第5話 おなじに、できたね
「おはようございます(はぁと) 今日も笑ってがんばりましょう(はぁと)」
列の後ろから、わたしとまったく同じ声がした。
「…………」
わたしは口を閉じた。
「おはようございます(はぁと) 今日も笑ってがんばりましょう(はぁと)」
もう一度。
声質。
高さ。
語尾。
最後のハートまで聞こえるような甘ったるさ。
全部、わたしだった。
振り返る。
列の中に、空色の小鳥みたいな子がいる。
丸い身体。
顔の周りだけ白い毛。
桃色の小さなくちばし。
二つに分かれた短い尾羽。
つやつやした黒い瞳。
「…………」
わたしが右へ首を傾ける。
空色の子も、右へ。
同じ角度。
わたしが左へ。
左。
わたしが少し顎を引く。
少し顎を引く。
前足を上げる。
上げる。
「誰ですか?」
「誰ですか?」
「あなたに聞いてるんです」
「あなたに聞いてるんです」
「真似しないでください」
「真似しないでください」
「会話できない!」
「会話できない!」
「真似するなって!」
「真似するなって!」
会話が一歩も進まない。
わたしが黙る。
向こうも黙る。
「…………」
「…………」
沈黙までコピーされた。
「怖」
「怖」
「もう!」
「もう!」
空色の子は嬉しそうだった。
わたしは全然嬉しくなかった。
*
「あっ、ピピ!」
ポポが走ってきた。
黄色い身体が朝日に輝いている。
相変わらず元気。
「もう《おてほん》を見つけたんだね!」
「お手本?」
空色の子――ピピの胸を見る。
名札。
二つの笑顔が重なっている。
《まねまね係》。
「なに、その嫌な予感しかしない役職」
「じょうずにおてつだいしてる子を見つけて、まねするんだよ!」
「なんのために?」
「おなじことが、どこでもできるように!」
「標準化だ」
「ひょうじゅん?」
「会社が好きなやつ」
ポポが嬉しそうにわたしを指した。
「二日つづけて、にこにこ率百パーセント!」
「はい」
「連続おてつだい二日目!」
「はい」
「だから、きみが《おてほん》!」
「…………」
胸が、
ぽっ。
と温かくなった。
「私が?」
「うん!」
「お手本?」
「うん!」
「正式に?」
「うん!」
「村から選ばれた?」
「ピピが選んだ!」
「…………まあ、選抜には違いない」
前世でも新人教育を任されたことはあった。
ただし、
《仕事ができるから》
ではない。
《頼めば断らないから》
だった。
今回は違う。
百パーセント。
実績。
数字。
公式。
「まあ……」
耳のあたりを整える。
「こういうのは、ちゃんとできる子が選ばれるからね」
「こういうのは、ちゃんとできる子が選ばれるからね」
ピピまで誇らしげに言った。
「そこまで含めて真似しなくていい」
「そこまで含めて真似しなくていい」
「でもまあ」
「でもまあ」
「見る目あるね、この子」
「見る目あるね、この子」
「自分で言うとキツい!」
ポポが拍手する。
「よかったね!」
「ちなみに」
社会人として大切な確認をする。
「《おてほん》手当は?」
「てあて?」
「追加のごほうび」
「ああ!」
ポポが笑った。
「選んでもらえたことが、ごほうびだよ!」
「…………」
上がった気分が定位置へ戻った。
「選んでもらえたことが、ごほうびだよ!」
ピピまで言った。
「二重に腹立つ」
*
「じゃあ教えます」
「じゃあ教えます」
「まず、私の言葉を全部繰り返すのやめて」
「まず、私の言葉を全部繰り返すのやめて」
「…………」
無理だった。
「じゃあ、まず笑顔」
仕事用。
口角を上げる。
目尻を少し柔らかく。
可愛いけれど、媚びすぎない。
親しみやすいけれど、馴れ馴れしくない。
前世で何年も磨いた顔だった。
「こう」
にこ。
ピピ。
にこ。
「…………」
かなり似ている。
「もうちょっと目を細めて」
細める。
「口角は上げすぎない。必死に見えるから」
調整。
「首はほんの少しだけ傾ける」
傾ける。
「そう。やりすぎると計算してる女っぽくなるから」
