25、空読み姫は強制休暇中
さらに2か月後、ほぼ元気になった私はクックラの領主館で過ごしていた。
「奥様ーっ、動いちゃだめです!」
もう身体はすっかり元気だというのに、椅子から立ち上がろうとしただけでアニタがすっ飛んでくる。午前中ずっとベッドで休んでいて、午後遅くになってやっと椅子に座ってお茶をさせてもらえたのだけど、自由がなさすぎる。
おかしい。なんで、鉱山に閉じ込められていたエリアスたちのほうが元気に働いていて、外にいた私がこんな目に遭っているの?
私は最近やっと声が出せるようになったところで、まだ歌うことはできない。クックラとの契約も終了したままなので、天候の予測もできない。空読み姫としての業務は全てヌルミが引き続き担ってくれていた。
「だけど、歌えない以外は、もうどこも悪くないのよ!?」
「まあ、ラヴェンテリは今まで働き詰めだったんだから完治するまで休んでいろ。どんな空読み姫だって体調を崩すことはある。その時に一時的に交代できるような契約方法を考えたいと思っていたからちょうどいい」
私を監視するような位置に置かれた机で、お城へ提出する書類を書いていたヌルミが顔を上げた。彼女はクックラの空読み姫の業務の傍ら、せっせと改革案やらなにやら書類を作ってはお城へ発送している。
「だけど、ヌルミは旅の途中じゃなかったの? もう随分な期間、ここに滞在してもらっているから悪いわ」
……勝手なお願いだけど、私は現在拠り所がない不安定な状況だから、堂々とエリアスの隣にいるためにクックラの空読み姫に早く戻りたい。
「それは問題ない。おかげさまで、どこかの土地の空読み姫にならないとわからないようなことが経験できて大変助かっている」
机の上の書類に目を落としたまま、ヌルミがつぶやき、私はお茶とお菓子が乗ったままの小さな丸いテーブルへ頬杖をついた。
「ヌルミがそうやって色々改革してくれるから、私たち空読み姫ははこれから自由に生きていけるのよね」
「そうなるように鋭意努力中だ」
「何か手伝うことない?」
「……今はない。いずれできたら頼む」
それって断り文句よね?
ムッと口をへの字に曲げて滑らかに動くヌルミの手元を眺める。
……私も何かしたいのに。あ。ヌルミがクックラの空読み姫の仕事をしているなら、私は領主の妻として働けばいいんじゃないかしら? そうよね、そうだわ。それで領主の妻って何をするのかしら?
いい案を思いついたのに、私の中で領主の妻といえば『奥の花嫁』のことだったから、そこには関わっちゃいけないと空読み姫の仕事しかしてこなかった。なので、私は今何をすればいいのか全く見当がつかなかった。
「よし、わからないなら聞くしかないわね。歌う以外なら私だってできるのよ」
「ラヴェンテリ、また思い込みで走ろうとしているな?」
「そんなことないわ、私だってもう働けるって見せたいだけよ!」
だから、何か仕事をもらってこよう! と、こぶしを握り締めれば、後ろからふわっと抱きしめられた。
これは、この温もりと匂いは!
「エリアス! 私にお仕事頂戴!」
勢いよく振り向いた先では、エリアスが断固拒否の笑顔を浮かべていた。
「君の今のお仕事は、しっかり休んで治すことだよね? 君は直ぐに歌おうとするから、空読み姫に復帰するのはまだまだ難しいと思うよ」
「そうそう、ラヴェンテリは人のためなら自分を犠牲にして歌うからな」
二人が絶対ダメだ、と口を揃え、壁際に控えているアニタも高速で頷いて同意を表している。
「あ、違うの。ヌルミが空読み姫の仕事をしてくれているなら、私は領主の妻としてのお仕事をしようと思って」
「……領主の妻の?」
「仕事といえば、」
「やはり後継ぎのことですかね?」
エリアス、ヌルミ、アニタがぽんぽんぽんとつなげていった台詞で、私の思考が止まった。
し、しまったあああ! そうか、それなのね。困った、元気になってからゆっくり話そうと思っていたのに。あ、私、今元気だったわ。じゃあ、言っていいのよね?
