26、最終話 空読み姫は唯一の花嫁になる
久しぶりに入った私の小さな家は、時々アニタが空気の入れ替えをして掃除をしてくれているのでほこりもなく清潔だったけれど、家具類には白い布が掛けられ寂しさを漂わせていた。
一緒にきたエリアスが持ってきた籠をテーブルに置き、バタンバタンと全ての窓を開け放っていく。柔らかい秋の日差しが木の床に届いて部屋が暖かくなった気がした。
「もうここに住めないのかしら……」
かなり気に入ってたのだけど、と頬に手を当てれば、直ぐさま答えが返ってくる。
「週末は僕と一緒にここで過ごす、という使い方もできるよ」
「それはとても心惹かれる提案だわ」
「というわけで、今日はここでお茶をしよう」
君は座ってて、といつの間にか布が取り払われて拭かれたテーブルと椅子に案内される。私は大人しく座って開け放たれた窓から入ってくる爽やかな風を胸いっぱいに吸い込んだ。
冬に向かうこの季節特有の、冷たさが薄く乗った風には庭の植物の匂いが混じっていて、ふと窓の外の畑へ目を遣った。
キャベツたちを収穫した後に植えたトウモロコシなどの夏野菜ももうなく、今はまたキャベツの赤ちゃんたちが並んでいる。今年は私が特に喜んでいたからと苺の作付面積を増やしたと先日オッリが言っていた。
「私が動けない間にトウモロコシもトマトも収穫時期を迎えちゃったのよね」
こちらもベッドの中で美味しく食べたけれど、キャベツたちのように自分でもぎ取りたかった。
「来年があるよ。今年は僕も収穫できなかったから次は一緒にやろうね」
持参した大きな籠から次々とお茶やお菓子を出してテーブルの上にずらりと並べ、最後の仕上げとばかりにカップにお茶を注いだエリアスの優しい約束に笑顔を返す。
「そうね、来年があるものね。……わあ、美味しそう」
「そうだよ、僕らはあと何回も同じ季節を過ごすんだ。今から楽しみだね! ……さあ、準備できたよ。好きなお菓子を選んで。どれも美味しいけど、料理長は新作ケーキが特におすすめだって」
「わあ、本当!? どれかしら?」
ワクワクが極まって身を乗りだして美味しそうなお菓子を眺めているとひょい、と身体が後ろに引っ張られた。そのまま、ぽん、と座った場所は……。
「エリアスーーッ!!」
「何? あ、座り心地悪い? ごめんね、ちょっと筋肉質で」
「そういうことじゃなーい!」
バタバタ手足を動かして抜け出そうとしても、後ろからがっちり抱えられていてどうにもならない。
……おひざに抱っこはまだ早いっ!
文句を言おうと落ち着かない心臓を押さえて後ろを仰ぎ見れば、想定外に真面目な表情のエリアスが私を見つめていた。
……ん? エリアスが緊張している?
「君が僕を愛してくれて、離婚しないでいてくれるだけで僕はもう幸せなんだけど、あとひとつだけお願いがあって」
ぽてん、と私の右肩に顎をのせて話す彼の声はとてもとても真剣で、くすぐったいからそこで喋らないで、と言えない私は黙って頷くことでその先を促した。
「ラヴェンテリ、結婚式をしよう」
「結婚はもうして……え、式?」
私とエリアスの結婚式? 空読み姫の私が、式を挙げてもいいの?
「そう、結婚式。君は僕のお飾りの妻じゃなくて本当の妻になるのだから、式を挙げてもいいでしょ?」
そうか。私は、表の花嫁でも奥の花嫁でもなく、エリアスのたった一人の花嫁になるのだから式を挙げていいんだわ!
私は全身を震わせると、ちょっぴり不安そうに私の返事を待っているエリアスへ喜びを爆発させた。
「もちろん、挙げましょう! ありがとう、エリアス! 私、結婚式にとても憧れていたの!」
1か月後。澄み切った青空の下、本格的な冬になる前に、と慌ただしく準備された私たちの結婚式が行われようとしていた。
朝早くから叩き起こされ、アニタたちにこねくり回された私は、多分人生で一番綺麗になっているはず。
そして、今。私は街の全ての服屋が総力をあげて仕立ててくれた真っ白なドレスに身を包み、エリアスの隣に立っている。こんな、もう逃げも隠れもできない場所にいてもなお、不安が募って仕方ない。
「ねえ、エリアス。私、話せるようになったけど、まだ歌うことはできないのよ? それなのに本当に本当に、私と結婚式をしていいの?」
結局、未だに私ののどは完治せず、歌えないままだった。歌おうとすると声がかすれてのどが引きつるのだ。
「僕は空読み姫と、じゃなくて、ラヴェンテリと夫婦になりたいんだよ」
それは加護も歌もなくても君が好き、と言われたようで頭の天辺から足の先まで幸せな気持ちでいっぱいになった。
「よかった! 私もクックラの領主の、じゃなくて、エリアスの奥さんになりたかったの!」
めいっぱいの笑顔で告げれば、私とお揃いの白い礼服のエリアスが幸せそうな笑みを浮かべ、私へ真っ直ぐに手を差し出した。
「僕の唯一の花嫁さん、これからも共に歩んでいこうね」
「ええ、よろしくね」
私も迷わず手を差し出し、ぎゅっと握りしめた。
