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それなら私はこの家を出ます 〜あとは妹に全部任せればいいと思いますね   作者: 野良うさぎ(うさこ)


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10/20

江ノ電




 目が覚めたら、知らない天井が見えた。


 年季が入った木の天井。木目が凄く綺麗だった。昨日はシャワーを借りて、すぐに寝てしまったけど、この家の場所には驚いた。江ノ電という電車が道路の真ん中を突っ切っている場所に、お寺『龍口寺』があった。そこの裏山に建てられたお屋敷。


 七里ヶ浜家の部屋とは全然違う。花純の部屋のように豪華ではないけど、布団はふかふかで、部屋は温かくて、木の香りがした。人が暮らしている家の匂いだと思った。


「あっ……、制服しか服がない……」


 布団の上で起き上がり、自分の荷物を探してみたけど、何もない。本当に何も持ってきていなかった。私が七里ヶ浜家から持ってきたのは、時計だけ。生活していく上での物がなさすぎて、どうしようもない。


 どうしよう、と考えていたら、襖がすっと開いた。


 割烹着を着た綺麗な女性と目が合った。私は慌てて布団の上で正座をする。


「あら、起きたのね。ふふっ、はじめまして、私はエリと申します。旦那様からスミレ様のお世話を頼まれましたので。ささっ、着替えましょう」


「あ、あの、私、自分で……」


「遠慮なさらないでください。昨日は大変だったでしょう? まずは身だしなみを整えましょうね」


 エリさんはにこにこしながら、テキパキと動き始めた。私は何度か「自分でできます」と言おうとしたけど、エリさんの手際が良すぎて、言葉を挟む隙がなかった。


 綺麗なワンピースを着せてもらい、髪を整えられ、薄い化粧までしてくれた。鏡の中の自分を見て、少しだけ驚いた。


 花純として着飾っていた時とは違う。花純のための装いじゃない。

 これは、スミレのために整えられた姿なんだ。


「うん、これでバッチリですね。すごく可愛いです。旦那様もきっと驚きますよ」


「旦那様って……蓮夜様ですか?」


「そうです。ふふっ、蓮夜様です。もう聞いてくださいよ、あの方、昨日まですっごく仏頂面だったんですよ。七里ヶ浜家の麗華様に勝手に婚約者を決められて不機嫌になって、わざわざ台場まで行って文句を言おうとして」