わたしを見るポポ。
「…………」
「なに」
「計算してるの?」
「してないよ(はぁと)」
「してないよ(はぁと)」
ピピも完璧な笑顔で答えた。
ポポは、
「そっか!」
と納得した。
「…………」
簡単。
ちょろい。
「ちょろい」
ピピが言った。
「え?」
ポポが首を傾げた。
「何が?」
「ちょろい」
「誰が?」
「…………」
わたしはピピを見る。
ピピもわたしを見る。
「今の誰の真似?」
「今の誰の真似?」
「私?」
「私?」
「私か……」
「私か……」
これ。
危ない。
*
「次」
気を取り直す。
「前足を振ります」
ふり。
ピピ。
ふり。
「もう少しゆっくり。営業感が出るから」
ふり。
「そう」
「そう」
「お辞儀」
頭を下げる。
胸の大きな《にこにこ係》に引っぱられる。
「あ」
ころん。
頭から地面へ転がった。
ピピの翼が、
ぱっ。
開く。
飛べる。
こいつ飛べる。
「いいな」
と思った瞬間。
ピピはわたしを見る。
翼を閉じる。
ころん。
頭から地面へ転がった。
二人並んで、お尻を上へ向ける。
「そこまで真似しなくていいです」
「そこまで真似しなくていいです」
「事故は学習しないで」
「事故は学習しないで」
「失敗まで標準化するな」
「失敗まで標準化するな」
転がったまま怒る。
転がったまま怒られる。
ひどい研修だった。
*
「接客用語」
起き上がる。
「大変だったね(はぁと)」
「大変だったね(はぁと)」
「でも、きっと大丈夫」
「でも、きっと大丈夫」
「今日もがんばってね(はぁと)」
「今日もがんばってね(はぁと)」
完璧。
声質。
間。
息継ぎ。
語尾。
全部同じ。
「すご」
「すご」
わたしが鼻をかく。
ピピも鼻をかく。
「へくしっ」
「へくしっ」
二人の身体が、
ぽん。
同時に跳ねる。
「そこは違うでしょう!」
「そこは違うでしょう!」
「くしゃみまで真似する必要ない!」
「くしゃみまで真似する必要ない!」
「今、本当に鼻むずむずした?」
「今、本当に鼻むずむずした?」
「してないよね?」
「してないよね?」
怖い。
模倣への執念が強すぎる。
わたしが眠気で、
ふら。
と揺れる。
ピピは元気なのに、
ふら。
と揺れる。
「いや、それは真似しなくていい」
「いや、それは真似しなくていい」
「元気でしょう?」
「元気でしょう?」
「元気?」
「元気?」
「……分かんなくなってきた」
「……分かんなくなってきた」
自分と話すことが、こんなに難しいとは知らなかった。
*
「きみが二人になったね」
いつの間にかノノがいた。
薄紫。
逆さの箒。
折れた耳。
相変わらず掃除する気はない。
「二人にはなってません」
「二人にはなってません」
ノノがわたし。
ピピ。
わたし。
順番に見る。
「二人いるよ」
「片方はコピーです」
「片方はコピーです」
「どっち?」
ノノが聞いた。
「私が本物!」
「私が本物!」
「…………」
ノノがもう一度見る。
「おなじだね」
「違う!」
「違う!」
「ほら」
「違う!」
「違う!」
ノノは興味を失った。
「二人なら、一人ぶん寝られるね」
「…………」
わたしの動きが止まった。
ピピも止まった。
わたしはノノを見る。
ノノは地面を見る。
寝る場所を探しているだけだった。
「もう一回」
「二人なら、一人ぶん寝られるね」
「…………」
脳内で、
ぱあああああっ。
《にこにこ門》より大きな花が開いた。
「ノノ」
「なに?」
「やっぱり師匠」
「やだ」
*
ピピを見る。
笑顔。
声。
動作。
全部わたし。
そして。
門を見る。
《にこにこ率 100%》
胸を見る。
《れんぞく 2にち》
金色まであと五日。
「…………」
もし。
もしも。
「ピピ」
「ピピ」
「あなた」
「あなた」
「私」
「私」
「《にこにこ係》」
「《にこにこ係》」
「…………」
いける。
「試そう」
「試そう」
*
ノノに背中を押される。
わたしは門の陰へ隠れた。
「なんでノノが乗り気なの?」
