5 次なる候補は
振り返ると、予想通りの人物がこちらを睨みつけていた。
珍しく、ミリナ様は一緒じゃないらしい。
「おはようございます、サリエル殿下」
何食わぬ顔で挨拶すると、殿下は一瞬、不満そうに眉根を寄せた。
かと思ったらつかつかと歩み寄り、私たち、というより、ラケルタ伯爵令息の前に立つ。
「君は何者だ? フェリシアが困っているだろう? 離れたまえ」
その言葉で、私とラケルタ伯爵令息はお互いの顔を見合わせた。
「……えっと、殿下。私は別に、困っておりませんが」
「え?」
「それからこちらは、私と同じクラスのラケルタ伯爵令息です」
「……は?」
殿下はラケルタ伯爵令息を数秒間凝視した。
私たちと殿下はクラスが違うし、ミリナ様としか交流を深めてこなかった殿下がほかのクラスの生徒を知らないのも無理はないのだけど。不審者の類いとでも思ったのだろうか?
何やら難しい顔をしたまま、殿下は私に聞き返す。
「……フェリシアの友人、なのか?」
「そうです」
「ただの友人ではないですけどね」
降ってきた声に、ぎょっとした。
見上げると、ラケルタ伯爵令息が挑むような笑みを浮かべている。
……この人はまた余計なことを……!!
案の定、殿下はその言葉に大きく反応する。
「ただの友人ではない? どういうことだ?」
「殿下とフェリシア嬢の婚約が解消されたあと、すぐにラケルタ伯爵家から釣書を送らせていただきました。現在絶賛求婚中、フェリシア嬢を全力で口説いております」
「く、くどっ……!」
言葉選びには十分注意してほしい!! なんか生々しいのよ!!
殿下の手前、表立って抗議することもできない私は、ラケルタ伯爵令息をぎろりと睨んだ。これ以上、物議を醸すような物言いはやめてほしいんですけど……!!
でも残念ながら、願いは届かない。
「これまで俺は、手の届かない高嶺の花だと知りながらもフェリシア嬢のことを密かに想い続けてきたのです。殿下との婚約が解消された今、千載一遇のチャンスが到来したといっても過言ではありません。今後は俺がフェリシア嬢を大事に大事に甘やかして、絶対に手放しませんのでお気遣いなきよう」
人を食ったようなふてぶてしい顔をするラケルタ伯爵令息に、なぜか殿下が不快感を露わにする。
何か言いかけた殿下の言葉を遮るように、私は大慌てで口を開いた。
「で、殿下! あの、私たちは先生に呼ばれておりますので、そろそろ失礼いたします!」
「え? ああ……」
「リヴィウス様も、行きますよ!」
「えっ?」
私に引きずられるようにしてその場をあとにしたリヴィウス様は、廊下の角を曲がった途端、わざとらしく私の腰に手を回してきた。
「やっとリヴィウスって呼んでくれたね、フェリ」
「え? あ……!」
しまった。なんか、勢いで、つい。
「ねえ、もっと呼んで?」
「は、はい!?」
「フェリにリヴィウスって呼ばれたい」
色気だだ漏れの麗しい笑顔が近づいてきたから、身の危険を感じた私はひとまずぴゅーっと逃げた。
◇・◇・◇
もちろん、これで一件落着とはいかないわけである。
むしろ、振り出しに戻ったと言わざるを得ない。
ガスパル・ルフス子爵令息との婚約が流れた今、私は次の候補者を考える必要があった。
再び大量の釣書を前にしながら、一つひとつを手に取り、中身をもう一度確認していく。地道な作業である。
「もうリヴィウスでいいんじゃないのか?」
執務机に向かって領地経営の書類を処理していたお父様は、なぜだか妙にニヤニヤした顔で私を眺めている。解せない。
「お父様って、わりと最初からリヴィウス様推しでしたよね」
「そうかな?」
「簡単に調略されすぎなんですよ。あの人は所詮、ふしだらで軽薄で貞操観念の緩い、ただの女たらしですよ?」
「そうなのか?」
改めて聞かれると、返答に困ってしまう。
確かに、釣書を持ってきてからの彼は、もはや私に付き従う侍従と化している。
朝から晩まで一緒にいるから、ほかの令嬢たちには目もくれず、相手にしていないことなど一目瞭然。むしろ、私が一番よく知っている。
時折、「かつてのお相手たちと親交を深めなくていいのですか?」なんて水を向けても、「まだそんなこと言ってるの?」的な反応をされるのがオチである。
そして、「俺はフェリさえいてくれれば、それでいいんだけど」なんて甘い言葉をこれでもかというほどささやかれる。
でも、だからといって。
今までの不誠実な行動の数々がすべて帳消しになるわけではない。
なかったことには、ならないのである。
俺を選んでとか私に本気だとか、挙句の果てには「大事に大事に甘やかして絶対に手放さない」なんて歯の浮くようなセリフを臆面もなく堂々と言っちゃうからこそ、疑わしく思えてしまうのも事実なわけで。
今は選ばれようと本性を隠して大人しくしているけれど、得意の手練手管で婚約が調えば、すぐにまた浮気の虫が疼き出すのは目に見えている。
そんなハイリスクな人を選ぶ気には、到底なれなかった。
本当は、自分の気持ちが少しずつ傾きつつあることを、心のどこかで自覚していたのだけど。
私は必死に、ブレーキをかけていた。
だって、いずれ自分が傷つくのは、わかりきっているのだもの。
結局、私が次の候補に決めたのは、恐らく私と同じ傷を持つであろうマテウス・べラトル伯爵令息だった。
明るいシナモン色の髪に空色の瞳を持つ彼は、べラトル伯爵家の次男で成績は中の上、温和で人当たりがいいと評判である。
そんな彼に、婚約者がいないのはなぜなのか?
実は、彼の場合は婚約が決まらなかったのではなく、一度決まった婚約が破談になっているのである。
彼が学園に入学してまもなく、一つ年上の子爵令嬢との婚約がすんなり決まった。お互いの家の事業提携が絡む、政略的な婚約だったらしい。
ところが一年を待たずして、婚約は突然解消になってしまった。
理由は公になっていないものの、婚約解消後すぐに相手の子爵令嬢は同い年の伯爵令息との婚約が決まったことから、事業提携の話がうまくいかなかったのでは、とか、べラトル伯爵令息が捨てられたのでは、とかさまざまな憶測が飛び交った。
真相は、今もってよくわからない。
ただ、婚約解消が余程ショックだったのか、それとも婚約自体がもう嫌になったのか、それ以降べラトル伯爵令息は婚約者を探そうとはしなかった。
だから卒業まであと一年足らずというこの時期になっても、婚約者がいないのである。
今回釣書を送ってきたのは、彼の傷が完全に癒えたからなのかもしれないし、さすがにこのままではまずいとまわりに急かされたからかもしれなかった。
それでも、一度は決まった婚約が破談になった者同士、わかり合えるものがあるような気がしたのだ。少なくとも、自分勝手な都合で相手を傷つけるような不当な仕打ちは、しないのではないだろうか。
そんな期待があったことは、否定できない。
「本当にいいのか?」
べラトル伯爵令息の釣書を手渡すと、お父様は不服そうに眉を曇らせる。
「もちろんです」
余裕のある素振りで頷きながら、リヴィウス様には何も言うまい、と心に決めたのだった。