 エリさんが私の顔を見て、少しだけ目を細めた。


「でも、婚約者がスミレ様だってわかったら、雰囲気が変わりました。とても嬉しそうで……私は安心しました」


「……嬉しそう、ですか」


「はい。あの方は、自分の気持ちを言葉にするのが苦手ですから」


 少しだけ疑問があった。昨日は蓮夜様と誠士郎さんしかいなかったはずなのに、この人は昨日の詳細がわかっているみたいに話す。


 でも、聞いていいのかわからなかった。


「スミレ様」


「はい」


「ここを我が家だと思って過ごしてください。何もかもすぐに慣れる必要はありません。けれど、遠慮ばかりしていると、蓮夜様が寂しがります」


「蓮夜様が……」


「ええ。あの方は無愛想に見えますけど、かなり面倒見がいいんです。さあ、もう少ししたら朝食の時間です。もしよかったら、蓮夜様の朝鍛錬を見ていきますか?」


 私は鏡の中の自分を見る。

 少し怖い。これが母様の罠だったらどうしよう、とも思う。けれど、昨日の蓮夜様の手の温かさを思い出す。


 私はもう、ただ怯えているだけの子供ではいたくない。


「……はい。見てみたいです」


「ふふっ、では行きましょう。蓮夜様の勇姿を見て、ぜひ惚れてくださいな」


「そ、そういうのは……」


 思わず顔が熱くなった。エリさんは楽しそうに笑っていた。



 ***



 屋敷のすぐ横にある道場。


 目の前で剣戟が繰り広げられていた。異能で作られた剣が壊れては瞬時に作られ、またぶつかり合う。いつまでも終わらない戦いのように見えた。


 台場の学園でも、仲間たちは鍛錬をしていた。けれど、これは学生レベルを越えている。明らかに実戦を意識した高度な鍛錬。


 異能負荷を強くするために、道場内には札によって結界が作られてあった。空気が重い。ここに立っているだけで、肌がぴりぴりする。


 そう言えば、スミレに戻ってからは自由に動けなかったから、まともに鍛錬もしていない。


 誠士郎さんの動きは明らかに高位異能術師。父様と同じ、いえ、それ以上の体術に見える。これほど強い人は滅多にいない。


 その誠士郎さんの猛攻を、蓮夜様は受け流していた。剣術の技術は誠士郎さんが上なのかもしれない。けれど、異能の強さは明らかに蓮夜様の方が上だった。


「すごい……」


 小さく呟いたつもりだった。けれど、蓮夜様は気がついたみたいだった。


 鍛錬が止まる。蓮夜様はタオルで汗を拭き、こちらへ歩いてきた。


「おはよう、スミレ。昨夜は眠れたか?」


「はい。あんなにふかふかなお布団は久しぶりでした。……蓮夜様、とても強いのですね」


「強くなければ、極楽寺家の当主は務まらない」


 蓮夜様の声は落ち着いていた。自慢するでもなく、当然のことを言っているだけみたいだった。


「私も……時間があったら、稽古をしてもいいでしょうか」


 言ってから、少しだけ怖くなった。ここは私の家じゃない。勝手にお願いをしていい場所じゃない。


 けれど、私は力を持っている。あの淡い光も、龍のような力も、何なのかまだわからない。わからないからこそ、目を逸らしたくなかった。


 蓮夜様は少しだけ驚いた顔をしたあと、静かに頷いた。


「もちろんだ。無理のない範囲でな。力を知らないままにしておく方が危ない」


「ありがとうございます」


「ただし、今日は休め。昨日の今日だ」


「……はい」


 少しだけ残念だった。そう思った自分に驚いた。私は戦うのが嫌いなわけじゃない。花純として過ごしていた頃、私は何度も鍛錬をして、異界の亀裂に入って、みんなと戦っていた。


