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28  共感覚  その5

「宗田君たちはどういう理由で久住君をいじめていたか分かる?」

「確信はないけど、あれかなって思い当たることはあります」

「どんなこと?」

「宗田君は隣のクラスに好きな女の子がいたんです。その子が委員会の連絡か何かで久住君と廊下で話をしてたことがあったんですけど、その時久住君の態度が素っ気なかったんです。それを見ていた宗田君の感情が相当悪かったので」

「つまり、自分の好きな女の子に対しての態度が冷たかったので怒った、と」

「嫉妬もあったんですよ。宗田君にしてみれば自分からろくに話しかけもできない片思いしている女の子がニコニコ話しかけてるのに、久住君の方は悪気はないにしろ愛想の欠片もありませんでしたから」

 感情と意識の流れが見える原田なら、それは言葉よりはっきり分かっただろう。

 この子には建て前も強がりも見栄も虚栄も嘘も通用しない。

 改めて考えると、この子にとっても他人にとっても恐ろしい感覚だと小宮は背中に冷や汗をかいた。

「それで、日頃自分のギャグに全然笑ってくれない久住君にムカついてた品川君と、面白い事なら何でも乗って来る大石君を仲間にしてイジメを始めたんじゃないかと思います」

「……宗田君たちを小心者と言った理由が分かったよ。文句がある人間に対して一人で面と向かって言う事が出来ないから数に頼んで、しかも自分より立場が強い人間にばれないように嫌がらせをするなんて、確かに器の小さい人間のやることだ」

 代償は大きかったがな、と河田は苦い顔でため息をついた。

「じゃあ、久住君は宗田君たちにどんな感情を抱いていた?」

「拒否、ですね」

 原田は即答した。

「拒否? 憎悪、とかじゃなくて?」

「はい。瞬間的になら色々ありますけど、一番多く見えたのはそれです」

「お前達なんかいなくなれ、って感じかな」

「そうじゃなくて……自分に関わらないで欲しい、と言うか、ほっといて欲しいって気持ちに近いんじゃないかと」

 酷いイジメを受けていたにしては、その感情は遠回しというか、優し過ぎる気がする。理不尽な暴力をしかけて来る相手になら、もっと強い悪感情を持って当然であるのに。

「随分消極的だな」

 呆れたように呟いた井川に原田は首を振った。

「人を憎む感情って意外と精神力がいるんです。久住君は良くも悪くもそんな精神力のある人じゃありませんでした」

「その割にやった事は大それたものだが」

「久住君は元々、誰に対してもそんな感じでした」

 構って欲しくない。

 必要以上に近づいて欲しくない。

 誰とも親密になりたいと思わない。

 他人と一定の距離を置きたい。

 注視していた訳ではないが、晴彦の好意的な意識が強く誰かに向かうのを見た事がないと言う。

「君たちの年頃で、それはないだろう。思春期の真っ只中で、友達を求める気持ちがないわけがないし、気になる女の子の一人もいて当然なのに」

「そんな対象を求める気持ちがすでに擦り切れてしまっていたとしたら?」

「そんな、まさか。たった十五歳で」

 井川に失笑された原田は少し考え、彼に向って口を開いた。

「刑事さんは刑事になりたくてなった人ですか」

「ん、まあ、そうだな。刑事、とまでは言わなくてもガキの頃から警察官になりたいとは思っていた」

「なのに両親から、例えば『華道の師範になれ』って言われ続けて、無理に華道の稽古に行かされてしまったら、どう思いますか」

「そりゃ、大いに反発する。俺の性格でお華の先生なんて上品でお淑やかなもの、無理だ。興味もない」

「それでも両親が聞いてくれなかったら? 刑事さんの興味があるものに全く理解を示してくれなくて、周りの誰も自分に味方してくれなかったら?」

「どうやっても性格的に出来ないものは出来な――」

 井川はふと言葉を止め、「そういうことか」と呟いた。

「そうです。多分久住君は本来の自分の性格に合わないものを、両親に求められ続けて来たんじゃないかと思います」

 原田の推理は的外れではないかもしれない。

 気の強いスポーツマンだった父親は、争いを好まず気の優しい性格だった晴彦に、自分と同じような人間になるよう求めていた節がある。

 晴彦の気性では父親の希望には添えず、だからと言ってきっぱり拒否もできなかっただろう。

 その内晴彦は両親の失望を感じ、実の親ががっかりするような自分を他人が求めてくれるはずがないと考えるようになって、自分を理解してくれる誰かを『欲しい』と思うより先に『いらない』と自ら切り捨てる事で、最後の自分のプライドを守っていたのではないだろうか。


