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36  事件後の人々  その1

 凪いだ海は嫌いだ。

 良く晴れた空の下、無風に近い海は穏やかで眺めていても少しも心は浮き立たない。


 何の希望もない生活から逃げ出し、ここにたどり着いて何日経っただろう。寝て起きて、あの人が用意してくれた食事を食べて、また寝て――それの繰り返しだ。

 何をするでもない僕に、あの人は特に何も言わない。

 それがありがたくもあるが、不安でもある。高校受験の事を考えるといつまでもここにいるわけにいかないけれど、戻ればイジメが待っている。

 親も学校も僕の意見など全く聞いてくれない。

 それでも僕にはそこに戻るしか道はないのか。

 僕はこれからどうすればいいんだろう。

 あの人の問いは『どうするか』ではなく『どうしたいのか』であるけれど、どちらにしろ、答えはまだ見つからない。


 凪いだ海は本当に嫌いだ。

 僕が自己を主張しない事で、穏便に回っていたあの日々のようで。

 嵐が来ないだろうか。

 何もかもを巻き込んで壊してしまう、大きな嵐が。

 そうしたら僕は荒れる海に飛びこんで沖へ行き、あの水平線をこじ開けて、どこか全く別の世界に行けそうな気がするのに。



 目覚ましのアラームが鳴り響く。

 手探りでアラームを止めて、小宮が目を開くと見慣れた部屋が視界に入った。

 今さっきまで眺めていた海の風景ではないのに一瞬混乱したが、すぐに夢を見ていたのだと気づいた。

 小宮は起き上がらずそのままぼんやりと夢の内容を反芻して、笑った。

 昨日羽崎に会って話を聞いたことで影響され、晴彦が悩む様子を想像して自分を晴彦に置き換えた夢を見たのだろう。

 随分リアルな夢だった。夢の中で、本当に自分は晴彦だった。

 が、夢とはそういうものだ。見ている間は内容がリアルであろうがなかろうが関係なく、どんなに不可思議でも矛盾していても気づかないものだ。


 それにしても、別の世界、なんて。


 そんなものはありはしない。典型的な子供じみた現実逃避だ。

 そう、晴彦はまだ子供だった。

 子供故に選べる道が限られていて、よりによって最悪の道を選んでしまった。


 晴彦の父親がもう少し息子の声を聞く耳を持っていたら。

 母親がもう少し夫に対して強く意見を言える性格だったら。

 クラス替えで宗田たちと同じクラスにならなかったら。

 担任が山口でなかったら。

 何か一つでいい、違っていたら、悲劇は起きなかっただろうか。

 それともやはりどこかで晴彦は破綻してしまっただろうか。


 仮定の話は今更無意味だと分かっていても、考えてしまう。


 小宮は頭を一つ振って勢いよくベッドを降りた。

 加害者の方に同情的に傾いては駄目だ。自分は刑事なのだから先入観や偏見は極力排除して、公平な気持ちで仕事に取り組まなければ。

 一般の人間が表から見ているものを裏から見て真実を探るのが、自分たちの役目だ。

 顔を洗い、ひげを剃り、簡単に朝食を済ませて家を出る。晴彦の写真のCDは鞄に入れた。

 今日も空は曇っている。晴れる日など永遠に来ないような気分になる空だった。

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