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呪われた公爵家の庭師令嬢  作者: ミナト


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3/5

3 植物の奇跡

 それから一ヶ月で、庭は見違えるように変わった。

 エリナの方法はシンプルだ。

 自分の魔力を込めた「緩衝植物」を庭のあちこちに置くこと。

 魔力を込めるには時間がかかるので、毎日少しずつ育てながら、カイルの周囲に展開していく。緩衝植物が呪いの力を吸収・中和するため、その周囲の植物は直接の影響を受けにくくなる。

 もっとも、完全ではなかった。カイルが長く留まる場所は、まだ植物が弱りやすい。

 しかしエリナが毎日手入れをすることで、庭は少しずつ息を吹き返した。

 バラの新芽が伸びた。噴水のそばのラベンダーが数輪咲いた。石畳のすき間から、ヴィオラが顔を出した――


 カイルは毎朝、書斎の窓から庭を眺めた。そして時々、エリナが気づかないところで、指先でそっと窓ガラスに触れていた。

 まるで庭にいるエリナに触れたいのに触れられない、という仕草のように。


 ◇ ◇ ◇


 問題は、呪いそのものをどうするか、だった。

 緩衝植物は対処療法に過ぎない。エリナの魔力が尽きれば機能しなくなるし、カイルの体に蓄積した呪いは少しずつ彼を蝕んでいる。このまま放置すれば、父親と同じ末路を辿ることになる。


「呪いの出どころを断たなければ」


 エリナは一人、屋敷の書庫で文献を漁っていた。カイルもたびたび同席したが、彼が触れると古い書物が傷むため、エリナが一人で作業し、カイルは少し離れた場所から指示を出す形になった。

 その夜、深夜まで調べていたエリナは、一冊の古い契約書を見つけた。

 魔法師との契約の原文だった。


「……あ」


 エリナは声を上げた。

 契約書の末尾、そこには普通の文字とは異なる記述があった。魔力を持つ者だけが読める、植物の紋様で書かれた付記。

 カイルを呼んだ。


「この付記が見えますか」

「……見えないな」

「私には見えます。植物紋様です」

「植物紋様?」


エリナは読み上げた。


「曰く――この契約が結ばれた当初、大魔法師は呪いの暴走に備えて『解除の鍵』を仕込んでいた。それは、公爵家の者が庭の花に誠実な感謝を捧げるとき、花が自らそれを受け取るとき、呪いは一度鎮まる。そして鎮まった呪いに、外部の魔力が直接注がれたとき、完全に消える、と」


 書庫が静かになった。


「……感謝を捧げるとは?」

「分かりません。でも……」


 エリナはゆっくり考えた。


「植物は感覚の生き物です。言葉より、行動より、感情を受け取ります。あなたが本当に庭を愛していれば、花はそれを感じる」

「私は庭師ではない」

「そうですが、かつてあなたはこの庭が好きだったのでは? 花たちはあなたのことを覚えていますよ」


 カイルは長い沈黙の後、静かに言った。


「……子どもの頃、父と庭を歩いた。父は植物に詳しく、名前を一つ一つ教えてくれた。あの頃は、庭に出るのが楽しかった」


 その声は、エリナが初めて聞く柔らかさを持っていた。


「では、その気持ちを思い出して庭に出てみてください。私も一緒にいます」


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、二人は庭に出た。

 カイルが庭を歩くのは、三年ぶりのことだった。  彼の足元では、これまでなら即座に萎れていた草花が、エリナの置いた緩衝植物の効果もあって、かろうじて顔を上げていた。

 カイルは一言も喋らなかった。ただゆっくりと歩きながら、花を見た。

 バラの棚の前で止まった。そこにはまだ一輪も咲いていないが、赤い新芽がいくつも伸び始めていた。


「……このバラは、父が植えたものだ」


 エリナは黙って隣に立った。


「白いバラだった。母が好きな花で、父は毎年必ず咲かせていた。私が継いでから三年、一度も咲かせられなかった」


 カイルがかがんで、バラの新芽に目線を合わせた。触れなかった。触れられないから。ただ、見つめた。

 エリナはそのとき、はっきりと感じた。

 庭の植物たち全体が、わずかにざわめいた。緊張ではなく、期待の揺らぎ。まるで眠っていた何かが目を覚ますように。


「公爵様」


 エリナは静かに言った。


「花が受け取っています」


 カイルが顔を上げた。その目が、初めて濡れているように見えた。


「今、呪いが――」


 エリナは自分の手に走る感覚に気づいた。緩衝植物を通して、何かが流れ込んでくる。

 呪いの力が「鎮まっている」のをはっきりと感じた。


「今です。私の魔力を注ぎます」


 エリナはカイルの目の前で両手を開いた。彼の体に直接触れることはできない。でも――

 エリナは緩衝植物を手に取り、その根に全力で魔力を注いだ。  

 植物が光るように緑に輝く。その光がゆっくりと土へ、根へ、庭中の植物のネットワークへと広がっていく。

 そしてその光が、カイルの足元に集まった。

 直接触れずに、植物を介して。花を通して。庭全体を経由して。

 カイルが息を呑んだ。

 呪いが溶けていくのが、エリナには分かった。三年分の澱が崩れていくように――


 光が消えたとき、庭は変わっていた。

 バラの棚に、一輪だけ、白い花が開いていた。

 カイルは長い間それを見ていた。それからゆっくりと、震える手を伸ばした。

 今度は、指先が花弁に触れても、花は萎れなかった。

 彼は一言も言わなかった。でもエリナには分かった。三年分の沈黙が、ゆっくりとほどけていくのが。


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