36話 祝福の承認と再会
怒気を含んだ声を耳にして、私は弾かれたように視線を上げた。そこに佇んでいたのは、瞳に怒りをたたえたノーマン様だ。
ノーマン様は冷たい視線でルシアンを射抜き、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。そうして、ぴたりと足を止めた。
目の前にしたノーマン様の大きな体躯。それは威圧されているような錯覚に陥ったのだろう。
先に口を開いたのは、焦った表情を浮かべたルシアンだ。
「あ、の、辺境伯殿――」
その先に続く言葉はない。――無礼にも程がある。私は思わず、手に力を込めた。ルシアンの呻くような声が聞こえたが、聞こえないふりをしておく。
すると、ノーマン様はじっとルシアンを見据え、口を開いた。
「私の娘が、どうかしたか? それに……、私の妻に気安く声をかけるとは――」
再び告げられた言葉はとげとげしい。ノーマン様は私とルシアンの会話を確かめるかのように告げた。――ところが、私の胸中は別の意味で慌てていた。
(つ、妻……!? まだ、婚約者ですけれど!?)
ルシアンにノーマン様を罵られたとき。自らが妻であると自負しておきながら、ノーマン様から言葉にされると照れくささを抱いてしまう。
私がルシアンとは全く別の意味で慌てていると――。
ノーマン様は視線を落とした。その次には、苛立ちを隠そうともせず口を開く。
「彼女に触れているのは、どういう訳か?」
「い、いえっ……その!」
ルシアンは慌てて弁明しようとしているが、その先の言葉が出て来ない。それもそのはず――。
(ノーマン様、申し訳ございません……。私が彼を捻り上げておりまして……)
心の中でそっと弁明しておく。一見、私の手首を掴んでいるのは彼の手だ。しかし、旋回するように捻り上げられた彼の腕は悲鳴を上げていることだろう。
私は平然と彼の腕を解放した。ルシアンはそのままの勢いで体のバランスを崩し、床に倒れ込んでしまった。
その光景を眺めていると、耳元でノーマン様の声がした。
「リリー、こちらへ」
「は、はい……!?」
名を呼ばれたかと思うと、今度は――ノーマン様に引き寄せられてしまったのだ。
(こ、これは……もしや! 見せつけている……!?)
ノーマン様の手はしっかりと腰に回され、もう片方の手はエスコートするように私の手を取っている。これは親密な関係であると暗に示している。それを物語るかのように、お揃いのブローチがきらりと光りを反射した。
ここまですれば、ルシアンでも状況を理解できるだろう。彼の表情は徐々に青ざめていく。
ノーマン様は、にっこりと張り付いた笑顔を浮かべ、彼に問う。
「君も……そうか。家名を聞いても良いか?」
意味深な言葉と表情。その問いにルシアンが答えることはなく――。
「あ、いえ……! 辺境伯殿に名乗るほどの者ではありません……! そ、それでは――」
結局。ルシアンは慌てて立ち上がると、そう告げて、場を後にしたのだった。
「一体、何がしたかったのかしら……」
その謎だけを残して。私のひとりごとは、急いで立ち去る彼の足音によってかき消されてしまった。小さくなっていくルシアンの背中を眺める。
すると、ノーマン様は心配そうに私を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「ええ……むしろ、私が怒り出すところでした。止めて下さったのですね、ありがとうございます」
私はノーマン様を見上げて、お礼を告げた。添えられた大きな手をそっと握り返す。すると、彼は意外とでもいうような表情をしてみせた。
「いや……、牽制のつもりで……。――ところで彼は?」
「元婚約者だった方ですわ」
そう告げた声は自分でも分かりやすく、冷ややかだった。
「……もっと脅しておくべきだったか」
「はい……? ノーマン様、何かおっしゃいました……?」
「いいや、何でもない」
小さく呟かれた言葉が上手く聞き取れず。聞き返すと、はぐらかされてしまった。
そうして、ノーマン様は名残惜しそうに体を離す。私たちは手を取り合って、互いに言葉を交わす。
「ノーマン様は、どうしてこちらに……?」
「いや、コルネリアとハンスだけだったからな。君に、何かあったのかと思い――」