 持って生まれた個性に合わないものを押しつけられるのはさぞかし苦しかったはずだ。

 あの子にとってイジメのある学校は地獄だったが、家庭は煉獄だったのだ。


 なのに、どうして晴彦は家に帰って来てしまったのか。


 この事件の捜査中、幾人もの口から異口同音に聞いた。

 両親を殺めるくらいなら。イジメ相手を取り返しのつかないくらい害するくらいなら。

 どうして、帰って来てしまったのか、と。


 もうその問いに意味はない。

 答えて欲しい相手は死んでしまったのだから。


「久住君は」

 原田の声に、小宮は我に返って彼女の方を見た。

「家出している間に何を考えていたんでしょうね」

 問いかけではなく、独り言だったのかもしれない。

 が、井川が律義に拾い上げた。

「さあな。死んだ奴にはもう訊けない。だから捜査をしているんだ」

 彼らの周りにいた人間に話を聞き、事実を拾い出し疑問を埋めていく。一面真っ白なジグソーパズルをやっているような気分だ。

 明日は晴彦が両親を殺害した日の午前中まで滞在していた家の人間に話を聞きに行く予定だった。



 その人物について刑事課に電話がかかって来たのは、事件があった日の夕方だ。

 電話の主は大手出版社である文現社の副編集長の岸原と名乗り、問うてきた。

 ――そちらで起こった事件の、両親を殺害して自殺した少年は、もしかして久住晴彦という名前ではありませんか

 未成年の犯罪であるため、少年の名前は非公開である。電話を受けた捜査員は当然「そんな問い合わせには答えられない」と突っぱねた。が、相手は意外な言葉を重ねた。

 ――もしそうであれば、私は昨日の午前中まで久住君と一緒にいた人物を知っております

 驚いて詳しく事情を訪ねると、事件前家出していた晴彦を保護し、両親の承諾を得てしばらく家で預かっていた人間を知っているという。

 晴彦の父親は上司に「息子は、事情があって名前は言えないが私の知人の家にいる」と話していて、それが誰なのか捜している最中だった。

 ――その人物は仕事をしていてテレビもネットも見ていなかったので事件をさっきまで知らなかったそうですが、今からでもできることがあれば捜査に協力したいと言っております

 それなら本人にこちらから連絡すると捜査員が答え、その人物の名前と連絡先を問うと、署長に電話を繋いで欲しい、署長になら話すと言って譲らない。

 悪戯電話だと判断した捜査員は適当にあしらって電話を切った。が、その一時間後、捜査員全員が署長室に緊急招集された。


 ある指令を捜査員に確約させるために。


「久住君は事件の日の午前中まで親族じゃない人の家にいて、そこから帰る途中で宗田君たちを切りつけた刺身包丁を買っているんですよね」

「……何でそんな話を知ってる」

 顔をしかめた井川に、原田は呆れたような眼差しを向けた。

「刑事さんこそ知らないんですか? 世の中には余計なお世話を焼くテレビのワイドショーや無意味に情報を拡散させるネットの書き込みというものがあって、それを見た人間が頼みもしないのに親切に教えてくれるんですよ」

「そんな暇があるなら仕事か勉強でもしてろと怒鳴りつけてやりたいな」


 未成年が起こしたショッキングな事件のためマスコミも大いに騒ぎ、井川も小宮も連日ネタを拾おうとする記者やレポーターに纏わりつかれて辟易した。

 質問を投げかけて来る奴らのほとんどに、事件を公正に報道するのが目的でなく、関係のない第三者の下世話な好奇心を満足させたいだけのための下劣さが透けて見え、疲れを倍増させた。

