16、空読み姫、問われる
「あの、エリアスと離婚しても空読み姫としての雇用関係は残るから、この地で歌い続けるつもりよ」
だから、心配しなくても、と続けようとしたら、アニタがバンとテーブルに両手をつき、ぐわっと恐ろしい形相になって私へ力説してきた。
「いいですか、奥様! 我々使用人一同は、奥様の鼻歌で傷もなく癒されまくっておりますが、それが理由で引き止めたいわけではございません! 我々は、奥様が元気に歌い笑い楽しそうに暮らしているのを見ると幸せな気持ちになるのです。旦那様とお二人で仲良くされている光景を守ることに生きがいを感じているのです!」
アニタの力の入った演説を大人しく傾聴していて、ふと気づく。
「……もしかして、皆は私のこと結構好きでいてくれてるの?」
嫌われてはないと思っていたけれど、こんなに好きでいてもらえてるとは思わなかったので、少し心が揺れた。
「もちろんです! 結構どころではなく、奥様は館の者にも街の人たちにも、旦那様からも、大変愛されております。……ところで、奥様は旦那様のどういうところがお嫌いで離婚されたいのですか?」
ぬ。ついにきた。いつか誰かに聞かれると思っていたけれど、まさか、アニタだったとは。よく知ってる相手だけに答えにくい。
嘘をつこうか、いい感じに誤魔化そうか、しばらく悩んだ上で正直に言うしかないと腹をくくった。
だって、嘘をつく時のくせがエリアスにバレていたなら、アニタだって知っているかもしれない。アニタは私が嘘をついたとわかっても受け入れてくれるだろうけど、その嘘が私たちの過ごしてきた年月を一瞬でなかったことにしそうで、怖い。
「ええと、その、実はエリアスに嫌いなところはないのだけど……私の都合で離婚しないといけないの」
「奥様の都合、なのですか」
「そうなの」
「旦那様に落ち度はない、と」
「ええ、まあ」
「……他にお好きな方が?」
「まさか! そういう理由じゃないの」
「……なるほど。理由をお尋ねしても?」
さすがにそれは、と首を横振るとアニタがしょぼんとテーブルの上から手を引いた。
「ですが、奥様が旦那様をお嫌いでないと聞いて安心いたしました。それなら、離婚を思いとどまっていただける可能性がほんの少しでもあるのではないかと」
ない、と突き放すべきだったのだろうけど、アニタにそんな冷たい態度をとりたくなくて私は曖昧な笑顔を返してしまった。
エリアスのことは嫌いじゃないし、今の暮らしに何の不満もないどころかとても気に入っている。だから、こんなに引き止められたら心が揺らいでしまう。それでも、私は離婚を目指さないといけない。
私が空読み姫でなければ……。
その後、アニタは部屋の片づけを手伝ってくれ、お礼に一緒にお昼を食べた。奥様付きなので館だと仕事がないんですよ、とぼやくアニタは、そのまま夕方まで掃除やこれからの家事について、つきっきりで細かく教えてくれた。
「結局アニタに色々お世話してもらっちゃったわね、ありがとう」
「私は奥様付きの侍女ですから、これからもお任せください! そうだ、夕食をおひとりで召し上がるのは寂しいですよね。旦那様をお呼びしましょう!」
「なんて?」
「ほら、奥様がひとりで美味しいご飯を作ってみせれば、旦那様に安心してもらえますよ?」
そ、それはそうかも。……でも、待って。料理人たちが下準備してくれた物を火に掛けて煮るだけっていうのは、安心材料になるのかしら?
むむむ、と考え込んでいたら、扉が大きくノックされた。
またお客さんだわ!
この家は領主館の敷地内に建っているので、館の人、もしくは正門で許可をもらった人しか入ってこれない。よって不審者を警戒する必要がない。
「いらっしゃーい」
誰かな、庭師のオッリか、アニタを呼びにきた侍女か、せっかくだから訪問者にお茶をふるまってみようなんてワクワクしながら扉を開ければ、目の前に籠があった。なんだかフカフカ香ばしい匂いが漂ってくるその籠から上に視線をずらしていくと、逆光に照らされた長身の男がいた。目を細めて見れば、短い暗めの金色の髪にニコニコとこちらを見下ろしている穏やかそうに見えて腹黒の紫紺の瞳。
そういや、一番ここにきそうな人物がいたわね!
早く入れてくれと目で訴えてくるエリアスの前に立ち、腕を組んで見上げる。
「仕事は終わったの?」
「もちろん! あ、これ、料理長から預かってきた焼きたてのパン。夕食のシチューと食べてくださいってさ」
お鍋の中身はシチューなのね。焼きたてのパンと食べたら美味しいに決まってる。ありがとう、料理長!