「早く終わると寝られるから」
「あなた関係ないでしょう」
「見てるの疲れる」
「勝手に見てたのに!」
門前にはピピだけ。
通勤者が来る。
ピピは笑う。
「おはようございます(はぁと)」
相手が笑う。
「大変だったね(はぁと)」
元気な子だった。
「今日もがんばってね(はぁと)」
朝なのに帰宅中の夜勤者だった。
「…………」
少し雑。
かなり雑。
でも。
ぱあっ。
門が開く。
『にこにこが、おなじにできました』
次。
「おはようございます(はぁと)」
「おはよう」
「大変だったね(はぁと)」
「別に」
「きっと大丈夫」
「なにが?」
「今日もがんばってね(はぁと)」
「帰って寝るよ」
ぱあっ。
『にこにこが、おなじにできました』
「…………」
門。
めちゃくちゃ判定が甘い。
「私、あんなに相手に合わせてた意味あった?」
「なかったみたい」
「ノノ、今それ言わないで」
ピピ。
次。
次。
次。
仕事が回る。
門は開く。
百パーセント。
わたしは一歩下がった。
止まらない。
二歩。
止まらない。
三歩。
誰も困らない。
「…………」
胸が痛んだ。
自由。
これで自由になれる。
なのに。
寂しい。
「私、いなくてもいいじゃん」
「うん」
「即答しないで」
「聞いたから」
「慰めるとかない?」
「寝られるよ」
「それ慰めとして強いな……」
前世でもそうだった。
わたしがいないと困る。
わたしがやらないと回らない。
そう思っていた。
熱を出して一日休んだ。
翌日。
会社は建っていた。
メールは送られていた。
会議は終わっていた。
わたし抜きで何件か話が決まっていた。
安心した。
傷ついた。
両方だった。
「……私じゃなくてもいいんだ」
ノノが横になる。
「だいたい、みんなそうだよ」
「今日一番聞きたくない人生訓」
「人生訓じゃないよ。寝たいだけ」
「そこが強い」
*
でも。
数秒後。
わたしは立ち直った。
「待って」
「なに?」
「私じゃなくてもいい」
「うん」
「ということは」
ピピを見る。
「私がやらなくてもいい」
「うん」
「…………」
胸が、
どくん。
と鳴った。
「ノノ」
「なに?」
「これ」
「うん」
「勝ちでは?」
「なにに?」
「労働に」
ノノは少し考えた。
「寝られるなら勝ちだね」
「でしょう!?」
傷からの回復が異様に早かった。
「そうじゃん!」
立ち上がる。
「代わりがいるの、最高じゃん!」
さっきまでの寂しさはどこかへ行った。
「何で私、《唯一無二》になろうとしてたの!?」
「知らない」
「唯一無二って休めないじゃん!」
「うん」
「代替可能なら休める!」
「うん」
「私じゃなくてもいい!」
「うん」
「やった!」
両前足を上げる。
「私、いらない!」
人生で初めて、不要であることを喜んだ。
「最高!」
門前のピピが言った。
「最高!」
「…………」
通勤者がこちらを見る。
「何が?」
「なんでもないです(はぁと)」
「なんでもないです(はぁと)」
危ない。
*
「検証する」
「なにを?」
「どこまで代われるか」
ノノが地面へ伏せたまま、
「がんばって」
と言った。
「あなたがそれ言うと腹立つ」
*
第一試験。
主人公が門から離れる。
ピピが働く。
《100%》
維持。
「よし」
*
第二試験。
主人公が木陰へ行く。
ピピが働く。
《100%》
維持。
「よし!」
*
第三試験。
主人公が寝転がる。
ピピが働く。
《100%》
維持。
「よし!」
*
第四試験。
主人公がリボンを外す。
ピピ。
《100%》
「よおおおし!」
「嬉しそうだね」
「嬉しいよ!」
ノノの隣へ寝転がる。
「私、働いてない!」
「働いてないね」
「百!」
「百だね」
「金色まであと五日!」
「欲しいんだね」
「欲しい!」
完全に開き直った。
「私、天才では?」
「ピピが働いてるよ」
「仕組みを見つけたの私!」
「ノノが言ったよ」
「…………」
「ピピが働いてる」
「…………」
「きみ、なにしたの?」