 あの時間を全部嫌いになれない。

 それは少しだけ、胸が痛い。


「蓮夜様、失礼ながら」


 誠士郎さんが軽く咳払いをした。


「何だ」


「スミレ様をご覧になって、何か言うべきことがあるのでは?」


 エリさんも私の隣でにこにこしている。私は意味がわからず、二人を見た。


「言うべきこと?」


「女性が身支度を整えたら褒める。綺麗だと思ったら褒める。いつもと違う変化を感じたら喜ぶ。何度申し上げればよろしいのでしょうか」


「……誠士郎、そういうのは」


「大切なことです」


 蓮夜様は少しだけ視線をそらした。

 それから、私を見た。すぐにまた視線をそらした。


「……似合っている」


「え?」


「その服も、髪も。よく似合っている。綺麗だと思う」


 心臓が跳ねあがった。


 花純として褒められたことは何度もある。花純様は美しい、花純様は完璧だ、花純様は七里ヶ浜家の誇りだと。

 でも、スミレとして、そんな風に言われたことはほとんどなかった。


「……ありがとうございます」


 声が少し震えた。

 泣きたくなかったから、私は小さく笑う。


「蓮夜様も、剣を振るっている姿が、とても素敵でした」


 蓮夜様は黙った。

 そして、耳が少しだけ赤くなった。


「……朝食にしよう」


 そう言って、蓮夜様は少し早足で道場を出ていった。誠士郎さんとエリさんが後ろで笑っている。


「あんなに嬉しそうな蓮夜様は久しぶりですね」


「ええ、年相応な蓮夜様は素敵ですね」


 私も少しだけ笑ってしまった。



 ***



「今日と明日は、暦の上では休日だ。この二日間で、スミレの買い物や生活の準備を整えようと思っている」


 食卓には色とりどりの朝食が並べられてあった。


 どれも凄く美味しい。それに、パンケーキもあって、これがひときわ美味しかった。私はなるべく落ち着いて食べようとしたけど、思わず何度も手が伸びてしまった。


 食卓を囲むのは、私と蓮夜様、誠士郎さんとエリさんの四人だった。


「あの、買い物というのは、生活必需品でしょうか。最低限で大丈夫です」


「最低限では足りない。制服以外の服、小物、靴、日用品、学園で必要なもの。全部揃える」


「でも……」


「お金の心配はしなくていい。極楽寺家は江ノ島の異界の亀裂を管理している。その収益がある」


 私は誠士郎さんとエリさんをちらりと見る。二人は静かに頷いてくれた。


「……ありがとうございます。でも、ただ与えられるだけでは落ち着きません。できることがあれば、私も働きます」


 蓮夜様が少し目を細めた。


「そういうところは、変わらないな」


「変わらない、ですか?」


「あの時もそうだった。奢られることに困っていただろう」


 四年前のタピオカティーを思い出す。美味しすぎて泣いてしまった私。あれを思い出すと、今でも少し恥ずかしい。


「……あの時は、本当にびっくりしたんです」


「分かっている。なら、こうしよう。スミレがここで暮らすなら、できることから手伝えばいい。学園に慣れてからで構わない」


「はい。頑張ります」


「頑張りすぎるな、と言った方がよさそうだな」


 蓮夜様はそう言って、少しだけ笑った。


 その笑顔を見ていると、不思議と胸が落ち着く。私はまだこの家の人間じゃない。婚約者と言われても、実感はない。けれど、ここには私を道具として見る人がいない。



「ところで、スミレ」


「はい」


「その時計、持っていてくれたんだな」


 私は腕に巻いている時計に触れた。


「はい。私にとって、大切なものなので……。蓮夜様も、あの時の時計を今も身につけてくださっているのですね」


「ああ。大切なものだからな」


 たったそれだけの会話なのに、胸の奥が温かくなる。楽しかったあの日。二人だけで共有している思い出。


 誠士郎さんが少し微笑み、エリさんは嬉しそうにお茶を淹れてくれた。


「出かけながら、この辺りのことを話そう。スミレが通う新しい学園のこともな」


「はい。お願いします」



 ***



「おはようございます、蓮夜様!」

「おはよう、蓮夜様」

「今日は歩きなのじゃな。ふふ、若者は歩きなさい」

「蓮夜君、隣の人は婚約者さん?」

「蓮夜、暇だったら海行こうぜ!」


 龍口寺から江ノ電の駅へと向かう。


 道路の真ん中を走っている江ノ電がとても珍しい。なんだろう、凄く懐かしい気分になれる街だ。海風がちょっとだけ肌にべとつくけど、そんなに不快じゃない。


 街のみんなは蓮夜様を見かけると、老若男女問わず挨拶をしてくれる。

 私はその光景に少し驚いた。台場で聞いていた極楽寺家の噂とは、全然違う。


「蓮夜様は、街の人から慕われているのですね」


「慕われている、というほどではない。前当主の時代が酷かったから、普通に暮らせるようにしただけだ」


「それは、簡単なことではないと思います」


 蓮夜様は少しだけ私を見た。

 それから、前を向いた。


「……そう言ってもらえるなら、悪くないな」


 ここの本屋辺りが藤沢市と鎌倉市の境目だ、と蓮夜様は教えてくれた。一応、屋敷は藤沢市片瀬になるらしい。あそこにある自転車屋は昔からあるとか、隣のケーキ屋はこの街の出身者が東京に出て戻ってきたとか、蓮夜様は道を歩きながら一つ一つ教えてくれた。


 私はその説明を聞くのが好きだった。

 蓮夜様がこの街で生きてきたことが、言葉の端々から伝わってくるから。


「私が、花純だった時、母様から言われた事があります。極楽寺家の当主だけには関わるなって」


 言ってから、しまったと思った。


 蓮夜様の足が止まる。

 私も足を止めた。


「スミレ」


「……はい」


「私が花純だった時、というのは?」


 静かな声だった。責めている声ではない。けれど、誤魔化せる声でもなかった。


 私は手首の時計に触れる。

 いつか話さなければいけないことだった。蓮夜様には、隠してはいけないと思っていた。


「すみません。まだ、話していないことが沢山あります」


「そうだろうな。昨日は急だった」


「……私は、四年前からしばらく、妹の花純として生きていました」


 声が震えそうになる。

 でも、逃げたくなかった。


「詳しく話します。全部、話します。蓮夜様には、知っていてほしいです」


 蓮夜様はしばらく黙っていた。

 そして、小さく頷いた。


「分かった。無理に今すぐ全部話さなくていい。だが、隠さなくていい。俺も、極楽寺家の話をする」


「はい」


「婚約者だから、というだけではない。俺はスミレの味方でいたい」


 胸の奥が、きゅっとなった。


「……ありがとうございます」


「まずは買い物だ。重い話は、落ち着ける場所で聞く」


「はい」


 蓮夜様は歩き出そうとして、少しだけ手を差し出した。

 でも、すぐに引っ込めようとした。


 私はそれを見て、小さく笑ってしまう。


「あの……転びそうなので、手をお借りしてもいいでしょうか」


 蓮夜様が少しだけ驚く。

 それから、静かに手を差し出してくれた。


「もちろんだ」


 私はその手を取った。

 四年前とは違う。あの時より、少しだけ恥ずかしい。でも、温かさは同じだった。


 江ノ電が駅に入ってくる音が聞こえる。

 私は蓮夜様の隣で、知らない街の中を歩いていく。


 怖いことはまだ沢山ある。

 話さなければいけないことも、向き合わなければいけないことも沢山ある。


 それでも、私は逃げない。

 スミレとして、ここで生きてみたい。



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