2-3 取らぬ狐の皮算用
§ § § § § §
― 廃屋の隠し砦の食卓で
「どうしたの? 口に合わなかったかしら?」
ルディアの穏やかな問いかけに、ヴァルターは手元で止まっていたスプーンを動かした。
「……いや、美味い……ちょっと自責の念に駆られ……現実についていけないだけだ……」
「??」
ルディアは小首を傾げた。
彼女は運搬してきた物資と、道中に狩った獲物を利用して夕食を披露していた。あまりの手際の良さにヴァルターの付け入る隙は無かった。
手持ち無沙汰な時間の中で、先ほどまでの熱狂が冷めていく。我に返ったヴァルターを襲ったのは、彼女に「より効率的に人を殺めるための技術」を、あろうことか熱心に伝授してしまったことへの猛烈な後悔だった。
そして何より、目の前の料理が予想に反してあまりに美味い。その平和な味と、彼女が秘める強大な暴力性との乖離に、彼の思考は混迷を極めていた。
「ありがとう。まさか、あそこまで丁寧に教えてもらえるとは思っていなかったわ」
「ぶふっ! げほっ、ごほっ……」
感謝の言葉を投げかけられた瞬間、ヴァルターは口に運んでいた熱いスープを噴き出しそうになり、激しく咳き込んだ。まるで見透かされたかのような、あまりに直球な言葉だった。
「……教える気は、やっぱりなかったのね」
むせる呼吸を落ち着かせ、ヴァルターは観念したように短く応じた。
「……ああ、その通りだ」
「そうよね、一時ではあれ、仲間だった人を殺されているから……怒るのが当たり前よね」
「……」
ヴァルターは沈黙を守った。
実のところ、彼の脳裏に「殺された仲間」への強い哀惜はなかった。凄惨な戦場を渡り歩いてきた彼は、武器を手に取った時点で死は隣り合わせであるという乾いた倫理観を持っていた。
ただ、幼少期の武術の師匠である聖従士カルバルに対しては思うことがあった。もっとも、隠れ里の過去を見せられた時に……獣人族や亜人を……どう見ても無抵抗な村人までを虐殺している光景を見せられた後だと自業自得と割り切ってしまっていた。
それよりも、ルディアがあれだけ人を殺しても普段と変わらないのに違和感を覚えていた。
多くの命を奪っておきながら、彼女の日常は何ら損なわれていない。人を単なる獲物としてしか見ていないのかとも疑ったが、こうして落ち着いて家事に励む姿を見れば、それは気品すら漂う「令嬢」のそれだった。言葉の端々から、彼女がかつて高度な教育を受けていた知的な人物であることは明白だった。
この相手なら対等な対話が成立するのではないか。そう予感したヴァルターは、思わず本音の一端を漏らした。
「ルディア、君の力に俺の持っている技術が加われば……大抵の人間は敵わないだろうからな……」
「そう、ありがとう……そうよね、仲間だった……人間を殺す力を与えるようなものだったわね」
激情の欠片も見せず、静かに微笑む「今の彼女」は、ヴァルターの目にはひどく「まとも」な人間に映った。
「……これが、最後の聖教王国側の任務だったんだ……このまま帝国に渡ろうと思っていたんだが……」
「……困るわ。なるべくなら聖教王国内を案内して欲しかったのだけれど……」
「それは……復讐する相手の元へ案内しろってことだな?」
ルディアは頷くと、テーブルの脇に置かれていた古びた革表紙の本を手に取った。
「ええ、そうよ。あなたが眠っている間にシルヴィの本で調べてみたの。紋章付きの聖騎士は十二、その中の五つに見覚えがあったわ」
彼女はページをめくり、細い指先で紙面に描かれた紋章を指し示した。
「鷲獅子、風牙虎、炎操雀、水蛇龍、地響亀の紋章ね」
「……やつらか」
「知っているの?」
「有名人ではあるな。「壁の中」ではなく「呪われた大地」とも、「見捨てられた大地」と呼ばれている「壁の外」にいる聖騎士の猛者たちだ。どれも一筋縄でいかない厄介な相手だが……」
ルディアは椅子に立てかけてあった書類入れから、一枚の地図を広げた。測量技術が未発達なため、歪みが目立つ大雑把なものだ。彼女は地図上に記された「聖教王国」と「帝国」、そして「獣人の国」の境界をなぞる。
