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第3話 ごほうび、もらえたね

 二度目の日が昇った。


 わたしの初出勤は、まだ終わっていなかった。


「おかえりなさい(はぁと) 今日もお疲れさまでした」


 夜のおてつだいを終えた子へ笑う。


「おはようございます(はぁと) 今日もがんばりましょう」


 入れ替わりでやってきた朝のおてつだいの子へ笑う。


「おかえりなさい(はぁと)」


「おはようございます(はぁと)」


「おかえりなさい(はぁと)」


「おはようございます(はぁと)」


 夜。


 朝。


 夜。


 朝。


 自分がどちら側なのか、もう分からなかった。


 たぶん門側だった。


 《にこにこ門》の上では、


《にこにこ率 100%》


 が朝日に照らされ、神々しいほど金色に輝いている。


「……まだ百」


 思わず確認した。


 よし。


 ではない。


 昨日から一度も寝ていない。


 なのに数字が下がっていないことへ安心している。


 過労死から何も学んでいないどころか、異世界で新しい依存先を見つけていた。


     *


「おはよう!」


 ポポが木の実パンを抱えてやってきた。


 黄色い毛はふかふか。


 瞳はつやつや。


 昨日も朝から晩まで動き回っていたはずなのに、なぜこんなに元気なのか。


「よく眠れた?」


 わたしは笑顔のまま答えた。


「質問の前提から間違ってる」


「眠らなかったの?」


「眠れなかったの」


「おなじじゃないの?」


「全然違う」


「どう違うの?」


「眠ったあと説明する」


「いつ眠るの?」


「それを私が知りたい」


 ポポは木の実パンを差し出した。


「朝ごはん!」


「ありがとう」


 受け取る。


 かじろうとした。


「おはようございます(はぁと)」


 通勤者が来た。


 反射で笑う。


 門が開く。


 戻る。


 パンへ口を開ける。


「おはようございます(はぁと)」


 次が来た。


 笑う。


 戻る。


 パン。


「おはようございます(はぁと)」


 また来た。


「食べさせて!」


「食べながら、にこにこしていいんだよ」


「口が一個しかないの!」


 ポポは不思議そうだった。


 この世界は、労働者の身体構造に対する理解が甘い。


     *


 ちりん。


 ちりん。


 鈴の音がした。


「なに?」


 森の道から、小さな荷車がやってくる。


 荷台には、金色に輝く丸い木の実が山積みになっていた。


「…………」


 眠気が少し消えた。


 荷車を引いているのは、薄緑色のリスみたいな子だった。


 胸には星形の名札。


《ごほうび係》


 身体より大きなふさふさの尻尾が、右、左、右、左、と小刻みに動いている。


 そろばんみたいだった。


「きのうの分の、ごほうびだよ」


「ごほうび」


 わたしは復唱した。


「うん」


「お金?」


「きらだよ」


「使える?」


「使えるよ」


「お酒買える?」


「買えるよ」


 完全に目が覚めた。


「この世界、お酒あるんですか?」


 ポポが答える。


「夜露と木の実で作った、しゅわしゅわ木の実酒があるよ」


「買います」


「まだいくらもらえるか聞いてないよ」


「買います」


 決定事項だった。


 昨日。


 朝から夜。


 夜から朝。


 にこにこ率百パーセント。


 しかも新人。


 これだけ働いている。


 報われないはずがない。


 前世では、その思考のまま死んだ。


 今度こそ違う。


「《にこにこ係》、基本ごほうび」


 ごほうび係が、金色の木の実を一つ取る。


「二十きら」


 ぽん。


 ぽん。


 ぽん。


 わたしの前へ積まれていく。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 十。


 十五。


 二十。


「わ……」


 朝日に照らされた金色の山。


 可愛い。


 お金なのに可愛い。


「二十」


 思わず両前足を広げる。


 まだ触らない。


 社会人なので。


「それから、《にこにこ率百パーセント》」


 ごほうび係が、さらに二個。


「二きら」


「ボーナス!」


「ぼーなす?」


「なんでもない」


 計二十二。


「夜のおてつだい」


 さらに三個。


「三きら」


「深夜手当!」


「しんや?」


「この世界、そこだけちゃんとしてる!」


