第4話 六歳の作戦図
カイルが木板に描いた溝は、倉庫の裏から始まり、建物を避けて東の草地まで続いていた。
朝の光が差す中、ガレスは地面に置かれた木板をのぞき込んでいる。隣にはエレナと、村で家や荷車を直している大工のマルクもいた。
白髪交じりのマルクは、図と崩れた倉庫を何度も見比べた。
「倉庫を建てる話じゃなかったのか?」
「先に溝を掘らないと、また斜面の水が倉庫へ流れ込むよ」
カイルは木板の端を指でなぞった。
「倉庫の後ろで水を受けて、家のない草地まで流すんだ」
マルクは立ち上がり、斜面へ目を向けた。雨に削られた土には、細い流れの跡が何本も残っている。そのどれもが倉庫のあった場所へ集まっていた。
「水を横へ逃がすのは分かる。だが、溝が平らなら水は溜まる。傾けすぎれば、今度は土が削られるぞ」
「だから、少しずつ低くするよ」
「その少しを、どうやって揃える?」
マルクの問いに、カイルは資材置き場を見た。
「同じ長さの棒を二本と、横に渡す短い棒がほしい。あとは糸と、小さな石」
マルクは眉を上げたが、ガレスが先に動いた。
「作ってみてくれよ。役に立たなきゃ、その時に笑えばいい」
「団長は簡単に言うな。俺は朝飯の途中で呼ばれたんだぞ」
「終わったら食い直せ。俺が奢る」
「共同厨房で何を奢る気だ」
文句を言いながらも、マルクは使えそうな棒を選び始めた。
二本の脚を上で組み、真ん中へ横木を渡す。脚の頂点から糸を垂らし、その先へ小石を結ぶと、三角の木枠ができた。
カイルには棒を切る力も、固く縄を締める力もない。どの長さに揃えるかを伝え、組み上げる作業はマルクに任せた。
「これで何が分かるんだ?」
ガレスが木枠を持ち上げる。
「二本の脚を置いた場所が、同じ高さかどうか。まず地面へ立ててみて」
マルクが木枠を地面へ立てた。小石を結んだ糸は、横木の中央より少し右へ寄っている。
カイルは糸が横木を横切る位置に、炭で印をつけた。
「今度は、脚を左右で入れ替えて」
木枠の向きを逆にすると、糸は先ほどの印から反対側へずれた。カイルは新しい位置にも印をつけ、その二つの間へ、もう一本の線を引いた。
「真ん中の線に糸が重なれば、両方の脚は同じ高さだよ」
マルクは黙って木枠を持ち、片方の脚の下へ薄い板を差し込んだ。糸が中央の線へ近づいていく。
「なるほどな。地面が平らかどうか、こいつで確かめるのか」
「溝を掘る時は、前の脚に同じ厚さの木片を置くんだ。糸が真ん中に来る場所を順番に探せば、木片の厚さだけ少しずつ低くなるよ」
マルクは木片を取り、厚みを指で確かめた。
「この幅で一度ずつ下げるなら、急すぎはしない。草地まで水も止まらず流れるだろう」
ガレスが木枠を横からのぞいた。
「棒と糸で、そこまで分かるのか」
「掘ってから水が流れないと分かるより、ずっとましだよ」
カイルが答えると、マルクが声を上げて笑った。
「違いない。団長、こいつを借りるぞ。溝だけじゃなく、家の土台を見る時にも使える」
ガレスは息子の頭を撫でようと手を伸ばしたが、カイルは一歩下がって避けた。
「まだ倉庫の話が残ってるよ」
「分かった、分かった。今度は何を変えるんだ?」
カイルは崩れた倉庫へ歩み寄った。
戸口側の柱は、地面に埋めた部分から折れている。土を払い落とすと、黒く変色した木が現れた。屋根を支えるほどの太さは残っていない。
「柱を土へ埋めたままにしない。大きな石の上に載せたい」
「石の上へ載せただけじゃ、柱がずれるぞ」
マルクがすぐに返した。
「石の真ん中を少しくぼませて、柱の下も合わせて削る。横から梁でつなげば動かねえ。井戸小屋と同じやり方だ」
カイルはうなずいた。
「床も地面から離したい。昨日みたいに水が入っても、麦袋まで届きにくくなるから」
「前の倉庫で作った台を、今度は床ごと上げるのね」
エレナが倉庫の木材を確かめながら言った。
「うん。壁のすぐそばには袋を置かない。屋根も前より外まで出して、壁へ雨が当たりにくくしたい」
「中へ風を通す穴も要るな。壁の下へ開けると雨と鼠が入るから、軒の下だ」
マルクは木板を受け取り、カイルの図へ柱の位置を書き足した。
マルクは図面の戸口脇を炭で叩いた。
「戸口の横にも、柱がもう一本いる。この梁一本で屋根を支えるのは無理だ。戸口も少し狭くするぞ」
「麦袋を持って通れる?」
「大人が一袋担いでも、ぶつからない幅は残す」
カイルはマルクが加えた線を見て、頭の中に新しい倉庫を組み上げた。中央の柱が一本増えても、袋を運ぶ通路は確保できる。
「うん。袋を運ぶ通路が残るなら大丈夫だよ」
「六歳に仕事を認められる日が来るとはな」
マルクは呆れた顔をしながらも、口元は笑っていた。
エレナは図面より先に、周囲へ積まれた麦袋を見た。
「倉庫ができるまで、この袋を家と厨房へ分けて置くしかないわ。雨を避けられる場所にも限りがあるでしょう」
