1.六年の月日
グレンとの話し合いをした翌日。
私はふたたび体調を崩してしまった。
発熱すると、それに続くようにして右の脹脛も鈍痛を訴えてくる。
じくじくと痛むそれは、神経をも苛んでいるように感じた。傷の、内側が痛い。手で抑えても、痛みは変わらない。
(痛い、痛い、痛い……!)
ぐっと、手を強く握る。
鎮痛剤は飲んでいるけど、あまり効いている感覚はなかった。
治癒の魔術師の力をもってしても、傷口を塞ぐことしかできないのだという。
それくらい、魔法銃は特殊だ。
銃弾が貫通していたのが幸いだった、とお医者様に難しい顔で言われたのを思い出す。
ベッドの中で丸くなり、荒い息を吐く。
熱と、痛みで、頭がくらくらした。
胸元に触れれば、銀のチェーンネックレスに手が触れた。
そっと、その先を手繰って、取り出した。
祝石を、ぼんやりと見つめる。
祝石は、そのひとそのひとによって、色や透明感など異なるらしい。
私の祝石は、銀。
水銀が流れるように。聖夜に雪が降るように。ちらちらと銀の中を白が舞う。
幼い頃はよくこうして、ずっと見ていたものだ。飽きもせずに。
「…………は、ぁっ」
息を吐くと、呼吸が荒かった。
足が痛い。頭が痛い。目眩がする。
頭痛の酷さから、吐き気まで込み上げる。
寒気もする。
ブランケットをしっかり被りながら、私はひたすら祝石を握りしめていた。
(お父様は、これが、覚醒していると言ったわ……)
城で起きたことを話した時。
お父様は私の話を聞くと、少し考えるように沈黙してから、言った。
『気付いてるか?ルナリア。お前の祝石は、覚醒している』
『え──』
それは、思ってもない事実だった。
驚いて、ネックレスを手繰り寄せて見てみれば、確かにそれは、ほんのりと白く光っていた。
いつもとは、明らかに違っている。
驚きに息を呑む私に、お父様が言葉を続けた。
『僕は、祝石がお前を……お前の命を守ったのではないかと思っている。……違うかい?』
『祝石が……?』
祝石は、きらきらと輝いている。淡く発光して、まるで石自体が光っているかのようだった。
『確かにあの時、一瞬……何かに包まれたような感覚があったわ。暖かくて。……それが?』
祝石の力?
ふわりとした温もりに、安心感なようなものを抱いた。
でも、次の瞬間──。
『っ……』
何度、思い出しても。
恐怖が蘇る。熱。痛み。
脹脛を襲った、衝撃。
思うように動かない体に、自分の荒い呼吸。
どこか他人事のように、私は私の喘鳴を聞いていた。
勝手に震えそうになる体を、手で抑える。
意識を、ほかのことに向ける。
祝石。そう、祝石の話だわ。
(祝石が、私を助けた……?)
私は魔法銃で撃たれた。
それは確か。
『でも私は……。確かに、魔法銃で、撃たれたわ……』
撃たれた。
その言葉を口にするには、勇気が要った。
とても強くて、重たい言葉だから。
だけど、事実だ。
私が答えると、お兄様は言いにくそうにしながらも切り出した。
『もしかしてそれは……一度銃弾を弾いて、跳ね返ってきた可能性はないかな。それが、ルナリアに当たったとか。いわゆる跳弾、というのだけど』
跳弾?
その時、私は思い出した。
銃弾が、不可解な軌道を描いたこと。
襲撃者が撃ってから、私に当たるまで。
ほんの僅かに時間のズレがあったこと。
それは、もしかして──
(そう、だわ……)
良く思い返して見れば、襲撃者は、私の鳩尾あたりを狙っていた、はず。
だけど実際に私が撃たれたのは、右の脹脛。
あの距離だ。
素人でも、外さない距離だと思う。
その後、襲撃者は驚いたように言っていた。
『へえ。今のが【祝石】の力か?今も持ってるんだな?見せてみろ』……と。
もし、私の祝石の力で銃弾を弾いたというのなら。
彼も驚いたのかもしれない。
放った弾丸が、あらぬ方向に弾かれ、私の脹脛を射抜いたのだから。
お兄様はふたたび私に尋ねた。
『お前は、祝石の覚醒を感じたんだよね?』
頷いて答えると、お兄様は『それなら』と話を続けた。
『お前はその時。祝石の反応に驚いたんじゃない?それで、集中が途切れ、跳弾した弾丸を弾くことが出来なかった……。仮説として、どうですか?父上』
途中までは私に、最後はお父様に聞くようにして、お兄様は言った。
祝石が、一度目の銃撃を防いだ。
だけど、跳弾した弾丸が、私の脹脛を射抜いた。
それなら、あの不可解な軌道も、僅かな時間のズレも、説明がつく。
ベッドの中、荒い息を吐いて、私は強く目を瞑った。
あの時──襲撃を受けた時。
体を、暖かな何かで包まれた。
それに困惑したのもまた、事実だった。
そして、次の瞬間、そう。
次の瞬間に、私は撃たれたのだった。
ゆっくりと手を開いて、ふたたび祝石をみつめる。
祝石は、以前と同じように、銀に粉雪が舞うように、たえず揺らめいている。
だけど、以前と異なることがひとつあった。
それは──
(発光してる……)
淡い白い光が、祝石をほんのりと包んでいる。
これが、祝石が覚醒した、ということなのだろう。
翌週、ようやく私の熱が完全に下がった。
ずっとベッドの上で寝ているだけだったので、早く歩きたい──そう思っても、今の私にそれはできない。
感覚はある。カーペットに、右足を下ろす。
そこまでは、大丈夫。
それでも──力を入れようとした途端。
膝が折れて、その場に倒れ込んでしまう。
「──っ……!?」
驚きに、言葉を失った。
『もう以前のようには歩けないかもしれない』
確かにそう、お医者様に言われた。
だけど、本当に……?