 計二十五。


 山になった。


 わたしは耐えられず飛びついた。


「わあ……」


 両前足で抱える。


 金色の木の実が頬へ当たる。


 冷たい。


 硬い。


 きらきら。


「可愛い……」


「お金だよ?」


「だから可愛いの」


 労働が初めて、目に見える形で返ってきた。


「写真撮りたい」


「しゃしん?」


「ないよね。知ってる」


 仕方ないので記憶に焼きつける。


 二十五きら。


「木の実酒っていくら?」


「五きらくらい!」


「二十残る」


「うん!」


「お菓子は?」


「一きらからあるよ」


「買える」


「ふかふか枕は?」


「いっぱいふかふかすると、いっぱいきら!」


「買える!」


 勝った。


 今度こそ勝った。


 異世界生活、いける。


 前世より全然いける。


「夜まで働いた甲斐あったなあ」


 言ってから、少しだけ引っかかった。


 いや。


 夜まで働くどころか、まだ働いている。


 でも三きら増えた。


 増えたなら、まあ。


「…………」


 危険な思考が一瞬通過した。


 疲れているので捕まえられなかった。


     *


「じゃあ」


 ごほうび係が、にっこりした。


「使った分を返してもらうね」


「はい?」


 もう一枚の葉っぱが出てきた。


 丸い文字で、


《ごほうびからのおすそわけ》


 と書いてある。


「かわいい言い方してる」


「かわいいでしょう?」


「内容を聞くまで評価しません」


 ごほうび係の大きな尻尾が、さっきとは逆向きへ、


 しゃっ。


 と動いた。


「《おうちのお世話》」


 金色の山から、一個。


 二個。


 三個。


 木の実が荷車へ戻る。


「八きら」


「八?」


 しゃっ。


 しゃっ。


 しゃっ。


 二十五から八個消えた。


「待って」


「なあに?」


「あの家、もらえたって聞いたんですけど」


「うん。もらえたよ」


「ですよね」


「今日も、もらえるよ」


「今日も?」


「八きら渡すと、今日もおうちがあるよ」


「…………」


 それを前世では賃貸と呼んでいた。


「昨日、『家をあげる』みたいなテンションでしたよね?」


「新しい子に、眠れるおうちをあげるよ」


「毎日八きら?」


「うん」


「それは貸してるんです」


 ごほうび係は笑った。


「でも毎日もらえるよ?」


「毎日支払えばね」


「うん!」


 話が通じている。


 価値観だけが通じていない。


「ちなみに、あの家、鍵ないですよ」


「鍵は別のおてつだいだから」


「別料金?」


「今回は取ってないよ」


「『今回は』って言わないで」


 請求項目の未来が見えた。


     *


「《おなかいっぱい》」


 尻尾が動く。


「六きら」


「ちょっと待って」


 木の実が六個消える。


「昨日の夕ごはんと、今日の朝ごはんだよ」


「朝ごはんまだ食べてない!」


 わたしは木の実パンを掲げた。


 一口も減っていない。


「これから食べられるよ」


「先払いなんですか?」


「昨日の分もあるよ」


「昨日のは後払い!」


「どっちも払えてよかったね」


 強い。


 どちらから攻めても喜びに変換される。


「おはよう!」


 通勤者が来た。


 わたしは反射で向き直る。


「おはようございます(はぁと) 今日もがんばりましょう(はぁと)」


 門が開く。


『にこにこが、じょうずです』


「ありがとうございます(はぁと)」


 振り返る。


 金色の山がものすごく小さくなっていた。


「…………」


 笑顔のまま目だけが死んだ。


     *


「次、《おしゃれのおてつだい》」


「嫌な予感」


「二きら」


 尻尾。


 しゃっ、しゃっ。


 二個消える。


「何のおしゃれ?」


「そのリボン」


 わたしは首元を見る。


 桃色。


 確かに可愛い。


「これ制服ですよね?」


「うん」


「仕事に必要ですよね?」


「うん」


「貸与ですよね?」


「うん」


「なんで私が払うんです?」


「きみが着るから」


「…………」


 完璧だった。


 論理が一本の線で狂っている。


「じゃあ着ません」


「いいよ」


「え」


「《にこにこ係》じゃなくなるけど」


「…………」


「おてつだいがなくなったら、ごほうびもなくなるね」


「…………」


 わたしはリボンを結び直した。


「とても似合っています」


「うん!」


