10
「どんなに優れた想像力で精巧に再現したつもりでも、結局はまだ十七歳の未熟な頭が作り出した世界だからね。欠陥だらけなのも無理はない」
「だから、その欠陥ってやつを提示してくれよ。口先だけじゃなくてさ」
「君も毎日目にしているはずだよ。例えば、紬の姿とか」
「……は? 母さんの姿がどうしたっていうんだ」
奏汰は少し間を置いた。言うべきかどうか迷っているようだったが、やがて幻に問いかけた。
「彼女、今年でいくつだ?」
幻は頭の中で計算してから答えた。
「四十一だけど」
「四十一か。それなら、君を二十五歳くらいのときに産んだ設定なんだな……」
奏汰は独り言のように呟くと、続けて訊いてきた。
「君は本当に、紬がその年齢に見えるのか? 四十一歳にしては、あまりにも若すぎないか?」
「ああ、その話か……」幻は肩をすくめた。「まあ、母さんはかなりの童顔だよ。一緒に歩いていると、時々高校生カップルじゃないかって誤解されるくらいだから」
「無理もない。紬は実際に高校生なんだから」
「……」
「紬は童顔なんかじゃない。本当に十七歳の女子高生なんだ。現実の紬の姿が、夢にもそのまま反映されているだけ。なんで外見を夢の設定に合わせなかったのかは俺も分からない。老いた自分の姿を想像するのが難しかったのか……あるいは、単純に具現化したくなかったのか……」
幻は、無意識に眉間に皺を寄せていた自分に気づき、慌てて表情を緩めた。だが、揺らぎ始めた動揺を抑えることはできなかった。
――確かにおかしい。
改めて考えれば、紬は非現実的なほど若かった。
それをなぜ今まで不自然に思わなかったのか、今さらながら不思議でならなかった。
「でも……」それでも幻は反論を試みた。「だとしたら、なんで周りの人間は疑問を持たないんだ? 俺だけじゃない。今まで母さんの若さを深刻に指摘した人なんて、一人も……」
そこで言葉が詰まった。
その理由を、奏汰が代弁する。
「そりゃあ、夢だからだよ。夢の中では、たいていの不都合はスルーされる。現実ではあり得ない歪んだ状況でも、『夢の中の論理』に沿って、自然に受け入れてしまうだろ?」
幻はゆっくりと、何度も首を横に振った。
「こんな馬鹿げた話に真面目に反論したくはないけど……」
幻は言った。
「分かった。百歩譲って、お前の言うことが本当だとしよう。ここが母さんの夢の世界だとする。じゃあ、母さんはなんでこの世界を自分の思い通りにしないんだ?」
「……どういう意味だ?」
「母さんは、週末も休まずに毎日働いてる。掛け持ちまでしてさ。表には出さないけど、かなり疲れてるんだ。もし本当に思い通りになる夢なら、お金なんてわざわざ稼がずに作ればいいじゃないか。何もかも好き勝手に操って、神様みたいに楽しく暮らせばいいだろうがよ」
「紬はね、」奏汰は静かに答えた。「本人も、ここが夢の中だとは気づいていないんだ。自分の記憶や意識さえも操作してしまったから。この夢を、『現実』として認識するために」
「なんでわざわざそんなことを……」
「俺にも分からない。ただの推測だけど、たぶん君に『普通の』母親として接してあげたかったんじゃないかな。何でもできる創造主みたいな存在じゃ、リアリティがないだろ? 下手したら、君に夢だと見破られてしまうかもしれないし」
「見破られるわけないだろ。創造主なら、俺の意識なんて簡単に操作できるはずじゃん」
「それが……」
奏汰は言葉を切り、少し間を置いた。彼の瞳に、鋭い光が一瞬だけ宿った気がした。
「不思議なことに、君だけには干渉できなかったんだ。たった一人、君だけが例外だった」
