9、空読み姫は、嵐の夜に丸くなる
私は空読み姫なので、天気の予測ができる。この大嵐が明け方にはいなくなることも、この後しばらく雷雨になることも知っている。
そう、雷雨。雷が鳴るのだ。いかに天候を知るのが仕事といっても、苦手なものは苦手なのだ。ということで、私は雷が怖い。ものすごく、怖い。
初めての天気予測が嵐で、頭の中にまばゆい光と轟音が鳴り響いてから雷が怖くなってしまった。それが姉様たちにバレて『空読み姫が雷を怖がるなんて恥ずかしいわよ』と言われて雷雨の日に真っ暗な部屋に閉じ込められて以来、最も怖くて嫌いなものになった。
ピカッ
ほら、鎧戸の隙間が光った! 次にゴロゴローッって爆音が来るのよ!
ソファの上で掛け布に包まって耳を塞ぐ。いつも雷が聞こえる時はこうしてベッドの上で通り過ぎるまで耐える。これは絶対にエリアスに知られてはいけない。空読み姫の欠陥品だなんて思われたら解雇されてしまう。
離婚はしたいけど、エリアスと一緒に仕事ができなくなってしまうから、解雇は嫌。だから、隠し通さないといけない。
ベッドで寝ているエリアスに聞こえないよう息をひそめて、できる限り雷の音が聞こえないように耳に当てている手に力をこめる。
雷雨、早く、早く通り過ぎて!
「……リ、……テリ、ラヴェンテリ! どうしたの、大丈夫?」
急に身体を揺すぶられてハッと顔を上げると、暗闇に慣れた目にエリアスらしき影が映った。
ピカッ ドーーンッ
同時に真上に雷が落ちて、条件反射で布をかぶって蹲ってしまった。
どうしよう、絶対エリアスにバレた。どうにか言い訳しなくちゃ。
「あの、エリアス、これはね、」
「雷が怖いのなら早く言ってくれたらよかったのに。結婚してからずっと黙っていたなんて」
エリアスの呆れたような声に心臓がきゅっと縮んだ。
ああ、怒られる。最悪の場合、天気予報を生業にしているくせに雷を怖がる情けない空読み姫として即解雇だ。
解雇の恐怖が雷への恐怖を超えたのか、私の身体はソファから飛び起き、エリアスの前に膝をついた。
「黙っていてごめんなさい! お願い、解雇しないで!」
「ええ? 君を解雇なんてするわけないでしょ。大体、僕は離婚しないって言ってるんだから解雇なんてありえないよ、安心して。ほら、おいで」
同じように板の床に座り込んだエリアスが、私の両手をとってくっと引き寄せた。
ぽすん、と温かい何かに包まれ、自分がどういう体勢か理解した途端、足先から頭のてっぺんまで熱が走った。
一体どうして私は暗闇でエリアスに抱きしめられてるの!?
「こうしてれば雷なんて気にならないと思うよ」
確かに! いえ、その前に心臓が爆発しそうだわ! ……だけど、ひとりで雷に震えているより、とても安心する。
はっ、そうだわ、口止めしておかないと。まわりまわって姉様たちにバレたら『まだ克服してなかったの!?』と怒られて連れ戻されてしまうかもしれない。
「あの、エリアス。他の人には内緒にしてほしいの」
「もちろん。僕と君だけの秘密にしようね」
思ったよりあっさり受け入れてもらえて、全身から力が抜けた。同時に早朝に領主館を出て街で歌った疲労がどっと押し寄せてきて、瞼が開けられなくなった。
■■
「…………あれ? ラヴェンテリ、寝ちゃったの? これからいいところだったのに、君は本当に無意識にかわすのが上手いんだから」
思わず暗闇の中に愚痴をこぼしてしまって、彼女を起こしてしまってないか確認する。
……うん、可愛い寝息が聞こえる。
せっかく機会を得たのだから、もう少し関係を進めてしまいたかったのだけど、彼女の健康が最優先だ。
そうっと腕の位置を変え、彼女を抱き上げてベッドへ移す。元々、寝入った頃を見計らってベッドに運ぶつもりで彼女の様子を見に行ったら、雷におびえて丸くなっていたのには驚いた。
これまで何度も雷鳴轟く夜があったのに、彼女は僕に気づかせなかった。今まで誰からも報告を受けてないということは、昼間の雷の時は必死で耐えていたのだろう。
