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夢の子  作者: 真好


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9/27

9

 翌朝。


 幻は登校のためにいつもの電車に揺られていた。


 満員電車の中で手すりを掴み、スマホで英単語の暗記に励んでいると、不意に誰かの視線を感じた。無視しようとしたが、耐えきれずそちらへ目を向けた。


 一人の男子生徒が、幻をじっと横目で観察していた。


 彼と目が合うと、相手はすぐに視線を逸らした。幻は不審に思い、彼を凝視した。


 自分と同じ制服を着ており、校章の色から同じ学年であることがわかる。見覚えのない顔だったが、不思議なことに、どこか懐かしいような奇妙な感覚を覚えた。


 幻は訝しみながらも再びスマホに目を戻し、英単語の暗記を再開した。




 その彼と、朝のホームルームで再会することになった。


 担任が、今日は転校生を紹介すると言って、彼を教室へと招き入れた。そして彼に自己紹介を促した。


「石原、奏汰です」


 奏汰は教壇の前に立ち、幻の方を真っ直ぐに見据えて言った。


「よろしくお願いします」


 偶然にも幻の隣の席が空いており、奏汰はそこに座ることになった。


 彼は席に着くなり、幻に話しかけてきた。


「さっき、電車で見かけたよね」


「……ああ」


 幻は得体の知れない居心地の悪さを感じながら答えた。


「転校生だったんだな」


「うん。……まあ、正確には少し違うんだけど」


「……え?」


「あ、いや。何でもない。とにかく、よろしく」


「……」


 幻は怪訝そうに眉をひそめた。彼の瞳の奥に、一瞬だけ鋭い光……あるいは敵意のようなものが宿ったように見えたからだ。


 だが、あからさまに無視するわけにもいかず、幻は渋々と言葉を返した。


「……よろしく」




 昼休み、昼食を終えた幻は、奏汰を連れて校舎を歩いた。


 担任の教師が、隣の席のよしみで転校生の案内役を幻に押しつけたからだ。


 二人はしばらく、無言のまま歩き続けた。幻が校内の施設を事務的に説明する時を除けば、会話らしい会話は一つもない。幻はこれ以上関わりたくなくて、自然と歩幅を速めていた。


 気まずい沈黙が五分ほど続いた後、不意に奏汰が口を開いた。


「実は俺、全部知ってるんだ」


「何を?」


「この学校のことだよ」


 奏汰は校舎を見渡すふりをしながら言った。


「俺も、ここの生徒なんだ」


「……そう、だろうね」幻は頬をかいた。「今日からここの生徒になったからね」


「違うよ」奏汰は首を振った。「一年生の時からずっと通ってる。『現実』ではね」


「……現実?」


 冗談かと思ったが、奏汰の表情はあまりに真剣だった。


 幻が黙り込むと、奏汰は畳みかけるように言った。


「単刀直入に言う。実は君がいるここは、夢の世界なんだ」


「……」


 こいつはやばい奴だ、と幻は確信した。


 案内を任せてきた担任を心の中で呪いながら、幻は引きつった笑顔を浮かべた。


「そうか。……じゃあ、それは誰の夢なの?」


 皮肉を込めて尋ねると、奏汰は幻をちらりと見やり、逆に問い返してきた。


「今、俺のことをやばい奴だと思っただろ」


「……まあ、うん」


 率直に認めると、奏汰はくすっと笑って頷いた。


「無理もないか。君はここで十七年間も暮らしてきたんだからね。この、あまりに精巧で緻密な『夢』の中で」


「じゃあ、もう戻ろう」


 これ以上付き合っていられず、幻は踵を返した。こんな変な転校生に構っている暇はない。早々に教室へ戻って、先生に席替えの相談をしようと考えていた時、背後から一言、言葉が飛んできた。


「紬」


 幻の足が止まった。彼はゆっくりと振り返った。


「……は? 今、なんて言った?」


「さっき、誰の夢かって聞いただろ?」奏汰は言った。「紬だよ。君の母の夢なんだ、ここは」


 その瞬間、幻の中での奏汰に対する印象が「やばい奴」から「危険な奴」へと格上げされた。


 幻は再び奏汰の前に歩み寄った。胸ぐらを掴みたい衝動を必死に抑え、低い声で問い詰める。


「お前、何者だよ。どうして母さんの名前を知ってる?」


「俺は紬の彼氏だ」奏汰は言った。「あ、もちろんここじゃなくて、現実での話。説明すると長くなるけど……とりあえず『ここ』では、俺が君の父親ってことになる」


 幻はぞくっとした。


 これはお母さんのストーカーだ。


 それも、かなり重症の部類。懐に凶器でも隠し持っているのではないかと想像し、背筋に冷たいものが走った。


 幻は態度を一変させ、努めて落ち着いた口調で言った。


「……分かった。信じるよ。じゃあ、ちょっと母さんに電話して確認してもいいか?」


 幻はスマホを取り出し、番号をプッシュした。母にかけるのは嘘だ。そのまま警察に通報するつもりだった。


 だが、即座に手を遮られた。


「それはダメだ」奏汰が言った。「頼むから、紬には内緒にしてくれ。今、紬は俺の存在をこの夢から徹底的に排除しようとしている。何度も試行錯誤を繰り返して、ようやくバレずに入り込めたんだ。いつ見つかって追放されるか分からないんだよ」


「……」


 幻は少しだけ躊躇した。奏汰の表情があまりに切実に見えたからだ。


 もちろん、こいつの頭がおかしいという判断は変わらない。だが、不思議と悪人には見えなかった。それに、どれほど荒唐無稽な話だろうと、ただ聞き流すだけではこの男から逃げられない予感がした。


 幻は警戒を解かずに尋ねた。


「つまりあんたが言いたいのは、この世界が、誰かの夢の中で作られた幻だってこと?」


「そうだよ」


「いいよ、仮にそうだとしておこう。じゃあ、それを僕に教える理由は何なんだ?」


「紬を目覚めさせるため」


 奏汰は説明した。


「言っただろ、ここは紬が見ている夢の世界だ。夢を見るためには眠っていなきゃいけない。つまり紬は、現実ではずっと眠ったままで、外からはどうしても起こせない状態になってる。……まるで、眠り姫みたいに」


「ずっと眠ったまま? ……意識不明ってことか?」


「ああ。昏睡状態で、今は病室で酸素吸入器をつけてる」


 幻は聞いた話を整理した。狂人の話を真剣に検討するなど馬鹿げていると思ったが、昼休みの時間はまだ余っている。少しばかり興味も湧いてきたので、幻は一応付き合ってやることにした。


「つまり」幻は言った。「今のこの世界は母さんが見ている夢で、僕が毎日見ている母さんは本人じゃなくて、幻影だってこと?」


「そう」


「……つまり、今俺の周りにあるものすべてが、母さんの作り出した空想に過ぎないってことか」


「そうだ」


「じゃあ、俺も?」幻は自分の顔を指さした。「俺も母さんが作り出した偽物なのか?」


「……」


 奏汰は、重々しく頷いた。


 どこか申し訳なさそうな彼の表情を見て、幻は鼻で笑い飛ばしてやりたい衝動に駆られたが、かろうじて踏みとどまって会話を続けた。


「じゃあさ、ここが夢の世界だって納得させる証拠はあるの? あるなら見せてくれよ。それなら信じる準備くらいはしてやるから」


「証拠か……」


 奏汰は顔を上げた。そして眩しそうに目を細め、しばらく空を仰いでから、再び幻へと視線を戻した。


「――多すぎる」


 奏汰は言った。


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