「「呪われた大地」……どの国も領土として主張しているけど、正式には誰のものにもなっていない……という認識でいいのかしら?」
「そうだな。瘴気に追われ、魔獣も幽鬼も亡者も大量にいる穢れた地域……現実だと実効支配しているやつらのもの……だな」
「ここからここよね、「呪われた大地」って」
「そうだな。俺の記憶だと、あいつらの拠点はここだな」
ヴァルターは手持ちの銅貨を、地図上の数か所へ順に置いていった。
彼の知識によれば、ターゲットとなる聖騎士たちはそれぞれが本拠地たる堅牢な城砦を構えている。各拠点の間を移動するだけでも、徒歩ならば優に二週間はかかるだろう。潜入を阻む険しい岩壁をくり抜いた要塞まである。
ただ案内するだけでも、どれほどの月日を要するか。想像するだけで気が遠くなる。
「長い旅になりそうだな」
目的地が明確になったことにルディアは喜びを見せたが、ヴァルターの沈んだ表情に気づき、眉を下げた。
「……そうよね、気が進まないわよね……」
「そりゃ……」
「…………約束するわ。あの里を襲った相手に復讐をしたら……自由にしていいわ」
「なに? 本当か!?」
ヴァルターは身を乗り出した。生涯を彼女の「従僕」として、あるいは化け物の眷属として終える運命なのだと半ば諦めていた彼にとって、それはあまりに意外な救いの言葉だった。
「あ~なんだ。その……血の力の……誓約とかはないのか? 破ったり裏切ったら何かが起きるとか?」
「分からないわ……誕生日に……」
「……そうだったな」
「ごめんなさい……色々と教えられれば良かったのだけれども……」
次の誕生日を迎えたら色々と教えて貰えるはずだった……切なげに視線を落とす彼女の姿に、ヴァルターはいたたまれない気分になった。数日間を共にして分かったことがある。彼女は根底において「常識的」な人間なのだ。ただの普通の少女が、ある日突然『怪物の力』を背負わされてしまっただけなのだと……
彼は、ルディア自身の不確かな記憶に頼るよりも、自らの足で情報を集め、彼女の能力の正体を解明する必要性を強く感じ始めていた。
「それで、嫌なはずなのに、なんであんなに熱心に教えてくれたの? 戦い方とか」
「……」
ヴァルターは言葉に詰まった。教えた事を想像以上にこなし、なおかつ洗練された動きにして昇華してくれるのがとても「面白かった」とは。
ルディアは本当に不思議そうに彼を覗き込んでいた。化け物の力を持った、恐ろしいはずの彼女の動作が少女らしく「かわいい」と思ってしまった。自分をあと少しで殺そうとしたはずなのに……彼の思考は混乱していた。
「……まぁ、色々だ」
「……色々……ねぇ」
ルディアは納得いかない様子だったが、それ以上は追及してこなかった。
「……しかし、これ、美味いな」
「え? ふふっ、ありがとう。いつも褒めてくれるのね」
ヴァルターは、予想を遥かに超える美味な料理に舌鼓を打ちながら、この歪な主従関係の行く末に想いを馳せていた。世の中の道理がどこで食い違ってしまったのか、そんな思索を止めるほど、砦の夜は静かに更けていった。
§ § § § § §
― 隠れ里にて……
奇妙な静寂の支配する「隠れ里」の入り口に辿り着いた探索者の一団は、そこで奇妙な光景を目の当たりにして足を止めた。
村を囲む柵の前に、数多の金属製の棒状のものが、まるで整列するかのように地面へと突き刺さっていたのだ。それが真新しい「武器の墓標」であると気づくまでに、そう時間はかからなかった。聖教王国側の斥候役が前に進み出て周囲を調べる。
「なんですかね、これ? 墓……ですよね?」
「新しい感じだな。錆などがない……埃はついているか……」
聖教王国側の探索者一人が剣の柄を指で拭い、その状態を確かめる。
「ん? 認識タグがかけられているな……聖教王国の兵士のようだが……」
「杖まであるな、魔術師もいたのか?」
探索者たちがその遺品を検分していく。一振りの剣を覗き込んだ男が、喉を鳴らした。
