17、空読み姫の邂逅
サーリの街は今日も賑わっている。
街の広場でいつものように歌い終え、溜まっている仕事を片付けに館へ帰るエリアスと別れた私は、アニタとお店を見て回っていた。
「旦那様、残念そうでしたねえ」
「仕事が終わってないのなら、ついてこなくてよかったのに」
「それだけ奥様が心配なのですよ。それに私は奥様を止められる自信がないので、旦那様が一緒だと心強いです」
アニタは私が意識を失くして歌うところを2回とも見ているので、そう言われては何も言い返せない。
あれから奇跡は起こせていないし、ひとり暮らしを続けているものの、食事はほぼ運んでもらったりエリアスから仕事の打ち合わせついでにと誘われて館で食べたりで、理想とは程遠い状態が続いている。
だけど、今日は違うわ! 私は今から市場で食材を買って家で1から夕食を作るのよ!
「アニタ、市場が見えてきたわ。急ぎましょ」
多くの人が行き交っている通りの先にオレンジ色の大きなパラソルが見えてきた。あの下で野菜や果物などが山となって売られているのだ。
「えーっと、必要なのはアンチョビの瓶詰……だったかな?」
買い物用に持ってきた籠を腕に掛け、ポケットから買う物をメモした紙を取り出す。小さく折りたたまれたそれを開こうとして、人にぶつかった。
「あっ、ごめんなさい!」
「いや、こちらも不注意だった、すまない。……おや、ラヴェンテリ?」
「はい?」
名前を呼ばれて、ぶつかった相手を真正面から眺める。
私と同じくらいの背丈のその人は旅をしているようで、くたびれた灰色のマントで全身を覆い隠していた。
……私の名前を知っているということは、知り合い? だけど、私の交友範囲はめちゃくちゃ狭いし、旅をするような知人なんていないはず。
戸惑っていたら、相手が深くかぶっていたフードを少し持ち上げた。フードの奥で私をじっと見つめる瞳と目が合った途端、私の口がぱかんと開いた。
■■
「旦那様ーっ、大変ですっ、奥様が」
「ラヴェンテリがどうした!?」
「お客様をお連れになりました」
「……客? カティじゃなくて?」
「いえ、旅のお方のようで、マントをかぶっていたのですが、ちらりと見えた中の服が、」
「服が?」
「……男物でした」
「!!!」
「ラヴェンテリーーーっ! 僕と君の家に男を連れ込むなんて酷いよ!」
「エリアス!? 突然何を言っているの?」
全速力で庭へ走っていき、小さな家の扉をありえない勢いでこじ開け飛び込んで叫べば、眉をひそめたラヴェンテリと見知らぬ旅人が立っていた。
元は白だったと思われる砂埃で薄汚れたマントを頭からかぶった男は、思ったよりも背が低く華奢だった。ラヴェンテリよりやや低いそいつは、マントのフードの奥から驚くでもなく静かにこちらを観察しているような視線を送ってきた。
……ラヴェンテリにこんな男の知り合いがいるなんて聞いてない。僕が知らないなんて、そんな昔からの付き合いなのか? まさか、嫁いでくる前に想いあっていたとかだったら、どうしよう。ということは、離婚を言い出したのはこの男から連絡があったから? それでいつまでも僕が離婚に応じないから、しびれを切らせてラヴェンテリを奪いにきた、のか!?
「ラヴェンテリの夫は、未来永劫僕だからな!」
男を思いっきり睨みつけて、引き寄せたラヴェンテリをぎゅうぎゅうに抱きしめれば、顎を下から思いっきり頭突きされた。
これ、アッパーってやつ? 勢いがあってかなりの衝撃です、ラヴェンテリさん。
想像以上の痛みに顎をさすりながら涙目で愛しの妻を見下ろせば、緑と空色の色違いの瞳が困惑と怒りを湛えて見上げてきた。
「エリアス、いきなり失礼でしょ! 私が連れてきたのは男の人じゃないわ」
……え? どういうこと?
