8、空読み姫、鉱山の街で歌う
高い山々の間を吹き抜けてきた少し冷たい風に乗って、私の歌が街中に広がっていく。
私は歌いながら、もしかすると加護の力が増幅しているかもしれないと、内心で期待していた。
医者とエリアスの許可が出たので、今日は馬車で3時間の距離にある宝石鉱山の街キヴィにきていた。
クックラには、先日の一番大きな街のサーリと、この鉱山のふもとの街キヴィ、あと3つの村がある。私は毎月その5か所を順番に回って歌っていた。
キヴィは山に囲まれた谷底の街だけど、鉱山から運ばれた宝石の原石を売り物にまで加工する場なので、ここに住む鉱山で働く人や職人、あちこちからやってくる買い付けの商人でいつも賑わっている。領外からくる商人の中には、私が歌う日に合わせてやってきて、ささやかに回復するのを楽しみにしている人も多いとか。
そんなに喜んでもらえるなら、もっともっと効果を上げて役に立ちたい。
そう意気込んで歌ったのに、結果はいつもと同じだった。いきなり元気になる病人も、大きなけがが治った人もいないみたいで、私は心の中でひとり落ち込んでいた。
こないだのあの奇跡は何だったのかしら。何が足りなかったの? あの意識が持っていかれるような状態にならないとだめなら、私の意志ではどうにもならない。
「……そんな簡単に都合のいいことは起こらないのよね」
「ラヴェンテリが望むなら、僕がいつでも都合がいい展開にしてあげるけど?」
「貴方、そんな権力の使い方をしたら一瞬で人望を失うわよ?」
「君はそんなことを望まないから大丈夫。君はいつだって自分より人の幸せを願うじゃないか」
「それは買いかぶりすぎだわ」
いつものように一緒に来ていたエリアスが軽口で励ましてくれたけど、私の気分は沈んだままで浮かび上がれなかった。
国内で五指に入る裕福な土地の領主で、やり手で武術全般まで強いエリアスでも、病人の全回復は不可能。だから、私にしかできないことで役に立ちたかった。私の存在を皆に必要だと思ってもらいたかった。
……やっぱり、私は特別になれない。
あの空読み姫待遇改善の知らせには、同僚からの私信も入っていた。
私たちの地位向上のきっかけを作った『地の加護』を持つネイリッカは、植物を巨大化させる能力を開花させ、この国でもっとも貧しかった領地を富ませることに成功した。それで、想い合う次期領主から子供ができなくても構わないと唯ひとりの花嫁に望まれたと書いてあった。
お飾りの『表の花嫁』にしかなれない空読み姫なら、きっと誰だって憧れる唯一の花嫁の座を手に入れたネイリッカ。
嫁いで直ぐに能力を開花させた彼女と、結婚して5年も経つのに特に能力に変化のない私。
もちろん、ネイリッカと違って、こんなごくごく普通の空読み姫でしかない私には、そんな奇跡は起こらない。そんなこと、ちゃんとわかっている。
だけど、街の人たちが全回復するなんて奇跡が起こったから、私も特別になってエリアスの唯一の花嫁になれるのではないかと、少し、少しだけ、期待してしまった。
期待はあっという間に砕けてしまったけれど、仕方ない、世の中そういうものだわ。私は、エリアスのためにも離婚に向けて早く自立するしかないのよ。大丈夫、離婚しても普通の空読み姫として今まで通り皆の役に立てるし、自由も手に入るわ。
……本当に儚い夢だったけど、自由になるのも捨てがたいわ。
まだ私を真剣な目で見つめているエリアスへ、にやりと笑ってみせる。
「私だって自分の幸せのためなら自分勝手なことをするわよ」
「心の中で考えるだけでしょ。君が本当に自分のために動くのは、皆が幸せになった後だよ。だけど、僕は今君が幸せになるためにどう動けばいいのか、知りたいんだ」