 自己防衛だった。


     *


「《お名前がなくても安心》」


「もう嫌」


「一きら」


「それ何?」


「名札」


「私の名前書いてないんですけど」


 胸を見る。


《にこにこ係》。


 以上。


「名前がなくても、おてつだいが分かるでしょう?」


「むしろ名前を消して役職しか残ってない」


「便利だね」


「ディストピアの説明として百点」


 一個消えた。


     *


「おはよう」


 昨日から何度も見ている茶色い子が来た。


 巨大な荷車。


 両腕はまだ垂れている。


 頭の葉っぱは二枚になっていた。


 一枚増えている。


「増えたね」


「うん」


「治ってる?」


「葉っぱ?」


「腕」


「上がらないよ」


「じゃあ何の葉っぱ?」


「がんばった印」


「治療じゃないんだ」


「かわいいでしょう?」


「かわいい」


 悔しい。


 ちょっと可愛い。


「今日も行ってくるね」


 わたしは笑った。


「はい(はぁと) 腕が上がらなくても今日もがんばりましょう(はぁと)」


 言ってから自分で止まる。


「いや、何言ってるんだ私」


『にこにこが、じょうずです』


 門が褒めた。


「褒めるな」


 でも数字は百。


 ちらっと見た。


「見ない」


 自分へ言った。


     *


「《にこにこ門を、みんなで大切に》」


「いくら?」


「三きら」


「待って」


 しゃっ。


 一個。


「待って」


 しゃっ。


 二個。


「待って!」


 しゃっ。


 三個。


「そこで働いてるんですけど!」


「毎日使ってるでしょう?」


「業務で!」


「いっぱい使うね」


「いっぱい使わせてるのそっち!」


「だから大切にしようね」


 可愛い啓発ポスターみたいな理屈で三きら消えた。


「門の維持費を従業員から取るな」


 門が、


『いつも、ありがとう』


 と言った。


「お前が言うな!」


 門は嬉しそうに金色の粉を撒いた。


 鼻へ入った。


「へくしっ!」


 ころん。


 一回転。


『かわいく、できました』


「今の評価項目どこ!?」


     *


「《はじめましてのお世話》」


「嫌です」


「三きら」


「昨日の案内?」


「うん」


「無料じゃなかったんですか?」


「そのとき、きらを持ってなかったでしょう?」


「…………」


 無料ではなかった。


 請求が、


 待ってくれていただけだった。


「優しいね!」


 ポポが言った。


「どこが!?」


「お金がないのに、おうちに入れてくれた!」


「ローン会社と同じ褒め方してる!」


 金色の山を見る。


 もはや山ではない。


 二個。


 朝日を無駄に豪華に反射していた。


「待って」


 わたしは二個へ前足を置いた。


 右。


 左。


「これは」


 両足で挟む。


「私の」


「うん」


「二きらです」


「うん」


「これ以上は取れません」


「うん」


「分かりました?」


「分かったよ」


 よし。


 交渉成立。


「《みんなへのおすそわけ》。四きら」


「分かってない!」


「みんなへ、ありがとうの気持ちだよ」


「みんなって誰!?」


「みんなだよ」


「誰が受け取るの!?」


「みんな」


「具体名!」


「みんな」


「法人名!」


「みんな」


「振込先!」


「みんな」


 巨大な尻尾が、


 しゃっ。


 一個持っていった。


「あっ!」


 残り一個。


 ころん。


 足元へ転がる。


 わたしは飛びついた。


「これはダメ!」


 四本の短い手足すべてで抱え込む。


 お腹の下へ隠す。


 白い球体が金色の木の実へ覆いかぶさった。


「これは最後の一きらです」


「うん」


「最後なんです」


「うん」


「持っていったらゼロ!」


「うん。あと三きらだよ」


「そういう話してない!」


 説明は完璧に通じている。


 交渉だけ通じない。


「これは私のお金!」


「ごほうびだよ」


「私が働いてもらった!」


「いっぱい働いたね」


「夜も!」


「すごいね」


「百パーセント!」


「とってもじょうず」


 褒めながら取ろうとしてくる。


 怖い。


「絶対渡さない」


 四本の足で踏ん張る。


「私の!」


「あっ」


 ポポが何かを見つけた。


 嫌な予感。


「一個落ちてるよ!」


「落ちてない!」


