37 事件後の人々 その2
出勤すると、もう井川が来ていて自分の席でコーヒーを飲んでいた。
「おはようございます。昨日は早上がりしてすみませんでした」
「おう。身体の調子はどうだ」
「おかげさまで。あの、これ持って帰ってしまってたCDです」
小宮は晴彦の写真のCDを差し出すと、井川は妙に苦い顔をした。
「もしかして、何か課長に言われましたか」
「いや、一応捜査資料だから別に問題ない。遺族への連絡もかまわないと。で、連絡したんだが、父親の方の親族は『いらない』だとよ」
井川は昨夜晴彦の両親それぞれの親族、つまり父親の両親と母親の両親の両方に連絡を入れた。重罪を犯したとはいえ、孫の遺品だ。少しでも早く渡したい善意だった。が、母親の実家は何度電話してもつながらなかった。
「それで父親の方の実家へ電話したんだが」
――いりません。結構です
晴彦の祖母に当たる女性は、迷惑そうに断った。
「こっちの話も聞かず、嫁の悪口ばっかり。最初から結婚に反対だっただの内助の功が足りなかっただの。挙げ句に」
――由紀子さんの教育が悪いから晴彦があんなふうに育ったんでしょ。そもそも、晴彦は本当に秀雄の子供だったのかしら。秀雄に顔も性格も全然似てないから、秀雄にちゃんと検査して調べた方が良いって勧めたこともあるんですよ。あんな恐ろしいことするなんて、絶対うちの家系じゃないわ。秀雄はあっちの家の血に殺されたんですよ
自分の愛する息子だけを庇い、気に入らなかった嫁に責任を擦り付ける。
これ以上自分が傷つきたくないための防波堤のようなものだとは理解できるが、聞いていて愉快なものではない。
――うちには関係ない子の物なんていりません。警察にももう話すことはありませんから二度と電話してこないでください
乱暴に電話を切られ、さすがの井川ももう一度連絡しようとは思わなかった。
「予想外の悲劇に遭った時、誰かや何かを強烈に恨むことで自分を支える人間もいますからね」
「ああ、昨日怒鳴り込みに来た山口の母親もそうなんだろうな」
「おはようございます。山口先生の母親がどうかしたんですか」
出勤してきた早瀬が話に割り込んできた。
「いや、色々大変なんだろうなって話だよ」
「そうかもしれませんけど、久住さんの奥さんの実家の方も大変みたいですよ」
事件に関する嫌がらせの電話や悪戯電話の他、心ない人間が実家の写真と住所をネットに書き込んだため見物人が来て騒いだり、家の中にいる人の写真を撮ろうと勝手に隣の家の庭にまで入ってきたりで、家にいられなくなったそうだ。
「他にも、久住さん一家の葬儀は三人一緒にするはずだったのに、秀雄さんの方の両親が勝手に自分の息子の遺体だけ病院から引き取って行こうとして相当揉めたそうです。秀雄さんの上司が間に入って何とか取りなして、三人揃っての葬儀はしたものの、秀雄さんの方は父親が来ただけで母親も他の親族も参列せず、しかも父親は秀雄さんの遺骨だけ持って帰ったっていうんですよ」
――うちの墓に由紀子も晴彦も入れる気はない。汚らわしい血筋の者とはここで縁切りする
秀雄の父親はそう言って、火葬場から息子の遺骨だけを抱えて出て行ったという。
「心労で由紀子さんの方のお母さんは倒れて入院するし、まだ事件から日が浅いのに秀雄さんの家がある所の町内会からは『見物人が来て周りが迷惑してるからどうにかしてくれ』って苦情を持ち込まれるし、ホント、可哀想ですよ」
「お前、よく知ってるな」
小宮があきれ顔で言うと、早瀬はニッと笑った。
「昨日僕は奥さんの実家周りの聞き込み担当でしたからね」
早瀬は二十六歳の割に童顔で、素直な可愛げのある性格をしている。親が食品会社の経営者で裕福なせいか育ちも良く、会話も上手いためあまり相手に警戒されず話を聞き出してくるのが得意だ。強面の井川や何を聞いても表情があまり変わらない小宮では聞き出せなかった話を、早瀬が簡単に聞いてきた事が度々ある。
「おい、いつまで喋ってんだ。仕事しろ」
他の捜査員の報告書を読んでいた井川が早瀬の足を蹴った。
