39話 家族の絆
ハンスの独り言は続く。彼が振り返ることはない。けれど、彼の背中は寂しさを漂わせていた。
「時に、高貴な方々というのは脈々と受け継がれていく特徴がありますから……。コルネリア様はその特徴を受け継がなかった。目ざとい者はすぐに気づくでしょう」
私にも思い当たることがある。ふと、窓に映る自身の姿を見た。ミルクティーブロンドの髪に、ヘーゼルの瞳。
脈々と受け継がれるリベルテ家の特徴だ。それと同じように、ケディック家にはケディック家の特徴があるのだろう。貴族間であれば、両家の特徴のどちらかを身に宿した子が生まれる、という話はとても分かりやすい。
けれど、コルネリアの父は商人だとノーマン様は語った。
(ハンスの言う通り、派閥争いにはもってこいの火種だわ……残念なことに)
決して、口にすることはない言葉。私は鏡から視線を逸らした。――剣の腕には自信がある。けれど、諜報となると私には介入できる術はなかった。
それが歯がゆく思えるほど、私はこの家族が大切なのだ。
歩みを進めるハンスは小さな溜め息をついた。そして再び、語り始める。
「だからこそ、狩猟大会の襲撃や王都で例の噂を立てたのでしょう。――爺やは腹立たしいですとも」
最後の言葉は怒気を含んでいた。穏やかで、執事の鏡とも呼べるハンスが、だ。
一瞬、間を置いて――彼は言葉を続ける。
「コルネリア様や坊ちゃんには、幸せになっていただきたい。そんなささやかな願いも、抱かせてくれないものかと悲観しておりました」
きっと、彼が長年見続けてきたケディック家の姿、辺境の姿があるのだろう。それを思わせるには十分な言葉だった。
「リリー様がいらしてから、コルネリア様はよく笑うようになりました。子どもらしく大人に甘えることも、悲しいことも伝えて下さるようになり――」
ハンスが目にした、コルネリアの変化。
私はそれを聞いて、目を見開く。その一端を担うことができたというのなら、嬉しいことこの上ない。
ハンスの語らいは続く。
「どうか、このまま健やかに――。坊ちゃんも初めて、真に人を愛する気持ちを……いいえ、老いぼれの独り言はここまでに致しましょう」
こうして、ハンスは独り言を終えた。それと同時に、私の部屋の近くで足を止めたのだ。
私は少しだけ俯いた。
(違うのよ。私の方こそ、ノーマン様や辺境の皆には感謝してもしきれないの)
胸の前で両手を握る。手のひらに触れる、凹凸が激しい指の関節。手の傷も、肉刺も。お転婆な私の一面も、全てを受け入れてくれた皆だからこそ――。
思いふける私の意識を、現実に引き戻したのはハンスの声だった。
「おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみ。ノーマン様によろしくお伝えして」
「かしこまりました」
そう言葉を交わして、ハンスの背を見送った。
月明りが見守る中。胸に新たな決意を宿して、私は眠りについたのだった。
* * *
それから、王都での滞在を終えた後。辺境に戻った私たちを待っているのは――。
「いよいよ、明日ですね! お母さま!」
コルネリアの元気いっぱいの声が、部屋を満たした。
そう。準備を重ね、王からも承認を賜った、私とノーマン様の結婚式が迫っていた。
私は鏡の前に座り、式前最後の調整として髪型やドレスの確認作業に勤しんでいた。私の髪を結わえているのは、もちろんナタリーだ。彼女も、コルネリアの言葉に鼻歌混じりでご機嫌な様子。
ナタリーは目を細めながら、意気揚々と口を開いた。
「もう少しで終わりますからね、リリー様」
「ええ、ありがとう」
「感慨深いですね~。お転婆だったお嬢様が――」
「ナタリーったら!」
そんな変わらぬ関係の幸福を噛み締めて、和やかな雰囲気に包まれる。
しばらすると、ナタリーの手が止まった。鏡に映る私の姿。それは誰が見ても花嫁だ、と口を揃えるに違いない。
実のところ、婚礼衣装に身を包んだノーマン様に相応しい姿でないといけない、と気負っていたのだ。
私は安堵の溜め息をもらした。
「良かった。私でも、着飾れば様になるものね」
「リリー様、何をおっしゃっいますか! どう見えても、一番お綺麗です!」
「大袈裟よ」
過激に反応するナタリーをなだめていると、コルネリアが傍まで近寄って来た。鏡越しに視線を交えると、彼女は神妙な面持ちで、そっと口を開いた。