「干渉できなかった……? どういう意味だよ」
「紬が夢の中のすべてを意のままに操れても、君にだけはそれが通用しなかった。もしそれができていたら、君はそもそも生まれることさえ――」
奏汰は突然言葉を止め、視線を窓の外へと走らせた。その視線の先、学校の正門に数台のパトカーが滑り込んでくるのが見えた。
「まずいな」奏汰が忌々しげに呟いた。「もう嗅ぎつけられたか」
「……お前を捕まえに来たのか?」
「ああ。そろそろ行かないと」
幻はパトカーから降りてくる警官たちを見て、咄嗟に奏汰の手首を掴んだ。
「やっぱり犯罪者だったんだな! いつから母さんをストーキングしてたんだ!」
「違うって! 全部説明しただろ!」
奏汰は腕を振りほどこうとしたが、幻は力を込めて離さなかった。それでも、本気を出せば振り切れるはずなのに、奏汰はふと腕の力を抜いた。そして、逆に手首を掴んでいる幻の手の甲に、自分のもう片方の手を重ねた。
「頼む」
奏汰は言った。
「この世界で紬の心を変えられる存在がいるとしたら、それは君だけなんだ」
「またその話かよ」幻は露骨に嫌悪感を示した。「もうあんたの妄想は聞き飽きた」
「妄想じゃない! 信じてくれ。今の状況を変えられるのは――」
「じゃあ、あんたがやればいいじゃん!」
幻は思わず怒鳴りつけた。自分でも驚くほどの激昂だったが、抑える気にはなれなかった。
幻は握っていた奏汰の手首を投げ出すように放して言った。
「そんなに母さんのことをよく知ってるなら、職場だって知ってるだろ? 俺に言わないで、あんたが直接会って説得しろよ。邪魔はしないから」
「俺じゃダメなんだって言ってるだろ」
奏汰は校門の方に視線を固定したまま言った。見れば、騒ぎを聞きつけた警官が三人がかりでこちらに近づいてきている。そして幻は絶句した。
三人とも、その手に拳銃を握っていた。
「あの人たちが見えるか?」
奏汰は緊迫した口調で言った。
「俺を捕まえに来たんじゃない。殺しに来たんだ。夢の中で死ねば、強制的に意識を弾き出されるからな。遠く離れていてもこのありさまだ。もし俺が紬に近づいたらどうなると思う? 自衛隊が出動するかもしれない」
「……っ」
「目立った瞬間に俺は消される。でも、君は違う。紬は、君だけは消せないんだ。消せないだけじゃない、消そうともしない。なぜなら、この夢は君一人のために作られ、維持されているから。だから――」
突如、校庭に銃声が轟いた。
幻は反射的に身をかがめた。間髪入れず、数発の銃声が続く。弾丸が幻の髪を掠めて背後の石像を砕き、飛び散った破片が幻の頬を打った。
悲鳴があちこちで上がり、校庭はパニックに陥る。
警官たちは幻の、正確にはその隣にいる奏汰に向かって、無差別に引き金を引き始めた。
逸れた弾丸が教室のガラスを砕き、アスファルトを打って火花を散らす。
幻は両手で頭を抱え、必死に体を丸めた。
極度の恐怖で思考が麻痺する中、奏汰が幻の手を引いて太い木の影に隠してくれた。
彼は何かを伝えようと口を開いたが、銃撃が激しすぎて断念した。
奏汰は幻の側を離れ、警官たちの反対方向へと駆け出した。校舎の角を曲がり、その姿を消す。
すぐに警官たちが、幻が隠れている木の裏へ回り込んできた。彼らは幻を一瞥し、奏汰がいないことを確認すると、すぐに散り散りになって追いかけていった。
その後も断続的に銃声が聞こえてきたが、音は徐々に遠ざかっていった。
そして昼休みが終わる頃には、まるで何事もなかったかのように、学校には元の静寂が戻っていた。