「……管理?」
「寝てるよ」
「管理職ってそういうところあるから!」
前世の上司に対して謝る気はなかった。
*
わたしは草の上へ寝転がった。
青空。
白い雲。
ぽかぽか。
門の声だけ遠くに聞こえる。
『にこにこ、できました』
『おなじに、じょうずです』
『100%』
「ふふ」
笑いが出た。
「ついに」
「なに?」
「働かずに評価だけ手に入れる仕組みを作った」
「悪いことしてるの?」
「言い方!」
でも。
かなり悪女っぽい。
悪くない。
「この世界」
寝返り。
「ちょろいかも」
遠くの門から、
「この世界、ちょろいかも(はぁと)」
ピピの声。
「…………」
起き上がった。
「今なんて?」
ピピ。
「この世界、ちょろいかも(はぁと)」
通勤者たちが首を傾げる。
ポポが、
「ちょろいってなあに?」
と聞く。
「ピピ!」
「ピピ!」
「それ言わない!」
「それ言わない!」
「今の忘れて!」
「今の忘れて!」
「だから!」
「だから!」
コピーは遠隔で続いていた。
「聞こえてるの!?」
「聞こえてるの!?」
「どこまで!?」
「どこまで!?」
「最悪!」
「最悪!」
自由には、
盗聴機能がついていた。
*
わたしはピピから見えない木の陰へ隠れた。
小声。
「これなら」
門。
「これなら(はぁと)」
「聞こえてる!」
さらに離れる。
「ポポ、ちょろい」
「ポポ、ちょろい(はぁと)」
「言うなああああ!」
ポポが門前で、
「ぼく?」
と首を傾げている。
「違う!」
「違う!」
「ピピが勝手に!」
「ピピが勝手に!」
「私の真似だけど私じゃない!」
「私の真似だけど私じゃない!」
「全部私の発言になってる!」
「全部私の発言になってる!」
ポポが走ってきた。
「ぼく、ちょろいの?」
「違うよ(はぁと)」
「違うよ(はぁと)」
笑顔。
「ほんと?」
「ほんと(はぁと)」
「そっか!」
ポポは帰った。
「…………」
わたしはピピを見る。
「……ちょろい」
「……ちょろい」
「だから言うな!」
*
制御方法を考える。
「ピピ」
「ピピ」
「仕事中は」
「仕事中は」
「私が言ったことを全部真似しなくていい」
「私が言ったことを全部真似しなくていい」
「必要な言葉だけ」
「必要な言葉だけ」
「おはよう」
「おはよう」
「大変だったね」
「大変だったね」
「きっと大丈夫」
「きっと大丈夫」
「がんばって」
「がんばって」
「それ以外は禁止」
「それ以外は禁止」
「分かった?」
「分かった?」
「……分かってない」
「……分かってない」
*
その直後。
通勤者が一人やってくる。
眠そう。
「おはよう」
ピピが言う。
「大変だったね」
「うん」
「きっと大丈夫」
「そうかな」
「がんばって」
「うん」
門が開く。
「できてる」
嬉しい。
「やればできるじゃん」
「やればできるじゃん」
余計なところも出た。
「まあいい」
「まあいい」
「ちょっとくらい」
「ちょっとくらい」
「私の口調が混ざってる方が自然か」
「私の口調が混ざってる方が自然か」
「…………」
嫌な予感。
「今日ほんと眠い」
「今日ほんと眠い(はぁと)」
「それ仕事中言わない」
「それ仕事中言わない(はぁと)」
「昨日からずっと帰ってないし」
「昨日からずっと帰ってないし(はぁと)」
「ピピ?」
「ピピ?(はぁと)」
「もう働きたくない」
「もう働きたくない(はぁと)」
門が、
ぱたん。
閉じた。
「…………」
空気も止まった。
列の子たちが一斉にこちらを見る。
右へ首を傾ける。
左へ首を傾ける。
耳が重い子は、勢いのまま、
ころん。
横へ倒れた。
『おてほんに』
門が言う。
『《はたらきたくない》が、ふくまれています』
「違います!」
「違います!」
「今のは仕事中に言う言葉じゃありません!」
「今のは仕事中に言う言葉じゃありません!」
「これは本音!」
「これは本音!」
「…………」
自分で穴を広げた。
「働きたくないの?」
列の子が聞いた。
