38話 心を分かち合い、夫婦となる
窓から月明りが差し込み、私たちを照らす。置かれた蝋燭の火のわずかな揺らめきが、過ぎる時を知らせていた。
ノーマン様はゆっくりとした口調で語り始める。それはまるで懺悔のようだった。
「コルネリアの母とは、俗に言う愛のない結婚だった。貴族の役目を果たすためだけの……」
彼はそこで言葉を切り、遠い昔を思い出すかのように虚空を見つめた。
そうして再び、口を開く。
「それでも、よかった。あの結婚を受け入れたのは、マティアスやハンス、辺境の皆を守れるのであれば――と。彼女にも、最善を尽くすつもりでいた」
「なんだか……、想像がつきますわね」
「だが、愛のない結婚だったとは言え、私は何も……彼女を思いやれていなかったようだ……。情けないことに」
ノーマン様が告げた最後の言葉に、私は目を伏せた。――彼は誠実で実直だ。政略結婚だとしても相手を労わり、思いやろうとしていたことなど、私でも簡単に想像できる。
私は――自分を責めるように語るノーマン様にかける言葉を持ち合わせていなかった。
そして、語られたのは――。
「数年にも及ぶ遠征から帰還したら、娘が生まれていた」
ノーマン様はそのときのことを思い出したのだろう。赤子だったコルネリアを思い出したのか、目を細めて懐かしい表情を浮かべた。しかし、すぐさま悲しそうに眉を下げてしまった。
「今ではこれを知るのはハンスと――、侍女長だけだ」
それは今現在、辺境に残る者だちに限ったことだろう。コルネリアを取り上げた産婆や、彼女の御母堂の関係者であれば――。ノーマン様とコルネリアの秘密を洩らしたとしても、おかしくはない。情報を買うことも、あり得る話だ。
乳母兄弟であるマティアス騎士団長にでさえ、秘密にしていること。それは厳しい選択であることを告げていた。――最悪の場合、抹消という選択を迫られる。
だが、私の胸には違った思いが溢れていた。
(それでも私に告げて下さったのは――、信頼の証なのでしょうね)
私は婚約式後の夜会を思い出す。ノーマン様は頑なに胸の内を開こうとはしなかった。
それが今や互いに剣を交え、時間を共に過ごし――嘘をつきたくない、とまで思ってくれる彼に抱く感情は言葉にできなかった。
すると、ノーマン様は、心を落ち着かせるように細く長い息を吐いた。
「彼女は――コルネリアの母のことだ。彼女はコルネリアを残して辺境を去った。傍らには……、商人がいたと聞いた。きっと、共に歩むべき伴侶を見つけたのだろう。貴族の役目を放棄するほどだ。ただ、それだけ……彼女は心を病んでしまったのだろうな」
そう告げると、彼は私に視線を寄越し、肩をすくませた。そうして、自嘲するように告げた言葉。
「私は、味方であるはずの同胞からも戦の狂人と呼ばれるほど……血にまみれているらしい」
――戦の狂人。その言葉を耳にして、不意に脳裏を掠めた人物がいた。
私は慌てて、その人物を頭の中から追い払う。
(……そのようなことをのたまう輩。今度、会ったときは、ただじゃおきませんわ)
胸の内で、密かに決意する自分がいた。――彼は幾度となく、心無い言葉や視線を浴びて来たのだろう。
そうしてさらに、ノーマン様の語らいは続く。
「戦から帰った私を、笑顔で迎えるコルネリアに何度も救われた。幼いコルネリアの成長は、未来が明るいものだと教えてくれた」
彼の言葉に、私は思い出す。強かな一面を持ちながらも、最近ではころころと表情を変えるようになったコルネリア。それが本来の彼女なのだろう。
ノーマン様は私を見つめ、力強く告げた。
「たとえ、血が繋がっていなくとも彼女は私の娘だ。コルネリアの未来を、ちゃんと見届けたいと願うほどに」
