10.確認 【後】
またしても長い。2章【確認】はこれでおしまい。
告知:本日「思い上がりも程々に。地味令嬢アメリアの幸せな婚約」コミック②巻発売です。
よろしくお願いします。
グレンは困惑が隠せない様子ながらも、言った。
「エリアスがいるのは……まぁ、いい。とりあえず、ルナリアと話せるならそれで」
そして、グレンが私を見た。
……あんなに好きだった、青翠色の瞳。
春の、湖面を映したような瞳。
あんなにも恋焦がれて、憧れたというのに。
今は──
(……何も、感じない)
瞳を見たくない、という感情は不思議と湧き上からなかった。
ただ、不思議だった。
以前はあんなにも、好ましいと。
彼の瞳に魅せられたのに。
今は、その過去がどこか遠かった。
私と目が合って、グレンがホッとしたように笑う。
「ルナリア……無事で、よかった」
「……無事?」
思わず、聞き返ししまう。
彼は何を見て、無事と言ったのだろう。
命が助かったから?
生きているから、無事なの?
私の、この怪我は──。
私が聞き返したことで、グレンがまつ毛を伏せた。
「いや……あの時は、悪かった。結果的に、きみは怪我をした」
「──」
あの時は、悪かった?
そんな、フランクに。
あっさりと、言えるものなの?
私には分からない。
もしかして、グレンの見ている世界と私が見ている世界。
とても大きな隔たりがあるのではないか、と。そう思うの。
愕然としている私に、グレンは言葉を紡ぐ。
眉を寄せ、難しそうにしながら。
「俺の仕事は、騎士だ。騎士は、国に仕えるものだ。だからあの時、俺はアルセリ……王女殿下を優先した。だけどそれは、仕方ないことだとわかってくれるよな?」
「──っ」
その時、お兄様が身を乗り出して何か言おうと、ううん。
もしかしたら、手が出そうになっていたのかもしれない。
それくらい、お兄様は勢いよく、身を乗り出したものだから。
だけど私は、お兄様の手をしっかりと掴んで、抑える。
グレンを庇いたいわけじゃない。
だけど、私はグレンと話すと決めたのだから。
強張るくちびるを動かす。
誰かに言ってもらうのではない。
自分の口で、言わなくちゃ。
私が、話すと決めたのだから。
「……あの時、王女殿下には複数の護衛がついてらしたわ。近衛騎士も、複数人いたって聞いてる。あの日、あなたは非番だった。それでも、王女殿下を優先しなければならなかったの?」
「結果的に、王女には複数人の護衛が付いていた。それは間違いない。だけど、それは結果論だろ?もしかしたらアルセリアには誰も護衛が付いていない状況だったかもしれない。いたとして、襲撃犯の数が上回っていたかもしれない。もしも、の話をして何の意味になるんだ?」
「わ、私はひとりで、襲撃者に敵対した!魔法銃で撃たれた!王女殿下を優先したのは、職務だってわかってるわ!でも、それなら私は何なの!?私は……っ、あなたの婚約者じゃ、なかったの!?」
だめ。落ち着いて。
冷静に、冷静に話すの。
そう思っても、声に涙が滲んでしまう。
だって、覚えているの。
記憶は色濃い。
あの襲撃の夜。
月明かりに照らされて、私は襲撃者の顔を見た。
敵の狙いは私だった。
相手は私を連れ帰りたかったから、殺さなかった。
だけどそれは、それこそグレンの言う【結果論】に過ぎない。
もしかしたら、殺されていたかもしれない。
その可能性を、グレンは、彼は、考えてくれなかった……!?
「どうして……どうしてっ……!せめて、安全なところまで連れていって欲しかった!お兄様のところまで、連れて行って欲しかった!」
私はボロボロと零れ落ちる涙を拭うことすら出来ずに、グレンを見た。止まらなかった。
嗚咽も、言葉も。
「……置いて、行かないでほしかった……!!」
そう、すべてはその一言に収束する。
置いて行かれたくなった。あの場で。
あの、混乱と騒動の中心で。
危険が身近にあって、頼れるひともいなかった。
「どうして……置いて、行ったの……!?!?」
落ち着け、落ち着くのよ。
冷静にならないと。
話し合いをするのでしょう?