お医者様の言葉を、疑っていたわけではない。
だけどもしかしたら、があるかもしれないと。
そう思っていた。
頑張れば。私の気力次第で。
……何とかなるかもしれない、と。
だけど、現実はずっと無情で、非情だ。
膝から崩れ落ちるようにして転んだ私に、クラリスが悲鳴のような声を上げて駆けつけた。
「お嬢様っ……!!」
彼女の手を借りて、ゆっくりと立ち上がろうとするも──。
(どうして)
足に、力が入らない。
「…………」
そのまま、私はふたたび、ぺたりとカーペットの上に座り込んでしまった。
ひたすら、現実が遠かった。
涙は、出ない。
もう、散々泣いたから?
ただただ、呆然と前を見る。
「立てないの」
ぽつりと、事実を口にする。
クラリスが、息を呑んだ。
感覚はある。
足の指だって、動かせる。
それなのに、力が、入らない。
力を入れられない。
「どうして……立てないの?」
困惑して、クラリスを見る。
どうして。……どうして?
「お嬢様……」
クラリスが、今にも泣きそうな顔で私を見る。
違う。そんな顔をさせたいわけじゃない。
でも、だって。
どうして。何で。なぜなの。
つい、この前まで、歩けたわ。走れたわ。
あの夜会の日だって、走って逃げたのよ。
それなのに、どうして。
「どうして……!!動かないの……!?」
思わず、強く脹脛を掴んでしまう。
強く掴めば、脹脛は、痛みを訴えてくる。
痛覚はある!感覚もある!
それなのにどうして……!!!!
「──っ……」
口を開けば、絶望が零れてしまいそうだった。
分かっていた。
分かっていたのに。
それでも、やはり【そう】だと突きつけられると──現実を見させられて。
思ってしまった。
どうして?と。
どうして、こうなってしまったの。
どうして、私の足は──思うように動かないの。
その後、私は今にも泣きそうなクラリスに「ご安静にしてください」と言われ、ベッドの上に戻った。これではベッドの住人だ。
もしかしたら、この一ヶ月くらいは、王女殿下よりも長く、ベッドにいるかもしれない。
ふと、窓に視線を向ける。
レースのカーテンが引かれている。
その先に、公爵家の庭園が見えた。
以前なら、軽い気持ちで庭を見ようと思い立ち、行動に移せた。
でも、今の私にはもう。
できないとわかると、途端にそればかりに意識が囚われてしまう。
私は祝石を強く、握りしめた。
縋るように、あるいは、祈るように。
☆
翌日。
私はふたたびお医者様の診察を受けた。
お医者様は、お母様と同じくらいの年齢の女医だった。
患部が患部なので、お父様は気を使ってくれたのだろう。
お父様とお母様、お兄様は用事があって不在だ。エイリクが付き添ってくれていた。
自室で、ゆったりとしたカウチに腰を下ろす。
お医者様は私の足を診ると、難しい顔をしながらも、言葉を続ける。
「ふむ……怪我の具合も良くなってきましたね。もう熱も持っていない。……失礼。少し、動かしますよ」
お医者様に断られて、頷く。
すぐに、お医者様が私の足首を角度をつけて、ゆっくりと動かした。
瞬間、背筋を舐めるような、底冷えする痛みを覚えて、息が詰まる。
「っあ……!」
絞られるようにして、声が出る。
すぐにお医者様は手を離してくれた。
それから、ドレスの裾を戻して、足首を隠してくれる。お医者様は厳しい顔で言った。
「ふたつ、選択肢があります。まず一つ目は、昔ながらのやり方。負傷した右足の代わりに、杖をついて歩く、というやり方です。二つ目は、代足杖というものを使うやり方になります。こちらは、ご令嬢への負担も少ないでしょう。ですが、魔石を使用します」
「代足杖……。それは、どういったものなんですか?」
私の代わりに、エイリクが尋ねる。
お医者様はひとつ頷くと、ご自身の鞄から、パンフレットのようなものを取り出した。
彼女は、その中からとあるページを開くと、それを私たちに見せてきた。
「膝から足首まで、一見ただの透明な棒に見えますが、これが代足杖です。これを二本のベルトで患部に装着させます。動力源は魔石となりますが、魔石はとても高価ですので、本来、こちらから推奨することはあまりありません。ですが、代足杖の方が、ご令嬢の負担は圧倒的に少ないかと思います」
お医者様の話を聞き、私とエイリクは頷いた。
一度、お父様に相談してみよう。