 ポポがわたしのお腹の下を覗く。


「あるよ」


「守ってるの!」


「ごほうび係さん!」


「呼ばないで!」


 ポポが木の実を引っぱった。


 わたしも引っぱられた。


「離して!」


「みんなにおすそわけだよ」


「私はみんなに含まれないの!?」


「含まれるよ」


「じゃあ私へください!」


「もうもらったでしょう?」


「返させてる!」


 ポポが木の実を持ち上げた。


 しがみついているわたしも一緒に浮く。


「離さない!」


 短い足が空中で、


 ぱたぱたぱたぱた。


 ポポはごほうび係へ持っていく。


「はい」


「はい、じゃない!」


 ごほうび係が木の実を受け取る。


 わたしもついたまま。


「ありがとう」


「返して!」


「ポポ、おてつだいじょうずだね」


「えへへ」


 ポポが照れた。


「褒められてる場合か!」


「よかったね!」


「よくない!」


 善意には逃げ道がない。


 最後の木の実が荷車へ戻った。


 わたしは地面へ、


 ぽと。


 落ちた。


 何もない。


 金色の山があった場所。


 そこへ、ごほうび係の尻尾だけが、


 しゃっ。


 しゃっ。


 あと二回動いた。


「…………」


 嫌な数字だった。


     *


 ごほうび係が、細い枝を二本置いた。


 枝は平行に並んでいる。


「今日のごほうび」


「もうないでしょう」


「マイナス二きらだよ」


「ごほうびがマイナスになるな」


「でも、すごいよ」


「どこが?」


「初めてなのに、二きらだけ!」


「借金を褒めるな」


「最初から二十きらの《おやくそく》を作る子もいるよ」


「二十?」


「うん」


「……私、かなり優秀?」


「とっても!」


「…………」


 胸の奥が、


 ぽっ。


 と温かくなった。


「いや違う」


「なにが?」


「比較対象がおかしい」


「二きらだよ」


「知ってる」


「二十より少ないよ」


「知ってる!」


 でも少ない。


 十八きらも少ない。


「夜まで働いたから三きら増えたし」


「うん!」


「夜勤しなかったらマイナス五?」


「うん!」


「…………」


 一瞬、


《夜まで働いてよかった》


 と思った。


「違う!」


 自分で自分へ叫んだ。


「どうしたの?」


「今すごく危ない納得しかけた!」


 睡眠不足で、判断力まで控除されていた。


     *


「二きらはどうやって払うんですか?」


「これ」


 黒い葉っぱを二枚渡された。


「何?」


 一枚が、


 ぺたり。


 胸の白い毛へ貼りつく。


「わっ」


 剥がそうとする。


 もう一枚が、


 ぺたり。


 頬へついた。


「ちょっと!」


 鏡を見る。


 白い身体。


 桃色のリボン。


 黒い葉っぱ。


「……意外と差し色には」


 言いかけてやめた。


「違う。おしゃれじゃない」


「《明日の自分とのおやくそく》だよ」


「なにそれ」


「明日のごほうびから、二きら返すの」


「借金じゃん」


「借金じゃないよ」


「どう違うの?」


 ごほうび係は、心から不思議そうにした。


「明日の自分との、おやくそくだよ」


「相手が自分なだけで借金」


「でも知らない子から借りてないよ」


「自分から借りてる!」


「だから安心だね」


「一番取り立てから逃げられない相手!」


 黒い葉っぱを剥がす。


 ぺり。


「明日の私が払えなかったら?」


「大丈夫」


 この世界で「大丈夫」と言われるたび、不安が増える。


「払い終わるまで、おてつだいできるよ」


「いやな予感しかしない」


「ずっと働けるよ」


「はい来た」


「働けば、ごほうびがもらえるよ」


「生活費もかかる」


「うん」


「働く」


「うん」


「家代と食費がかかる」


「うん」


「足りない」


「うん」


「また働く」


「うん」


「また生活費がかかる」


「うん!」


「永久機関じゃん!」


「ずっと安心だね!」


 生活は破綻している。


 雇用だけは驚くほど安定していた。


     *


「それから」


 ごほうび係が言った。


「まだあるの!?」


 わたしは反射的に後ずさった。


 短い足なので三歩下がって十二センチだった。


「これは特別」


 何かが取り出される。


 星。


 虹色。


 中央に笑顔の花。


「…………」


 わたしは止まった。


 シールだった。


 ものすごく可愛いシール。