「その口の軽いところも早く直せ。今に痛い目に遭うぞ」
「僕だって何でもかんでも喋ってるわけじゃないですよ。喋る相手と内容はちゃんと考えてます」
「考えてるんだったら朝から他人の不幸を喋り散らしてないで、報告書で上げろ」
井川は軽く顔をしかめてもう一度早瀬の足を蹴った。
井川が不機嫌なのは早瀬のせいではなく、晴彦の母の両親に同情しているからだ。
娘夫婦を失い、孫も失い、世間には後ろ指を指され、せめて娘の配偶者家族とは慰め合い、悲しみを乗り越えるために協力し合いたかっただろうに、相手は暴言を吐き薄情に背を向けた。
その上片方は心労で倒れ、娘が住んでいた町からも責められる。
そんな気の毒な老夫婦に井川が同情しないわけがない。
人情の厚い井川なら彼らのために何かするだろうと小宮は予想していたが、案の定井川は久住家と母親の実家二軒の見回りの強化とネット上の実家の情報の削除を上司に要請し、久住家と由紀子の実家それぞれの家の近所に迷惑行為を働く者がいたら迷わず何度でも警察に通報してもらうように頼んで回った。
その後、井川と小宮は早瀬から聞いた由紀子の母親が入院している病院に向かった。
病室は三階にある普段は病室として使ってない部屋だった。由紀子の両親のインタビューを取ろうとマスコミが勝手に入ってきて騒ぎを起こしたため、病院側が配慮して彼らのために目立たない部屋を用意してくれたのだった。
部屋に入るとすぐに大きな衝立があり、ドアが開いただけでは中の様子が見えないようにしてあった。
衝立を回り込んで奥に行くと、疲れ果てたようにベッドに横たわった妻に背を丸めて付き添う夫の二人が怯えた目で小宮たちを出迎えた。
起き上がろうとした妻を井川が慌てて止めた。二人に心からのいたわりの言葉をかけて見舞いに持ってきたフルーツを傍にある机に置く。
痛々しいほど腰低く頭を下げて礼を言う夫婦に、井川は羽崎の正体を隠して晴彦の遺品の写真の話をした。受け取る意思があるか問うと、老夫婦は受け取ると即答した。
「あんな大事をしでかした孫だけれど、憎み切れんのです。優しい子だったんです。小さい頃から優しくて、わしが転んで足を痛めて暫く杖をついて歩かなければならなかった時は、ずっとわしの歩調に合わせて付き添って歩いてくれた。あまりにも優しいから、将来それで損ばかりするんじゃないかと心配してたんです。それがこんなことになって」
唯々悲しい、と二人は泣いた。
「近所にも迷惑をかけてしまって、申し訳なくて」
「それはあなた方のせいではありません。今日から家の見回りの回数を増やしましたし、考えなしのバカどもは飽きっぽいのでひと月もせずに落ち着きます。今はご自身の心身を十分に労ってください」
もし可能であれば暫く別の所に避難する方がいいと井川が助言すると、夫婦は顔を見合わせた後、力なく首を振った。
「行ける所などどこにもありません」
頼れるような親戚も友人もなく、ホテルなどに連泊する金もない。
もうひとりいる娘は結婚して遠くの県に住んでいて、幸いにも今回の事件について娘が婚家から責められるような事にはなっていないが、だからこそ頼りたくなっても、自分たちの方から近づいて関わってはならないと己を戒めているのだという。
「葬式に夫婦で来てくれただけでもありがたいことでした。娘夫婦は何日か家に泊まって傍にいると言ってくれましたが、葬儀場からそのまま帰らせました。もしあの子達が家にいるところを誰かに写真に撮られて雑誌に載せられたらと考えると恐くて……」
やるせない話だった。彼らは何一つ悪くないのに、言わば被害者であるのに、何故こんなにも肩身を狭くして縮こまっていなければならないのだろうか。
「あの、晴彦を保護してくださって遺品まで届けてくださるというその方には、重大なご迷惑はかかっておりませんか?」
こんな時にまで誰かを思いやろうとする老夫婦の優しさが、今は酷く悲しかった。
「大丈夫ですよ。何も問題は起きてないそうです。ご心配なく」
それ以上気の利いた慰めの言葉も見つからず、小宮たちは型どおりの見舞いを口にして病室を出た。