いつもと違ってエリアスが真面目な顔のままで返してきたから、冗談で紛らわせるわけにいかず、言葉に詰まってしまった。
私の幸せって何かしら。皆の役に立つこと? 特別になること? 離婚すること? エリアスの……。
考え込んでいたら、脳裏にパアッと稲妻が光った。
「エリアス! 大変、もう直ぐここに嵐が来るわ! 猛烈な勢いで低気圧が発達しているの!」
こういう突発的な天気は私にも事前の予測は難しい。
「ラヴェンテリ、もう直ぐって具体的にいつくらい!? 規模は? 雨と風の強さは?」
「あと6時間後くらい、かなり大きくて雨も風も強いわ。いえ、風のほうがやや強そうね」
目を閉じて脳裏に浮かぶ嵐の映像を読み解いてエリアスへ伝える。
「ティモ、皆に知らせて。6時間後に大きな嵐が来るから、店を早じまいして職人を帰すように。帰れない人や商人は宿に泊めて。宿代は全てこちらが払う。それからアニタ、僕たちの宿を確保してきて」
領主の顔になったエリアスが空を振り仰ぎ、この街の責任者のティモとアニタに指示をだした。私がここで歌うときはいつも付き添ってくれているティモが、こげ茶色の顎髭をしごいてガラガラ声を張り上げて周囲の役人へ伝えた。
「聞いたか? 秋の大嵐が来るぞ! 皆、鎧戸を閉めて安全を確保しろ、鉱山へも直ぐに早馬を出せ! エリアス様と空読み姫様は早急に帰るご用意を。今すぐ出れば領主館へ帰れますぞ」
ティモの言葉に、走りだそうとしていたアニタが足を止めてこちらを振り返る。
「旦那様、奥様。宿ではなく馬車の用意をいたしましょうか?」
ちらりと隣のエリアスを見上げれば、彼もまたこちらを見ていた。
「私は帰らないわ。嵐の後にけが人が出るかもしれないもの」
サーリの街や他の村も嵐の被害は出るかもしれないけど、今回はここキヴィが一番、影響が大きそうだし、なにより私が今ここにいるのは何かの縁だと思う。
紫紺の瞳を真っ直ぐに見つめて言い切れば、ふっと目元を緩めたエリアスが小さく肩を竦めた。
「まあ、ラヴェンテリならそう言うと思ってたよ。ティモ、世話をかけるが、私たちは嵐の後までこの街に留まりたい。こんな急な嵐だと多かれ少なかれ被害が出るだろうから、僕がいたほうが復旧への手続きが楽だし、妻の歌も役に立つだろう」
エリアス、どさくさに紛れて私を妻だと言うなんて! 普通は『奥の花嫁』に使うのよ。それに私はもうすぐ妻じゃなくなるのに、無駄にこの街の人へ印象付けないで欲しいわ。
言われたティモは目を丸くして周囲を見回し、皆が頷き返すのを見てかぶっていた帽子を手に持って頭を下げた。
「そうしていただけるのであれば、こちらとしても大変ありがたいです。ただ、どの宿も火を落としますのでご不便をおかけするかと思います」
「それは火事の予防として当然だから、構わないよ」
それを聞いてアニタが弾丸のように宿の確保に走っていった。
「他の場所にも早馬をだして嵐のことを伝えたほうがいいね。ラヴェンテリ、それぞれの場所の被害予想や風雨の強さ、確認できる?」
「任せて」
勢いよく応えて、いつも持ち歩いているくたびれた白い布製の四角いカバンから紙とペンを取り出し、急いで各村と街への報告を書きあげる。
「ヨエル、これを護衛たちに渡して封書の宛先に届けるよう伝えて。それから、そのまま届け先に留まって明日午後に被害を僕の所まで報告に来るようにと」
「わかりました!」
最近ようやく見習いから従者へ昇格したばかりのヨエルが、栗色の巻き毛を跳ねさせて封書を受け取って走っていった。私より2,3歳年上だと聞いているけど、見た目は同じか下に見える彼は頗る足が速かった。
