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それなら私はこの家を出ます 〜あとは妹に全部任せればいいと思いますね   作者: 野良うさぎ(うさこ)


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17/20

旧友


 朝、台場の街はいつも通りだった。


 窓の外に広がる海と高層ビル。デパート、観覧車、学園へ向かう道。どれも知っている景色なのに、どこか遠い場所のように見えた。


 ホテルのラウンジで軽い朝食を取った後、私と蓮夜様は台場異能学園へ向かった。


 蓮夜様は黒い上着を羽織っていた。いつもの学園の制服とは違う。極楽寺家当主として来ているのだと、見ただけでわかる装いだった。


「大丈夫か」


「はい、蓮也様が隣にいるから……」


 蓮夜様は少し恥ずかしそうにしながら、私の手を取った。

 私はその手を握り返す。




 通学路には、沢山の台場異能学園の生徒たちがいた。今は登校のピークの時間帯。私は何度もこの道を歩いた。花純として。スミレとして。どちらの記憶もある。


「ねえ、あの制服、どこの学園かな?」

「もしかして、スミレ様じゃない?」

「え、スミレ様ってあんなに綺麗だった?」

「隣の人、誰? すごく雰囲気あるんだけど」

「転校生? でも時期が変じゃない?」

「花純様とそっくり……」


 視線が集まる。


 私は背筋を伸ばした。俯きたくなる。でも俯かない。ここで下を向いたら、また昔の私に戻ってしまう気がした。


 一人の女子生徒が、勢いよく私たちの前に出てきた。


「あ、あの、お兄さん、どこの方ですか? すごくかっこいいですね!」


 その生徒を私は知っている。私が花純だった時、部活を手伝って一緒に練習をした子だ。スミレに戻ってからは、一度も話しかけてこなかった子。


 蓮夜様は静かに答えた。


「極楽寺蓮夜。鎌倉の極楽寺家、現当主だ」


 その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が変わった。


「極楽寺家……?」

「鬼の極楽寺家?」

「当主って……」

「あの子、極楽寺家の人と一緒にいるの?」


 女子生徒の顔から血の気が引く。蓮夜様は別に威圧したわけではない。ただ名乗っただけ。それなのに、台場の生徒たちは怯えた。


 ここでの極楽寺家は、まだ鬼の家なのだ。


 私は蓮夜様の横顔を見た。

 蓮夜様は気にしていないように見えた。でも、完全に何も感じていないわけではないと思う。


「行こう」


「はい」


 学園の校門が見えてきた。


 そして、その前に人が立っていた。


 西園寺静流様。


 その後ろには、ロイヤル・ブラッドの面々、そして花純がいた。石神さん、柳小路君、西園寺さん、藤沢君、長谷君。みんながこちらを見ている。


 懐かしい。

 苦しい。

 嬉しいような、悲しいような、よくわからない感情が胸に広がる。


 私はこの人たちと毎日一緒にいた。

 花純として。


 でも、今はもう違う。


「スミレ」


 静流様の声が響いた。


 周囲の生徒たちが静まり返る。


「俺は、七里ヶ浜家に申し入れた。君を俺の婚約者として迎え入れると。君はもう極楽寺家にいる必要はない。俺が君を守る」


 私は何も言えなかった。


 静流様の言葉は、私を気遣っているように聞こえる。でも、その奥にあるものが怖かった。私を見ているようで、私ではないものを見ている気がした。


 蓮夜様が一歩前に出る。


「西園寺家の方。話があるなら、家を通すべきだ。ここは学園の門前だ。生徒を巻き込む場所ではない」


「黙れ。お前がスミレを連れ去ったんだろう」


「連れ去ってはいない。スミレは自分の意思で来ている」


「極楽寺家に洗脳されたのかもしれないだろう!」


 静流様の声が荒くなる。


 石神さんが小さく「静流、やめな」と呟いた。でも、静流様は聞いていなかった。


「スミレ、俺は知ったんだ。花純と君が入れ替わっていたことを。俺が愛していたのは花純じゃない。君だったんだ。だから、もう大丈夫だ。俺は真実の愛に気づいたんだ」


 真実の愛。


 その言葉が、ひどく怖かった。


 周囲の生徒たちがざわめき始める。


「入れ替わっていた?」

「花純様とスミレ様が?」

「じゃあ、中等部の時の花純様って……」

「どういうこと?」


 花純の顔が真っ白になっていた。

 西園寺さんは口元を押さえている。柳小路君は静流様を睨み、石神さんは今にも頭を抱えそうだった。


「静流、こんなところで言うことやない!」


「黙れ、石神。俺はようやく真実に辿り着いたんだ」


 静流様は私に手を伸ばした。


「スミレ、こっちに来るんだ。俺なら君を幸せにできる。あの頃のように――」


 あの頃。


 花純として生きていた頃。


 私は一歩、後ろへ下がった。

 蓮夜様の手が、そっと私の背を支える。


「大丈夫だ」


 小さな声が聞こえた。


 私は息を吸う。


「静流様」


 自分でも驚くほど、声は静かだった。


「私は、あなたのところへは行きません」


 静流様の表情が凍った。


「……なぜ」


「私はもう、花純には戻りたくありません」


「違う。俺はスミレとして君を――」


「あなたが愛していたのは、花純の名前を持っていた私です。スミレとしての私ではありません」


「違う!」


 静流様の声が学園前に響いた。


 私は震えそうになる手を握った。怖い。でも、引いてはいけない。


「私は母様に呼ばれて来ました。あなたに迎えられるためではありません」


 静流様は何も言えなかった。


 その沈黙の中で、花純が小さく呟いた。


「……姉様」


 私は花純を見た。


 花純の目には、怒りと悲しみと嫉妬が入り混じっていた。


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