6、空読み姫が歌えば
意外と、難しい。
アニタに教わりつつ、エリアスのベストの破れかけているところを補修しているのだけど、刺繍と違って生地が引きつれたり、縫い目を隠したりしないといけないので、直ぐに上手くは出来なかった。
……口惜しいけど、練習させてもらえてよかったのかもしれない。
ワンピースの直しができるようになるまで、もう少し時間がかかりそうだ。今日はここまで、と持っていた針を置き、うーんと伸びをして部屋の端に控えているアニタのほうを振り返る。
「アニタ、新しいハンカチはあるかしら?」
「はい、何枚でもございますよ。刺繍されますか?」
自分から声を掛けたくせに、しばらく悩んだ後、私は頷いた。
エリアスに頼まれたハンカチのほつれは何とか直せたのだけど、このハンカチ、実は結婚して最初にエリアスに贈ったものだった。
離婚準備中だけど、大事に使ってもらったお礼と洗い替えにもう一枚渡しても問題ないわよね? 次の花嫁がきたら…………捨ててもらえばいい。
それを想像すると、心が痛くて涙が出そうになった。
「奥様?」
「ううん、大丈夫。前は張り切って薔薇にしたから、今回は落ち着いた柄にしようかな」
「奥様の名前のラベンダーはいかがですか? 喜ばれると思いますよ」
「……さすがに、それはやめておくわ。そうだ、カモミールにしよう。落ち着く匂いで、私はカモミールティーが好きなのよね」
「それはいいですね」
「本当はエリアスが好きな花を刺繍したいけど、私、知らないのよね」
そもそも、彼が花を愛でているところ自体、見たことがない。
そういえば、エリアスの好きなものって何だろう? あまり知らないかも。
「うーん、縫い物にも飽きたし、庭に行って薬草に歌を聞いてもらおうっと」
刺繍はそこまで好きではないけど、塔で仕込まれたからそれなりにできる。私はハンカチにサクサクッと黄色の芯の白い花を青いリボンで結んだ花束を描いて終わりにした。
そうだ、後でこのハンカチにカモミールのアロマオイルで匂いをつけちゃおう。枕元に置いてもらえば快眠の役に立つかも。
思い付きに心を弾ませながら、館の庭の奥にある薬草園へ行けば、白いひげを蓄えた老年の庭師が手入れをしていた。
「こんにちは、オッリ。今日も歌っていいかしら?」
「これは奥様。この薬草たちは奥様の希望で植えたものですから、いくらでも歌ってやってください。ただ、奥様ののどが心配なので、歌い終わったら、あちらをどうぞ」
土で汚れたしわだらけのごつごつとした手が差し示したテーブルには、可愛らしい瓶に入った何かが置かれていた。近寄ってラベルを覗き込めば、『カモミール入り蜂蜜』と書いてある。
美味しそう。確かにこれをお茶に入れたら、のどに良さそう。
「わ、嬉しい。わざわざ用意してくれたの? ありがとう」
歌った後の楽しみができた、と嬉しくなってお礼を言うと彼の様子がなんだかおかしい。両手を握りしめ目を彷徨わせて、何かを絞り出すように口を開く。
「……と、旦那様が置いていかれました。本当は言うなと釘をさされていたのですが、奥様が大変喜んでおられるのを見たら、とてもとても私の功にするのははばかられます」
この蜂蜜、エリアスの気遣いなの!? こういうことされたら、愛情が増えちゃうでしょ! 増えたら離婚したくなくなって、エリアスに新しいお嫁さんが来なくて、この大事な領地が滅亡しちゃうじゃない!