そう思っても、堰を切ったように涙は零れてしまう。
次から次に、涙が零れた。
置いて行かれたくなかった。
いつも、私は置いて行かれる立場だから。
だから、あの時は、せめて。
せめて、一緒にいてほしかった。
鼻が痛い。泣きすぎて、頭が痛い。
喉が痛い。……こころが、痛い。
顔を俯かせてしゃくりあげていると、酷く冷静なグレンの声が聞こえてきた。
「……感情的になられると、話が進まない。前にも言ったけど、きみはつくづく感情論が好きだよね」
「っ……」
「置いていった理由はさっき言った。それ以上の答えはない。ねえ、ルナリア。きみは、なんて答えてほしいの?」
──。
もはや、何を言えば。
なんて答えればいいか、分からない。
唖然として顔を上げる。グレンは厳しい顔で私を見ていた。
私を、咎めるように。
「謝ればいい?きみの気が済むまで、謝罪しろと?きみは俺に、どうしてほしいの」
私は、グレンに……?
何を……?
グレンは、私を責めるように見ていた。
悪いのは、思考を割り切れず、感情的になってしまう私の方だと。
「わかった。じゃあ、俺と結婚しよう?ルナリア」
「は……?」
婚約解消の話が出ている、今。
どうして、そんなことが言えるの?
呆然と、私はグレンを見た。
「きみは気が済まないんだろう?それなら、これしかない。責任を取って、俺はきみと結婚する。それでいいよね?」
それで、いい……?
グレンと、結婚?
泣き過ぎたせいで、頭がぼんやりとする。
視界が潤んで、目元が熱を持っている。
答えは、意識することなく口から滑り落ちた。
「嫌……」
「嫌?どうして?きみは俺と結婚がしたかったんじゃないの?」
「したかったわ。でもそれは過去の話よ。あなたが、王女殿下がご成婚されるまではと」
断ってきたのは、グレンの方だ。
私が言うと、グレンがうんざりしたように肩を落とした
「またその話?」
その仕草に、こころが跳ねた。
ドキリとして、思考が止まる。
嫌な覚えがあったからだ。
あの時の会話も、そうだった。
馬車の中でした会話も、王女殿下の話をしたことで一気に険悪になったのだった。
グレンはため息交じりに言った。
「それなら、知ってるよね?俺は、自分の結婚は、アルセリアの成婚を見届けてからにするつもりだった。だけど、きみが怪我をしたのだから仕方ない。ルナリア。俺がきみの責任を取れば、少しは安心できる?」
仕方ない?
……安心?
私は、責任を取るからと、仕方なく結婚を申し込まれなければならないの?
……どれほど、私はみじめなの?
「何を、言ってるの」
「何って。きみはそれを望んでいたはずだ。それで、ずっとアルセリアと自分を比べて、気にしてきた。些細なことだというのに。他人を気にして何になるの?きみが、俺と結婚することで落ち着くというのなら、もうそれしかないし、それがいいと思う。違うかな」
「本気?」
「本気だよ。冗談でこんなことを言うと思う?」
分からない。
どうして、こんな話になってしまったの?
結婚?責任?
そんな話をするために、この場を用意してもらったわけではないのに。
(私は何を話そうとしていたのだっけ……)
終わりにしようって、言おうとしていた。
全て、終わりにするつもりだったのだ。関係を清算するつもりだった。
それが、どうして。
「感情的にならないで。冷静に考えて。きみならできるよ」
「そうやって、あなたは都合のいいことしか聞かないんだわ」
「冷静に考えてよ。今、どうするのが一番いいのか。きみにだって分かるでしょ?子供じゃないんだから」
グレンが困ったように私を見た。
何をどう言ってもそれは感情論と言われるだろう。
冷静になるって、どうやるの?
