6.悪夢 【ローハン】
僕が突然笑い出したからか、ウィンザー公爵はギョッとしたようだった。
おかしくて、仕方ない。
くつくつと笑い、肩を丸める。
笑いに変換して、衝撃を逃がさないと、僕はきっと、ウィンザー公爵を殴ってしまう。
笑いすぎあまりに、涙が滲む。
目元を拭いながら、僕は首を横に振った。
「……いえ、失礼。ルナリアの再婚約にまで思いを馳せていただき、ありがとうございます」
僕はゆっくりと、ウィンザー公爵を睨めつける。笑みを浮かべながら。
そして、次の瞬間。
机を強く叩いた。
──バン!!と、応接室に強い音が響く。
これには流石に驚いたようで、ウィンザー公爵の肩が揺れる。
机を叩いた拍子に、新聞の何枚かが机から滑り落ちた。
僕は、それには目もくれずに言葉を続ける。
「ルナリアに再婚約?そんなもの、しなくたって構わない。私は条件をつけた覚えはないんですよ、公爵!あの子が望み、あの子を第一に考えてくれるなら、誰でもよかった。最初から、ずっとね」
貴族として、恐らく有り得ない表明だと思ったのだろう。
ウィンザー公爵が驚きに身を見張った。
僕は、笑みを浮かべて続ける。おそらくは、歪んだ笑みになってしまったことだろう。
「……その点、今回の婚約は失敗でしたとも。ええ。婚約を許すのではなかったと、後から何度思ったことか……!!」
怒りを、感情を、制御することはもはや難しかった。
低く、唸るように言うと、ウィンザー公爵が戸惑った様子が見て取れた。
困惑しているのだろう。
ウィンザー公爵ひとっては、瑣末事。
だけど、僕にとってはそうではない。
こんなことくらいで?とでも思っているのだろう。
そうだ。お前が蔑ろにした【そんなこと】を、僕はとても──とても、大事にしている。
せせら笑って、言葉を続けた。
「しばらく、騎士殿は我が邸に訪れない方がよろしい。ご子息の顔を見たら、何をしてしまうか分かりませんから。私も、息子もね。私の家族は、愛情深いのですよ」
「それは……」
もごもごと、ウィンザー公爵が口ごもる。
まさか僕がここまで、こんなことで、ここまで怒るのは予想外だったらしい。
このまま、畳み掛ける。
「ご要件はよろしいかな?私は多忙の身でして。ルナリアの様子も見に行きたいのですよ」
そこで、ハッとしたようにウィンザー公爵が顔を上げる。出された紅茶は、手付かずだ。
そこに意味を持たせると言うよりも、存在を忘れているように見えた。
「ルナリア嬢の容態は、そこまで悪いのですか」
何を今更。
鼻で笑い飛ばしたくなった。
「そうですね。まだ、意識がハッキリしていません。鎮痛剤でも抑えきれない痛みで、目を覚ますんですよ。意識が混濁しておりますので、会話は不可能です」
だから、騎士殿が見舞いに来ても無駄だ。
話すことは出来ない。
そんな意図を含ませて言うと、ウィンザー公爵は眉を寄せる。
「グレンに責任を取らせましょう」
「結構ですよ」
吐き捨てるように言うと、今度こそウィンザー公爵も黙った。
責任?
