7 嘘つき
家に帰るとすぐに、お父様の執務室へと向かった。
「帰ったのか? どうした?」
「……マテウス・べラトル伯爵令息との婚約の話を、進めてほしいのです」
私がそう言うと、お父様は驚いたように目を見開いた。
「……何か、あったのか?」
「いいえ。何も」
薄く笑った私を見て、途端に厳しい顔つきになるお父様。
「そう急いで決めずともよいと思うが?」
「先日お会いした際にも温和な態度に好感が持てましたし、いろいろ話を聞いてみて、誠実な方だなと思いましたので。公爵家にとっても、悪くない選択だと思います」
「一旦話を進めてしまえば、もう後戻りはできなくなるぞ。それでもいいのか?」
「はい」
「……そうか。わかった」
お父様は手にしていたペンを置くと、落ち着いた口調で応える。
「べラトル伯爵家に関する調査が終わり次第、問題がなければ話を進めることにしよう」
「よろしくお願いします」
感情を押し殺した声は、少しだけ震えてしまった気がした。
その日の夜は、さすがに眠れなかった。
ベッドに腰かけて、空にかかる薄い月を見上げてみる。
気を緩めると、さっきの光景が勝手に無限再生を繰り返した。見知らぬ令嬢、「他人」とはいえない距離、頷き合う二人、恐らくは裏切りを示すであろう言葉の数々。
「秘密がバレたらまずい」とか「俺たちの関係を下手に勘ぐられても困る」なんてセリフを平気で並べられるくらい、リヴィウス様はやっぱり軽薄で不誠実で女癖の悪い、ただの嘘つきだった。
甘い言葉も、思わせぶりな態度も、時折見せる真剣なまなざしも、やっぱりすべて、嘘だったのだ。
過剰な愛情表現を繰り返し、何度も私だけだと言いながら、舌の根も乾かぬうちに別の令嬢と密会し、ちゃっかり逢瀬を重ねていたとは。
まさに根っからの女たらし、放蕩の極み、救いようのない浮気者である。
そんな最低な人間に、まんまと絆されそうになっていた自分自身を思うと、もはやため息も出ない。
結局、サリエル殿下がこの前言っていたことは、正しかったのだろう。
リヴィウス様が釣書を持ってきたのは、アトルム公爵家の権勢と財産が目当て。私を口説き落とし、体よく婚約者の座に収まれば、力が手に入るだけでなく一生遊んで暮らせるとでも思ったに違いない。
「……嘆かわしい」
言葉にした瞬間、ぶわりと涙が溢れる。
嗚咽が漏れそうになって、思わず口元を押さえる。
泣いてはいけない。泣くことじゃない。むしろ、致命的な事態に陥る前に気づくことができてよかったと、安堵すべきなのだ。
――――きっとこうなるって、わかりきっていたじゃない。
私はさっさとベッドの中に潜り込んだ。
背中を丸めて、ぎゅっと目を瞑る。
何も考えず、眠ってしまえば朝がくる。
朝がきたら、またこれまでと変わらない日常を淡々とやり過ごせばいいだけ。
素知らぬ顔で、平常心を保って、時の流れに身を委ねていれば、こんな些細な傷なんてすぐに忘れてしまえるはず。
そう、信じたかった。
◇・◇・◇
翌日。
登校するや否や、リヴィウス様に引きずり込まれたのは教室の向かいにある狭い資料室だった。
「な、なんですか、いきなり」
「……マテウス・べラトルと、婚約するつもりなのか?」
なぜか鬼気迫る勢いのリヴィウス様は、私の腕を掴んで離さない。
どうして知っているのだろうと思ったけれど、べラトル伯爵令息との顔合わせは別に秘密でもなんでもない。私がリヴィウス様に話さなかっただけで、どこからか漏れた話を耳にしたのだろう。
私は背筋を伸ばして、事務的に答える。
「そうですよ。それが何か?」
「――っ」
リヴィウス様の手に、力が入る。
痛いくらいの視線で私を見つめるリヴィウス様は、切羽詰まったような声で言った。
「……あいつはダメだ。やめたほうがいい」
「またですか?」
冷ややかに笑うと、リヴィウス様がどういうわけか傷ついたような顔をする。
「自分が選ばれなかった腹いせに、また選ばれた誰かを根拠もなく貶めるのですか? あなたを選ぶことはないと、最初に言ったじゃありませんか」
「いや、違うんだって」
「何が違うのですか? 得意の手練手管でうまく手なずけたつもりだったのに、最後の最後で選ばれなかったことがそんなに悔しいのでしょうか?」
「は? 何を言って――」
「所詮、あなたの言葉は口から出まかせで、本心ではないことくらいとっくに知っています。不誠実で貞操観念が緩くて女癖も悪くて、嘘ばかりつくようなあなたをわざわざ選ぶわけがないでしょう?」
「……え……?」
放心したその目は、はっきりと震えていた。
「……どういう意味だよ……?」
「そのままの意味です」
「もう昔のしょうもない俺とは違うってことくらい、フェリシアだって知っているだろう? 今の俺にはフェリシアしかいないし、フェリシアしか見てない。何度もそう言ってきたのに、なんで信じてくれないんだよ?」
「……逆になぜ、自分の言葉を信じてもらえるとお思いなのですか?」
その言葉に、リヴィウス様は絶句した。
驚きに歪む顔を直視することができないまま、私は静かに話を続ける。
「調子のいい口説き文句はあなたの専売特許でしょう? 何度私だけだとささやかれたところで、本気にするつもりはありません。だってあなたは、根っからの軽薄な女たらし。そんな人の言葉を信じろというほうが、無理な話ですもの」
「フェリ……」
「私が婚約者に望む、一番の条件は誠実さです。その対極にあるような方をわざわざ選ぶつもりはありませんし、今更あなたの言葉を信じるつもりもありません。私との婚約は、諦めてください」
容赦のない宣告に、リヴィウス様の手は徐々に力を失って、だらりと落ちる。
そのまま振り返ることもせず、私は資料室をあとにした。
◇・◇・◇
きっともう、リヴィウス様と話すことはない。
そう思っていたのに……!
「いいから来て」
放課後、リヴィウス様はまたしても私の前に立ちふさがったかと思うと、問答無用で私を連れ出した。
しかも、向かったのはあのさびれた裏庭。
そして意外なことに、色あせたベンチには先客が座っていた。
「俺の言葉も俺自身のことも、信じられないって言うならそれでもいい。はっきり言って自業自得だし、甘んじて受け入れるしかないと思ってる。俺を選んでほしいなんてもう言わないから、せめてあの二人の話だけは聞いてほしいんだ」
覚悟を宿すリヴィウス様の強い視線の先にいたのは――――
見たことのあるようなないような令息と、昨日この場でリヴィウス様と密会していた、あの見知らぬ令嬢だった。