「お母さまは……、ここに来て幸せになれた?」
「ええ、とっても」
すぐさま言葉を返す。コルネリアなりに、考えることがあったのだろう。
私は目を細めながら、語る。
「お恥ずかしながら、初めは契約結婚だと思っていたのだけれど……」
思い出すのは、初めて目にしたコルネリアの姿。可愛らしいお姫様をお守りするために、ノーマン様から婚約を申し入れられたのだと思っていた。だって、婚約破棄を受けた私の境遇や家柄を踏まえると、そう考えるのが妥当だったから。
それが、私の勘違いだと分かったときはとても恥ずかしかった。
けれど――。
「ノーマン様に恋をして……。なによりコルネリアという愛娘にも出会えてたもの。――とっても幸せ」
鏡に映る私は、照れくさそうに笑っている。すると、コルネリアの様子がおかしいことに気付く。
「コルネリア。顔が赤いけれど、大丈夫……?」
「……て、照れていません!」
そう言い張る彼女に、ナタリーと共にくすりと笑みをこぼした。
私はナタリーに言伝、綺麗に包装された小包を運んできてもらった。それを手にすると、コルネリアへの思いが溢れる。
「コルネリアにこれを」
「お母さま?」
「渡すのが遅くなってしまったけれど――」
差し出した小箱を、きょとんとした表情で見つめるコルネリア。彼女は小箱を受け取ると、ゆっくりとリボンをほどいていく。
私は緊張していた。喜んでもらえるだろうか、気に入ってもらえるだろうか――そんな思いが巡る。愛娘への贈り物をするのは初めてだから。
リボンを解き終わり、蓋が開かれると――。そこに鎮座しているのは、装飾が施された美麗なペン。
「わぁ……! とっても素敵……!」
感嘆の声を上げたコルネリアに、私はほっと胸を撫で下ろした。そして、言葉を続ける。
「以前、剣は憧れと言ってくれたことを覚えていますか……?」
「はい!」
「コルネリアが、何かをきっかけに剣を握ってもいい。それとも、これまでのように知識を蓄えて――いつか、その知識が必要となる時が来てもいいように」
「お母さま……?」
コルネリアは不思議そうな表情を浮かべている。私はそっと、コルネリアが手にしたペンへ視線を落とす。
「コルネリア。あなたには、たくさんの選択肢があるわ」
剣の道を選ぶのか、それとも知識で辺境を守るのか。はたまた、もっと広い世界へ羽ばたくのか――。
私はくすり、と笑って見せた。
「殿下のお誘いが、冗談なのか……。それとも本気なのか、分からないものね」
「うふふっ……、そうですね」
コルネリアは私の言葉に、肩をすくませた。――聡明な殿下のことだ。謁見したときに、口にしていた未来図。成長したコルネリアと共に、他国の橋渡しとなるような活動をなさることも、あり得ることだろう。
私は真剣な眼差しで、コルネリアを見つめる。
「あなたの未来がきっと明るいものになるよう、私たちが守り抜くわ」
――ノーマン様と共に。
コルネリアは嬉しそうに微笑んだ。どうやら、私が言わんとしていることを察したようだ。
「お母さま……」
彼女が小さく呟くと、そこに掛けられたのは優しい言葉だった。
「私も混ぜてはくれないだろうか?」
「あ、お父さま! 見ていらしたのね!? せっかく、お母さまと大切なお話をしていたのに」
「ノックはしたはずだが……」
いつものように、親子漫談を繰り広げる二人。この光景もいつからか見慣れたものだ。こうして時間を過ごしていくうちに、家族となるのだろう。
そんな思いにふけっていると、ノーマン様からの視線に気付き、目が合う。
彼は少し慌てた様子で、気恥ずかしそうに頬をかいた。そして、告げる言葉があった。
「明日は、いよいよ式だな。よろしく頼む」
「はい」
「……」
「…………」
互いに、そこから交わす言葉がなく、沈黙が訪れる。心なしか、頬が熱いのは勘違いではないだろう。どうやら――、ノーマン様も同じ思いをしているようだ。
すると、コルネリアがにんまりとした表情で口を開いた。かと思えば、口にした言葉は――。
「そこで二人とも照れてしまったら先が思いやられます~、ってナタリーが」
「えっ――」
濡れ衣を着せられたナタリーの、驚いた声が響いた。
「め、滅相もございません……! コルネリア様ぁ~!」
「えへへ~」
コルネリアの笑い声と、ナタリーの悲鳴。部屋はすっかり賑やかな空気に包まれていた。
そうして、いよいよ式当日を迎える――。