「エリアス、あの、そのことなんだけど」
ドキドキしながら打ち明けようとしたのに、エリアスは眉を寄せて難しい顔をした。
「あー。僕は、それを領主の妻の仕事だと思ってないから、ラヴェンテリは気にしなくていいよ。僕が思う領主の妻の仕事は、館内の采配をして領内で僕の目の届かないところを助けてくれる、ことかな。だけど、僕が本当に君に妻として望むのは、ずっと僕の側にいて僕を愛してくれることだよ」
最後の言葉と同時に柔らかく微笑みかけてくれたエリアスのおかげで、緊張で強張っていた身体からスッと力が抜けて私も笑顔になった。
「それなら、できると思うわ」
「よろしくね、僕の可愛い奥さん」
可愛いはまだ照れるわね……とエリアスから目を逸らし、膝の上に揃えた手の甲を見つめる。
……エリアスは気にしなくていいと言ってくれたけど、本当に後継ぎの子供のことは考えなくていいのだろうか?
その悩みは心の端っこに移動したものの、このまま流してしまうと後でまた戻ってきてしまいそうだった。
よし、ここで聞いてしまおう!
「ねえ、エリアス。そうはいっても、領主には絶対後継ぎが必要なんでしょ?」
顔を上げて紫紺の瞳を真っ直ぐ見つめて尋ねれば、彼は目を細めて頭をかきかき説明してくれた。
「あー。それはね、必要だけどね。でも、君だけでできることじゃないし、今直ぐできることでもないでしょ。それに自分の子である必要はないからさ」
「そうなの!? エリアスは自分の子どもはいらないの?」
「そんなことはないよ! ……だけど、僕はラヴェンテリが僕と生きてくれることだけで本当に幸せで、これ以上を望むのは贅沢すぎると思うんだ」
もちろん、子どもができたら大喜びで大事に育てるからね、と続けるエリアスの表情は真剣なもので、その日は来ないかもしれないと思いつつもなんだか安心した。
「そう言ってくれるのは嬉しいのだけど、空読み姫は子どもができないって言われてるから……」
ぽつりとつぶやけば、エリアスから笑顔が消えて動きが止まった。
「まさか、それが僕との離婚を急いだ理由じゃないよね?」
「そう、だけど……」
安堵の息をついたエリアスが側にきて私の両肩に手を置いて諭すように言った。
「子どものことを含めて未来がどうなるかなんて誰にも分からないんだから、そんな先の心配で僕から離れようなんて二度と思わないでね。今度からは決断する前に僕に相談してね?」
「そういえば、そう、よね? わかったわ、何事も挑戦してみるべきよね……ところで、子どもってどうやってきてくれるの?」
ふと思いついて尋ねてみれば、エリアスがものすごい形相になってヌルミのほうを見た。
「ああ、そういや、ラヴェンテリは15で嫁いだからそういう教育は全く受けてないかもしれないな」
指に挟んだペンをくるりくるりと回しながらヌルミが答え、私は椅子に座ったままぴょんと跳ねた。
「えっ、私、結婚前に駆け込みで全部履修したはずよ!?」
「……まあ、空読み姫に必要な課程は終わっているのだろうが、人としてはまだまだ未履修なことが多いのではないだろうか」
いきなりぶち込まれた事実で急速に膨らむ不安に押しつぶされそうになってエリアスを窺えば、くすくす笑いと共に抱きしめられた。
「そういやそうだね。ラヴェンテリはまだまだ覚えることがいっぱいだった。……大丈夫、僕がわかることはちゃんと教えてあげるから」
「本当? 私、全部履修できるかしら」
「これは急がなくてもいいし、全部覚えなくてもいいんだよ。だって僕らは二人なんだから、できないことは補え合えばいいんだ、料理みたいにね」
そっか、エリアスと一緒なら何でもできそうね。
私からもぎゅうっとエリアスの背に腕を回して胸へ顔をすり寄せれば、先ほどよりも力強く抱きしめ返されて、耳元でささやかれる。
「ああ、それから一番大事なことなんだけど、子どものことで周囲が君を傷つけるようなことがあれば、直ぐに言ってね。君の前に二度と表れないよう、丁寧に叩きのめす、じゃなくて、完璧に処理、じゃなかった、しっかり話して理解してもらうように努めるから」
……ねえ、非常に不穏すぎる単語が並んでなかった? そして、理解させるためにどうやって話すつもり? 想像するのが怖いんだけど。
「うむ、さすが領主殿。よかったな、ラヴェンテリ」
あの音量で聞こえていたのか、ヌルミがパチパチと手を叩き、至極真面目な顔で続けた。
「それでだな。我々空読み姫の能力は意外と想いの強さが関係するのではないかという仮説を立てているのだが、子ができるできないも同じではないかと思っている。というわけで、ぜひ、二人の結果を心待ちにしているから逐一報告してもらいたい」
……ちょっと待って、なんでそこでヌルミが圧をかけてくるのよ!?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もし二人に子供が生まれたら、ヌルミが飛んできて観察日記という名の育児日記をつけるのでは。