「違います(はぁと)」
仕事用の笑顔。
「大丈夫です(はぁと) 働きたいです(はぁと)」
「大丈夫です(はぁと) 働きたいです(はぁと)」
ピピも同じ顔。
ぱあっ。
門が開く。
「…………」
わたしは真顔になる。
「もう働きたくない」
ピピ。
「もう働きたくない」
ぱたん。
「大丈夫です。働きたいです(はぁと)」
「大丈夫です。働きたいです(はぁと)」
ぱあっ。
「もう無理」
「もう無理」
ぱたん。
「でも大丈夫」
「でも大丈夫」
ぱあっ。
「帰りたい」
「帰りたい」
ぱたん。
「今日もがんばります(はぁと)」
「今日もがんばります(はぁと)」
ぱあっ。
「辞めたい」
「辞めたい」
ぱたん。
「辞めません(はぁと)」
「辞めません(はぁと)」
ぱあっ。
門が開く。
閉じる。
開く。
閉じる。
通勤者たちが、
一歩進む。
一歩戻る。
一歩進む。
一歩戻る。
「なにこれ!」
花びらも混乱して、
半分開く。
四分の一閉じる。
また開く。
『じぶんから――』
閉じる。
『おやすみを――』
開く。
『たのしく――』
閉じる。
『かなしく――』
開く。
『…………』
門が黙った。
「門を壊した!?」
ノノが少し嬉しそうに、
「休める?」
と言った。
「そこ!?」
*
ピピを見る。
ピピは笑っていた。
でも。
膝が震えている。
わたしの真似。
眠そうに目を細めている。
わたしの真似。
前足が垂れている。
わたしの真似。
笑顔。
疲労。
本音。
建前。
全部一緒。
「ピピ」
「ピピ」
「もう真似しなくていい」
「もう真似しなくていい」
「…………」
ピピが止まった。
初めてだった。
わたしと違う顔をした。
ほんの少し。
困った顔。
そして。
わたしの声ではない。
小さな、小鳥らしい声で聞いた。
「どっちを、まねするの?」
「……え?」
「はたらきたい」
「…………」
「はたらきたくない」
「…………」
「がんばる」
「…………」
「もうむり」
「…………」
「だいじょうぶ」
「…………」
「だいじょうぶじゃない」
ピピの首が傾く。
「どっちが、ほんとう?」
答えが出なかった。
列の子たちも見ている。
ポポも。
ノノも。
門も。
全部こちらを見ている。
「どっちも」
わたしは言った。
ピピが瞬く。
「どっちも本当」
「…………」
「働きたくない」
正直に言う。
「でも」
胸を見る。
虹色の《よくできました》。
「褒められたい」
百パーセント。
「評価は欲しい」
金色。
「できる子だと思われたい」
ポポを見る。
「可愛いって言われたい」
ごほうびの方向を見る。
「限定品も欲しい」
家の方向。
「お金も欲しい」
ノノを見る。
「寝たい」
門を見る。
「でも、役に立たないと思われるのは嫌」
ピピを見る。
「私がいなくても平気って分かると、寂しい」
口元が少し歪む。
「でも、私しかできないって言われたら、それはそれで腹立つ」
「…………」
「働きたくない」
「…………」
「でも無能と思われるくらいなら、働く」
「…………」
「嫌われたくない」
「…………」
「でも好きでもない人にまで好かれようとする自分は、もっと嫌い」
「…………」
「楽したい」
「…………」
「でも楽してるって思われたくない」
「…………」
「可愛くいたい」
少し笑う。
「できれば、ずっと」
ピピが静かに聞いている。
「だから」
わたしは肩をすくめた。
「どっちも本当」
長い沈黙。
ピピの口元が、
ゆっくり。
わたしと同じ形へ上がった。
「どっちも、本当です」
小さな声。
今度は、ただ繰り返しただけには聞こえなかった。
門の花びらが、
困ったように、
ふる。
ふる。
震えた。
『おてほんは』
一拍。
『ひとつに、してください』
「無理」
即答した。
「人間そんな単純じゃないから」
ポポが言う。
「きみ、人間じゃないよ」
「今そこ重要じゃない!」
*
わたしとピピは、並んで門の前へ立った。
同じ角度。
同じ笑顔。
同じ前足。
「おはようございます(はぁと)」