「何日かかる?」
ガレスが尋ねる。
マルクは崩れた材木を一本ずつ見て回った。斧の背で叩き、音が鈍い木は脇へ分けていく。
「溝は六人いれば一日。倉庫は使える木を選んでも、十日は欲しい。柱の下へ置く石は、井戸を直した石工にも頼む」
「分かった。溝掘りは団の連中から出す。倉庫が建つまで、俺たちの集会所も麦置き場に使え」
「あなたたちは、どこで飲むの?」
エレナが聞くと、ガレスは一瞬だけ黙った。
「共同厨房の隅を借りる」
「ベルタに追い出されるでしょうね」
「麦を雨に濡らすよりはましだ」
今度はエレナも小さく笑った。
ガレスはすぐに団員を集めた。何人かは六歳児の図を見て首をかしげていたが、団長本人が先頭で鍬を持つと、文句を言いながら斜面へ並んだ。
カイルは掘る場所へ短い杭を立てていく。木枠で高さを測るのはマルク、杭の間へ縄を張るのは団員たちだ。
最初の杭から次の杭へ移るたび、前側の脚へ同じ木片を挟む。糸が中央の印へ重なった場所へ、次の杭を打つ。草地まで同じ作業を繰り返すと、緩やかに下る一本の線が斜面へ現れた。
鍬を持った団員が、荷車道を横切って草地へ抜ける近道を指した。
「荷車道を横切って、草地までまっすぐ掘った方が早くないか?」
「荷車道へ水を流したら、雨の日に道が泥だらけになるよ。荷車の車輪が沈んで、村へ入れなくなる」
「だから遠回りさせるのか」
「うん。家と道のない方へ流したい」
団員は荷車道と杭の列を見比べ、黙って元の場所へ鍬を入れた。
昼を過ぎる頃には、倉庫の裏から草地へ続く溝ができた。
マルクは上流側へ水桶を運ばせ、中身を一気に流した。濁った水が溝を進み、途中で溜まることなく草地へ抜けていく。
団員たちから声が上がった。
「本当に流れたぞ!」
「当たり前だろ。朝から何を測ってたと思ってる」
マルクが言い返したが、誰よりも満足そうに溝を見ている。
ガレスは空になった桶を置くと、カイルの隣へしゃがんだ。昨日、梁を持ち上げた腕には、細かな擦り傷がいくつも残っていた。
「これで、昨日みたいにはならねえか?」
「雨がもっと強ければ、溝から水があふれるかもしれないよ。雨の後に土が崩れてないかも見た方がいい」
「絶対に大丈夫とは言わねえんだな」
「分からないのに大丈夫って言ったら、また父さんが中へ入ることになるから」
ガレスの顔から笑みが消えた。
カイルは溝へ目を向けた。昨日、父の背中が暗い倉庫へ消えた時の息苦しさが、まだ胸に残っている。
溝は一度掘って終わりではない。雨のたびに確かめ、土が詰まれば取り除く。前世でも、使い始めてから見つかる問題はいくらでもあった。
ガレスは傷の残る手で、今度こそカイルの頭を撫でた。
「分かった。雨が上がったら、俺が最初に見に来る」
「団長が忘れた時のために、倉庫番にも頼んでおくわ」
いつの間にか、エレナが背後に立っていた。
「信用がないな」
「お酒を飲んだ翌朝だけよ」
「だいたい毎回じゃねえか」
ガレスが自分で言い、近くの団員たちが笑った。
◇
新しい倉庫が建つまで、十一日かかった。
柱は地面へ直接埋めず、石の土台へ載せた。床板の下には風が通る隙間があり、壁際には袋を積まない。入口と反対側にも小さな戸を作り、古い麦を運び出す時に使えるようにした。
使える材木は古い倉庫から外し、腐っていた柱と割れた梁だけを新しい木へ替えた。軒を伸ばした分、雨も壁へ当たりにくくなっている。
最初の麦袋が運び込まれると、エレナは一つずつ木札を確かめた。先に使う袋は奥へ埋めず、小さな戸の近くへ積ませる。
マルクは柱を叩き、戸の開き具合を確かめてから、ようやく道具を片づけた。
「今度の大雨で答えが出るな」
「縁起でもないことを言うなよ」
ガレスが顔をしかめると、資材置き場から子どもの声が響いた。
「カイル! これ、どこへ持ってくんだ!」
振り向くと、カイルと同じ六歳の少年が、切り落とした太い梁の端を両手で抱えていた。
古参槍兵ボルグの息子、ガルドだ。大人でも片側を持ち上げるのがやっとの梁を、顔を真っ赤にしながら一人で引きずっている。
「待て、ガルド! 足の上へ落とすぞ!」
ガレスが駆け寄るより先に、ガルドは梁を資材置き場の端まで運び、音を立てて地面へ下ろした。
荒い息を吐きながら、得意そうに胸を張る。
「俺も手伝ったぞ。だから今度は、俺と勝負しろ!」
倉庫を建てる間、何度断っても、ガルドは毎日同じことを言いに来た。
カイルは泥のついた梁と、ガルドの手を見た。大人でも片側を持ち上げるのがやっとの梁を運んだのに、指は震えていない。
「分かった。明日の朝、稽古場でやろう」
ガルドの顔が一気に明るくなった。
「絶対だぞ!」
走り去る背中を見送りながら、カイルは明日の稽古で確かめることを決めた。
ガルドの怪力を、本人がどこまで扱えているのか。




