12、空読み姫が寝込んだら
また、熱が上がってしまったらしい。
枕元で体温計を睨んでいるアニタの表情が険しい。それを後ろから覗き込んだエリアスも鬼のような形相で恐怖を覚える。
「……これ、熱冷ましの薬草飲ませたんだよね?」
「もちろんです! よく聞くと評判のラヴェンテリ様印のとっておきですよ?」
「なら、なぜ下がらないの? 全く効いているように思えないけど」
「本当に不思議なんです。先週同じような風邪を引いた子はあっという間に熱が下がって元気になったのに」
首を捻るアニタの言葉に私はピンときた。だけど、のどが痛くて話しづらい。思わず、近くにあったエリアスの袖を摘まんで引っ張ってしまった。
「ん? ラヴェンテリ、何か言いたいことがあるの? お水が飲みたい?」
優しく尋ねてきたエリアスへ微かに首を振って口をパクパクさせる。何々、と耳を寄せてきた彼へ必死で伝えようと声を出す。
「そ、らよみ、ひめは、じ、ぶん、の……げほっ」
咳が邪魔して続けられなかったが、それだけでエリアスがハッとしたように私を見た。
「そういうことか! わかった、ラヴェンテリ、もうしゃべらなくていいから寝てて。アニタ、ラヴェンテリ印じゃない薬草を持ってきて! まだ残ってるでしょ?」
「えっ!? はい、わかりました」
「……やっとお熱が下がってきましたね」
「呼吸も楽そうになって一安心だ」
「もしかして、ラヴェンテリ様印の薬草はご本人には効果がないのですか?」
「そうみたいだね。よく考えたら彼女は歌っても自身の傷が治ったり、癒されたりしてるところを見たことがない」
「確かに。ということは、こちらのお屋敷では普通の薬草も用意しておいた方がいいってことですね」
「そうだね。ラヴェンテリ専用の薬草室を作っておこう。なんなら歌が聞こえないように防音の温室を作って育ててもいいかもしれない」
「そうですね。大事な奥様のお薬は自給できた方が安心ですよね」
眠気で朦朧としている私の耳に、理解しがたい会話が聞こえてきたけれど、あっという間に彼方へと消えていってしまった。私はそのままぐっすりと眠って、起きたら翌日の夕方だった。
「あ、あー」
ベッドに起き上って小さく発声練習をしてみる。
よかった、のども随分マシになった。もう少ししたら元通り歌えそう。
「奥様!? 旦那様、奥様が目を覚まされましたっ!」
扉がバタンと開いて、ちょうど私の様子を見にきたらしいアニタが叫びながら飛び込んできた。
「アニタ、大げさにしないで。エリアスは呼ばなくていいわっ」
必死で出した声はまだ少し枯れていて、素早く近づいてきたアニタに水の入ったコップを渡された。
「ラヴェンテリ! ああ、よかった! 体調はどう?」
続けて走り込んできたエリアスが、水を飲んでいる私を見てホッとした表情になった。釣られて私も何故かホッとする。
これはエリアスに風邪がうつってないことがわかって安心しただけよ、決して彼の顔を見たからじゃないわ! そんな、好きな相手の顔を見て安堵したなんて恋する乙女のようなことではないわ!
ブンブンと首を振って妙な考えを振り捨ててから、近づいてきたエリアスに笑顔を向ける。
「まだ歌うのは難しいけれど、ずいぶん楽になったわ。ありがとう、エリアス、アニタ。……風邪を引くなんて空読み姫失格ね。ごめんなさい。治ったらすぐ歌うから」
「何言ってるの。空読み姫だって人間なんだから体調を崩すことだってあるさ。そんなふうに思わないでいいから、完全に治るまで休むんだよ」
エリアスはそう言って私の手からコップをとり、ベッドに戻して掛け布を首まで掛けた。布の上からポンポンと優しく叩いて寝かしつけようとまでしてくるから、ちょっと甘えたくなった。
まだ風邪を引いているのだから、少しくらいならいいわよね?