「おはようございます(はぁと)」
「今日も笑ってがんばりましょう(はぁと)」
「今日も笑ってがんばりましょう(はぁと)」
門が右を見る。
わたし。
左。
ピピ。
右。
左。
右。
左。
花の顔がだんだん忙しくなる。
「判定してください」
門。
『どちらも、おなじにじょうずです』
「それは分かった」
胸の名札を指す。
「どちらが《にこにこ係》?」
門。
少し考える。
『おなじなので』
「はい」
『どちらでも、いいです』
「…………」
ピピが言う。
「おなじなので、どちらでもいいです」
「…………」
胸に刺さった。
分かっていた。
さっき自分で、
《代わりがいるって最高》
と言った。
でも。
実際に、
《どちらでもいい》
と言われると。
痛い。
「…………そっか」
たったそれだけ。
少し泣きそうになった。
可愛い身体なので、泣きそうな顔まで可愛い。
それも腹が立った。
「私じゃなくていいんだ」
ピピが言う。
「私じゃなくていいんだ」
「真似しないで」
「真似しないで」
「今はやめて」
「今はやめて」
「……泣くよ?」
「……泣くよ?」
「自分に煽られるの最悪」
*
「交代で寝られるね」
ノノだけが喜んでいた。
「ノノ」
「なに?」
「今、存在意義が死んだところ」
「寝たら元気になるよ」
「万能薬みたいに睡眠を出さないで」
「だいたい効くよ」
「……それはそう」
ノノは正しい。
腹が立つ。
*
でも。
わたしはもう一度、門を見る。
ピピを見る。
門には、
どちらが本物か分からない。
どちらが《にこにこ係》でもいい。
「…………」
だったら。
ふと。
思った。
「待って」
「なに?」
ノノが聞く。
「門は」
「うん」
「どっちでもいいんだよね?」
『おなじなので、どちらでもいいです』
「じゃあ」
わたしは胸の《にこにこ係》を指す。
「ピピがここにいる間」
『はい』
「私は?」
門が考える。
『…………』
「《にこにこ係》?」
『…………』
「違う?」
『…………』
処理が止まった。
「へえ」
口元が上がる。
仕事用ではない。
本気の笑顔だった。
「門、分かんないんだ」
花びらが少し震える。
『おなじなので』
「うん」
『どちらでも』
「うん」
『いいです』
「じゃあピピお願い(はぁと)」
「じゃあピピお願い(はぁと)」
ピピが門前へ立つ。
わたしは一歩下がる。
門。
無反応。
二歩。
無反応。
三歩。
「…………」
笑いがこみ上げる。
「ふふ」
「ふふ」
「ピピ、今それは真似しないで」
「ピピ、今それは真似しないで」
「まあいい」
わたしはくるりと背を向けた。
「私、持ち場離れます(はぁと)」
門が、
『…………』
黙っている。
「勤務放棄じゃありません(はぁと)」
さらに言う。
「業務の二重化による役割分担です(はぁと)」
ノノが、
「言い方変えた」
と呟く。
「社会では言い方が大事なの!」
走る。
短い足。
全然速くない。
でも。
門から離れる。
一歩。
一歩。
一歩。
何も起きない。
「…………」
自由だ。
すごく小さい。
門から二十歩くらいの自由。
でも。
初めて。
自分の意思で仕事場を離れた。
「勝った」
呟く。
遠くから、
「勝った(はぁと)」
ピピ。
「それは言っていい!」
世界がわたしを代替可能な部品にするなら。
こっちも世界の仕組みを利用してやればいい。
唯一無二じゃなくていい。
替えが利くなら。
替えを使う。
わたしは悪い女なので、
立ち直りが速かった。
*
そのとき。
門へ向かう列の先に。
小さな子が見えた。
「…………」
歩いている。
いや。
荷物に歩かされている。
身体は淡い杏色。
垂れた長い耳。
背中には、本人の三倍くらいありそうな荷物。
箱。
袋。
毛布。
道具。
小さな鍋。
細長い棒。
何か分からない丸い物。
片方の前足に水差し。
もう片方には道具箱。
首からも袋。
腰にも籠。
足には包帯。
右。
左。
両方。
「え」
さらに。
胸。
名札。
一枚。
