32話 トキメキの予感
* * *
それはいつかの旅路を思い出させるものだった。
辺境から離れ、数日が経過していた。宿を転々とし、馬を休めながら旅路を行く。山々に囲まれた景色はあっという間に流れていき、平地と栄えた町をいくつか越えた。王都まで、もう少しといったところだろうか。
私は馬車に揺られながら、外の景色を眺める。視線を戻せば、隣に座るのはコルネリアだ。
彼女は目に映るもの全てが珍しいと言わんばかりに、爛々と目を輝かせている。そんなコルネリアに、私は目元を下げる。
(あの時はナタリーがいて、アルフレッドがいて……。私の勘違いから始まった辺境の生活が、なんだか懐かしい)
そんな思い出に浸っていると、向かいに座るノーマン様が口を開いた。
「リリーも輿入れのときは遠方より、はるばる……。大変だっただろう?」
「いいえ、良き旅でしたわ」
「そう言ってくれると、嬉しいものだな」
私の言葉に、目を細めたノーマン様。彼は窓の縁に肘を掛けて、器用に頬杖をついている。
普段、皆の前では見せないノーマン様の安らいだ表情と雰囲気。家族の前だけ見せる、彼本来の姿だ。そんなノーマン様の赤毛が光に反射して、私の目にはとても綺麗に映った。
そんな彼に見惚れていると、ノーマン様は思い出したかのように声を上げた。
「あぁ、そうだ。君に伝えておくことがあったのだった」
「はい? 何でしょう?」
私は首を軽く傾げ、言葉の先を待つ。すると、ノーマン様は悪戯な笑みを浮かべたのだった。
「リリー。ケディック領での狩猟大会。優勝の結果は周辺地域だけでなく、王都にもその知らせが届いているようだ」
「えっ……」
「それだけ、我が領の狩猟大会は注目されていたということだ」
驚きの声を上げた私に構うことなく、言葉を続けるノーマン様。それはどこか楽しげだ。
「特に今年は雪解けがまばらで、大会の難易度は高かった。そんな中、少数精鋭で大会に挑み、優勝。暴走した大鹿から貴族子女を救ったのは――」
「わ、分かりましたから……! それ以上はおっしゃらないで!」
彼の口から嬉々として語られる武勇伝。
私は恥ずかしくなり、わっと声を上げた。しかし、ノーマン様は悲しそうに眉を下げたのだ。私が話を遮ってしまったからだろう。ここで折れてはいけない。ノーマン様は私の評価に、少々過剰なところがあるから。
私は顔に熱が集中するのを感じていた。恥ずかしさから、ノーマン様に怒りとも呼べない不明慮な感情を露わにしてしまった。それはどこか大人げなく、妻としても不相応だろう。
すると、ノーマン様は微笑ましいと言わんばかりに笑みを向けた。
「恥ずかしがることでもないだろうに」
「いいえ! 十分、恥ずかしいのです……!」
「王都での昔馴染みにでも会えば、きっと君は大いに称えられるだろう」
彼はそう告げて、大きく頷いた。
ノーマン様の穏やかな表情を目にすると、何も言えなくなるのは私の方だった。――自分らしく在れる辺境と違い、王都に行けばそうはいかない。他者から求められる辺境伯の婚約者・妻としての理想像がある。
どうやらノーマン様には、この不安な気持ちを見抜かれていたようだ。彼の言葉はそれを感じさせるには十分だった。
(ノーマン様には敵わないわね……)
私は心の中で、そっと呟いた。ノーマン様が私のことをどれ程までに想ってくれているのか、些細な会話から滲み出る。
それを思うと口元が自然と上がる。それを隠そうと、頬に手を当てることで精一杯だ。すると、隣から視線を感じた。私は瞬きを繰り返し、そちらを見やれば――可愛らしいコルネリアが座っている。
コルネリアは私と視線が合うと、にんまりと微笑んだ。会話に入って来ないと思っていたら、どうやら彼女なりに気を遣っていたようだ。
そして、コルネリアは嬉々と口を開く。
「お父さまとお母さま、何だかとっても楽しそう」
「コルネリアったら……!」
私はこれまた恥ずかしさのあまり、声を上げる羽目になったのだった。
◇
「わぁ……! これが王都の街並み……! すごい! 人も、馬車もたくさん!」
コルネリアの声が馬車の中で響いた。彼女の子どもらしい素直な反応に、今度は私とノーマン様が笑顔を浮かべる。
彼女の視線を追えば、そこには見慣れたはずの王都の街並みが広がっていた。
私は視線を手元に落とすと、心の中で呟く。