僕は、そんな彼女が心から愛しい。
20歳になった時、父から領主の地位を譲られる際に空読み姫との結婚を言い渡された。
『うちのように鉱山の荒くれたちを抱える土地には、天の加護があったほうがやりやすい。私は早々に婚約者がいて彼女に強硬に反対されたから諦めたが、お前はまだ婚約者もおらず身軽だ。是非とも空読み姫を娶るべきだ』
それであの日、僕は父の後悔を肩代わりするかのように強引に空読み姫と結婚させられたという不満を抱えたまま、はるばる王都から馬車に乗ってやってきたラヴェンテリを出迎えた。
『初めまして! 私、この度クックラの空読み姫となりましたラヴェンテリと申します。この土地のために精一杯尽くしますので、末永くよろしくお願いいたします』
春の光に輝く金の髪をはためかせて、軽やかに馬車から降りてきた弱冠15歳の彼女を見た途端、渦巻いていた不満はふっとんでいた。
ゆるくひとつに編んで花を散らした鮮やかな金の髪に、明るい空色と緑という左右で色の違う瞳。可憐な鈴の音のような心地よい声に明るい笑顔。晴れた日の湖のように爽やかな青に金の縁取りをしたゆったりとしたドレスに包まれた彼女は、とてつもなく可愛らしかった。
隣にいた父も息をのんだ気配がしたが、すかさず母に足を踏まれて正気に戻されていた。
ただ、見た目のことだけなら噂で聞いていたし、思っていたより随分可愛いかったとしても、ここまでのめり込まなかった。
空読み姫として働きだしたラヴェンテリは想像の100倍、熱心で真面目だった。噂と違って贅沢も言わないし特産品の宝石も強請らない。試しに彼女の左の瞳とお揃いのエメラルドを贈ったら、酷く恐縮して返そうとしてきた。それをせっかく用意したし、日頃の感謝の気持ちだからと無理やり受け取らせたら、大事に箱に仕舞って嬉しそうに毎日眺めているとアニタから報告を受けた。
これで好きにならないって難しいよね?
だけど、まだ領主になって日が浅く、学ぶべきことややることが多くてそちらを優先して3年、気がつくとラヴェンテリは成人し、僕とは恋愛の気配のない仮面夫婦、どちらかというと立派な仕事仲間のような関係になっていた。
その頃には、隠居して王都で暮らしている両親、特に母親から奥の花嫁を娶れとせっつかれ、候補の紹介が毎月のように送られてきて結婚というものに嫌気がさしていた。
ラヴェンテリ以外と結婚するつもりはないから断り続けているものの、肝心の彼女との仲は一向に進展していない。いや、仕事熱心な彼女の邪魔はしたくないという理由をつけて、先延ばしにしていた。
僕たちは既に結婚していて、しかも国による結婚だから、誰にも邪魔できない。だから、ゆっくり愛情を深めていけばいいと思っていたのに、あの『空読み姫の婚姻の自由』とかいうとんでもない法ができて彼女に離婚を言い渡され、今現在かなり焦っている。
ピカッ
雷雲が離れたのか、雷光だけが部屋を照らす。その一瞬で初めて見るラヴェンテリの寝顔を目に焼き付けた。
……ラヴェンテリ。眠る前は僕と二人っきりで緊張してくれているようだったのに、今こうも安心して寝ているということは、僕のことを男として見てないということ? それとも君にとって僕はもう家族のような存在ってことなの? どちらにせよ、不味い位置だ。
だけど、今まで一緒に過ごした感じではラヴェンテリに嫌われていないはずだ。触れた時の反応もどちらかというと好意があるのではと思える。それなのに、頑なに離婚に突き進む彼女の真意がわからない。
ドーン
光からしばらく経ってから音が響いてきたけど、先ほどよりずいぶん遠くで聞こえた。おかげで、ラヴェンテリは眠ったままだ。僕は暗闇に慣れた目で彼女の顔にかかった髪をそっとよけ、柔らかな頬に唇を寄せた。
ラヴェンテリ。僕の愛情をどれだけ注いだら、君はこの手に落ちてきてくれるの? 君は一体、僕に何を隠しているの……?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エリアス君の胸の内




