6 そうは問屋が卸さない
それからしばらくは平和な日々が訪れるかと思いきや、そうは問屋が卸さなかった。
嵐は前触れもなく、やってくる。
「――リヴィウス・ラケルタといったな」
授業が終わって教室から出た私たちの前に現れたのは、またしてもサリエル殿下だった。今日もミリナ様は一緒じゃないらしい。
「お前、とんでもない遊び人なんだろう?」
「……はい?」
「軟派で軽薄で女癖が悪くて、何人もの令嬢を泣かせてきた極悪人だと聞いたぞ。そんな人間の分際で、美しく才媛と名高いフェリシアに婚約を申し込もうとするなど断じて許し難い……!」
「え……?」
突然現れたサリエル殿下は、なぜかものすごく怒っていた。
でも、何が逆鱗に触れたのかよくわからなくて、ぽかんとしてしまう。
「どうせアトルム公爵家の権勢や資産に目がくらんで、釣書を送りつけたのだろう!? 身の程知らずもいいところだ! しかも毎日毎日しつこくフェリシアにつきまとって、いい迷惑なんだよ! 恥を知れ!」
「……えっと、殿下?」
なんとか声をかけると、殿下は「わかってるから」と鷹揚に答える。
いや、その感じは、明らかに全然わかってないわよね?
なおもリヴィウス様を責め立てようとする殿下に向かって、私はもう一度、今度はややドスの利いた声で「殿下……!」と声をかける。
「……ど、どうした? フェリシア」
「あのですね、私は別に、リヴィウス様のことを迷惑だとは思っておりませんが」
「……え?」
きょとんとする、殿下。
そりゃあ、確かに、はじめの頃は「なんなんだこの人、鬱陶しい」と思うことは(多々)あったけど、なんというか、もはや慣れてしまった感がある。うん。
私がリヴィウス様を庇おうとするのがなぜか気に入らないらしく、殿下は不愉快そうにムッとする。
「そんなわけはない。こういうときは、はっきり言ってやったほうがいいんだぞ、フェリシア」
「だからはっきり言っています。迷惑じゃないです」
「フェリシア、君は優しすぎるよ。こいつが傷つかないように、気を遣っているのだろう?」
「そうでもないです」
「いや、しかし――」
「そもそも、殿下にはもう関係ありませんよね?」
埒のあかない不毛なやり取りに、ついつい尖った口調になる。
「殿下との婚約はすでに解消されたのですから、私が誰に口説かれようが、誰と婚約しようが、殿下にはもう関係のないことではありませんか」
「そんなことはない。婚約が解消されたって、僕と君が幼馴染といっていい間柄なのは変わらないだろう? 幼い頃からともに育った幼馴染が困っていると知って、放っておけるほど冷血漢ではないつもりだよ」
「だから困ってませんって」
あと、どちらかといえば放っておいてほしいんですけど。
どういうわけか一歩も引く様子のない殿下に戸惑う私を見かねてか、それまでほとんど何も言わずにいたリヴィウス様が私を背中に隠すようにして前に出る。
そして真剣な表情をしながら、殿下をまっすぐに見返した。
「……確かに、過去の愚かな言動は否定できません。でも今は、フェリシアしか見ていません」
「は? 何を言って――」
「失礼します」
そう言って、リヴィウス様は私の手を掴んだかと思うと、脇目も振らずに歩き出す。
「え、ちょちょっと、リヴィウス様!」
呆然と私たちを見送るサリエル殿下を置き去りにして、リヴィウス様に連れてこられたのは学園のさびれた裏庭だった。
少し色あせたベンチに二人で腰かけると、リヴィウス様は今世紀最大といっていいくらいの大きなため息をつく。
「だ、大丈夫ですか……?」
「大丈夫じゃない」
「え」
「いくら仕方のないことだったとはいえ、過去の俺を抹殺したい」
「……抹殺」
いや、抹殺なんて、不穏すぎない……?