結婚式はサーリの街の広場を会場に、そこに集まった人たちを証人にして行われた。
私たちはとっくの昔に結婚済なので、式のためだけにわざわざきてもらうこともないとエリアスが主張するので、王都にいるエリアスのご両親は呼ばず、領内の人たちにちょっとだけお知らせしてささやかにした。つもりだったのだけど、いつもの広場を街の人たち総出で花やリボンで飾ってくれ、見える限りの家々の窓も盛大に飾り付けてあって、どこよりも素敵な式場になっていた。
参列してくれた人々は、サーリの街はもちろん、キヴィや他の村からも大勢きてくれていた。私たちは皆に見守られながら、広場の中央へ向かって真っすぐ引かれた赤い絨毯の上を手を繋いだままで歩いていく。
「お二人さん、結婚式おめでとう」
絨毯の端には白い布を掛けた小さな台が置かれていて、その前でヌルミが待っていた。今日は人前式なので、ヌルミが進行役だそうだ。こんなときでも変わらず無表情だったけど、温かい声音で私たちを寿いでくれた。
「それではまず指輪交換をしてもらおう」
「えっ、指輪!?」
そんなの聞いてない! 昨日のリハーサルにもなかったじゃない。
驚く私の前に差し出された小さな箱には、金の台に小さなダイヤが並び、その間に一つずつ明るいサファイヤとエメラルド、紫に近い濃いサファイヤが挟まれていた。
「わあ、綺麗」
「ごめんね、君のその顔が見たくて内緒にしていたんだ。キヴィの職人たちが、あの時のお礼にと最高品質の石を使って最優先で作ってくれたんだ」
「そうなの!? それは今度お礼に行かなくちゃ」
「新婚旅行に行く途中に寄ろうか」
「新婚旅行!?」
空読み姫の私が、旅行!?
想像してもいなかった夢のような提案に全身が熱くなった。
嬉しい! 愛し愛される唯一の花嫁になっただけじゃなく、領内の人たちに祝福されて、想いがこもった指輪をもらえて、エリアスと旅行にも行ける。
こんないっぱい詰まった宝石箱のような幸福を、歌えない空読み姫が受け取ってもいいのだろうか。
「ラヴェンテリ、手を出して」
名前を呼ばれて顔を上げると、エリアスが繋いでいた手を離して私の左手に指輪をはめてくれた。私の人生で最高の宝物は、明るい陽光に照らされてきらきらと輝いていた。ヌルミに促され、私も大事に彼の指にお揃いの光をつけた。
「君と僕の瞳の色だよ。君は僕をいつだって幸せにしてくれるから、この石がどんなときでも光り続けるように、僕も君を永遠に愛して幸せにするからね」
「私だって、いつも貴方に幸せを貰っているのよ」
エリアスの真っ直ぐな瞳と気持ちに感動していたら、触れあっていた手をくっと引っ張られお互いの顔が近づいた。
目の前にエリアスの透き通った紫紺の瞳があって、そこに私の明るい空色と緑の瞳が映っている。
紫紺の中の私、不思議そうな顔をしてるわ。うん? 待って……こ、この体勢は、もしかして!?
「続けて、誓いのキスを」
ヌルミの言葉を理解するより先に、唇に柔らかいものが触れた。
わ、わわわわっ!? 私、今、エリアスとキスしたの!?
前回の奇跡を止めるためのものとは違って、これは、これは本当のキス! そうか、私たち本当の夫婦になったのね。
幸せな気持ちが身体中を駆け巡り、続いて心の奥底から、ふわあっと温かいものが湧き上がってきた。
——歌いたいっ!
そう思ったらいてもたってもいられず、私はその場で姿勢を整え、腕を広げてのどを震わせた。
歌える! 今まで通りに声が出てのども問題ない!
喜びが湧き上がってきた私は、天に向けて力いっぱい歌った。
「わあ、ラヴェンテリ様の歌だ!」
「……おお、なんだか温かくて幸せな気持ちになるのう」
「素敵、見えないはずの歌声が光っているみたい」
「ほう。これはこれは。昨日書類で切ったところが治ったぞ。領主殿との結婚式も契約となるのか? ……そろそろラヴェンテリへ、クックラの空読み姫の地位を返さないといけないな」
思いっきり歌い終わって礼をした途端、割れんばかりの拍手に包まれた。
ああ、久しぶりに歌ってとっても満足したわ!
「ラヴェンテリ、治ったの!?」
「ええ、なんだか突然、歌いたくてたまらなくなって。どうして治ったのかしら?」
「本当に、空読み姫と言う存在は興味深い」
「……ヌルミ、貴方だってそうじゃない」
「私には君やネイリッカのような強い想いがまだないからな。……ところで、君たちは『婚姻継続届け』をまだ提出していないだろう。領主殿、ラヴェンテリ、この結婚を続けるということでよいかな?」
そういえばそうだった、と二人で顔を見合わせて頷き合う。
「「もちろん、永遠に!」」
声を揃えて答えれば、周りから大きな拍手が起こった。
「そういうだろうと思ってここに用意させて貰った。では、ここに二人のサインを」
重々しく書類を差し出すヌルミも珍しいほどの笑顔だった。
これにて完結です。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけていたら、望外の喜びです。




