↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それなら私はこの家を出ます 〜あとは妹に全部任せればいいと思いますね   作者: 野良うさぎ(うさこ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/20

学園




「あら、スミレ様、おはようございます。今日のお着替えはこちらに置いておきますね」


「おはようございます、スミレ様。稽古場では蓮夜様がお待ちです」


「スミレ、昨日の疲れは残っていないか。無理をする必要はないが、身体を動かしたいなら付き合おう」


 不思議な感覚だった。


 花純として生活していた頃、私には多くの友人や知り合いがいた。でも、スミレとしての日常で、こんな風に挨拶をされたことがない。話しかけられたことがない。気にかけられたことがない。


 胸がきゅっとした。


 悲しい気持ちじゃない。声をかけられると胸がきゅっとするけど、なんだか温かい気持ちになるんだ。


 昨日の藤沢での模擬戦を思い出しても、胸がきゅっとする。


 あの鍛錬所で蓮夜様と模擬戦をした後、私たちは屋上にある小さなカフェでお茶をした。買い物はその後にしたけど、蓮夜様は私が疲れていないか、何度も確認してくれた。


 そして、落ち着ける場所で、私は自分のことを話した。


 私が七里ヶ浜家でどう扱われてきたのか。異能が使えない落ちこぼれだと言われていたこと。花純と間違えられたこと。龍種あやかしを核にした鬼に襲われたこと。花純が眠り、私が花純として生きるよう命じられたこと。ロイヤル・ブラッドのみんなと過ごしたこと。花純が戻り、私がまたスミレに戻されたこと。


 人に自分のことを話すのは苦手だった。


 私の人生は嘘ばかり。だから、何が真実で、何が偽物かわからなくなっていた。


 話している途中で、何度も声が震えた。けれど、蓮夜様は急かさなかった。怒ることも、憐れむこともなかった。ただ、静かに聞いてくれた。





『ここは大丈夫だ。スミレはスミレとしていていい』





 蓮夜様はそう言ってくれた。


 たったそれだけの言葉なのに、私は泣きそうになった。


 でも泣かなかった。泣いてしまったら、止まらなくなりそうだったから。


「……私、ここでちゃんと生きられるでしょうか」


 朝の支度をしながら、思わず小さく呟いた。


 鏡の中の私は、昨日より少しだけ整って見えた。エリさんが髪を丁寧に結ってくれたからだ。手首には、蓮夜様からもらった時計がある。これだけは、私が七里ヶ浜家から持ってきた、私だけのもの。


「大丈夫ですよ」


 エリさんが後ろで微笑んだ。


「スミレ様は、もうちゃんと生きようとなさっています。だから大丈夫です」


「……はい」


 私は小さく頷いた。



 ***



 今日から鎌倉異能学園へ通う。


 この地域は台場と同じく、異能の名家が治めている特殊地域だ。ただし、極楽寺家は七大名家とは違う。序列の中には入らない。けれど、鎌倉一帯では七大名家よりもずっと古く、強い影響力を持つ守護家。


 江ノ島には異界の亀裂がある。異界の亀裂が発生する場所を管理し、探索し、貴重な資源を獲得する。それを異能協会と取引することで、極楽寺家はこの地域を守ってきたらしい。