何を言えば、冷静に話していることになるの?
呼吸が浅くなる。意味もなくくちびるが戦慄いた。
グレンと結婚?嫌。そんなの、望んでいない。
言葉が、出ない──。
その時、隣から、お兄様の声が聞こえてきた。
「失礼。黙って見守るつもりだったのだけど、あまりにも聞くに堪えない。話に割り込ませてもらうよ」
……そうだ。ここには、お兄様がいる。
今になって、それをようやく思い出した。
それと同時に、体の強張りがほどける。
いつの間にか、背は冷汗でびっしょりだった。やっと、ようやく呼吸を取り戻せたかのように、体が軽くなる。
息が、できる。
ここには、私ひとりじゃない。
お兄様がいる。
震える手を、もう片方の手で包むように握った。
俯く私の耳に、お兄様とグレンのやり取りが聞こえてきた。
「騎士殿。選ぶといい。今、ここで僕に殴られて帰るか。自分の足でこの部屋を辞すか」
「は……?どうしてそこでエリアスが」
「そう言っている時点でお前は何も分かっていない。ああ……何もね!それじゃあ、僕がルナリアの代わりに答えてやろうか。感情論?屁理屈捏ねてもっともらしいこと言ってるのはそちらだろう。結果的に、何?そんなに結果論が好きなら教えてやろうか。結果的にルナリアは怪我をした。それも、後遺症が残るような大怪我だ!経緯は省くとして、結果的にお前はミスをしたんだ。あの時、お前は王女殿下ではなく、ルナリアのそばにいるべきだった!違うかい?」
お兄様らしからない、乱暴な物言いだった。
驚いて顔を上げる。お兄様は真っ直ぐにグレンを見ていた。
心底憎んでいるとでも言いたげに、強く、睨みつけていた。
「それはっ──」
「なんだ?お前の好きな結果論だろ?ほら、何か言い返して来いよ。僕が相手じゃ何も言えない?情けないな。ルナリア相手にはあんなに饒舌だったじゃないか。余裕をかまして、偉そうに説教ぶって、僕がいるのを忘れていた?」
「なっ……説教ってなんだ!?俺はただ──いや、エリアス!そもそもだな!俺はこの件において、こちらに非はないと思っている。お前も分かるだろう!?」
グレンが食って掛かって、お兄様は吐き捨てるように答えた。
「ハッ、分からないね。分かるわけないよ。お前こそ、わからないか?今の僕の気持ちが!お前を殴らないように──いや。殴るなんて生易しいものじゃない。殺さないようにするだけで精一杯なんだよ!僕の、ルナリアの兄である僕の気持ちが、お前に分かるか!?同じことを言ってやる。お前には僕たちの気持ちがわかるかって聞いてるんだよ!!!!」
「お兄様っ……」
怒鳴るように言ったお兄様の腕にしがみつく。
激昂するお兄様は、今にも机を蹴るか、グレンに掴みかかりそうだった。
「年下の女の子をやり込めるのはさぞ楽しかっただろうね。話を聞いていてよく分かった。そうやってお前は、ルナリアの意志を摘み取っていたんだ。何も言えないようにしていたんだろう!?このクズが!!!!それでよくルナリアに会いたいなんて言ったな!?どの面下げてッ……!!離して、ルナリア。一発殴らないと気が済まない……っ」
「お兄様、落ち着いて……!!私は、大丈夫。大丈夫だから!お願い、お兄様……っ」
私は、必死になってお兄様を抑えた。
ここで、お兄様に手を出させてはいけない。
手を出してしまえば、ウィンザー公爵家の有利になってしまう。
お兄様はグレンに謝罪しなければならなくなってしまうし、婚約解消の話もややこしくなる。
何より、お兄様に後悔してほしくなかった。
必死に止める私を見て、お兄様が言った。
「これが許せるとでも?ルナリア。話し合いは終了だ!こんなクズの話、聞く価値はない!こいつは結局、自己保身と自己正当化に必死なんだよ!お前のことなんて、これっぽっちも考えてない!!……っ邸に入れるんじゃなかった!入れるんじゃなかったよ!!本当にな!!」
【ルナリアのことなんて、これっぽっちも考えてない──】
その言葉に、私は微かに息を呑んだ。
分かっていた、ことだった。お兄様を止めようとした手が、力を失う。
お兄様は、短く舌を打った。
そんな仕草をするお兄様を見たのもまた、初めてのことだった。
「チッ……失敗した。ルナリアの頼みといえど、通すんじゃなかったな……」
独り言のように言うお兄様に、私はハッとした。
そうだ。私はなぜ、グレンに会いたいと言ったのか。
彼に言いたいこと。
話したいことが、あったからじゃないの……?
