10、空読み姫、晴れた空に歌う
翌朝、目が覚めると鎧戸の隙間から眩しいくらいの陽が差し込んできていた。
「よかった、晴れてる!」
ポンと起き上がって窓を開けにいこうとして、身体が拘束されていることに気がついた。
……これ、何? 弾力があって温かくってまるで人間の腕みたい。
自分のお腹にぐるりと巻き付いたその何かをフニフニと触っていたら背後に振動を感じた。
そういえば、背中もなんだか温かいような?
「おはよう、ラヴェンテリ。よく眠れた?」
頭の真後ろからくっくと笑う気配と共に聞こえてきた声で、昨夜のあれこれを思い出した途端、お腹の奥から悲鳴が飛び出た。
「う、ぎゃあああっ。なんで!? なんでエリアスと一緒にベッドで寝ているの? 私、ソファで寝るって言ったじゃない!」
「やだなあ、ラヴェンテリ。僕が本当に君をソファなんかで寝かせると思ってたの? 君は言いだしたら聞かないから、寝たところで交代するつもりだったんだよ」
「じゃあ、なんで一緒に寝てるのよ!?」
「だって君、雷が怖いって僕にくっついて離れなかったから」
え? そうだったっけ? そういえばそんなことがあったような……??
「じゃあ、千歩譲って一緒に寝ているのはいいとして、この腕は何なの? 動けないじゃない」
「君がベッドから落ちないようにだよ?」
「こんなに広いのに落ちないわよ」
「……言うか言わないか迷ってたんだけど、君、寝相悪くない? ごろごろ転がって直ぐ落ちそうになるから仕方なくこの体勢になったわけで」
……そうなの? 私、そんなに寝相悪かったの?
「そうだよ、ひとりの時ベッドから落ちたりしなかった?」
「ええ? 皆、落ちないの!? だって空読みの塔では何人か落ちてたわよ?」
「まあ、世の中寝相が悪い人も一定数いるだろうからね。落ちない人もいたでしょ? だから、ラヴェンテリは僕以外と一緒に寝ちゃだめだよ」
「何言ってるの、貴方とだってもう二度と一緒に寝たりしないわよ!」
「そんな悲しいこと言わないでよ」
「そんなことで悲しくなってないで、起きて視察に行くわよ!」
そんなことじゃないよ、というつぶやきを聞かなかったことにして、お腹に巻きついたままの腕をぎゅっと掴んではねのけた。
エリアスのだとわかったら遠慮はいらないわ!
■■
大嵐が通り過ぎた街は、山から運ばれてきた落ち葉や木の枝が散乱していた。同じように家々から飛ばされてきたのか、壊れたバケツや割れた瓦も転がっている。
私は行く手を遮る障害物たちを乗り越えようと、着ている薄紫色の式礼服の裾を高めに持ち上げ大きく足を上げた。こんな状況でドレスを着るのもおかしいかもしれないけれど、歌うときに威厳を出すための制服のようなものなので脱ぐわけにいかない。
「はい、ラヴェンテリ」
すかさず目の前に差し出された大きな手とエリアスの顔を見比べ、笑顔で手を重ねた。
だって、今は仲良し夫婦を演じてるんだもの。
街の人たちの前では、そうしたほうが皆安心するからとエリアスが朝食のパンをかじりながら念を押してきたのだ。
「ほら、足元に気をつけて」
いつも以上に優しい声で私を支えてくれるエリアスに、ややひきつった笑いを返しながら広場へ向けて歩く。道がこんな状態なので馬車は使えない。朝起きて外の惨状を見て、片づけを手伝うと申し出たものの、全員に却下され『ラヴェンテリ様が怪我でもされたら大変です、歌ってくださるだけでいいのです』と宿から押しだされてしまった。
道々、落ちている木の枝やバケツくらいならと拾おうとしても、直ぐにエリアスが片付けてしまうし、私は本当に何の役にも立てないまま、ただ歩いている。
「私だって落ちているものを拾うくらいできるのよ」
「知ってるよ。だけど、今は人手もあるし、君は君にしかできないことを優先してほしいんだよ」
歌えってことよね。……だけど、私の歌はそこまで特別なものじゃなくて、ささやかな傷しか治せないのに。
私の手を取って一歩先を歩いているエリアスは、周囲の状況を確認しては周りにいる護衛騎士たちに次々と指示を飛ばして街の復興を助けている。彼は自分の能力を使ってできることを確実に行っているんだ。
そうよね、できることからやればいいんだわ。ささやかでもいい、私は歌うことで皆の傷と心を癒して役に立つ!