「違うの? 門番が男物の服を着ていたと言ったから」
「それは間違っていない。私は男の姿をしているからな」
旅人がパッとフードをはねのけると、肩より少し長い真っ直ぐな金の髪がバサッと広がり、気だるげな緑と空色の瞳が無表情にこちらを見つめてきた。
どこかで見た色の組み合わせだな、と、もう一度腕の中の妻を見て、その瞳と同じ配色であることを確認して口がぱかんと開く。
「えっ、もしかして空読み姫様!?」
「その通り。私はラヴェンテリの同僚で、ヌルミという。お初にお目にかかる、クックラの領主殿。旅をしていると男の格好のほうが何かと便利なものでね。混乱させてしまい申し訳なかった」
「……ということは、女性!?」
「うむ。一応そう分類されている」
マントを脱いだ旅人は、肩を竦めてニヤリと笑った。見れば確かに男の服を着て髪が短いとはいえ、華奢で出るとこが出た身体つきからして女性にしか見えない。
門番はもっと目を養うべきだな。世の中には色々な姿の人がいるんだと……。
「それは失礼をしました、ヌルミ殿。僕がクックラの領主、エリアスです。……しかし、ヌルミ殿とお呼びしても本当にいいのでしょうか?」
「ああ。『雑草』なんて呼びにくいでしょうが、少々込み入ったわけがあって私が自分でつけた名前ですので、お気になさらずお気軽にお呼びください」
「はあ、それでは遠慮なく呼ばせていただきます。ところで、嫁入りまで塔から出てこないと言われている空読み姫様がどうしてこんなところへ……?」
「もう連絡がいっていると思いますが、色々と制度が変わったおかげでこうして旅に出られるようになりまして。まあ、私の場合は監察官のようなものだと思ってもらえれば」
「監察官!? 僕たちの結婚に問題でも?」
何を言われても別れないぞ、という決意を込めてヌルミ殿を見返せば、彼女はふむ、と顎に手を当ててラヴェンテリのほうを見た。
「そういえばお腹が空いてきた。ラヴェンテリが夕食をご馳走してくれるんだったな」
「え、ええ。実は今日初めて作るのだけど、ほら、材料は全部揃えたからきっとおいしいのができるわ」
……突然すぎる話題転換。あまりにも無理やりすぎる。僕たちの結婚に問題、あるの? いや、どう考えてもないよね?
ラヴェンテリもついて行くのがやっと、というしどろもどろの返答になっている。そして彼女、ヌルミ殿はここまでの一連の会話を全て無表情で行っている。何ともつかみどころの分からない御仁だ。
ラヴェンテリは明るく元気で表情がくるくる変わって考えていることも丸わかりの愛らしさなので、この無表情は空読み姫だから、ではないんだろうなあ。
「え、ラヴェンテリが自分で作るのか!? 館の料理人が作るのではなく??」
「僕も一緒に作るから安心してください、ヌルミ殿」
表情を変えないまま器用に驚くヌルミ殿への僕の返事は、ラヴェンテリの料理の腕を疑ったわけではなく、純粋に初めて使う包丁などで怪我をすることが心配だっただけなのに、彼女からは冷たい視線を向けられた。
「私がひとりで作るから、エリアスは手伝わないで! そんなに私の腕を疑うなら、館に戻って料理長の美味しいご飯を食べるといいわ」
「そんなこと思ってないよ! 僕は君の作るものならどんなものでも食べられる」
「旦那様っ!」
青ざめるアニタの向こうでラヴェンテリの目に怒りの炎が巻き上がるのが見えた。
……あれ? すっごく怒らせた?
「領主殿、その台詞は言っちゃダメなやつですね。大人しく私と座って待っていましょう」
薄く口元を引き上げたヌルミ殿に、ぽん、と肩を叩かれ台所がよく見えるテーブルセットへ誘導された。
ちょっと待って、なんで今来たばかりのヌルミ殿に同情されてるの!?
■■
私は、今、ひとりで料理を作っている!
嬉しさに身を震わせながらフライパンの中身を木べらでかき混ぜ、立ち上るバターの香りにうっとりする。
エリアスは、自分だって料理をしたことがないのに私より上手だって思ってるし、私の作るものが失敗する前提で「なんでも食べられる」なんて失礼だわ!
だけど、ここまでひとりで作れなかったのは確かだ。最初にジャガイモの皮をむこうとしたら盛大に転がっていってアニタが飛んできてたちまち全部丸裸にしちゃうし、玉ねぎを半分に切って涙が滲めばエリアスが瞬時に私と代わってあっという間に薄切りにしてしまった。最新式の火が簡単につくかまどにフライパンをのせれば、ヌルミが珍し気に寄ってきて焦がさないか見ているし。
私、そんなに料理ができないのかしら。そういえば、玉ねぎの薄切りに関しては未経験のはずのエリアスのほうが断然上手だった。
……あ、落ち込みそう。だめ、ここからは私ひとりで最後までやってみせるのよ。
料理長がわかりやすく書いてくれたレシピを見ながら、大きなグラタン皿に炒めたものとアンチョビとクリームを入れてオーブンで焼く。これで後は焼き上がりを待つだけ。
「できたわ!」
どうだ、と振り返ればニコニコ笑顔の三人が拍手してくれた。
あれ?いつの間にか仲良くなってる? いいことだけど、なんだか小さな子ども扱いされているような気になるのはどうして?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ラヴェンテリの手料理と言っていいのか?