 台場にいた頃の私は、花純としてロイヤル・ブラッドのみんなと異界の亀裂に入っていた。学生ながら異例の攻略をしたこともある。でも、その実績は全て花純のものになった。


 私には何も残っていない。


 そう思っていた。


 でも、蓮夜様は昨日、私の力を見て「すごい」と言ってくれた。


 だから、私も少しだけ信じてみたい。何も残っていないわけじゃないって。


 朝の準備を終えて、私たちは学園へ向かった。


 電車通りを過ぎて、海に突き当たると、海辺の通りを線路に沿って歩く。学園の制服を着た生徒が沢山歩いていた。


 みんな蓮夜様を見ると思い思いの挨拶をした。


「おはようございます、蓮夜様!」

「蓮夜様、昨日の江ノ島の結界、ありがとうございました」

「あっ、蓮夜様だ。隣の人、婚約者さん?」

「おはようございます。今日も海が綺麗ですね」


 私はそのたびに少し緊張してしまう。台場で聞いていた極楽寺家の噂とは全然違う。ここでは、蓮夜様は恐れられているだけじゃない。頼られている。


「蓮夜様は、本当に皆さんから慕われているのですね」


「慕われているというより、顔を知られているだけだ。前当主の時代が長かったからな。普通のことを普通にするだけで、過剰に感謝される」


「普通のことを普通にするのは、簡単ではないと思います」


 蓮夜様は少しだけ私を見て、すぐに前を向いた。


「……そうか」


 その横顔が少しだけ照れているように見えた。


 丘の上にある鎌倉異能学園へ向かう途中、学園の門の前で一人の男子生徒が待っていた。


 整った顔立ちで、制服を少し改造している。立ち姿が妙に華やかだった。見たことがある顔だと思った。たしか、テレビで見たことがある。アイドル活動をしている人だ。


「ねえ、君が蓮夜の婚約者?」


 男子生徒は私を上から下まで見て、くるりとその場で軽く回った。


「ふーん。思ったより地味ね。ねえ、蓮夜、この子で本当にいいの?」


「凛々亜(りりあ)、失礼なことを言うな」


「だって気になるじゃない。あの七里ヶ浜家から来たんでしょ? しかも婚約者。これは確認しないと」


 凛々亜と呼ばれた人は、私の前に立って、じっと私を見つめる。


「君、蓮夜を利用するつもり?」


 私は一瞬、息を止めた。

 利用。七里ヶ浜家。母様。そういう言葉が頭の中に浮かんだ。


 でも、私は逃げたくなかった。


「……私には、七里ヶ浜家の思惑はわかりません」


「ふうん」


「私がここに来たのは、命令された婚約がきっかけです。けれど、蓮夜様には以前、台場で助けていただきました。昨日も助けていただきました。だから、利用するようなことは絶対にしたくないです」


 声は小さかったけど、ちゃんと言えた。


 凛々亜さんはしばらく黙って私を見ていた。それから、ふっと表情を緩める。


「……なによ。思ったよりいい子じゃない」


「え?」


「僕は凛々亜。リリーって呼んでいいよ。名家の一つではあるけど、七大名家ほどじゃない。ついでに、蓮夜の幼馴染で、友人で、ライバルで、ファン第一号でもあるわ」


「最後は違うだろう」


 蓮夜様が静かに言った。


「違わないわよ。蓮夜、君は自分の人気をもっと自覚した方がいいわ。ねえ、スミレさん、あなたも気をつけてね。蓮夜は無愛想だけど、結構モテるから」


「そ、そうなのですね」


 私はどう返していいかわからなくて、困ってしまった。


 リリーさんはそんな私を見て、楽しそうに笑った。


「うん、からかいがいがありそう。気に入ったわ」


 その時、蓮夜様の足元から小さな声が聞こえた。


「ふむ、スミレは良い匂いがするのじゃ。懐かしい匂いじゃ」


 私は下を見る。

 そこには小さな男の子がいた。頭から角が生えていて、お尻には尻尾がある。昨日の模擬戦で見た、小さな龍の子だった。


「絶華が人化を見せるのか」


「よいではないか。スミレにはもう見られておる。それに、儂はスミレの力が気になるのじゃ」


 絶華君は蓮夜様の足元に隠れながら、ちらちらと私を見る。ちょっと怖がっているみたいだけど、好奇心もあるようだった。


「こんにちは、絶華君。昨日は蓮夜様を守ってくれて、ありがとうございます」


「う、うむ。礼には及ばぬ。蓮夜は無茶をするからのう。スミレも、ちゃんと見張っておくのじゃぞ」


「はい。できるだけ」


「できるだけでは足りぬのじゃ」


 絶華君は少し偉そうに言った。でも、蓮夜様の後ろから出てこない。私は少しだけ笑ってしまった。


 ここなら、私はスミレとして生きられるのかもしれない。


 そんな小さな願いが、胸の奥に灯っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。