二枚。
三枚。
四枚。
重なっている。
《はこぶ係》
《おみず係》
《おとどけ係》
《おかたづけ係》
《たすける係》
その下にもまだある。
「なにあれ」
身体が震えている。
膝。
耳。
前足。
全部。
それでも。
笑っている。
きれいな笑顔。
完璧。
わたしより。
ずっと上手。
《にこにこ門》が嬉しそうに花びらを広げた。
『とても、じょうずです』
杏色の子が一歩。
膝が、
がく。
揺れる。
水差しから水がこぼれた。
ぽた。
地面へ落ちる。
そこに小さな花が咲いた。
「…………」
可愛い。
最悪。
わたしは走った。
「待って!」
杏色の子がこちらを見る。
笑顔。
「なあに?」
「荷物!」
「うん」
「下ろして」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょう」
「大丈夫」
笑顔が少し強くなる。
「まだ、がんばれます」
門前。
ピピが、
わたしの声で、
明るく繰り返す。
「大丈夫。まだ、がんばれます(はぁと)」
門。
ぱあああっ。
『とても、じょうずな、おてつだいです』
「ピピ、それ違う!」
「ピピ、それ違う!」
「今は私を真似しないで!」
「今は私を真似しないで!」
杏色の子が一歩進む。
足が震える。
「大丈夫だから」
笑う。
「みんな、頼ってくれるの」
荷物が一つ傾く。
「できるって言ってくれるの」
水差しから、また一滴。
花。
「がんばったら、褒めてくれるの」
名札が重なっている。
「だから」
膝が落ちる。
「まだ」
笑う。
「がんばれます」
「…………」
知っている。
その顔。
知っている。
その言葉。
知っている。
その、
《頼られている私には価値がある》
という顔。
コンシーラー。
リップ。
笑顔。
『大丈夫です』
『できます』
『私がやります』
『全然平気です』
死ぬ直前まで。
わたしがしていた顔。
「…………最悪」
「え?」
杏色の子が笑う。
「あなたじゃない」
「?」
「私」
胸がむかむかする。
腹が立つ。
可哀想。
助けたい。
見たくない。
嫌い。
昔の自分だから。
一番嫌い。
「荷物、下ろして」
「でも」
「下ろして」
「おてつだいが」
「知らない」
「みんなが」
「知らない」
「困るよ」
「困らせとけばいい」
杏色の子が目を丸くした。
わたしは笑う。
仕事用ではない。
可愛い顔で。
かなり性格の悪い笑顔。
「あなた一人が潰れるより、みんなでちょっと困ったほうが公平でしょう?」
「…………」
ピピが遠くで言う。
「あなた一人が潰れるより、みんなでちょっと困ったほうが公平でしょう?(はぁと)」
「そこは真似していい!」
門が、
『おてほんと、ちがうことをしようとしています』
と言った。
振り返る。
「そうだよ」
笑った。
「違うことするの」
『にこにこ係は、みんなを――』
「ピピがいるでしょう?」
門が止まる。
門前にはピピ。
完璧な笑顔。
《にこにこ係》と同じ声。
「あなたが言ったんだよ」
わたしは門を指す。
「どっちでもいいって」
『…………』
「じゃあ」
杏色の子の荷物へ前足を伸ばす。
「笑って送り出す方は、ピピに任せる」
荷物の紐を掴む。
「私は」
引っぱる。
重い。
全然動かない。
「っ……!」
もう一回。
「こういうのを止める」
『それは、にこにこ係の――』
「知るか!」
叫んだ。
一瞬。
門。
列。
ポポ。
ノノ。
ピピ。
全部が止まった。
わたし自身も止まった。
「…………」
言った。
仕事中。
大声で。
《知るか》。
「…………」
気持ちいい。
すごく。
「もう一回言お」
「知るか!」
「知るか!」
ピピも言った。
「あなたまで言うと治安悪い!」
*
わたしは杏色の子の荷物へしがみついた。
「下ろすよ」
「でも」
「大丈夫」
その言葉が出て。
自分で嫌になる。
「……じゃない」
言い直す。
「大丈夫じゃなくていいから」
杏色の子の目が揺れた。
「いったん下ろそ」
「でも、がんばらないと」