《よくできました》


 虹色の文字。


「…………」


「にこにこ率百パーセントの子だけだよ」


「限定?」


「げんてい?」


「誰でももらえない?」


「百パーセントの子だけ」


「昨日だけ?」


「きのうの分だよ」


「つまり昨日限定?」


「そうだね」


「ください」


 即答した。


「どうぞ」


「ちょっと待って」


 伸ばした前足を止める。


 学習した。


 さすがに学習した。


「いくら?」


「ただだよ」


「本当に?」


「うん」


「家代に含まれてる?」


「ないよ」


「門維持費?」


「ないよ」


「翌月請求?」


「よくげつ?」


「これを貼ることで何か別料金?」


「ないよ」


「退職時返却?」


「もらえるよ」


「所有権は?」


「きみのだよ」


「税金は?」


「ぜい?」


「手数料?」


「ないよ」


「更新料?」


「ないよ」


「シール保護費?」


「ないよ」


「紛失したら?」


「なくなるね」


「正しい!」


 この世界で初めて完全に正しい回答だった。


「ください!」


 受け取る。


 胸の《にこにこ係》へ貼る。


 ぺた。


「…………」


 可愛い。


 思った以上に可愛い。


 虹色の星が、桃色のリボンと白い毛によく合う。


「鏡」


「はい」


 ごほうび係が木の実形の小さな鏡を出した。


 正面。


「……いい」


 右。


「いい」


 左。


「こっちもいい」


 少し下から。


「丸いな」


 でも可愛い。


 鏡を遠ざける。


 近づける。


 いったん伏せる。


 もう一度見る。


「…………」


 限定。


 百パーセント限定。


 昨日のわたしが取った。


「似合ってるよ!」


 ポポが言った。


「そうかな」


 声が半音上がった。


「すっごく!」


「まあ、白に虹色は合うからね」


「かわいい!」


「でしょ?」


 とうとう自分で言った。


 借金二きら。


 睡眠ゼロ。


 勤務継続中。


 なのに、ものすごく機嫌がいい。


「…………」


 ふと鏡の端を見る。


 星形シール。


 その隣。


 黒い葉っぱ。


《明日の自分とのおやくそく》。


 虹色と黒。


「…………」


 少し位置を変えた。


 黒い葉っぱを名札の裏へ隠す。


「見えない」


「なにが?」


「なんでもない」


 見えなければ、ないのとだいたい同じ。


 第2話で身につけた思想を、自分の借金へ適用した。


     *


「そういえば」


 ごほうび係が別の小箱を開けた。


「なに」


「《よくできました》は、色がいくつかあるよ」


 わたしの耳が、


 ぴく。


 と動いた。


「……何色?」


「きょうは虹」


「今日は?」


「七日続けて百パーセントだと、金色」


「…………」


 ポポが嬉しそうに言う。


「前の《にこにこ係》も持ってたよ!」


「金?」


「うん!」


「見た?」


「ぴかぴかだった!」


「…………」


 競争相手は、もう来ない。


 もう来ないのに。


 わたしの中で何かが燃えた。


「別に」


「なあに?」


「欲しくないけど」


「うん」


「確認ね」


「うん」


「七日連続?」


「うん!」


「一日でも九十九になったら?」


「また最初から」


「…………」


「でも、きみならできそう!」


「別にやらないよ」


「うん!」


「シールのために働くとか、そういうタイプじゃないし」


「うん!」


「子どもじゃないから」


「うん!」


「虹色で充分」


「うん!」


「金ってちょっと派手だし」


「うん!」


「むしろ虹のほうが私には似合う」


「うん!」


「…………金色、どのくらい大きい?」


「これくらい!」


 ポポが前足をいっぱいに広げた。


「でか」


「きらきらだよ!」


「…………」


 わたしは胸の虹色シールを見た。


「別に」


 もう一度言った。


 誰にも聞かれていない。


     *


「おはよう」


 朝のおてつだいの列が増えてきた。


「今日もよろしくね」


 昨日の茶色い子。


「はい(はぁと) 今日も――」


 一瞬、言葉が止まる。


 門の上。


《100%》


 胸。


《よくできました》。


 頭の中。


《七日連続で金色》。


「…………」


 笑う。


「今日も元気にがんばりましょう(はぁと)」


