旧友
朝、台場の街はいつも通りだった。
窓の外に広がる海と高層ビル。デパート、観覧車、学園へ向かう道。どれも知っている景色なのに、どこか遠い場所のように見えた。
ホテルのラウンジで軽い朝食を取った後、私と蓮夜様は台場異能学園へ向かった。
蓮夜様は黒い上着を羽織っていた。いつもの学園の制服とは違う。極楽寺家当主として来ているのだと、見ただけでわかる装いだった。
「大丈夫か」
「はい、蓮也様が隣にいるから……」
蓮夜様は少し恥ずかしそうにしながら、私の手を取った。
私はその手を握り返す。
通学路には、沢山の台場異能学園の生徒たちがいた。今は登校のピークの時間帯。私は何度もこの道を歩いた。花純として。スミレとして。どちらの記憶もある。
「ねえ、あの制服、どこの学園かな?」
「もしかして、スミレ様じゃない?」
「え、スミレ様ってあんなに綺麗だった?」
「隣の人、誰? すごく雰囲気あるんだけど」
「転校生? でも時期が変じゃない?」
「花純様とそっくり……」
視線が集まる。
私は背筋を伸ばした。俯きたくなる。でも俯かない。ここで下を向いたら、また昔の私に戻ってしまう気がした。
一人の女子生徒が、勢いよく私たちの前に出てきた。
「あ、あの、お兄さん、どこの方ですか? すごくかっこいいですね!」
その生徒を私は知っている。私が花純だった時、部活を手伝って一緒に練習をした子だ。スミレに戻ってからは、一度も話しかけてこなかった子。
蓮夜様は静かに答えた。
「極楽寺蓮夜。鎌倉の極楽寺家、現当主だ」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が変わった。
「極楽寺家……?」
「鬼の極楽寺家?」
「当主って……」
「あの子、極楽寺家の人と一緒にいるの?」
女子生徒の顔から血の気が引く。蓮夜様は別に威圧したわけではない。ただ名乗っただけ。それなのに、台場の生徒たちは怯えた。
ここでの極楽寺家は、まだ鬼の家なのだ。
私は蓮夜様の横顔を見た。
蓮夜様は気にしていないように見えた。でも、完全に何も感じていないわけではないと思う。
「行こう」
「はい」
学園の校門が見えてきた。
そして、その前に人が立っていた。
西園寺静流様。
その後ろには、ロイヤル・ブラッドの面々、そして花純がいた。石神さん、柳小路君、西園寺さん、藤沢君、長谷君。みんながこちらを見ている。
懐かしい。
苦しい。
嬉しいような、悲しいような、よくわからない感情が胸に広がる。
私はこの人たちと毎日一緒にいた。
花純として。
でも、今はもう違う。
「スミレ」
静流様の声が響いた。
周囲の生徒たちが静まり返る。
「俺は、七里ヶ浜家に申し入れた。君を俺の婚約者として迎え入れると。君はもう極楽寺家にいる必要はない。俺が君を守る」
私は何も言えなかった。
静流様の言葉は、私を気遣っているように聞こえる。でも、その奥にあるものが怖かった。私を見ているようで、私ではないものを見ている気がした。
蓮夜様が一歩前に出る。
「西園寺家の方。話があるなら、家を通すべきだ。ここは学園の門前だ。生徒を巻き込む場所ではない」
「黙れ。お前がスミレを連れ去ったんだろう」
「連れ去ってはいない。スミレは自分の意思で来ている」
「極楽寺家に洗脳されたのかもしれないだろう!」
静流様の声が荒くなる。
石神さんが小さく「静流、やめな」と呟いた。でも、静流様は聞いていなかった。
「スミレ、俺は知ったんだ。花純と君が入れ替わっていたことを。俺が愛していたのは花純じゃない。君だったんだ。だから、もう大丈夫だ。俺は真実の愛に気づいたんだ」
真実の愛。
その言葉が、ひどく怖かった。
周囲の生徒たちがざわめき始める。
「入れ替わっていた?」
「花純様とスミレ様が?」
「じゃあ、中等部の時の花純様って……」
「どういうこと?」
花純の顔が真っ白になっていた。
西園寺さんは口元を押さえている。柳小路君は静流様を睨み、石神さんは今にも頭を抱えそうだった。
「静流、こんなところで言うことやない!」
「黙れ、石神。俺はようやく真実に辿り着いたんだ」
静流様は私に手を伸ばした。
「スミレ、こっちに来るんだ。俺なら君を幸せにできる。あの頃のように――」
あの頃。
花純として生きていた頃。
私は一歩、後ろへ下がった。
蓮夜様の手が、そっと私の背を支える。
「大丈夫だ」
小さな声が聞こえた。
私は息を吸う。
「静流様」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「私は、あなたのところへは行きません」
静流様の表情が凍った。
「……なぜ」
「私はもう、花純には戻りたくありません」
「違う。俺はスミレとして君を――」
「あなたが愛していたのは、花純の名前を持っていた私です。スミレとしての私ではありません」
「違う!」
静流様の声が学園前に響いた。
私は震えそうになる手を握った。怖い。でも、引いてはいけない。
「私は母様に呼ばれて来ました。あなたに迎えられるためではありません」
静流様は何も言えなかった。
その沈黙の中で、花純が小さく呟いた。
「……姉様」
私は花純を見た。
花純の目には、怒りと悲しみと嫉妬が入り混じっていた。




