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呪われた公爵家の庭師令嬢  作者: リッカ


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2 呪いの庭

 ヴォルフェン公爵邸に到着したのは、晩秋の雨の日だった。

 馬車の窓からエリナが見た庭は、息が止まるほど荒廃していた。  

 かつては美しかったに違いない石畳のあいだから枯れ草が這い出し、薔薇の棚は黒く腐り、噴水の水盤には濁った水が溜まっていた。

 しかしそれ以上に異様だったのは――

 

 花壇の花が、一輪残らず、うつむいていたことだ。


 エリナは思わず馬車から降りて、しゃがみ込んだ。枯れかけたパンジーに手を伸ばす。  


 途端に、ぞくりとした。


 花から何かが伝わってくる。エリナがこれまで感じてきたどんな植物とも違う感覚だった。

 苦しい、痛い――そういう単純なものではない。もっと根源的な何か。まるで、植物たちが「近づいてはいけない」という警告を発しているような。

 それは恐怖ではなく、哀しみの色をしていた。


「植物と話しているのか?」


 突然の声に、エリナは飛び上がった。

 振り返ると、黒い外套をまとった青年が石畳の上に立っていた。二十代半ばだろうか。切れ長の銀灰色の瞳が、まっすぐエリナを見下ろしている。端整な顔立ちだが、表情がない。笑うことも眉をひそめることもなく、ただ静かに存在している、という印象だった。もしかしてこの方は――


「……カイル・ヴォルフェン公爵様ですか?」

「そうだ」


 エリナは改めて礼をとった。


「ヴァルト伯爵家のエリナと申します。庭の管理を任せていただけるとのことで――」

「確認したいことがある」


 公爵がエリナの挨拶を遮っていう。


「君は植物と意思を通わせる魔力を持つと聞いた。今も、この花から何かを感じたか?」


 エリナは少し驚いた。そんなことを直接聞く貴族は珍しかった。


「……はい。何か、異様なものを感じました。植物が怯えているような」


 公爵の表情がわずかに動いた。何かを確かめたような、それでいてひどく疲れたような顔だった。


「……そうか。この庭についての事情を、屋敷の中で話したい」


 ◇ ◇ ◇


 通された居間で、カイルは淡々と語った。


「三年前、父が死んだ夜のことだ」


 先代ヴォルフェン公爵は、突然死ではなかった。古い家系に伝わる「契約の呪い」によって死んだのだとカイルは言った。

 ヴォルフェン家は数百年前、一人の大魔法師と契約を結んでいた。魔法師は北方の魔物の侵攻からこの地を守る結界を張り、その代わりに公爵家はある掟を守り続けなければならない――それは、「屋敷の庭を絶やさないこと」。


「庭の花が咲き続けている限り、結界は保たれる。花が絶えれば、結界が弱まり、やがて公爵の命も蝕まれる。先代はその掟を軽んじ、庭の手入れを怠った。結果、呪いに喰われて死んだ」


 エリナは思わず息を飲んだ。


「私が家を継いだとき、庭はすでに半分枯れていた。腕のいい庭師を雇ったが、うまくいかない。なぜか植物が育たないのだ。どれほど水を与えても、肥料を施しても、次の朝には萎れている」

「……なぜ」


 カイルはエリナを見た。その目に、初めてかすかな感情が宿った。


「私自身が、呪いの副作用を受けているからだと思う」


 父の死の際、カイルは呪いの残滓を体に受けた。その影響で――彼の体には「生命力を吸い取る」という性質が生じてしまった。

 彼が長く触れたものは、少しずつ弱る。観葉植物は三日で枯れる。鳥かごの小鳥は一週間で死んだ。屋敷の使用人たちは長時間近くにいると頭痛や倦怠感を訴えるようになったため、今は必要最低限の接触しかしていない。


