24 共感覚 その1
少女の告白に、小宮と井川は顔を見合わせ、どう答えるべきか逡巡した。
多感な中学生にありがちな妄想だろうが、子供の言うことだと適当に受け流してやるべきか、本人のためにもきっぱり否定してやるべきか、迷う。
「まあ、信じられませんよね」
原田は不服そうに口を尖らせた。
「こんな話したら電波系かと思われるから、私も本当は嫌なんだけど。……共感覚って知ってますか」
「もしかして、音に色がついて見えるとかいう、あれかな」
小宮には昔何かの本で読んだ記憶があった。
世界的に有名な音楽家がその感覚の持ち主で、オーケストラの指揮をした時、演奏者に「紫を少なく」とか常人には分からない指示を出して困らせたという逸話だった。
「はい、その共感覚というものなんだろうと思います」
彼女の場合は、人の意識の流れが色つきで見える。水もしくは薄い煙のようなもので、その形状や色で感情も判断できるのだそうだ。
気が合う人同士が傍に寄ると流れが混ざり合って見え、仲が良いほど境目がない。反発していると区切られているように見えて、意識してない人の方には流れが行かないなど原田は懸命に説明する。
「それで、これからの話は私がそういう感覚を持っていると理解してくれないと、ただの妄想になってしまうんですが」
「あ、ああ、うん」
納得しかねる顔で頷く井川を見て、原田はため息をついた。
「やっぱり、止めます」
理解してくれない人に話をするのは疲れるし、虚しいとやや拗ねた彼女に、
「じゃあ、俺が聞くよ」
小宮が片手を上げると、井川は目を見開いた。
「ちょっと待て、小宮。お前」
「何もこの子は宇宙人と会話ができるなんて類のこと言ってる訳じゃないでしょう。観察眼もあるし、聞いてみる価値がありますよ」
正直、共感覚がどんなものかはよく理解できないが、この子は特殊感覚の持ち主であると前提して話を聞くことはできる。
小宮は自分のメモを井川に渡して、原田に向き直った。
「じゃあ、その感覚でクラスメートを見ていたから、みんなが久住君を意識から排除していたと分かったんだね」
「そうです。クラスの誰もが久住君に対して何の感情も抱かない。意識も久住君へ流れて行かない。近くに見知った人間がいれば、普通は多少なりとも何らかの感情が湧いて意識が向くものですけど、久住君が目の前で苛められていても全く流れて行きませんでした」
「皆と宗田君たちの関係が良好だったと言ったのも」
「感情の種類と流れの状態がそうでしたから」
「今までその見方が間違っていたことはないの?」
聞いた途端、彼女は目をつり上げた。
「刑事さんは、右手を叩かれて左手が痛いと感じますか?」
「……悪かった」
感覚なのだから当人にしか分からないとはいえ、話を聞かせてもらう身としては、全面的に信じるべきだった。
「まあ、私の方が変わってるんだから、仕方ないか」
半ば諦めたようなため息をつき、原田は怒りを収めた。
「君が共感覚を持っているって、クラスのみんなは知ってるの?」
「いいえ。家族と掛かり付けの病院の人達以外は知りません。言う気もないです。色々面倒だから」
『色々』と言うからには、それなりの数の面倒を体験しているのだろう。
珍しい感覚だから全ての人間に理解してもらうのは難しいし、自分の感情や意識を見られるのを不快に思う者もいるだろう。下手をすれば嘘吐き呼ばわりされて、彼女こそイジメの対象になりかねない。
軽々しく公言しないのは賢明だ。
「家族からも、誰にも言わないように言われてるんです」
「光栄だね。俺たちは信用してもらえたのか」
「公務員には秘守義務がありますから」
可愛げのないセリフを愛想なく吐いて、
「それに、どうしても刑事さんに聞きたい事があったんです」
原田は黒目がちの瞳をひたりと小宮に向けた。
「久住君、本当に自殺だったんですか?」
「――え」
思いがけない問いに、井川と小宮は同時に声を上げた。
「私、久住君が自殺したとは思えないんです」
「彼は教師が駆け寄る前に、自分で頭から窓の外へ飛んだ。転んで落ちた訳じゃない。複数の教師の証言も一致していて、不審な点はないよ」
小宮の説明を聞いて、原田は考え込む。
「どうして自殺と思えないのかな?」
「それ以前に、久住君があの三人を斬りつけたことさえ信じられないんです」
クラスの誰もが異口同音に同じことを語った。晴彦は自分が傷つけられても絶対に人を傷つけない性格だと思われていて、それだけに今回の事件は殊更ショックが大きかったようだった。
「いかに人間観察が趣味の君でも、人の行動の全てにまでは予測がつかないのは」
当たり前だと慰めようとした小宮の声は、彼女の声に遮られた。
「違うんです。そういうことではないんです。三人に斬りつけた久住君の感情が、普通では考えられない状態だったんです」
ああ、そうか、と小宮はようやく気付く。
この子は共感覚で見たものを自分たちに語りたかったのだ。
クラスメートの心情の話は自分の共感覚を理解してもらうための前振りで、おそらくこれから話すことが本編なのだ。
「君は、何を見たんだ?」
常人にはないその感覚で。
「あれ、久住君じゃなかった」
原田は小宮から視線を逸らし、独り言のように呟く。
「久住君の形をした、別の何かだった」
「別の何かって、別人みたいだったということ?」
小宮の問いに、原田はゆっくり視線を戻した。
「別人、じゃなくて、別の何か、です」
感情と意識の流れを捉える瞳は小宮に向いているにもかかわらず、自らの記憶を見つめている。
「あれを……生きてる人間だとは思えなかった」
原田の声は微かに震えていた。