「エリアス、持ってきてくれてありがとう、いただくわ」
手を伸ばすと籠がぐーんと上に逃げていく。目で追えば、エリアスが首を傾げてこちらを見ていた。
「せっかく持ってきたんだから一緒に食べようって言ってくれないの?」
「旦那様! ちょうどよかったです、今お呼びしようと話していたところなんです」
「えっ、本当!? じゃ、おじゃまするね。ラヴェンテリ、この家は気に入ってくれた?」
アニタの言葉に喜び勇んだエリアスが、仁王立ちしていた私を片手で抱えるようにして部屋に入ってきた。
「エリアスに入っていいって言ってなーい!」
「まあまあ。どうやったって僕は入れてもらうつもりだったし、本音を言えばここで君と僕の2人きりで暮らしたいんだよね。ほら、食器類は2人分揃ってたでしょ」
ベッドも2人でゆったり寝られるサイズに、と続けるエリアスの口を両手で力任せに塞いで黙らせる。
やっぱり、そういうつもりだったのね。このままなし崩し的に住まれたら私の自立計画が立ち消えになってしまう。
「2人とも夕飯食べていっていいから、寝る前には館に帰ってよね!」
エリアスと2人だと、気がつけば丸め込まれて朝まで一緒にいることになりそうなので、アニタも巻き込む。
……いや、アニタはエリアス側だからどっちにせよ危険なのかしら?
「えっ、君が寝る寸前までいていいの!? よかった、君をベッドに入れて寝かしつけてきっちり戸締りを確認したら帰るね」
「そこまでしなくていいの、夕食が終わったら即帰って!」
「そんなあ……食後のお茶くらい出してよ。僕は客で、君はこの家の主でしょ」
この家の主、と言われて少し心が浮き立ってしまった。
「仕方ないわね、食後のお茶とデザートを食べたら帰ってよ」
もちろん、と頷くエリアスの笑顔はなんだかしてやったり感にあふれていた。
……私、また思い通りに動かされたの!?
ひとりでぐっすり寝た翌朝は快晴だった。私は大きく伸びをしてから起きあがり、窓を開けて空気を入れ替え、ベッドを直して家の外へ出ると壁に立てかけてある箒を手に取った。
私はこの家の主だから、責任もって綺麗に保たなきゃね。
「おはよう、ラヴェンテリ。早起きだね」
突然背後から慣れ親しんだ声が飛んできて、飛び上がる。バッと振り向けば、予想通り爽やかな笑顔で手を振るエリアスがいた。
「お、おはよう、エリアス。貴方こそ早起きね」
「ん? 僕は大体いつもこの時間に庭を回ってるよ」
朝の散歩は気持ちいいし、考え事をするのに最適だからね、とニコニコしているエリアスに疑いの目を向ける。
5年以上一緒に暮らしているけれど、この人にそんな習慣、あったかしら? 夜遅くまで仕事しているからしょっちゅう寝坊して、執事のマッティに叩き起こされてなかったっけ?
「……その習慣、いつから?」
「……今日から?」
「いつも、じゃないじゃない、嘘つき!」
「今日からいつもになるんだから、嘘じゃないよ」
なんたる屁理屈。
「ねえ、ラヴェンテリ、ひとり暮らしは寂しくない?」
「いいえ、全く!」
大体、昨日はひとりでいた時間なんてほとんどなかったじゃない。寂しいなんて思うわけないでしょ。
「そうなの? 残念。……君さ、怠惰な生活をしたいって言ってたのに随分と働き者だね。起きて直ぐそんなに働いて」
「ほら、ひとり暮らしって色々しなきゃいけないことがあるのよ」
「それは大変だね。そろそろ館に戻ってくるって選択肢は?」
「ないわね! ひとりって楽しいわよ!」
まだひとり暮らしを始めて丸一日経ってないんだけど!? どれだけ戻ってきて欲しいのよ、この人は。
「君が楽しんでるなら、僕は寂しさを我慢するよ」
「そういうのって相手には言わないものじゃない?」
「僕は君が戻ってきてもらうためなら包み隠さず何でも言うよ」
「そんなに言うなら、なんでこの家を作っちゃったのよ」
「……だって、君はどうしてもひとり暮らしをしたがっていたから。僕はそれはもう寂しいけど、君が喜ぶ姿が見たかったんだ」
そう、くる? めちゃくちゃ心が痛むのだけど!? あ、これもエリアスの心理作戦ね!?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一番信じちゃいけない相手は夫




