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29  証言  その1

 陰鬱な灰色の空の下、防風林の木々は影を濃くして、何かの予兆のように冬風にざわめいていた。

 防風林は常緑樹だから冬の今でも緑であるはずなのに、天気が悪いため光が当たらないせいか黒々として映り、風を巻き込んでしなる枝が生き物めいて見えた。

 林の向こうの海は見えず、風に混じる匂いに因ってその存在を知るのみだ。見えたとしても、明るい色彩の海ではないだろう。

 街はクリスマスの装飾できらびやかな時期だというのに、ここには色がない。

 生気を感じさせる色がないのだ。

 寂しい――というより、いっそ不安になる風景だった。



「何が良くてこんな所に住んでるんだろうな」

 家出した久住晴彦を保護し滞在させていたという奇特な小説家羽崎薫の住まいは、この林の奥にある。

 フェンス沿いに止めた車から降りた井川は暗い防風林を見て、顔をしかめた。

「羽崎って作家、恋愛小説家と知らなかったら絶対ホラー作家だと思ったぞ、俺は」

「住まいと作品は関係ないでしょう」

「こんな辺鄙な気色の悪い所に住んでてあんな甘たるい話を書くなんて、作家って人種はどんな頭してるんだ」

 会って話をする前に予備知識をと、女性職員に借りた羽崎の恋愛小説を三分の一も読まない内に「体中がムズムズする」と言って投げ出した井川は呆れたようにため息をついた。

「そういうのを世間じゃ才能と呼ぶんですよ。さ、行きましょう」



 フェンスの門扉を開いて中に入る。車一台分の幅の整備された道を少し歩くと、二階建ての家が見えた。玄関に立ってインターフォンのボタンを押すとすぐにドアが開いた。

 応対に出て来た人物は、小宮と同年輩くらいの穏やかそうな男性だった。

 小宮と井川が所属と名前を告げ警察手帳を見せ、

「……羽崎薫さん、ですね?」

 問いかけると、「そうです」と頷いた。

「あ、あの、羽崎薫は実はペンネームなんですが」

 緊張気味に彼は聞いてきたが、

「それは存じておりますが、通称名の方が使い慣れておられるようなので、私どもも羽崎さんとお呼びします。ただ、今回参考人として供述調書を作成させてもらいます。その内容に間違いがなければ調書への署名と押印をお願いするんですが、それには本名をお願いします」

 井川の答えを聞くと、彼はぎこちない表情で頷いた。

 羽崎が恋愛小説家と聞いて気障で洒落た男を思い浮かべた想像は、住まいを見て偏屈で気難しい男に変わったが、実物はそのどちらにも全く当てはまらない、どこにでもいそうな普通の男性だったので小宮は肩すかしを喰らった気分になった。

「こんな所までおいで頂いて申し訳ありません」

 彼は丁寧に頭を下げた。

「本来なら私の方がそちらに出向くべきなんですが、私は免許も自転車も持ってないので、ここからそちらに行くとなると、結構時間がかかってしまって、下手をすると泊りがけになってしまうことになりかねなくて」

 事件のあった管轄の警察署まで出頭しようとすれば、まずこの家から一番近いバス停まで行くだけで徒歩では三十分以上かかる。そこから市内バスでターミナルへ行き、県外行きのバスに乗り換え、着けばまた市内バスで警察署へ。帰りはルートは同じでもバスの便数が少ない上に比較的早い時間に運行がなくなる地区なので、帰る時間が遅くなれば日帰りできない。自宅から警察署までタクシーを使えば簡単だが、結構高い運賃になる。

 それに対して警察の方から出向けば、この家まで車で片道一時間半ほどで済む。善意の協力者に負担をかけないために、こちらが動くのは当然だ。

「お気遣いなく。協力をお願いしたのはこちらですから」

 どうぞ中へと招かれた家の中は、一代で成り上がった者の成金趣味でなく、何代も上級の暮らしを続けてきて一流の物が日常的に身近にある者が建てたと思える、品格のある内装だった。

 海の近くのリゾート地によくある近代的で垢抜けた別荘とは違いクラッシックな作りだが、重厚な落ち着きを感じさせる家だった。

 案内されたのは壁にいくつもの絵が飾られた応接間のような部屋で、コーヒーを運んできた羽崎は、小宮たちの対面のソファーに座るなり深々と頭を下げた。

「この度は私の観察力が足りず、申し訳ありませんでした」

 晴彦を帰したその日に彼が起こした事件について詫びる羽崎に、井川が首を振った。

「あなたのせいではありません。もし久住君の様子がおかしかったなら、多分あなたは家に帰さなかったのでしょうから、あなたの目をかいくぐるほど久住君の覚悟が固かったんでしょう」

 羽崎は俯いたまま微かに頷いた。

「晴彦君が帰った後、私は仕事に没頭していてテレビもネットも全く見ていなかったので事件があったのを知りませんでした」

 仕事が一段落してからテレビのニュースを見て驚愕した。

 事件のあった場所、中学校名――殺害された両親と加害者の名前こそ出ていないが、校舎から飛び降りて死亡した少年と晴彦が符合する要素があり過ぎた。

「間違いであって欲しいと思いながら晴彦君の家に電話したんですが、つながらなかったので懇意にしている出版社の人間に相談したんです。それで彼が警察に問い合わせをしてくれまして……やっぱり晴彦君だったと分かって」

 羽崎は俯いたまま顔を覆い、長いため息をついた。

「お疲れのようですが、大丈夫ですか?」

「昨日一日、ネットで事件関連の記事を色々読んでいて……正直、相当堪えてます。酷い書き込みが多くて」

「ああいうものは関係者は見ない方が賢明です。酷いものは削除要請しましたよ」

 例えば被害にあった宗田たちの実名と顔写真。担任の山口と晴彦のクラスメート全員の実名と住所録。

 どうしてそんなものがネットに流れるのか。流された情報の内容は事件関係者に近しい者からしかあり得ない。

 流した人間がこれが正義だと思っているのなら、あまりに幼稚だ。

 学校やクラスメートに対する批判が多い中、晴彦を英雄視して称える書き込みも少なくなかった。

 関係のない第三者が顔も名前も晒さないで、深く考えないまま倫理も思いやりもなく無責任に好き勝手なことを発信する。

 事件で傷ついた人間が目にすればどう思うかという想像力が、決定的に欠けているのだ。


 他はどうあれ自分の気が済むようにするのが現代における『自由』なのか――嫌な世の中になったものだ。


「お忙しい所を来ていただいたのですから、時間を無駄にするわけにはいきません」

 羽崎は一つ大きく息を吐き、顔を上げた。

「何でも聞いてください。覚えていることは全てお話します」

 井川と小宮は一瞬視線を合わせ、晴彦のクラスメートに話を聞いた時と同じ役割で事情聴取を始めた。

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