寄せてお兄様を見ている。
「それが、公爵家に生まれたものの務めというのなら……やりますけど。でも、不吉なことは言わないでください。何ですか?万が一って」
それに、お兄様は肩を竦めて困ったように笑う。
「何があるか分からないでしょう。最近は何かときな臭いしね」
「…………分かりました」
エイリクは納得がいってなさそうだったけど、しっかりと頷いた。
『何があるか分からない』
『きな臭い』
……それはきっと、あの襲撃事件のことも関係している。
王家主催の夜会で、襲撃があった。
警備は敷いていたはずなのに、それは機能しなくて、魔法すら無効化されていた。それは……とても大きな脅威になったはず。
警戒を強めているのは、ローウェル公爵家だけではないのだろう。
「それから、ルナリア」
「はい」
呼びかけられて、顔を上げる。
お兄様は、じっと私を見ていた。
「社交界では、お前が、ユジュに行くことは伏せている。お前は、この王都の邸で寝込んでいると噂を流しておいた」
私が、ユジュに行くことを伏せておく──。
それは、社交界に、知られてはいけない人間がいる可能性が、高いから。
その可能性にハッとすると、お兄様が続けて言った。
「クラリスが、お前の代わりを務めることになった。背格好が似ているからね」
「っ……!?」
驚きに目を見張った。
クラリスが……私の侍女が、身代わりを務める……!?
そんなの。
「危険だわ……!」
口をついて出た言葉に、お兄様が真っ直ぐに私を見つめた。
「本人たっての希望だよ。それに、発案者も彼女だ。無礼を承知で、と父上に直談判しに来た。……クラリスの気持ちだよ」
それを聞いて、ますます私は呆気に取られた。
だって、本来、一介の侍女は当主と話す機会はない。
当主から呼び出されるならまだしも──自分から、訪ねるなんて、有り得ないことだった。
非常識だと叩き出されてもおかしくない行為だ。
だけど、マナー違反であることを理解して、その非礼を承知の上で、クラリスはお父様を訪ねた。
……私のために。
胸が、痛くなる。
彼女の気遣いが、優しさが、想いが。
じわり、じわりと胸に広がって、私は浅く息を吐いた。
お兄様が補足するように言う。
「それに、クラリスは騎士職上がりだ。お前がここに残るよりずっと危険は少ないと思うよ」
「……そう、ね」
「お前は良い侍女を持ったね。後で、礼を言っておきなさい」
お兄様の言葉に、私は頷いて答えた。
感謝の気持ちを込めて、クラリスになにか贈り物がしたい。
でも今の私は……外を出歩けないから。
何がいいかしら……。
クラリスは、元々公爵家の私兵だった。
その有能さを買われて、お母様に引き抜かれたのだ。そして、私付きの侍女になったという経緯がある。
贈り物を考えていると、お兄様が真剣な顔で言った。
「……もし、襲撃犯が諦めていないのなら。襲撃犯の狙いが祝石なら、きっとまた接触があるはずだ」
「接触……。また、襲撃があるかもしれない、ということ?」
私の言葉に、お兄様は頷いた。
それなら、その時は。
今度こそ私は……捕まってしまうだろう。
何せ、この足はもう、走って逃げることが出来ないのだから。
相対したら、その時は。
その先を想像して、背筋が冷えた。
肌が泡立ち、鳥肌が立つ。
思わず、胸元のネックレス──祝石を、強く握りこんだ。
あの夜を、思い出す。
襲撃者は、私が多少怪我をするくらい構わない、と言った様子だった。
私が生きて、息さえしていれば。祝石を持って、生きているなら、それで構わない。
そんな様子だった。
あの男が……また、来るかもしれない。
そして今度は、家族を、クラリスを、巻き込むかもしれない。
血の気が引く思いだった。
あの、銃弾の痛みは未だ生々しく私の記憶にこびり付いている。
次、あの襲撃者と相対して、普通に振る舞えるのか。気丈に対応できるのか。
今の私には、分からない。
強く、強く祝石を握りしめていると、お兄様の声が聞こえてきた。
「ユジュには……叔父上がいらっしゃる。ユジュはホークウィンド領の最南端で、海を隔てた向こう、隣国ベルフォール国を長く警戒している。絶対防衛最終ラインが敷かれていて、砦も城塞も堅牢だ。対ベルフォール国には一番有効だと思う。……守りも堅い。叔父上なら、必ずお前を守ってくれるよ」
ユジュは、ミルヴァール国の最南端に位置する海辺の街だ。
そして、その土地を治めているのが、お父様の二番目の弟である、ヴォムフラム・ダリル・ホークウィンド辺境伯。
私とエイリク、お兄様の叔父様だ。
お父様とお兄様はそこまで考えて、私にユジュでの療養を勧めたのだと、今になって気がついた。
お兄様はそこまで話すと、話を変えるように顔を上げた。
「それと、ルナリア。お前に、王家から謝罪の連絡が来ている」
「え?」
話が突然変わったことにも面食らったけど、内容にも驚いた。
謝罪?王家が、私に?
目を瞬きながら、私はお兄様に尋ねた。
「謝罪?……私に、ですか?」
お兄様は、ひとつ頷いて答えた。
「うん。あれは、王家主催の夜会で起きたことだからね。王太子殿下がわざわざいらして、お詫びに来たよ。謝罪の気持ちとして、慰謝料を用意するとのことだった。……父上はそれを断って、騎士殿との婚約解消を求めたよ」
「……っ!」
驚きに、息を呑む。
グレンとの婚約……どうなったの?
お父様は、婚約解消に向けて話を進めていると言っていた。
だけど、その後どうなったのか聞けていない。
聞きたくて、聞けなかったこと。
私が気にしていることを、お兄様は……恐らくお父様も。気付いていたのだろう。
お兄様は眉を寄せて話を続けた。
「王太子殿下は、決めるのは陛下だから確約はできないと仰ったけど、お前の次の婚約について言及してきた。恐らくあれは、通るだろうな。確認は、ただのポーズだ」
通る、だろう。
それはつまり……
「私と彼の婚約は……解消されるの?」