そんなのかえって迷惑だ。
これ以上、席に留まれば何を言ってしまうか分からない。
僕は執事に目配せをして、ウィンザー公爵との話を打ち切ることにした。
「では、期日までの回答をお待ちしておりますよ、ウィンザー公爵」
話を切り上げるように言うと、ふたたび食い下がるようにウィンザー公爵が言った。
焦っているように見える。
まさか、本気で婚約解消の話をするとは思わなかったのか?あの書状を送ったんだ。
本気に決まっているだろう。
「まあ、お待ちください。何もそう急くことはないでしょう。ひとつ、気がかりな点があります」
「…………」
「先日の事件で、怪我を負ったのはご令嬢だけ。それはつまり、ご令嬢……いえ、祝石を狙った襲撃だった可能性はありませんか?」
「それで?もしそうだったら、何です?」
好戦的に言い返した僕にウィンザー公爵は少し怯んだが、変わらず淡々と持論を述べた。
「もし、ルナリア嬢を狙った襲撃なら。やはり、そちらで護衛を用立てなかった、ローウェル公爵家の失態ではありませんか。その場合、グレンに責任はありませんよ。貴公は、グレンがルナリア嬢を見捨てたと何度も繰り返されておりますが、そこは改めていただきたいものですね」
まだ言うか。
それにしても。
(責任は、ない、ね)
ウィンザー公爵は、はっきりと言い切った。
つまりそれが、本心なのだろう。
グレンは職務に忠実であっただけで、責められる謂れはないと。
先程から何度も言っていた。
「祝石を狙っての襲撃なら、それは誰かがルナリアの情報を売ったことに他ならない。それはそれで、重大ごとですね」
僕が答えると、手応えありと見たのだろう。
ウィンザー公爵が不敵に笑う。良からぬことを企む、下卑た笑みだ。
「ですが、その祝石。ルナリア嬢が大怪我をおったところを見るに、何の役にも立たなかったようですね。それは残念です。残念ですが、ご安心いただきたい」
ウィンザー公爵は、勿体ぶるようにそう言った。
「貴公は恐らく、私が、祝石持ちのルナリア嬢を手離したくないから、こう言っているとお思いなのでは?」
「ははは。面白いことを仰る。失礼。もう、よろしいか」
あからさまに、話を切り上げたい旨を伝える。
あまりの無礼さに、ウィンザー公爵は唖然となる。が、やはり食い下がった。
(何だ?どうして引き下がらない?まさか……)
本当に、ルナリアの祝石目当てなのか?
もし、そうなら──。
全身の血が沸騰するような怒りと──めまいを、覚える。
(あの騎士が、うちの娘に近付いたのも、祝石目当てだったのか)
婚約してから、婚約者のグレンには、ルナリアの秘密を伝えた。
だけど、まさか。
(最初から、ウィンザー公爵は息子に教えていたのか?)
ルナリアは、祝石を持って生まれた子供だ、と。
だから、仲良くしておけとでも言ったのだろうか。
もし、そうなら。
グレンが、二心を持ってルナリアに近付いたのなら。それは到底、許せることではない。
予め、婚約を結んだ時にウィンザー公爵家には祝石の説明をしておいた。
ルナリアが、ローウェル公爵家にのみ現れる祝石を抱いて生まれた子供であること。
そして、その石の効果は不明であること。
三つ目に、祝石には何かしらの力があるかもしれないが、ないかもしれない。生涯、祝石が覚醒しなかったものも、このローウェル公爵家にはいる。覚醒するか否かは、祝石が選ぶことかもしれない、などといういうことを話した。
三つ目については、完全な創作だ。
こう言っておけば、ルナリアの祝石が覚醒しない可能性についても思いを馳せるだろう。
少しでも、抑止になればと考えての末のことだった。
黙り込んだ僕に、ウィンザー公爵がさらに言葉を重ねる。
「ですから、ローウェル公。何の役に立つかも分からない、伝承便りの石に縋るほど、我がウィンザー公爵家は落ちぶれてはいない。それだけは、明言しておかねばと思いましてね」
僕は、その言葉を黙殺した。
それに、ウィンザー公爵が苛立ちを見せた。
「とにかく、貴公は頭が固い。こちらを一方的に悪と見据えるのも、いかがなものかと思いますよ、ええ、本当に!」
ウィンザー公爵は、ちら、とこちらを見て、ため息交じりに言った。
「こちらに、何の落ち度があるというのです?確かに、ルナリア嬢は怪我をした。それを不愉快に思うのであれば、グレンにも頭を下げさせましょう。責任を取らせると何度も申し上げているこちらの誠意を、汲み取っていただきたいものだが」