パンフレットを受け取り、お医者様にお礼を言う。
お医者様は最後に、私のことを気遣わしげに見た。
眼鏡の奥に、同情と憐憫が強く見えた。
「お嬢様。今は、辛い時期かと思います。ですが……どうか気を強く持ってください。頑張れば、以前のように歩くことも不可能ではありません。可能性はあります。全ては、お嬢様の、頑張り次第です」
「……ありがとうございます」
励まされていると、思った。
以前のように立とうとして、できなかった。
膝から崩れ落ちてしまった。
お医者様は、それを知っているのだろう。
だから、私が絶望しないように、諦めないように、そう言ってくれている。
パンフレットを持つ手がかすかに震え、指先に力が籠った。
帰宅したお父様に話をして、代足杖を使うことが決まった。
ローウェル公爵家は魔石造りが家業だし、魔石に困っていない。
他家なら、こんなにすぐ、即決することは難しかっだろう。
怪我をしたことは、不運だった。
だけど、こればかりは不幸中の幸いだったかもしれない。
あれから、グレンの話は一度も出ていない。
私の婚約が今どうなっているのか。
ウィンザー公爵家から何か連絡が来ているのか。
気になるけど、お父様にも、お兄様にも聞けていない。
お兄様はあの話し合いでとても取り乱していた。本来、お兄様はあんなに声を荒らげることはしないひとなのに。
お父様に聞くことで、まだグレンに未練があると心配させてしまうことも、嫌だった。
私自身、グレンの名を口にできるか。
何の気負いもなく、会話で彼の名を出せるのか分からなかった。
彼と話している時は、名を呼べた。
本人と向き合わなければならないと覚悟していたし、気も張っていた。
逃げてはいけないと、そう思ったから。
『彼に、話したいことが、あるの。……きっと、今話さなければ……一生、話せないと、思うから』
あの時、話さない、という選択肢をとっていたら。
きっと私は一生、グレンから逃げていた。
向き合うことを恐れて、話すことができなくなっていただろう。
月日が経てば経つほど、恐ろしく感じていたに違いない。
向き合うことを拒否していたと思う。
だから、あのタイミングで話せて良かった。
お兄様に言った通り、ひとりで話すのは怖かった。
だから、お兄様に同席してもらった。
そうすることが、私の自衛策だった。
もしかしたらまだ、グレンと向き合うには早かったかもしれない、とも薄々感じていた
だって私はまだ、あの襲撃事件のことも、グレンのことも、過去にできていない。
それでも、自分の口で、言いたかった。
婚約を解消しようと。
区切りをつけたかったのだ。
これは、政略での婚約ではないのだから。
自由意志によって、恋愛感情によって、結ばれた婚約だったから。
ユジュの別邸に行く日が、正式に決まった。
来月、九月の初め。
ユジュの別邸には、私だけではなく、エイリクも行くことが決まった。
きっと、お父様も、お母様も、お兄様も。私ひとりでは心配だから、エイリクの同行を決めたのだと思う。
とても、心配をかけさせてしまっている。
早く安心させたいのに。
どうしたら【もう大丈夫】になるのだろう。
グレンの名を、日常生活でも口にできるようになったら?
襲撃事件を、完全に過去にできたら?
それとも、私が大丈夫だと思ったら?
私の部屋で、ユジュの地図を広げながらユジュに着いたら何をしようかエイリクと相談する。
ユジュには、辺境伯を務める叔父様がいる。
まずは、叔父様への挨拶が先になるだろう。
ユジュの地図と、観光資料を交互に見ていたエイリクが、難しい顔をしながら顔を上げた。
「僕……あんまりユジュの別邸のこと、覚えていないんですよね」
「覚えてない?」
「最後に僕がユジュに行ったのは、六歳か七歳くらいのことですよね?あんまり覚えてなくて。他の記憶と混同しているってのもありますけど。西の別邸と、混ざるんですよね。貝殻を集めてネックレスを作ったのって、西の別邸の話ですよね?」
エイリクに尋ねられたので、そういえばそんなこともあった、と私は思い出した。
最後にユジュの別邸に行った時。
お兄様は十八歳。エイリクは七歳だった。
私は十二歳。
……グレンに出会う、一年前だった。
十三歳の秋に、グレンに出会って。
十七歳の秋に、婚約をした。
十九歳の今。
グレンと出会って、六年が経過しようとしていた。