(なんだか、懐かしい……とも違うような複雑な気持ち)
この気持ちの落し所が見つけられず、小さな溜め息をついてしまった。すると、そっと手に重ねられた大きな手。感じる温かな体温。
はっとして、視線を上げればノーマン様がこちらを窺っていた。
(ノーマン様……)
私はきゅっと、唇をきつく結んだ。彼を思うと、私の心は温かくなった。彼の表情は「大丈夫」と告げるような、安心感を与えてくれるものだったから。
しばらく、馬車は揺れた。王都の街を進み、立派な屋敷の前で止まった。
私とコルネリアは、ノーマン様にエスコートされながら馬車を降りる。ノーマン様の手を取りながら、私は小さく呟いた。
「ここが……」
「王都滞在中はこの屋敷が拠点となる。自由に使ってくれ」
軽快な言葉で告げられた。すると、私の隣にいたコルネリアは怪訝な表情を浮かべたのだ。
コルネリアはノーマン様を見上げると、少しだけ呆れたように口を開いた。
「お父さま。拠点だなんて、なんだか……。別荘って呼べばいいのに」
「そ、そうか」
彼女の鋭い指摘に、ノーマン様はぎこちなく返事をしたのだった。――それは記憶にある、温かな光景を思い出すには十分だ。
(親子漫談、再び――ね)
二人の会話で場が和み、私はくすりと笑みを溢した。
ノーマン様とは一度ここで別れることになっている。「では、また後で」と互いに言葉を交わし、彼は辺境伯としての顔つきに変わる。私はそんな彼の大きな背を見送った。
そして、コルネリアと共に、屋敷の中へと足を踏み入れたのだった。
◇
荷解きが終わった頃。私の元を訪ねて来たのはコルネリアだ。彼女の後ろにはハンスが控えている。
私は「二人そろって、どうしたのだろう」と不思議に思い、首を傾げた。すると、先に口を開いたのはコルネリアだった。
「お母さま。わたし、欲しい物があって……」
「あら」
珍しいこともあるものだと、私は感嘆の声を上げた。コルネリアが物をねだるなんてこと、今までなかったから。
しかし、コルネリアの背後に佇むハンスは困ったように眉を下げていた。執事の鏡とまで言わしめる彼からは想像がつかないような、か細い声でこう告げた。
「お言葉ですが、コルネリア様。こちらに商人を呼ぶのはいかがでしょう?」
その言葉に、コルネリアは勢いよく後ろを振り返る。なんと、勢いそのままに熱弁を振るい始めたのだ。
「いいえ、ハンス。それでは駄目なの。自分の足で買いに行くのよ! それに、王都の街並みをこの目で見てみたい!」
「しかし――」
「お父さまには許可をもらっているの。見聞を広めるのも良いだろう、って」
この言葉以上に効果があるものはないだろう。流石、コルネリアだ。
彼女はちらり、と私を見やった。その視線が示すもの。――分かりましたわ。これは私に「あともうひと押し」を期待していると。
私はハンスを納得させるように、力強くこう告げた。
「この辺りでしたら、私が案内できますわ。安心して、ハンス」
そして、軽く腰を叩いて見せた。それは護身用の短刀の位置を示す動作。彼ならば意味をすぐさま理解できるだろう。
ハンスは天を仰いだ。その次に大きな溜め息をつく。苦渋の決断と言わんばかりに、声を絞り出した。
「リリー様……。せめて護衛を数人――」
「数人ではかえって目立ってしまいますわ。多くて二人、もしくは一人でしょう」
私はハンスの言葉を遮った。
彼がコルネリアを心配する気持ちはよく分かる。先の狩猟大会での出来事が尾を引いているのだろう。
ノーマン様が不在のとき、コルネリアに何かあれば――。私はそこまで考え、暗い思考を払拭するために目を伏せた。私の経験上、商家の妻と娘に扮するのであれば、護衛はひとりが適任だろう。
私は力強く頷き、口を開いた。
「大丈夫、私がついています」
すると、コルネリアはハンスを見上げてこう告げた。
「ハンスはお留守番ね? 別荘に着いたばかりで、まだ仕事があるでしょう? それに、お母さまとハンスが一緒に出歩いたら、商家の奥様と使用人じゃ説明がつかないから。雰囲気が」
どうやら、この言葉が決定打となったようだ。
ハンスは一礼し、こう告げた。
「……それでは、お召し物をご用意致しますので、しばらくお待ちを」
「頼みますね」
こうして、私はコルネリアとの「お出掛け」に胸を躍らせたのだった。




