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26  共感覚  その3

 熟考の末、口を開いたのは井川だった。

「ようするに、久住君は全く落ち着いたまま、三人に斬りつけたって言うんだな」

「そうです。初めから宗田君たちを攻撃しようと思っていたのなら緊張が見えたはずで、何かにカッとして斬りつけたなら瞬間でも興奮が見えたはずなんです。なのに、興奮の欠片もなかった」

 あり得ない、と井川は頭を振る。

「じゃあ何だ? あの子は学校に来る前から、もう頭がいかれてたのか?」

「まともなら級友に斬りつけたりしませんよ。そういう意味では狂っていたと言ってもいいかもしれない」

 しかし原田は小宮の意見を冷静に否定した。

「精神に異常をきたしている人なら見た事がありますけど、違います。それに、どんな人でも反社会的な行動や過激な動きをする時は、意識や感情の流れが大きく乱れるものなんです」

 教室から逃げたので晴彦が死ぬ直前の状況は見ていないが、あの心理状態から自殺を選択するとは思えないと言う。

「すでに何もかもに覚悟を決めていたから、じゃないか?」

 小宮の意見に、原田は首を傾げた。

「久住君にそこまで揺るがない覚悟ができると思いますか?」

 話に聞いた普段の晴彦なら無理だ。が、

「彼はその時すでに両親を殺していた。全てに絶望して、投げやりになっていたのかもしれない」

 両親を殺した後の大き過ぎる精神の動揺に心が擦り切れて、逆に何も感じなくなっていたとも考えられる。どちらにしろ、正常な精神状態ではなかっただろう。

「君に見えるのは感情と意識の流れだけなんだよね?」

「はい。思考までは分かりません。見えたものに個々の背景や性格や事情を合わせて、推測するしかないんです」

「だったら、分からないままでいいじゃないか」

 目を見開き、何か言いかけた原田に、

「君は共感覚の持ち主というだけで、犯罪心理分析の専門家じゃない。犯罪者の心理なんて分からなくて当然だし、分かる必要もない」

 小宮は有無を言わさず言い切った。

「君が今までにどれくらいの人間に出会ったかは知らないが、まだ十代だ。世の中には君の想像を超えるくらい色んな人間がいて、君の知らないパターンの心理状態もあったってだけだよ」

 原田の顔がサッと赤らむ。彼女のような共感覚はないが、小宮にも彼女が怒ったのはひと目で分かった。

 人生経験の未熟さからくる知識不足と揶揄されて怒るとは、結構勝ち気な子だ。

「それに、犯罪を犯している状態の人間の心理を、常人が理解しようとしても無理な気がするよ。俺たちは日常にいても、彼らは非日常に踏み込んでいる。立っている世界がすでに違うんだから」

「立っている世界が……違う……」

 小宮の言葉を繰り返して呟いた原田から、急激に怒気の色が冷めていく。

「何が、思い出した事でもあるの?」

 目を伏せて、自分の思考に沈み黙り込んでしまった彼女に声をかけると、

「あの時の久住君、マネキンみたいだと思ったけど」

 そうじゃなかった、と首を振った。

「自分と同じ世界にいないような気がしたんです。……んん、何て言うか……そう、映画の中の登場人物を見ているって感じだった」


 実在感がなかったということか。

 しかし、それは見た側の原田の心理に因るものだ。

 過去は記憶でしか語れない。『過去』を語ろうと記憶を辿る『今』は、『今』の状況と精神状態が影響してしまうのだから印象が違っても不思議ではない。

 結婚詐欺に遭った女性が相手の男との交際時の様子を聞かれて「そう言えば少し胡散臭い感じはした」と言うようなもので、原田も、大人しく優しかった晴彦が両親を殺し級友を斬りつけた事実を受け止めかねていて、その深層心理が事件当時の晴彦の姿を儚いものに仕立て上げているのだ。


「久住君本人も、現実だとは思ってなかったとしたら?」

 怪訝な顔をする原田に、

「ストレスが極限に達すると、身体に変調を来さないよう守るために、脳の一部が勝手に睡眠状態に切り替わる人間もいるって話を聞いた事がある。もし久住君がそんな人間だったら、事件の時、本人の意識は夢を見ているのと同じだったんじゃないかと思うんだ」

 小宮は知り合いの医者との雑談の内容を引き合いに出して、彼女に深層心理の指摘をするのを避けた。

 この聡明な少女なら、いずれ気持ちが落ち着けば自己心理分析をして気付く。

 今わざわざ自分が言わなくてもいい、と姑息な方を選んだ自分に大人としての狡さを感じた。

「身体は普通に動いているのに、脳は寝ているって事ですか? 夢遊病に似た感じなんでしょうか」

「うん。稀な体質らしいけど、可能性がないわけじゃない。それなら、君の見た不可思議な久住君の様子も説明がつくだろう」

「そうですけど……」

 納得しかねるようだったが反論もできず、原田は不服そうに頷いた。

「しかし、君は勇敢だな」

 井川が感心して唸る。

「普通、十五歳の女の子なら事件をもっと怖がって、思い出すのも嫌がるものだが」

「私、十五歳じゃありません」

 原田は不愉快そうに口を尖らせた。

「ああ、まだ誕生日が来てなくて十四歳だったのか。そりゃ、失礼した」

 女性はこんな頃からでも歳を気にするのかと思えば、違った。


「私、十七歳です」

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