本物のにせもの
七里ヶ浜本家、奥の間。
「花純。なぜ、こんなことも出来ないの?」
母様の声は冷たかった。
私は畳の上に膝をつき、荒い息を整えようとしていた。身体の奥には、確かに何かがある。母様が言う龍の力。その残滓みたいなもの。でも、それは私の思い通りにならない。
「あなたの身体には、龍の力が宿っているはずです。石神もそう言っていたわ。なのに、なぜ形にできないの?」
「……申し訳ございません」
「謝罪はいりません。結果を出しなさい」
母様は扇子を閉じ、私を見下ろす。
幼い頃から、母様は私に優しかった。優秀な私を褒めてくれた。七里ヶ浜家の誇りだと言ってくれた。花純は私の可愛い娘だと、何度も頭を撫でてくれた。
でも、最近は違う。
母様は私を見ているようで、私を見ていない。私の中にあるはずの龍の力だけを見ている。
「麗華、花純はまだ病み上がりだろう。あまり無理をさせると――」
「あなたは黙っていて頂戴」
父様の声は母様の一言で止まった。
「花純。あなたは七里ヶ浜家の当主となる子です。西園寺家との繋がりも、龍の力も、全てあなたのために用意したの。私の期待に応えなさい」
「はい、母様」
私はそう答えるしかなかった。
目覚めたら、私は高等部一年生になっていた。
初等部六年生の時、龍のような鬼に襲われた。私はあの日、静流様を連れて逃げようとした。スミレを押した。生贄にしようとした。それは覚えている。
けれど、その後のことは曖昧だった。
目が覚めたら、何年も経っていた。私の代わりに、スミレが花純として生きていたと聞かされた。母様から、全て説明された。
最初は腹が立った。
私の人生を、姉様が勝手に使った。私の名前で学園に通い、私の友達を作り、静流様から愛され、ロイヤル・ブラッドの中心になっていた。
でも、母様は言った。
『安心しなさい。あれはあなたのために用意した道具よ。全てあなたに返るわ』
だから私は、返してもらっただけのはずだった。
花純としての日誌も、映像も、人間関係も、全て覚えた。私は瞬間記憶の異能がある。一度見れば忘れない。スミレが築いた関係も、静流様との会話も、ロイヤル・ブラッドのみんなの癖も、全部覚えた。
なのに、うまくいかない。
知識はある。
記憶もある。
でも、空気が噛み合わない。
みんなが私を見る時、どこか戸惑った顔をする。静流様は私を見ているのに、私ではない何かを探している。
なぜ?
私は本物の花純なのに。
「……姉様のせいだ」
奥の間から出た後、私は小さく呟いた。
***
「おはよう、花純! 今日も可愛いね!」
「おはようございます、西園寺さん」
朝の通学路で、西園寺さんが私に声をかけてきた。
静流様の妹。七大名家序列一位の令嬢。それなのに、ギャルという人種に憧れて、派手な言葉遣いをする。昔の私なら、内心で少し軽蔑していたかもしれない。
でも、スミレはこの子と親友だったらしい。
私もそれを再現しなければならない。
「ねえ、花純、昨日の訓練のこと気にしなくていいよ。調子悪い時もあるって。花純は絶対大丈夫だから」
「ありがとうございます」
「あはは、なんか今日も丁寧だね。前はもっと、こう、ふわっと笑ってくれたじゃん」
「そうでしょうか」
「うん。まあ、病み上がりだもんね」
西園寺さんは笑っていた。でも、その笑顔は少しだけ困っているように見えた。
その表情が気に入らなかった。
私が間違えているみたいじゃない。
私が偽物みたいじゃない。
「石神さんは、まだ来ていないのですか?」
「あー、石神は最近ちょっと暗いんだよね。柳小路とよく話してるし。なんか変なの」
「そうですか」
石神さん。
ロイヤル・ブラッドの中心にいた一人。スミレと特に仲が良かった子。
あの人は私を疑っている。
はっきり言われたわけじゃない。でも、わかる。私を見る目が違う。
教室に入ると、ロイヤル・ブラッドの面々が揃っていた。
静流様は窓際に立っている。私を見ると少しだけ顔を向けた。でも、すぐに視線を逸らされた。
胸が痛んだ。
静流様は、私の婚約者のはずだ。
私のことが好きだったはずだ。
「花純、昨日の対抗戦用の編成を確認する」
「はい、静流様」
「この配置は違う。お前が前衛に出る必要はない。中等部の時は、もっと全体を見ていた。石神の回復位置、柳小路の突撃癖、長谷の支援範囲、西園寺の火力調整」
「……申し訳ございません」
「謝罪を求めているわけじゃない。どうして出来ないのか聞いている」
静流様の声は冷たかった。
私は瞬間記憶で覚えている。映像も日誌も、スミレの言葉も覚えている。なのに、どうしてうまくいかないの?
「病み上がりなんだから、仕方ないだろ」
柳小路君が低く言った。
でも、それは私を庇う声ではなかった。期待していない声だった。
私は唇を噛みそうになって、慌てて微笑んだ。
「少し頭が痛いので、今日はここまでにしていただけますか」
静流様が何か言おうとしたけれど、その前に私は席を立った。
廊下を歩く。視線が背中に刺さる。
「最近の花純様、ちょっと怖くない?」
「前はもっと優しかったよね」
「いや、前から完璧だったけど、今はなんか……」
「スミレ様って、結局どうなったの?」
「極楽寺家に行ったんでしょ? 鬼の家に」
「でもさ、あの時の花純様って、本当に花純様だったのかな」
足が止まった。
耳障りな声。
耳障りな噂。
全部、全部、姉様のせい。
その時、スマホに届いたニュースが私の視界に入った。
『鎌倉守護家・極楽寺家、現当主が公の場に。前当主死亡か』
記事に載っていた写真は不鮮明だった。
それでも、隣に立っている少女の姿が見えた。
綺麗に整えられた髪。
まっすぐな姿勢。
私と同じ顔なのに、私よりずっと自然に笑っている女の子。
「……嘘」
姉様が、笑っている。
極楽寺家なんて、鬼の家のはずだった。母様が姉様をそこへ送ったのは、生贄にするためだったはずだ。幸せになるためじゃない。
なのに、なんで。
なんで、姉様ばっかり。
歯を食いしばる音がした。
「私は本物なのに……」
本物の花純なのに。
どうして、みんな私を見てくれないの。