「不愉快に、思うので、あれば?」
「ええ。そうすることが、お互いのためでしょう」
その物言いでは、まるでローウェル公爵家が不愉快に思わないのであれば。
抗議しないのであれば……ウィンザー公爵家は、謝罪ひとつしない、と。
そう明言しているも事実だった。
「なるほど。私が何も言わないのであれば、そちらは一切の謝罪は行わないと」
「…………ローウェル公。私はこれでも、譲歩した方ですよ。何せ、グレンに責はない」
まだ言うか。
やっぱり、失敗だったのだ。この婚約は。
ルナリアにとって、これは初恋だった。
初めて好きなひとができたから、この恋を大切に守りたいと、そう話していた娘の姿を思い出す。
ルナリアが十七歳の、秋。
恒例のピクニックから帰ってきたルナリアは、頬を蒸気させて、書斎までやってきた。
『お父様っ……!あの、あのね?』
『分かった。分かったから、一度落ち着きなさい。はたしたないよ』
窘めると、ルナリアもそうだと思ったのだろう。
僕は子供達を可愛がっているが、娘可愛さに教育に手を抜いたりはしない。
淑女教育は厳しい。
幼少期、ルナリアはその厳しさによく泣いていて、授業が終わった途端、いつもヴィオラの元に一目散に向かっていた。
だけど妻も、ただ甘やかすばかりではないので、そこでも注意交じりのお小言を受ける。
ルナリアは、幼い頃はよく泣く子供だった。
教育係に叱られ、ヴィオラに叱られ、エリアスに慰められ、よく泣いていた。
だけどその甲斐あって、ルナリアはどこに出しても恥ずかしくない令嬢となった。
だから、邸内といえど小走りで駆ける姿など、近年見たことはなかった。よほど、気が急いていたのだろう。
『ごめんなさい、お父様』
恥ずかしげにマナー違反を詫びて、ルナリアが深呼吸を繰り返す。
相当に、緊張しているのだろう。
未だに紅色に染まる頬で、言葉に悩んでいるようだ。
結果、ルナリアはゆっくりと顔をあげると、はっきりと言った。
『グレンが、婚約を申し込んでくれるって、言ってくれたの……!』
細い声で、嬉しげにルナリアら言った。
そこで、僕は合点が言った。
さっきすれ違った時、エリアスが苦笑していたのだ。このことだったのか。
『お願い。お父様。婚約を許して。今以上にもっと、お裁縫も、お勉強も、ダンスのレッスンも、社交だって、頑張るわ!だから……!』
話していくうちに熱が入っていく娘に、僕は苦笑する。
確かに、これはエリアスと同じ反応になってしまう。
『頑張るのは結構なことだが……お前は、それでいいんだね?後悔は、しないかい?他家に嫁ぐことは、そこの家の常識に合わせることだ。グレンくんは、信頼を持てる相手なのだね?』
尋ねると、ルナリアは少し考え込んだ末、コクン、と深く頷いた。
この時点で、ルナリアはグレンと出会って四年が経過していた。
信頼、していたのだろう。
ルナリアは真っ直ぐに僕を見ると、幸せそうにはにかんだ。
『信頼、しているわ。グレンは信じられるひとよ』
ヴィオラと同じ、はちみつ色の瞳。
その瞳を、幸せそうに緩めながら、ルナリアは微笑んだ。
あの日のやり取りを、僕は何度も、何度も思い出すことになる。
事件以降に思い出すようになったのではない。
あの騎士殿が、近衛騎士に取り立てられ、その度にトラブルが起きた。ルナリアと、騎士殿の間で。
ルナリアは時々、深く物思いに沈んでいることがあった。思い悩むように俯き、黙り込んでいる。
その姿を見て、心配にならないはずがなかった。
時々、エリアスが物言いたげにこちらを見ていることに気がついていた。
ルナリアの決断を待ちたかった。
幸か不幸か。結婚の日取りは決まっていない。
焦って決めることでもない。
ない……はずだったのだ。
見極める時間は、少なくともまだ、あったはずだった。
ウィンザー公爵を追い立てるように帰すと、僕はその足でルナリアの部屋に向かった。
変わらずそばにはヴィオラがいて、その隣にはエイリクの姿がある。
ルナリアは依然として、魘されたままだ。
「ぁっ……う、ああ………あっ!」
痛みに声を上げるルナリアの手を、ヴィオラが取る。
エイリクは、そんな姉の姿を目に焼きつけるように──じっと見ていた。
そして、その、翌日だ。
ようやく、ルナリアの意識が戻ったのは。
そして、あれだけもう来てくれるなと言ったのに。
翌日から、騎士殿もまた、この邸をふたたび訪ねてくるようになったのだ。




