3 どの口が言う
翌日。
学園に登校して教室に入ると、突然目の前に背の高い令息が立ちはだかった。
「おはよう、フェリシア嬢」
顔を上げるまでもない。この身長にしてこの声の持ち主は、件のリヴィウス・ラケルタ伯爵令息その人である。
「……おはようございます」
「俺の釣書、見てくれた?」
若干食いぎみで尋ねる、ラケルタ伯爵令息。
「……見ましたが」
「フェリシア嬢のことだから、引くほど釣書が殺到しているとは思うんだけどさ。俺を選んでくれないかな?」
だいぶストレートな物言いに、ちょっと面食らう。あと、改めて近くで見ると、なるほど顔がいい。
でも、私の答えははっきり決まっていた。
「すみません、あなたを選ぶ気はありませんので」
「えー? なんで?」
「女性関係の派手な方を選ぶつもりはないのです」
そう言って脇を通りすぎようとしたのに、すんでのところで遮られる。
「ちょっと待ってよ。もう全員と別れたからさ」
「……はい?」
「釣書きを送る前に、全員と円満に別れたから。今の俺は、完全にフリーなんです」
なぜかドヤ顔を決めるラケルタ伯爵令息に、だからどうした、と言いそうになった。
「……そうであっても、あなたを選ぶつもりはありません」
「なんで? 俺、結構優良物件だよ? 勉強得意だし、健康だし、女性を泣かせたりしないしさ」
いや、絶対泣かせてるだろう。と言いたかったけど、やめた。面倒くさいことになりそうだから。
あと、確実に『優良物件』ではない。むしろ『不良物件』の間違いだと思う。
「あれ? 信じてない感じ?」
「何を言われようと、不誠実が服を着て歩いているような人を選ぶことはありませんので」
「えー、俺、誰よりも誠実なんだけどな。真面目だし、一途だし、尽くす男だし?」
どの口が言う。と、のどまで出かかった。
なんなのこの人。まったくもって、話が通じない。埒が明かない。
同じクラスとはいえ、ほとんど話したこともなく、接点すらなかった相手である。まさかこんな感じの、面倒くさい人だったなんて。
私は目を合わせずに、早口で言った。
「……とにかく、諦めてください。どの方と会ってみるかは、すでに決めておりますので」
「――え? 誰?」
さっきまでのおちゃらけた声色とは打って変わって、ぞっとするほど低い声が返ってきた。
その迫力に気圧されて、私はつい答えてしまう。
「……ガスパル・ルフス侯爵令息です」
はっきりと名前を出した途端、ラケルタ伯爵令息はあからさまにがっくりと肩を落とす。
「そっか。じゃあ、仕方ないね」
「申し訳ございません」
「いや、いいよ。俺も諦めないし」
「……え?」
不穏な捨て台詞を残して、ラケルタ伯爵令息は軽やかにその場を去っていく。
それから、朝といわず昼といわず放課後といわず、ラケルタ伯爵令息は私のあとをまるで侍従のようについて回るようになった。
授業中も休み時間もランチのときも、帰り際だって、気がつくとラケルタ伯爵令息は私の横にぴったりと張り付いている。なんの罰ゲームだろう。
「しつこいですよ」
何度となく、私は抗議した。
「だって、俺のことをちゃんと知ってほしいし、君のことももっと知りたいし」
「あなたのことは、だいたい知っています。釣書を読みましたから」
「そんな表面的なことじゃなくてさ。もっと心の奥底の、人には見せないようなところまで全部見せ合いたくない?」
「見せ合いたくありません」
そこはかとなく、いかがわしい匂いのする発言なんですけど……!
ふしだらすぎると思う!!