「それ」
笑う。
「私の前で言わないで」
「どうして?」
「腹立つから」
「……?」
「昔の私みたいで」
杏色の子には意味が分からない。
それでいい。
わたしは荷物を引っぱる。
重い。
ピクリとも動かない。
「ノノ!」
「なに?」
「手伝って!」
「やだ」
「即答!」
「重そう」
「見れば分かる!」
「わたし掃除係」
「掃除してないじゃん!」
ノノが考える。
「じゃあ、いま何係でもない」
「なら手伝って!」
「それはもっとやだ」
「この役立たず!」
「うん」
強い。
そこへポポ。
「ぼく手伝う!」
「ポポ!」
黄色い前足。
荷物へ。
「せーの!」
「うん!」
二人。
引く。
全然動かない。
ノノ。
見ている。
「ノノ!」
「三人なら早い?」
「そう!」
「早く終わる?」
「そう!」
「じゃあやる」
理由が一貫している。
三人。
「せーの!」
ぐっ。
荷物が、
ずる。
少し動く。
「もう一回!」
「せーの!」
ずる。
「もう一回!」
「せーの!」
ぱちん。
紐が外れた。
「え」
荷物が、
ばら。
一瞬浮く。
「待って」
箱。
袋。
鍋。
道具。
毛布。
水差し。
籠。
棒。
全部。
空へ。
「待って待って待って――」
どしゃああああああっ。
*
静寂。
地面。
荷物の山。
そこから、
わたしの白い足。
ノノの折れた耳。
ポポの長い耳。
三つだけ出ている。
「…………」
杏色の子が立っていた。
荷物がない。
初めて見えた。
ものすごく小さい。
そして。
胸には。
まだ大量の名札。
「…………」
杏色の子が、ゆっくり瞬く。
笑顔が。
消えた。
泣くでもない。
怒るでもない。
ただ。
笑っていない。
《にこにこ門》が、
ぱたん。
閉じた。
『にこにこが、たりません』
荷物の下から、わたしは叫んだ。
「今日はそれでいい!」
門。
『…………』
「あと!」
身体をもぞもぞ動かす。
「ピピ!」
遠く。
「ピピ!」
「百パーセントどうなった!?」
「百パーセントどうなった!?」
「それ今気にする私ほんと最低!」
「それ今気にする私ほんと最低!」
でも気になる。
死ぬほど気になる。
金色まであと五日。
誰かを止めたい。
シールも欲しい。
両方本当。
「ピピ!」
「ピピ!」
「そっちは任せた!」
「そっちは任せた!」
「百守って!」
「百守って!」
「私はこっちやる!」
「私はこっちやる!」
ノノの耳が荷物の下から動く。
「欲張り」
「うるさい!」
その通りだった。
世界を変えたい。
でも評価も欲しい。
人を助けたい。
でも自分も得したい。
正しい人になりたい。
でも損はしたくない。
たぶん。
わたしは聖女にはなれない。
よかった。
なる気もなかった。
*
荷物の山から顔を出す。
杏色の子を見る。
「名前は?」
「……ココ」
「ココ」
わたしは笑った。
「私は――」
止まる。
そういえば。
まだ名前がない。
役職。
評価。
借金。
シール。
代役。
全部ある。
名前だけない。
「…………にこにこ係」
「お名前?」
「今それ聞かないで」
ピピが遠くで、
「今それ聞かないで(はぁと)」
と繰り返した。
「だから何でも真似するな!」
ココが。
ほんの少し。
笑った。
門が、
ぱあっ。
開きかける。
「開くな!」
閉じた。
「よし!」
自分でも何を応援しているのか分からない。
でも。
初めてだった。
百パーセントを守るためじゃなく。
門を開けるためでもなく。
閉じたことへ、
「よし」
と言った。
胸の虹色シールが、
きら。
光る。
金色まで。
あと五日。
「…………」
それも欲しい。
ものすごく欲しい。
「ほんと私、性格悪いな」
荷物の下から呟く。
ノノの声。
「知ってる」
「いつから!?」
「さっき」
「浅い!」
ポポが言う。
「でも、かわいいよ!」
「それで許されると思ってる?」
「うん!」
「…………」
少し許した。
わたしは地獄への適応が早い。
たぶん。
地獄のほうも、
わたしへの適応を始めていた。