いつものちゃらんぽらんで軽やかな空気はどこへやら、リヴィウス様はがっくりと項垂れる。
「……婚約が解消になっても、フェリと殿下は幼馴染なんだもんな。なんかすげえ腹立つ」
「幼馴染といっても、それほど深い間柄というわけでは……」
「でも殿下とは長年婚約してたんだし、小さい頃のフェリのことも知ってるんだろう? 殿下しか知らないことがあるんだって思ったら、もうダメだった。居ても立っても居られなかった」
リヴィウス様はまた一つため息をつきながら、私の肩にぽすんと頭を載せる。
「俺、フェリのことになると自制が利かなくなる。もうフェリを誰にも渡したくない」
「そ、それは……」
「早く俺のものになってよ、フェリ」
耳元でささやく少し掠れた声に、私は言葉を返すことができなかった。
◇・◇・◇
それからすぐに、マテウス・べラトル伯爵令息との顔合わせの日がやってきた。
このことは、リヴィウス様に話していない。
彼の言葉を信じることができない私は、迷いながらも別の道を模索するほうを選んだのだ。
公爵邸を訪れたべラトル伯爵令息は、温和な表情に人懐っこい笑顔を見せる、優しそうな人だった。
「僕を選んでくれて、ありがとうございます」
その微笑みに、もはや傷心の翳りは見られない。
だから私は、思い切って以前の婚約が破談になった理由を聞いてみることにした。
「それは……」
べラトル伯爵令息は遠い目をしながら、慎重に言葉を選んでいる。
「多分、彼女にとって、僕が理想の相手ではなかったからでしょう」
「理想の相手、ですか?」
「僕のほうが彼女より一つ年下だったこともあって、優柔不断だとか頼りないとか思われていたようです。破談になったあとすぐに彼女が婚約した相手は、騎士の家系の令息で頼りがいがありそうでしたし」
なるほど。
確かに、べラトル伯爵令息はどちらかというと華奢な体つきだし、頼りになるというよりは支えてあげたいタイプかもしれない。
「彼女の期待に応えることができなかったことで、僕たちの関係は破綻しました。僕は彼女を忘れられず、ここまで漫然と時間を過ごしてきたことは事実です。でも、このままではいけないと思い始めた矢先にフェリシア嬢の婚約が解消されたと耳にして、これは運命だと思ったのです」
……運命、なんて。
ずいぶん大袈裟な言葉をつかうのね、と思いながらも、どこか納得しそうになる自分もいる。
「同じ傷を抱えた者同士、僕たちは誰よりもわかり合えると思いませんか? 僕はあなたと、幸せな家庭を築いていきたい」
邪気の欠片もない柔和な笑顔を前にして、このまま頷いてしまえたらどんなに楽だろう、と思った。
◇・◇・◇
べラトル伯爵令息との顔合わせ以降、私はリヴィウス様とできるだけ距離を置こうとした。
訝しむリヴィウス様をそれなりにいなしながら、その日も「先生に呼ばれたから」と偽って、使われていない旧校舎の空き教室に逃げ込んでいた。
べラトル伯爵令息と直接会って話してみて、当然のことながら悪い印象はない。
むしろ、かつての婚約者を忘れられずにいた、一途で不器用な人なのだと思う。
彼の心の中にはかつての婚約者がまだいるのかもしれないけど、私と幸せな家庭を築いていきたいと言った言葉に、嘘はないのだろう。
彼の手を取れば、多分うまくいく。お互いを尊重し、信頼し合い、激しい恋情はなくとも親愛の情を育てながら、穏やかな日々を送ることができると思う。
でも。
わかっているのに、踏ん切りがつかない。
もはや誤魔化しきれないその理由が頭をかすめて、どんよりと気が滅入る。
雑念を払うように空を見上げたそのとき、何やらこそこそと話し合う声が耳に飛び込んできた。
「……だから、フェリシア様にちゃんと言ったほうがいいですよ」
……え? 私?
いきなりあらぬところから自分の名前が聞こえてきたら、誰だって面食らう。
きょろきょろと辺りを見回すと、空き教室に面するさびれた裏庭に見知った人影が見えた。
「……今はまだ言えない」
「どうしてですか?」
「フェリシアは何も知らないんだ。余計なことを言って、全部ケリがつく前に秘密がバレたらまずいだろ」
「そうかもしれませんけど、じゃあどうするんですか?」
「とりあえず、このことは誰にも言うな。俺たちの関係を下手に勘ぐられても困るからな」
「……わかりました」
肩が触れそうな距離で見知らぬ令嬢と頷き合うリヴィウス様に、私は現実を悟るしかなかった。