だけど、蜂蜜にもオッリにも非はないから。
「わかったわ、後でエリアスにお礼を言っておくわね」
嬉しそうに頷くオッリに笑顔を返して薬草たちの前に仁王立ちする。
あんな美味しそうなものを貰ったんだから、全力で歌うわよ! いえ、いつも手を抜いているというわけじゃないのだけど。
両手を広げてそよ風に乗せるように小さく旋律を奏でていく。晴れた空に向かって歌うのって本当に気持ちいい。塔の中で石壁に囲まれて歌うよりうんと楽しい。
領主の中には娶った空読み姫を外に出さず、館の中で人を集めて見世物のように歌わせる人もいるって聞いたことがあるけど、エリアスは私の希望を聞いてくれた。エリアスは素晴らしい領主でとんでもなくいい夫だ。
だけど、彼に対するこの降り積もった愛情は離婚の障害にしかならない。歌にこの想いを乗せたら減っていかないかしら。
「ラヴェンテリ!」
なんだかふわふわした気分で心のゆくままに歌っていたら、突然、身体を揺すぶられた。目の前のエリアスの青ざめた顔に何かあったのかと目を瞬けば、彼はホッと安心したように大きく息を吐いた。
「どうしたの?」
「どうしたのって、君がいつまでたっても歌をやめなくて、声を掛けても聞こえていないみたいだってアニタが知らせにきたんだ。それで慌てて見にきてみれば、君は何かにとり憑かれたように大きな声で歌っていて僕の声も届かないみたいで、心臓が止まるかと思った」
そんなことが? と辺りを見回せばエリアスと同じような表情のオッリとアニタがいて、私と目が合うと二人とも泣きそうに顔を歪めた。
「アニタ、オッリ。心配をかけてごめんなさい。……えっ!? もう日が暮れそうじゃない、なんで!?」
遠くの山にかかる太陽を見て飛び上がった。おかしい、歌い始めたのはお茶の時間より前だったはず。そんなに長く歌っていた感覚は全くない。
「そうだよ。君は3時間以上歌い続けていたんだ。一体、何があったの?」
「いつものように少し歌ったら戻ってお茶をするつもりだったの。私にも何が何だかさっぱり」
正直に答えればエリアスの眉間にしわが寄った。
本当にどうしてこうなったのかしら? エリアスの話だと、オッリやアニタが私に呼び掛けても何の反応もしなかったのよね? 今までそんなことなかったのに。
ひたすら首を傾げる私を見て、エリアスが怖い顔になった。
「原因と解決法が見つかるまで、ラヴェンテリが歌うときは僕が付き添う。いいね? これは領主としての決定事項だよ。僕の仕事に迷惑が、なんて絶対に思わないでね。君がまたこんなことになったら、僕は心配で片時も君の側から離れなくなるよ」
エリアスはやると言ったら絶対にやる。彼にずっと見張られているなんて誰だって嫌に決まっているので、私は仕方なく頷いた。正直言うと、自分が自分でなくなるというのは怖かったから、エリアスなら私が歌い続ければ止めてくれて、なおかつ原因も突き止めるに違いないという安心感もあった。
翌日、『昨日歌いすぎたから、今日は歌うの禁止ね』と言われたので、大人しくのどにいいお茶を飲んでなるべく話さないようにして労わっている。
確かにのどの調子はよくないけれど、話さないというのもストレスがたまる。
カップに残ったお茶に映る、しかめっ面の自分の顔を飲み干して、もうお喋りしたいっ、解禁よ、とアニタのほうへ顔を向けた途端、派手な音と共に扉が開いた。
「ラヴェンテリ! 君、本当に昨日何をしたの!?」
ものすごい形相で飛び込んできたエリアスの台詞に私も立ち上がって叫ぶ。
「エリアス、何があったの!?」
全身で驚く私を見て、冷静になったのか、よろよろと近づいてきた彼が私の座っていたソファに身体を投げ出すようにして腰を下ろした。
両手で顔を覆って俯く彼の様子に深刻なものを感じて、私はドレスをぎゅっと握りしめた。
「……ラヴェンテリ、さっき、サーリの街の病院から連絡があった」
病院から? いったい何が? あっ、もしかして。
「まさか、とんでもなく怖い病が流行りだしたの? それなら直ぐに歌いに行かなくちゃ!」
ドレスを翻して走りだそうとしたらぐいっと手を引かれて止められた。
「エリアス離して! 街の人たちが少しでも回復できるなら、私、歌わないと! 空読み姫としてここにいる意味がないわ」
身を捩って扉へ向かおうとしたら、より強い力で引き戻されソファに座らされた。
「違うんだ、ラヴェンテリ。逆なんだ、病人がいなくなったらしい」
「消えたの!?」
「いや。入院患者は全員元気になり、今日は朝から病院に来る患者もなし」
「…………なんですって?」
「僕は、昨日の君の歌で街の人たちが全回復したと思っている」
「……私に、空読み姫の天の加護に、そこまでの力はないわよ」
「そう言われてはいるが、実際に研究はされてないでしょ? 僕は、空読み姫の加護の力は未知数だと思ってる。それにこんな奇跡、加護の力でもないと説明がつかない」
エリアスの顔は真剣そのもので、私は反論できるだけの材料を持っていなかった。
だけど、天の加護は人の心を癒してささやかな傷を治す程度、とずっと言われてきたのよ? いきなり全回復なんて、信じられる?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
歌う最終兵器?