「ハクリさんにもらった美味しいのど飴が食べたい、かも」
「わかった! もってくるね!」
「旦那様、飴はこちらの棚にございます」
目的地もわからぬままに廊下へ飛び出していこうとしたエリアスをアニタが静かに引き止め、飴と同じように丸くてコロンとしたガラス瓶を棚から出して渡す。
そういえば、ハクリさんに貰った美味しい試作ののど飴は、一番好きな形の瓶に入れて大事な物を入れる棚に置いておいたのだっけ。
エリアスにされるがまま、あーん、と口に入れてもらった飴からにじみ出る優しい甘さとすっきりとしたオレンジの香りでのどが整えられていく。
美味しい、としみじみと味わっていたら、じっと側で見ていたエリアスが枕に散った私の金の髪をすくい上げた。
「ねえ、ラヴェンテリ。もし、君がひとり暮らしをして、こんなふうに風邪を引いたら大変でしょ?」
自立は応援するけど、離婚は考え直さない? と続けられて、風邪で弱っていた私は心が揺れた。
確かに、ひとりだったら大変だったし、治ったかどうかもわからない。
それに、離婚ができると聞いて最初は自由になれる喜びでいっぱいだったけれど、だんだん、それと引き換えに失うものの多さに寂しいと思い始めた。私はここでの生活に随分と愛着を持ってしまっているらしい。特にエリアスが私を好きみたいな言動をし始めて、愛される花嫁になれるのではないかと夢を見てしまった。
だけど、どう考えてもそれは許されないことだ。この大好きなクックラのために空読み姫はお飾りでないといけない。それができないのなら、本当の花嫁が気兼ねなく来れるよう私は出て行くべきだ。
「いいえ、私はもう風邪なんて引かないんだから! エリアス、見てなさい、私は立派にひとり暮らしをしてみせるわ!」
「そう? なるほど、うん、わかった。僕はいつでも君のことを見てるから安心して」
ニコニコと返してきたエリアスの笑顔には何か含みがありそうで、私は首を曲げてその裏を覗き込もうとしたが、何も掴めなかった。
■■
「お久しぶり! さあ、歌うわよ!」
随分と大きくなったキャベツや玉ねぎたちの前で腰に手を当て宣言する。
まだ咳が出ているよ、完全に治りきっていないから、今日は天気が悪いから、風が吹いているからなどと、ありとあらゆる理由をつけられなかなか歌わせてもらえなかったけれど、ついに! 風のない穏やかで暖かい本日、我慢の限界を迎えた私はエリアスをひと睨みして、庭だけなら、と許可をもぎ取ってきた。
よーし、歌うぞ、と大きく息を吸って周囲を見渡したところでむせた。
「奥様!? 大丈夫ですか?」
駆け寄ってきたオッリに、この畑の反対側にドンとたつ鉄の温室のような建物を指差して叫んだ。
「この館自慢の庭の景観をぶち壊してる、あれは何!?」
「ああ……あれは、奥様のための薬草を栽培するための超高性能防音温室だそうです」
「……ナニそれ?」
よくよく聞いてみると、ありとあらゆる種類の薬草を、私の歌を聞かせずに育てるための建物らしい。
私のためだけにそんなものを建てるより、他の領地から買ってくる方が断然安くすむのでは?
一緒に眺めていたオッリとアニタへ、そう疑問を振ってみたら二人ともいい笑顔で首を横に振った。
「そんな、いつ供給が止まるかわからない薬草なんてあてにせず、ここで育ててストックしておくのが一番安全で確実ですよ」
「そうですよ。無駄に広い土地があるのですから、奥様のために使わないと」
……無駄な土地って……ええと、あの場所って前は何があったっけ?
思い出せない。確か、小さな四阿があったような? いえ、あれは裏のほうだったかしら?
だけど、こんなこと他の人たちに知られたら、噂通り空読み姫の私が領主にお金を使わせてるみたいじゃない!? 空読み姫の悪い噂を私が助長しているなんて、絶対に嫌なのだけど!?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
館の人とエリアスは思考回路が似ている?