「それよりさ、俺のことはリヴィウスって呼んでよ。いつまでも『ラケルタ伯爵令息』なんて、他人行儀すぎるだろう?」
「完全なる他人ですし」
「じゃあ、俺のほうはフェリシアって呼んでいい?」
「なぜ赤の他人に名前呼びを許すとお思いなのですか?」
「そう? じゃあ、フェリ、のほうがいいかな」
だめだこの人、全然話が通じない、と呆れる反面、唐突な愛称呼びにどきりとしてしまう。
愛称なんて、サリエル殿下にさえ呼ばれたことないのに。
動揺する私の顔を、ラケルタ伯爵令息がいきなり覗き込む。ち、近い。
「愛称呼びだけで、そんな可愛い顔しちゃうんだ?」
「……え?」
「だったら、みんなの前では呼べないな。人に見られたくないし」
「何を言って――?」
「可愛いフェリは、俺だけが独り占めしたいから」
そんなことを、さらりと言う。やっぱり女性の扱いに慣れすぎていると思う。
油断も隙もありゃしない。
どうにもふざけたやり取りが日常茶飯事になる中、私は大量の釣書から厳選した一人の令息と会うことになった。
ガスパル・ルフス侯爵令息は、ルフス侯爵家の次男である。
成績は優秀で、しなやかな黒髪にオリーブ色の瞳をした端正な顔立ち、口数は少なくミステリアスな雰囲気を纏うせいか、一部の令嬢には人気があるらしい。
そんな、一見『優良物件』の彼に婚約者がいないのは、なぜか。
答えは簡単、ルフス侯爵家が莫大な借金を抱えているからである。
ルフス侯爵家は、先代と先々代が事業経営に失敗したことで、多額の負債を抱えていた。そのうえ、現在の当主に代替わりしてまもなく、ルフス侯爵領が深刻な水害に遭うという災難にも見舞われてしまった。
おかげで、侯爵家の家計は火の車。借金のことも水害のことも世間に知られているため、どの貴族家もルフス侯爵家を選ぼうとはしないのである。
婚約や婚姻は、当人同士の気持ちや相性だけで決まるわけではない。むしろ、家と家との結びつきという側面を無視することはできない。
そうなると、どうしてもルフス侯爵家は敬遠されてしまう。
でも、逆に言えば、問題は借金だけ、ということになる。
ルフス侯爵令息自身に取り立てて問題はなさそうだし、侯爵家は借金の返済と領地の復興に日々邁進しているというし、それなら一度会ってみたいと思ったのだ。
まずは当人同士だけで話をしてみてはどうか、ということになり、ルフス侯爵令息は単身我が邸を訪れた。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます」
やや緊張した面持ちの令息は、噂通りの控えめな青年だった。聞かれたことにはきちんと答えてくれるけど、自分からあれこれ話すことはない。
でも、私の言葉に耳を傾け、真摯に向き合おうとしてくれる態度には好感が持てた。
「ルフス侯爵家が抱える負債のことなのですが」
私が話を切り出すと、令息は俄かに表情を強張らせる。
まるで処刑を待つ罪人のような張り詰めたその雰囲気に、なんだか妙な違和感を覚える。
「無事に婚約が調いましたら、侯爵家の負債は我がアトルム公爵家が全額肩代わりさせていただきます。と同時に、侯爵領の復興に対してもできる限りの支援をさせていただきたいと思っておりますが、よろしいですか?」
「……え……」
返ってきた反応は、予想とだいぶ違っていた。
侯爵家にしてみれば、借金の全額返済だけでなく領地の復興まで支援してくれるなんて渡りに船、地獄に仏といったところだろう。
だというのに、目の前の令息はあまりうれしそうな顔を見せず、むしろ困惑したように押し黙っている。
「……余計なお世話でしたでしょうか?」
遠慮がちに尋ねると、令息は「いえいえ!」と慌てたように首を振った。
「とんでもございません。これ以上ないご厚意に、なんと言ったらいいか……」
薄い笑みを浮かべながら恐縮しきりの令息に、どうしてだか、一抹の不安がよぎった。