■■
山の気候は変わりやすい。それにしてもここまで急速に大きな嵐になるのは数年に一度もない。ちょうど歌いにきていてよかった。
水とチーズとパンだけの冷たい夕食後、宿泊客も宿の従業員たちも明日に備えてさっさと各自の部屋に引っこんだ。
小さなランプの明かりひとつの室内は少し寂しくて、窓の側に立っていると唸る風と雨が鎧戸に打ちつけるバチバチざあっという音が聞こえてくる。
私は外の光景を想像しながら、大きな被害がでませんようにと祈るしかできなかった。
「ラヴェンテリ、せっかく二人きりなんだから夫婦らしいことしようよ」
「しないっ! 私たち、夫婦だけど夫婦じゃないからねっ!」
部屋の中央に置かれているソファにゆったりと座ったまま、隣のクッションをポンポン叩いて呼んでくるエリアスへ、しかめっ面を返す。
そう、何故か今夜は私たち二人で一部屋。アニタ曰く、『お二人別々だと何を言われるかわかりませんし、今夜は街全体で宿の部屋が足りないので一部屋でお願いいたしますね』ということで、それ以上我儘は言えず、受け入れたわけだけども!
歌いに行く場所はどこも日帰りできる距離だから、宿泊は初めてだし、二人で同じ部屋で過ごすのも初めてなのよ……緊張するし、どうしていいかわからない!
……そういえば、私とアニタ、エリアスと従者のヨエルをそれぞれ同じ部屋にしたらよかったんじゃないかしら?
「アニタとヨエルは他の人たちと大部屋に宿泊してるよ」
「なんで言わなくても考えてることがわかるのよ!」
「あ、当たってた? なんとなくそう考えてる顔をしてたからね」
そんなに私ってわかりやすい?
顔をぺたぺた触っていたら、すっくと立ちあがったエリアスが近づいてきて、壁に手をついた。上から覗き込むように囲われて私の鼓動が早くなる。
こ、これは、いわゆる壁ドンというやつでは!? なんでいきなり? この後どうなるんだっけ?
「エ、エリアス……?」
「ラヴェンテリ、外も見えないのにいつまで窓に寄り添ってるつもり? そろそろ休まないと明日に差し支えるよ」
恐々と仰ぎ見た彼の表情は逆光で全く読めず、声音も平坦でどういう反応をしたらいいか判断がつきかねた。
…………よし、素直に言う通りにしよう。
「わかったわ、もう休みましょう!」
力を込めて返事をし、ベッドのほうを見る。
……ひとつ?
そういえば、二人で初めてのお泊りということで、緊張して確認していなかった。今夜、私はどこで休めばいいの!?
あたふたと再度エリアスの見えない表情を窺えば、盛大に噴き出す声がした。
「ラ、ラヴェンテリ、君の反応面白すぎるんだけど。心配しなくても大丈夫、僕がソファで寝るから君はベッドで寝て」
ホッとしてソファとベッドを見比べる。……どう見ても、ベッドのほうが大きいわよね?
「ダメよ。身体の大きさからから考えてベッドで寝るのは貴方。私がソファで寝るわ」
そう言いきってエリアスの腕をくぐってベッドから掛け布を一枚とり、ソファまで行って寝る態勢に入る。その私の動きをぽかんと見ていたエリアスが、身体を震わせながらベッドへ向かう。
「本当に君はこうと決めたら一直線なんだから。わかったよ、僕はありがたくベッドで寝かせてもらうけど、二人で十分使える広さだからいつでもおいで」
「行かない! 私はひとりで、ソファで寝るんだから!」
叫び返せば、わかってるよー、と笑いながら返事があってランプの明かりが落とされた。
もう、絶対一緒に寝たりしないんだから!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
うん、ベタな展開だ。




