第50話 嗚呼、聖女様
丸三日、眠り続けていたヴィルヘルムは、ようやく目を覚ました。
まだはっきりとしない意識の中で、彼の耳に鈴を鳴らすような女性の声が響いてくる。
「そうですか。それじゃ、明日にでもご帰還なされるんですね? ──はい! こちらは特に、変わりはありません! 戦勝祝いの準備をして待っていますね!」
星形のイヤリングに触れながら、独り言を喋っている少女に視線を向けたヴィルヘルム。彼は、言い終わるタイミングを見計らっていた。
「ここは何処だ? 君が私の事を介抱してくれていたのか?」
「あっ! ヴィルヘルムさん、ようやく意識を取り戻したんですね! 良かったー。このままずっと、目を覚まさないのかと思いましたよ」
「何故君は、私の名を知っているのだ? ここはアメリア領の何処なのか?」
「あっ、やっぱりアメリア王国の王様で間違いなかったんですね? ディール様の言ってたとおりでした」
先程から全く会話が噛み合わない事に多少苛立ちを覚えつつも、何故かこの少女の事が憎めないヴィルヘルム。
少々、変わった性格の持ち主だ。そう思いつつも、彼は気を取り直してもう一度同じ質問を繰り返す。
「私の質問に答える気はないのかな? ここは何処で、何故私の名を知っているのか訊ねているのだが。それと、ディールというのは一体誰の事なんだい?」
「うふふ! 王様だって言うからもっとなんか、偉そうな感じの人なのかと思っていましたけど。ヴィルヘルムさんって案外、優しそうな感じの人なんですね?」
更に質問には答えようとせず、そう言って微笑む少女に呆れてものも言えなくなるヴィルヘルム。
そんな彼の呆れた様子にようやく気がついたアルは、慌てて質問に答え始める。
「あっ、ごめんなさい! ここは何処で、どうしてヴィルヘルムさんの事を知っているかですよね? ここはグリーラッド領のゴッドディルという町で、あなたの事はディール様から聞いて名前を知りました」
「それで、そのディールとは?」
「ディール様は、このグリーラッド領の領主様ですね」
「なるほどそうか……で、何故私は、ここに居るのだ? 戦に負け、君たちの兵に捕えられたという事なのか?」
「何も覚えてないのですね? ヴィルヘルムさん転移陣に入ったみたいで、それでディール様の部屋に血塗れの状態で倒れていたんですよ?」
その説明を受け、ヴィルヘルムはおぼろ気に記憶にあるあの魔法陣が夢ではなかった事を認識する。
しかし何故、敵国の領主であるディールという人物が、自分をアメリア王国の国王だと知る事ができたのか。彼は、当然その事を疑問に思った。
「その事については、夢なのだと思っていたが。どうやらそうでは無かったようだな。しかし、何故私がアメリア王国の王ヴィルヘルムだとわかったのだ?」
「それについては、明日ディール様がご帰還なさいますから、その時にでも説明を受けてください! 私もまだ、詳しい話は聞いてないんですよね~」
「そうか……私の処遇をどうするつもりなのかは知らんが、取り敢えず介抱してくれていた事に関しては礼を言っておこう」
「いいえ、死にそうになっている人を放っておくなんてできないですからね。それについては気にしないでください! とにかく先ずは、体力を回復しないとですね! 今お食事の準備をしますので、ちょっと待っていてくださいね」
そう笑顔で言うなり部屋を出ていく可憐な少女。そんな彼女の後ろ姿に、ヴィルヘルムはすっかり見惚れていた。
彼は、ディールという人物が、自分の処遇についてどう考えているのか当然不安に思うが。その少女の屈託のない笑顔に、何故か安心感を覚えるのだった。
しばらくして食事を部屋に運んでくる少女。まだ名前も聞いてなかった事に気づいたヴィルヘルムは、改めて彼女に名を訊ねる。
「君の名は、何というのだ?」
「あっ、私はアルテミスと言います。私の事は、アルって呼んでくれても構いません!」
「アルテミスか。美しい名だ」
ヴィルヘルムから美しい名だと褒められ、赤面するアル。
村での生活に於いて常に苛められていた彼女は、当然自分の名を褒められた事など一度もなかった。
アルは、目の前の人物から言われた事をきっかけに思いを巡らせる。
愛する旦那様からは、一体どう思われているのか。
考えてみたら、殆んど押し掛け女房みたいなものだった。
しかし彼は、そんな自分を自然に受け入れてくれている。
とはいえ、彼が自分に対してどう評価しているのか。今まで気にもとめなかったが、改めて思えば気になって仕方がない。
ただ名を褒めただけにも関わらず、急にぼんやりとする少女に対して怪訝な顔を向けるヴィルヘルム。
堪らず彼は「どうしたのだ? 急にぼんやりとして」とアルに対して声をかける。
「あっ、すみません……ちょっといろいろ考えてたら、ボーッとしちゃってました」
再び笑顔でそう返事をするアルに、ヴィルヘルムは不覚にも心を奪われてしまった。
自分のかけた言葉に、彼女はそんなに喜んでくれたのだろうか?
それにしても、こんなにも神々しい笑顔を見たのは初めてだ。
まるで彼女は、聖女のようではないか。
そう思いながら、目の前の少女に見惚れるヴィルヘルム。
何故か目の前にいる他国の王様にじっと見つめられ、アルは気恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。そんな状況に堪らず、彼女はお得意の天然ぶりを発揮して言う。
「あっ、私こう見えても人妻ですからね! 口説こうとしてもダメですよ~。って言っても私みたいな小娘に、そんな気なんて当然あるわけないですよね~」
実は少し、そんな気が有った。とは口が裂けても言えないヴィルヘルム。複雑な思いを抱えた彼は、言葉を詰まらせてしまいただ苦笑いするしかなかった。