 事件のあったこの中学校の写真を取りにわざわざ隣町から来て、校門前で笑って騒いでいた男子高校生の集団を不謹慎だと叱りつけて追い返したのは昨日の事だ。

 この国ではいつから他人の不幸が祭りと同意義語になったのだろう。


「さっきの話ですけど、一緒にいた人にも全く気取らせず凶行を計画していた、と考えるより、帰る途中で何かがあって思いを定めたって考えた方が」

 自己の推理を口にする原田を、井川はずいとソファーから身を乗り出し、首を横に振った。

「それは警察の仕事で、君が考えることじゃない」

 目を見開いた原田が口を開きかけたが、井川は目線で止め、繰り返した。

「久住君に何があって何を思ってあんな事をしたのか、君が考える必要はない。君が今しなければならないのは」

 井川は一拍おいて、声を和らげた。


「自分を責めるのを止める事だ」


 井川の言葉に、原田の身体が強張り、喉が小さく鳴った。

「君が他人の意識や感情が見えていたとしても、見えていたもの全てに対して責任を取る必要はないし、その義務もない。君がその感覚を使って、何らかの行動を起していたら結果が変わっていたという保証もない。その証拠に、久住君にもイジメから一時的にでも逃れる手助けをしてくれた人がいたにもかかわらず、結果は最悪になった」

 少女は硬い表情のまま、自分の倍以上の年月を生きている人生の先輩の言葉に聞き入る。

 最初にみられた斜に構えた態度は消え失せ、歳相応の素顔を晒していた。

「人が人を救うなんて、実は出来はしないんだ。せいぜいできても手助けくらいが関の山だ。だから、君がもしかしたら久住君たちを救えたかもしれないと考えているとしたら、それは傲慢というものだ。思い上がりだ」

 厳しい言葉を並べながらも、井川の口調は優しい。

「この世はある意味誰にとっても戦場なんだ。みんな生きるための戦いをしている。君には君の戦いがあるように、久住君には久住君の戦いがあって、他のクラスメートにもそれはあって、クラスメートの誰もが久住君に手を差し伸べる力の余裕はなかった」

 そして彼は逃げ出した先で差し伸べられた手を一度は握ったのに、最後で人生の選択を誤った。

「まず責められるべきは久住君の周りにいた大人達であって、断じて君じゃない」

 真摯に語る井川の見つめていた原田から、


「……私なんです」


 震える声がこぼれた。


「久住君がカッターで指を切った人に絆創膏を置いて行ったって話、あれ、私にしてくれた事なんです」

 告白と一緒に彼女の目から涙がこぼれた。

「私、お礼も言わなかった。ありがとうってたった一言なのに……言えなくて……言えないままで」

 ああ、そうか、と小宮は心の内で納得する。

 彼女は久住の親切に対して何も返さなかった罪悪感から懺悔したかったのだ。

 永遠に礼を言う機会を失ってしまった彼女はその代償に、自分の薄情さを誰かに叱ってもらいたかったのだ。詰られて、傷つきたかったのだ。

 自分を責める者に彼女は『正義の味方』である警察官を選んだ。

 けれど、残念ながらその人選は失敗だ。

 井川は強面で口も悪いが、情に厚く人の心に機敏な優しい男だから。

「久住君に申し訳なく思う気持ちがあるなら、君は一生彼の事を覚えていればいいんだよ。両親を殺し同級生を傷つけた狂人としての彼でなく、君の怪我を心配して絆創膏をくれた彼をね」

 それが償いだと諭す言葉に、原田は両手で顔を覆い俯いて、小さな子供のような泣き声を上げた。


 実年齢以上に冷静で達観しているように見えても、彼女がまだ十代の傷つきやすい心を持った少女だった事に小宮は安堵するのと同時に痛ましさも覚えながら、肩を震わせて泣く子供を黙って見守る井川を見ていた。

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