彼がそう言うや否や。はつらつとした声が廊下に響いた。
「あ! お父さま!」
「コルネリア」
ノーマン様が名を口にした。私はコルネリアの姿を目にした途端、ほっと安堵に満ちた吐息を漏らす。
コルネリアは小走りで、こちらに駆け寄って来てくれた。ハンスも一緒だ。コルネリアは私たちの前で足を止めると、腰に手を当てて声を上げる。
「もう! 話も聞かずに飛び出していくから! お母さまが心配なのは分かりますけどねっ!」
彼女の怒りの矛先はノーマン様のようだ。彼はコルネリアの言葉に言い返すこともできず、肩をすくめていた。
そんなノーマン様がとても可愛らしく思えて、私は笑みを溢す。もちろん、コルネリアにも告げる言葉を忘れない。
「ふふっ、ありがとう。コルネリアも心配してくれたのね」
「えへへ……!」
私の言葉に、今度はコルネリアが笑みを浮かべたのだった。
* * *
その後。まるで珍事など起こっていないかのようにつつがなく、王から私とノーマン様の結婚承認を賜った。
存外あっさりしたもので、それどころか――コルネリアを目にした王は、まるで孫娘を見るような慈愛に満ちた表情をしていたのだった。
謁見後、このまま帰路につくものだと思っていた。
すると――、ノーマン様はぴたりと足を止めた。彼は私を振り返り、にこやかに告げる。
「リリー、君に会わせたいお方がいる」
「はい……? それはどなた……」
その答えを聞く間もなく、従者が足を進めるべき道を示す。
「こちらでございます」
告げられた言葉に頷き、従者に案内されたのは王城の中でも、見覚えがある場所。近衛部隊の部屋でもなく――。
そこにいたのは、可憐に笑みを浮かべる少女――と、呼ぶべき年頃は過ぎ去った女性。
「あら、馴染み深い顔ぶれね」
私たちを待っていたかのように微笑むのは、第三王女、エレノア様だ。――私が近衛を務めていたお方。幼かった彼女はいつの間にか、王女としての風格を纏っていた。私の中で過去の思い出が、一気に押し寄せる。
私は感極まって震える唇をどうにか動かして、声を発した。
「殿下……、ご立派になられて……!」
「リリーのお陰よ。あなたが本当の姉のように接してくれたから、わたくしも自分に自信が持てたの」
彼女は昔のことを思い出すかのように目を細め、楽しげに語った。そうして、その次には私の隣に佇むノーマン様へ視線をやった。――この粋な計らいをしたのは彼だ、と視線だけで告げられたのだ。
私は彼を見つめて、そっと口を開く。
「ノーマン様、ありがとうございます」
「いいや、リリーと会ってみたいと殿下から頼まれたまでだ」
彼は朗らかな笑みを浮かべ、軽く首を横に振ってみせた。
そんな私たちのやり取りを眺めていた殿下は「ふふっ」と笑みを溢した。そうして、私の元まで歩み寄ると、互いの手を取り合うように触れる。――私の手に手袋はない。殿下を守るために研鑽した証が刻まれている手だ。
殿下は私の手を見つめた後、告げた言葉。
「わたくしからも、結婚の祝福させてもらいたいの。リリーの幸せを心から願っているわ」
「……!! ありがとうございます……!」
胸がいっぱいになるお言葉だ。
殿下は手をそっと離すと、私の隣に佇んでいたコルネリアへ声を掛けた。
「あらあら。こちらが……」
コルネリアは緊張した面持ちで、口を開いた。
「ケディック辺境伯の娘、コルネリアでございま、しゅっ」
「うふふ、とっても可愛らしいわね」
「も、申し訳――」
上手く名乗れなかったことで、顔を真っ赤にしたコルネリア。しかし、それを咎める者はいない。それどころか、和やかな雰囲気に包まれる。――コルネリアからしてみれば、恥ずかしいことこの上ないだろう。
私は咄嗟に助言の言葉を送った。
「コルネリア、大丈夫よ。殿下はお優しい方だから」
「リリーがそれを言うのはずるいわ」
しかし、それを殿下に咎められてしまった。
そうして――、和やかな談笑の時間。
殿下はコルネリアを気に入った様子。「まるで妹ができたみたい」と喜んでいた。
「そうね、リリーが一緒に来てくれないから……。ねぇ、コルネリア。学園を卒業したら使節団として、わたくしと一緒に――」
「殿下!」
「まぁまぁ、冗談よ」
楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていった――。