しかし――、その次には目を伏せた。ノーマン様は不安に苛まれているのだろうか、瞳が揺れている。
ノーマン様はおずおずと私の手を握った。彼の手は剣を握ってきた者の手をしている。私の手も同じだ。
彼はそっと口を開くと、こう尋ねた。
「それでも、君はこんな私を――好いてくれるのだろうか……?」
ノーマン様はずっと、恐れていたのだ。――英雄であり、歴戦の騎士である彼が唯一、恐れること。
私が口にする答えは決まっていた。
「何も問題ありません。ノーマン様が私にして下さったように、今度は私があなたに返す番です」
そう告げると、私はノーマン様の手を包み込むように、手を重ねた。
「ありのままの、あなたを愛しています」
告げた私の心。私の言葉を聞いたノーマン様の表情は真剣そのものだ。
「夫婦となり、生涯――この秘密を共にしてくれるか?」
「もちろんです。もし、私の家族に難癖をつけるような輩がいたら――容赦はしませんもの」
私は、にこりと微笑んだ。けれど、心の奥底では研いだ剣先を向けるべき相手を見定めている。
すると、ノーマン様は私の笑みに隠された真意に気付いたのだろう。困ったような笑みを浮かべて、口を開いた。
「そ、れは……心強いが……。ほどほどに」
「ふふっ、ノーマン様がそれをおっしゃるのですか?」
「それもそうか」
私の指摘に、納得した様子のノーマン様。――どうやら夫婦となる者同士、似た所があるようだ。
そんなことを考えていると、彼は慈しむような視線を私に向けたのだ。その次に告げられた言葉に、私は頬を染めたのは必然だった。
「私は、そんな君だからこそ、恋をしたのだろうな」
「そっ……!? そうですの……!? い、え……あの! 私の方こそ、ノーマン様を……」
「こうして照れている君を間近で見られるのも――」
「突然、真顔にならないで下さい……!」
私は慌ててそう告げた後、仕切り直しと言わんばかり「ごほん!」と大きく咳払いをした。
「私にとっても、コルネリアは大切な娘ですもの」
これは彼女の本心を受け止めた日から、ずっと変わらない私の気持ち。
ノーマン様は私の言葉を受けて、思いが籠った声音で「ありがとう」と告げたのだった。
* * *
そうして――、蝋燭の灯りが低くなった頃。
私たちは互いに温かな感情を胸に抱き、共に過ごす時間を終えようとしていた。
扉の前で、向かい合う。先に口を開いたのはノーマン様だった。
「部屋まで送って行こう」
「いいえ、大丈夫ですわ。ノーマン様もお疲れでしょうから、このままお休みなさいませ」
嬉しい申し出だ。けれど、ノーマン様の心労を考えれば、私が首を横に振るのは当然だった。
ノーマン様は申し訳なさそうに眉を下げて、周囲を見渡した。
「せめて、誰か――。ハンスはいるか?」
「ここにおります」
「リリーを部屋まで頼む」
ノーマン様の言葉に、ハンスは深々と一礼した。
ノーマン様と就寝の挨拶を終えた後、私はハンスと共に廊下を進む。やはり人払い、というだけあって人影は見当たらない。
私は不意に、ハンスに尋ねる。
「コルネリアは?」
「よく眠っておられたと、侍女から聞いております」
「そう」
そこで会話は途切れた。
月明りが窓から差し込む廊下に、私たちの足音だけが響いていた。すると――、ハンスはぽつりと言葉を溢した。
「リリー様、この老いぼれの独り言を聞いて下さいませぬか?」
「えぇ」
普段とは違う、憂いに満ちた彼の声音。ハンスは背を向けたまま、言葉を続けた。
「ノーマン様とコルネリア様。親子の絆は本物です。ですが、それを良く思わない方々がいるのも事実です」
それはケディック家に長年仕えたハンスだからこそ、語ることのできる話だった――。