見えてきた街の広場は何とか片付けられていて、大勢の人たちが集まってきていた。私の歌が聞こえれば効果は得られるので、近くの家々は窓を開け放っている。
ポカンと開いている真ん中へ歩いていって、全方位へ丁寧にお辞儀をした私は、大きく息を吸って歌い始めた。
嵐が過ぎ去った後の空気は、少し冷たくてしっとりしていて澄み切っていた。風もほとんどないからできる限り遠くまで届くようにと願いながら声を出す。
歌いながら、ひとりひとりの表情を見ていたら、多くの人が私の右を注目していることに気がついた。
……右に何かあったかしら?
気になってひょいと首を曲げて、一瞬息を飲んだ。歌が途切れそうになるのを必死で取り繕って続けたけど、心臓がバクバクいって何を歌っているのか忘れそうになっていた。
どうして、どうして私はエリアスと手を繋いだまま歌ってるの!? これじゃ、仲良し夫婦を超えてベッタベタに愛し合っているみたいじゃない!
こんなことは初めてで、私の心は大騒ぎだった。手を解こうとしても、そのたびに笑顔のエリアスがぎゅっと握り直してくるからどんどん熱が上がってきて、ついに意識が飛んだ。
「—テリ! ラヴェンテリ! ああ、もう、歌うのをやめて!」
どこか遠くでエリアスが叫んでいる気がするけど、私の意識は水の膜に包まれたようにぼんやりとしていて身体に力が入らず、いうことも聞かなかった。
……何があったのかしら、エリアスがものすごく必死だわ。
透明な膜の向こうで起こっていることは他人事のように思えて、ぼうっと眺めていたら、エリアスの顔がぐっと近づいてきて私の顔に重なった。
ふに、と唇に何かが当たって、そのままぐっと塞がれて歌が強制的に止められた。
………………こ、れは、この状態は、もしやキスしているというのでは?
客観的かつ冷静に、もう一度開いたままの目の焦点を近くに合わせる。夜の空のようなエリアスの紫紺の瞳が、かつてないほど近くにあることを確認しバッと後ろへ飛び退った。
「え? えええっ!? 今、いま何したの???」
叫ぶ私にホッと息をついたエリアスが怖い顔になった。
「やあ、ラヴェンテリ。戻ってきてくれてよかった、君、また無意識で歌ってたんだよ。僕の声も届かず、揺さぶっても止めないから、最終手段にでちゃったけど、ごめんね。もちろん、責任はとるから安心して」
え。キスの責任ってどうとるつもりなの? こういうのってカウントしないというか、なかったことにできるんじゃなかったっけ? そう、あれだ。
「人命救助だから、ノーカウントで!」
「いや、思いっきりカウントしてくれていいから」
「いえいえ、そんなそんな。助けていただいたのに責任をとってもらおうだなんて、厚かましいことは言いませんからご安心ください」
「何言ってるの。大事な乙女の唇を奪っておいて逃げるだなんて、僕はそんなどうしようもないクズ男じゃないから」
「そんなこと思わないから、お気になさらず」
周りに聞こえないようにひそひそと双方一歩も引かず押し問答をしていたら、背後に人が集まってきていた。
「ラヴェンテリ様、ありがとうございます! おかげさまで折れていた足が治りました!」
「へっ?」
「長年苦しんだ腰痛がすっきりじゃわい」
「一昨日から熱で苦しんでいた息子がすっかり元気に!」
「え……嘘」
奇跡が、また起こったの!?
後ろを振り返ってエリアスの表情を窺うと、それはもう大変渋い顔をしていた。それでも、私には何も言わず、彼の指示をこなして戻って来ていた護衛たちに何事か伝えてまた走らせていた。
「空読み姫様のお力は本当にすごいもんじゃ」
「まさかここまで効くとは思いませんでした」
「今までの10倍効き目があった気がしますね。加護の力が増えたのですか?」
「いきなり増えたりはしないはず、なんだけど……」
街の人たちに取り囲まれ、口々に礼を言われて嬉しくなると同時に、皆の期待が膨れ上がっていくのが感じられて心が冷えた。
――私のこの奇跡は、自分では制御できないのに。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
奇跡、再び?




