執着
西園寺静流。
苛立ちのあまり、机を拳で叩きつけた。
机が割れる音が教室に響く。ロイヤル・ブラッドの面々は、誰も何も言わなかった。
俺の苛立ちは止まらない。
「花純、どうした。そんな事も出来ないのか? 中等部の頃は、もっと的確に指揮ができていただろう」
「……申し訳ございません」
花純は俯いて謝る。
その姿に、さらに苛立ちが募った。
ここ一ヶ月の花純の様子はおかしい。どこからどう見ても花純なのに、俺の知っている花純とは違う。顔は同じだ。記憶もある。知識もある。だが、何かが決定的に違う。
俺が求めている花純は、こんな風に怯えて謝る女ではない。
俺の横で共に戦えて、俺と同じ夢を見て、俺と同じ目線で話せる戦友のような存在だった。
不謹慎にも、俺はあの幼い頃の事故の後、花純の変わりように驚いた。それまではただ纏わりついてくるだけの存在だったのに、鬼に襲われた後の花純は根本的に変わった。
落ち着いていて、優しくて、強くて、時に自分を犠牲にしてでも人を守ろうとする。
俺はその花純に惚れた。
けれど、今目の前にいる花純を見ても、胸が踊らない。
愛情が湧かない。
むしろ、苛立ちを覚えてしまう。
そんな自分が嫌になった。
「静流、少し落ち着いた方がええ」
石神が声をかけてきた。
俺は石神を見る。石神は困ったような、悲しいような顔をしていた。最近、柳小路と何かを話している姿をよく見る。二人は何かを知っている。
それは薄々わかっていた。
「石神、何を知っている」
「……ここで話すことやない」
「なら、場所を変える」
俺はそれだけ言って、教室を出た。
花純が何か言おうとしたけれど、俺は振り返らなかった。
***
学園の屋上に出ると、風が強かった。
石神はフェンスにもたれかかり、しばらく黙っていた。俺は待った。焦りはある。苛立ちもある。だが、ここで無理に問い詰めると、彼女は話さない。
「静流、あんたも本当は気づいてるんやろ」
「……何に」
「今の花純ちゃんは、あんたが愛した花純ちゃんやない」
その言葉に、俺は息を止めた。
石神は続ける。
「うちらが中等部で一緒におった花純ちゃん。あの子は、たぶんスミレちゃんや」
「……馬鹿な」
言葉では否定した。
だが、心は否定しなかった。
思い当たることが多すぎる。
初等部の頃、教室でスミレを見かけた。淡い光を手のひらに浮かべていた。あの光を見た時、何かが引っかかった。落ちこぼれのはずなのに、なぜか目が離せなかった。
台場の街で、知らない男と一緒に歩いているスミレを見たこともある。前髪を上げて、笑っていた。あの時のスミレは、教室で俯いている落ちこぼれとは別人のように綺麗だった。
そして、鬼に襲われた後、花純が変わった。
俺は花純を愛した。
だが、本当に愛したのは、花純の名前を持ったスミレだったのか。
「なぜ、そんなことがわかる」
「親父の書斎に忍び込んだんや。うちの親父は七里ヶ浜家と関わりがある。何か知っていると思った。……手記があった。鬼の呪い、身代わり、七里ヶ浜麗華、そしてスミレちゃんの名前」
「石神」
「全部は書いてなかった。でも、十分や。スミレちゃんは花純ちゃんとして生きていた。うちらが友達になった花純ちゃんは、たぶんスミレちゃんやった」
風が強く吹いた。
俺は何も言えなかった。
あの幸せだった日々。上野動物園に行ったこと。海浜公園で手を繋ごうとして、自分の手が震えたこと。生徒会で夜遅くまで一緒に資料を作ったこと。異界の亀裂で背中を預けたこと。
全部、花純との思い出だと思っていた。
だが、それはスミレとの思い出だった。
「……なら、俺の花純は、スミレだったのか」
「その言い方は危ういで、静流」
「何が危うい」
「スミレちゃんは、あんたのものやない。花純ちゃんでもない。今は極楽寺家にいるらしい。もしかしたら、やっと七里ヶ浜家から離れて、自分の人生を歩き始めているかもしれん」
「極楽寺家だぞ。あの鬼の家だ。救わなければ」
「静流」
石神の声が強くなった。
「ほんまに救うって思ってるんか? それとも、自分が失ったものを取り戻したいだけなんか?」
俺は石神を睨んだ。
「俺は、真実に気づいただけだ。俺が愛していたのはスミレだった。なら、俺がスミレを迎えに行くのは当然だろう」
「当然やない。あんたには花純ちゃんという婚約者がおる」
「それは、間違いだった」
「間違いって言葉で済ませたら、花純ちゃんはどうなるんや」
「花純には悪いと思う。だが、俺の心はスミレに――」
「それは愛やない。執着や」
石神の言葉が胸に刺さった。
俺は認めたくなかった。
俺の気持ちは美しいものだと思いたかった。真実の愛に気づいたのだと信じたかった。
だが、胸の奥で燃えているものは、たしかに焦りと嫉妬に近かった。
それでも、止まれなかった。
「石神。西園寺家から七里ヶ浜家に連絡を取る」
「やめとき」
「俺はスミレを取り戻す」
「スミレちゃんは物やない」
「違う。俺が救うんだ」
石神は、今まで見たことのないほど悲しそうな顔をしていた。
「静流。あんた、昔の自分に戻っとるで」
その言葉の意味を、俺は聞こうとしなかった。
スミレを取り戻す。
俺が愛した本当の花純。
いや、本当のスミレを。
そうしなければ、俺の幸せだった日々が全部嘘になる気がした。