「庭師が辞めていったのも、あなたに近づいたから、ですか」

「そうだ。だが、あの者たちに怪我はさせていない。気づいた時点で距離を置くよう指示した……しかし庭師は毎日庭にいる。どうしても私と近くなる機会がある」


 エリナはしばらく考えた。


「つまり、あなたが近くにいると植物が枯れる。だから庭が保てない。しかし庭が枯れれば呪いが進行する……という悪循環ですか」

「端的に言えば、そうだ」

「私は今、公爵と近くでお話していますが、なんともありません。でもいずれ弱ってしまうということでしょうか?」


 カイルはわずかに視線を逸らした。


「植物への共鳴の魔力は、稀に、通常の呪いの影響を受けにくいと文献にあった。君も同じかどうかは分からない。ただ、試してみる価値があると考えた」

「……」


 カイルはエリナの様子を不安そうに見守った。

 命を蝕む存在が傍にいると聞けば、普通の令嬢は逃げて帰るだろう。そもそも普通の令嬢に庭師の依頼などしないだろうが。


 エリナは立ち上がった。


「分かりました。やってみます」


 公爵が目を細めた。


「……すまない。ありがとう」


 ◇ ◇ ◇


 エリナが最初にしたことは、ただ庭を歩き回ることだった。

 手袋を脱いで、枯れた土に直接指を差し込む。目を閉じ、耳を澄ます。

 植物が発する声は音ではない。感覚の言語だ。乾き、渇き、冷たさ、恐れ。

 庭の植物たちが伝えてくるのは、あの哀しみの色だった。  

 しかしよく聞いていると、その哀しみは「苦しい」ではなく「待っている」に近かった。

 不思議に思って、エリナはもっと深く集中した。

 植物たちは枯れることを恐れていない。ただ、何かを待っている。

 まるで雨を待つように、光を待つように――あの青年が戻ってくることを、待っているのだ。


「ねえ」


 エリナは枯れたバラの棚に向かって呟いた。


「あなたたちは公爵様のことが嫌いじゃないの?」


 返ってきた感覚は、否定だった。

 エリナは手を止めた。

 植物は公爵を嫌っていない。

 むしろ、かつてこの庭を愛してくれた人として彼を覚えている。

 しかし今の彼が近づくと、体から何かが奪われていく感覚がある。だから萎れてしまう。でも、それを恨んでいるわけではない。


「……あの方も、辛いんだね」


 エリナは静かに言った。

 バラは何も答えなかったが、枝の先がかすかに揺れた気がした。


 ◇ ◇ ◇


 エリナは三日かけて庭の状態を把握し、四日目にカイルを呼んだ。


「公爵様、一つ試したいことがあります」

「何だ」

「呪いの副作用で、あなたから生命力が漏れ出しているようです。それを植物が吸い取って枯れてしまう。でも、もしその漏れ出す場所に――魔力の緩衝材となるものを挟めば、直接植物に影響が及ばないかもしれません」

「緩衝材?」


 エリナは一鉢の植物を取り出した。深い青紫のゼラニウムで、エリナが自分の魔力を少しずつ込めながら育てたものだ。


「私の魔力は植物に寄り添う性質のものです。呪いの力とは相性が悪いかもしれないし、良いかもしれない。ただ、植物に込めた私の魔力が緩衝になれば……試してみる価値はあると思います」


 カイルは黙ってそのゼラニウムを見た。


「私が触れれば、これも枯れる」

「触れなくていいです。ただ、そばに置いてみてください。一日だけ。それで結果を見ましょう」


 カイルは長い沈黙の後、頷いた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、エリナが書斎へ向かうと、ゼラニウムは萎れていなかった。  

 それどころか、つぼみが一つ開きかけていた。

 カイルはその鉢をじっと見ていた。エリナが入ってきたことに気づいていながら、目を離せない様子だった。


「……三年ぶりに、花が枯れなかった」


 その声は低く、静かで、ひどく疲れていた。

 エリナの胸がずくりと痛んだ。

 三年間。この人はずっと、触れるものすべてを枯らしながら生きてきたのだ。

 使用人とも距離を置き、庭は荒れ、呪いは進行し――それでも公爵として、北方の結界を守るために一人で抗い続けてきた。


「うまくいくかもしれません。もっと大きな植物でも試してみましょう。庭に直接置く前に、段階を踏んで確認します」


 カイルがエリナを見た。その銀灰色の瞳に、これまでにない感情の色があった。


「君は……、怖くないのか?」

「怖い?なぜですか?」

「私の傍にいることとか、呪いのこととか。それに体調はどうなんだ?」


 公爵なりに気にしてくれていたのだろうか。矢継ぎ早に質問された。


「あ!調査に夢中で忘れていました!体調はなんともありません」

「そうか」


 公爵は明らかにほっとした表情をしていた。


「あと、怖くないのかという質問に対する答えですが、植物が公爵を怖がっていないのです」

「……そう……なのか?」

「はい、ですから私も怖くありません」

「……」

「それに、花が待っているんです。あなたが戻ってくるのを」


 公爵の目が、わずかに見開かれたのがわかった。


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