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25  共感覚  その2

 いつもの朝のホームルームで連絡事項があらかた伝え終えられた頃だった。

 いきなり教室のドアが開き、ずっと学校に来ていなかった久住が入ってきた。

 家出したはずの久住が突然登校してきて、クラス内は戸惑いにざわめいた。


 久住の家出はみんな知っていた。久住が無断欠席した日の夜、担任の山口が「久住君が家出したみたいなんだけど、どこかで姿を見かけなかった?」とクラス全員に電話して回ったからだ。

 もし家出だったとしてもこんなにみんなに触れ回られてしまったら、無事に家に戻っても気まずくて学校に来られなくなるのではないだろうか。本当にこの人はデリカシーがないと呆れたのを覚えている。


 ――どうしたの、久住君

 山口が真っ先に声をかけた。

 ――今日から学校に来るなんて、何の連絡も

 困惑する山口も教室内のざわめきも一切無視して、久住はまっすぐ宗田の席へ向かった。

 少し痩せた彼を目で追いながら、おかしな事に気がついた。

 彼の心が少しも波立っていないのだ。

 普通なら、しばらく学校を休んでいてしかも遅刻してきたのだから不安や注目される羞恥による心の乱れが見えるはずなのに、それが全くない。

 どんな感情も感知できず、久住の姿をしたマネキンが動いているように見えた。


 ――お前、家出してたんじゃないのかよ

 目の前に立った久住をからかうように宗田が聞いた。


 ――本当は家に引き籠ってたんじゃないのか

 ほんのり久住が微笑んだ。


 ――それ、何だ

 宗田の後ろの席の品川が、久住が左手に提げていた有名菓子店の紙袋を指さした。


 ――宗田に持って来たのか? 俺にもくれよ

 久住は従うように紙袋の中に右手を突っ込んだ。

 そして――その手に握られたのが包丁だと知ったのは、三人が床に倒れた後だった。

 思い返すとその瞬間はいつもスロー再生のスピードになる。けれど実際はあっという間の出来事だったはずだ。三人が避ける暇もなく斬られたのだから。

 パニックになった教室から、近くの席の友人が手を引っ張って連れ出してくれた。

 怖くて自分では身動きが取れなかった。

 包丁を持った久住が暴れて、自分にも危害を加えると思ったからではない。


 久住が静かだった。

 それがたまらなく恐かったのだ。


 久住の感情は教室に入って来てからずっと変わらず、鏡のように平らだった。


 包丁を取り出した時も。

 三人に斬りつけた時も。


 恨みもなく、怒りもなく、悲しみもなく、苦しみもなく。

 あらゆる激情がない状態で、彼は人を斬りつけたのだ。


 そんなこと人間にはできない。


 そこにいる久住は果たして人間なのか。

 この世に生きている人間なのか。


 教室を出る時、一度だけ彼を振り返った。

 彼は窓の方を向き、微笑んで遠くを見ていた。

 身体は紛れもなく久住だが、心は別の、何か。

 ここに彼はいるのに、ここに彼はいない。


 教室の中央に立ち尽くす彼は。

 かつて級友たちがした扱い通りの。


 実在にして架空の人物だった。

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