「腕、まだ上がらないよ」


「…………」


 にこ。


「無理だけはしないでね(はぁと)」


「うん!」


 門が開く。


『にこにこ、できました』


「よし」


 小さく呟く。


 もう訂正しなかった。


     *


 ポポが木の実パンを差し出す。


「朝ごはん、食べる?」


「食べる」


 一口。


 やっと。


 甘い。


 おいしい。


「おいしい……」


「よかった!」


 もう一口食べようとする。


「おはよう」


 次。


 笑う。


 門。


 戻る。


 パン。


「おはよう」


 次。


 笑う。


 門。


「…………」


 わたしはパンを見た。


 仕事を見る。


 胸のシールを見る。


「ねえポポ」


「なあに?」


「このパン、あとで食べてもいい?」


「うん!」


「食事代、もう引かれてるよね?」


「うん!」


「食べなくても?」


「うん!」


「なら絶対食べる」


 そこだけは強い意志を持った。


     *


 午前の列が伸びていく。


 わたしは笑った。


「おはようございます(はぁと)」


 開く。


「大変だったね(はぁと)」


 開く。


「きっと大丈夫(はぁと)」


 開く。


「今日もがんばって(はぁと)」


 開く。


 昨日より速い。


 昨日より自然。


 昨日より笑顔がうまい。


『にこにこ係、とてもじょうずです』


「ありがとうございます(はぁと)」


 門から金色の粉。


 胸の虹色シールが光る。


 悪くない。


 むしろいい。


 借金はある。


 でも二きら。


 新人としては優秀。


 前任者は金色を持っていた。


 別に関係ない。


「次の方どうぞ(はぁと)」


 森の向こうまで列が続いている。


 わたしは昨日から一度も退勤していない。


 睡眠もしていない。


 それでも胸には、


《よくできました》。


 という証明があった。


 前世で過労死したときには、


 誰もシールをくれなかった。


「……こっちのほうが、ましかも」


 言ってから、


「いや、そんなわけあるか」


 自分で否定した。


 でもシールを見る。


 少し嬉しい。


「最悪」


「どうしたの?」


 ポポが聞いた。


「私、こういうの効くんだよね」


「なにが?」


「キラキラしたゴミみたいな評価」


「シール、宝物だよ?」


「だから効くの」


     *


 黒い葉っぱが一枚、胸の毛から剥がれかけていた。


 風に揺れる。


《明日の自分とのおやくそく》。


「明日ねえ」


 わたしは呟いた。


 昨日も、明日の自分へいろいろ押しつけて死んだ。


 今日も同じことをしている。


 違うのは、


 今度は明日の自分へ、


 借金まで渡したことだった。


「まあ」


 葉っぱを名札の裏へ押し込む。


「明日の私、よろしく」


 その瞬間。


 森の向こうから朝の鐘が鳴った。


 りん。


 りん。


 りん。


 わたしは止まった。


「ポポ」


「なあに?」


「今、朝の鐘?」


「うん!」


「昨日も聞いた」


「毎日鳴るよ!」


「私、昨日の朝からここにいる」


「うん!」


「昨日の昼」


「いたね!」


「昨日の夜」


「いたね!」


「今日の朝」


「いるね!」


「…………」


 初勤務。


 二日目。


 退勤。


 なし。


 睡眠。


 なし。


 借金。


 二きら。


 評価。


 百パーセント。


 限定シール。


 一枚。


「…………」


 胸元を見る。


 虹色の星が朝日を受けてきらきらした。


 可愛い。


 悔しいくらい可愛い。


「おはようございます」


 最初の朝勤の子がやってくる。


 わたしは笑顔を作った。


「おはようございます(はぁと)」


 花の門が、


 ぱあっ。


 と開いた。


「今日も笑ってがんばりましょう(はぁと)」


『にこにこ、できました』


 門の上。


《100%》。


 胸。


《よくできました》。


 名札の裏。


《明日の自分とのおやくそく》。


 前世には、


《借金で首が回らない》


 という言葉があった。


 今のわたしには、


 そもそも首が見当たらなかった。


 明日は、もう来ていた。


 そして。


 金色のシールまで、


 あと六日だった。

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