このままお開きになってしまえば、何のために申し出たのかわからない。
お兄様に後悔だけを残してしまう。
もうこれ以上、私のことで、家族を悲しませたくなかった。
これは、私のわがままで用意してもらった場だ。
それなのに、何もできなかったなんて──それこそ、意味がない。
私は、今にも席を立ってしまいそうなお兄様の腕を掴んで、見上げた。
「待って、お兄様!もう少しだけ!……お願い!!」
お願い、というとお兄様はとても困った顔をした。
今にも泣きそうな──それでも、お兄様は困ったように笑う。
チラ、と壁の時計を見て言った。
「……あと二分だよ」
「ありがとう」
私はお礼を言って、呼吸を落ち着かせた。
何度か深呼吸を繰り返してから、前を見据える。
「グレン。今更、過去の話をするつもりはないわ。もちろん、未来の話をするつもりもない。私たちの婚約は解消されるわ。解消されて欲しいと、私は思っている」
「……本気か?俺は、納得してない」
お兄様に怒鳴られ、今にも追い出されそうだったグレンの顔色は悪い。
グレンは苦々し気に言った。
もしかしたら彼は、お兄様が苦手なのかもしれない。
でも私は、初めて見た。
お兄様があんなに声を荒げているところ。
あんなに、乱暴な物言いをしたところも。
それぐらい負担をかけさせてしまっているということだろう。
いつもの、お兄様らしさをかなぐり捨ててしまうほどに。
だから、もう終わりにしなければ。
お話も──この関係も。
(最後、だもの。最後くらい)
笑って言おう。
口角を上げて、目を細めて。
努めて穏やかな声を意識して、私は言った。
「もう終わりにしましょう?」
それから、ゆっくりと言葉を付け加える。
「あなたが愛しているのは王女殿下だわ」
「な──」
グレンは、目を見開いた。
恐らくは、驚きによって。
どんな時でも、仕える主を優先する。
その心意気は立派だ。
だけどグレンのそれは、職務を超えている。
……もうずっと前から、気がついていたのに。
分かっていたのに。
ずいぶんと、言うのが遅くなってしまった。
この怪我は、私のせい。
私が選択した結果が、この今だ。
「私はあなたと結婚できない。婚約も解消しましょう。……今まで、ありがとうございました」
ゆっくりと、頭を下げる。
邸の中だから結われていない栗色の髪がさらりと落ちて、天幕のように私の視界を覆った。
目を閉じると、今でも思い出す。
あなたと出会ったあの日のことを。
あの、秋の日のことを。
金木犀が咲き誇り、イチョウの葉は色鮮やかで。
秋の木漏れ日は穏やかで、優しかった。
黄金の世界だった。
どこもかしこも黄色くて、それがおかしくて、美しくて。
互いに笑って、手を繋いで歩いた。
イチョウの並木道。
どこまでも穏やかな日が。
優しい日々が、続くのだと思っていた。
貴族に生まれた。
それなのに、こんなに穏やかで優しい恋ができたことを、感謝していた。
──お母様とお父様のような夫婦に憧れていた。
グレンとなら、なれると思っていた。
それも、今は泡沫の夢。
……さようなら、愛していたひと。
幸せになって、とは言えない私は、性格が悪いのだろうか。