「なぁ、この剣……見覚えが……この紋章、聖従士の剣だよな?」
聖教王国側の探索者が、恐る恐るその剣に近づく。柄に括り付けられた認識タグを手に取り、刻まれた名を読み上げた。
「……カルバル、聖従士カルバル様だな」
「え! あの、聖従士様にしては優しい……」
「強かったよな」
「ああ、ギルドの師範だもんなぁ……」
一行の間に、急速に不穏な空気が伝播していく。死の気配を敏感に察知した者から順に、無意識のうちに武器と盾を構え、外側を警戒する円陣を組み始めた。
「……なるほど、割がいいのには理由があったな」
「おそらくだが、その認識タグを持って帰るのが達成の証になるんだろうな」
「落ち人の集落の調査……なるほどねぇ……」
「行方不明者の捜索を暗にしてたわけね」
聖教王国側の探索者が、重苦しい沈黙の中で認識タグを集め始める。武器の錆などが無い事からつい最近亡くなった……警戒しながらも探索者たちが追悼の簡単な儀式を始めていた。
一方、ミュカは胸を騒がせながら、一人里の中へと足を踏み入れた。
そこには、かつての面影を残したままの小綺麗な村が広がっていた。
他の探索者たちも警戒を解かぬまま里に入り、生活の痕跡や、不自然に破壊された木箱などを調査し始める。
「所々で争った形跡があるな」
「人の気配なし……ここが「落ち人の集落」か?」
「だろうな。集落と言うより……だいぶしっかりとした……村だな」
「魔獣にあらされていないのが不気味ね……」
神職でこの世ならざる者を見ることが出来るミュカの目には朧げに霊の姿が見えていた。
(ここで何かしらの諍いがあり、人が大量に死んだ感じっすね……)
ふと、見覚えのある犬人族の戦士の霊を見て絶句する。彼ほどの実力者が「逃げ」もせずに殺された……信じられない気分になっていた。犬人族の霊からは怒りの様なものを感じていた。悪霊、もしくは幽鬼になりかかっているのを察していたが、悪霊払いの能力の低い彼女ではどうすることもできなかった。
重装戦士のラザルスがミュカの肩を軽く触る。
「ミュカ、君なら何か見えるんじゃないのか?」
「……見えるっす。霊がそこら中にいるっすね……」
その言葉に、仲間たちは一斉に緊張した面持ちで周囲を見回したが、彼らの目にはただの空き家が並ぶ光景しか映らない。
「冗談でしょう??」
「ま、まじかよ……まだ夕日にもなってないぜ??」
「……聞いたことがある。強い怨念……ってやつだよな……」
「銀の武器は一応あるぜ……ナイフだけどな……」
「銀の矢もあるけど、五本だけよ?」
「それじゃ心もとない……ミュカと魔術師がいれば霊的なものは……大丈夫だろ……」
「多分……」
仲間たちの不安な囁きを背に、ミュカはたまらず駆け出した。里の様子をくまなく見る。本音を言えば叫びたい気分だった。ただ、この隠れ里の関係者だと知られると後が面倒……そして彼女の本当の仲間たち、赤狐族の里の仲間たちに迷惑がかかる。
焦燥に駆られながら各家を回っていく。行商や「癒し手」の商売をするときにまわった各家屋には人気はおろか、砂埃がうっすらとかかり生活感が消え始めていた。
(……そんな……「白銀の魔女」だけが目的なんじゃなかったっすか??)
目の前に、馴染みの巨漢の鍛冶師が立っていた。しかし、彼は一言も発せず、感情の抜け落ちた瞳でただ彼女を見つめている。彼がすでに肉体を失った「霊体」であることに気づき、ミュカは立ち尽くした。鍛冶師の霊は、彼女を誘うようにゆっくりと背を向けて歩き出す。
霊がこれほど明確な意志を持って動けることに困惑しながらも、彼女はその背を追った。道中、立ち尽くしたまま動かない霊たちを幾体も通り過ぎる。嫌な予感が背筋を伝っていく。
(……え? これは墓? ……こんなに沢山……)
辿り着いた先に並べられていたのは、数えきれないほどの木の杭による墓標だった。
ミュカは呆然としながら、そこに刻まれた文字を一つ一つなぞっていく。
(……里の……ほとんどの人じゃないっすか!!? ……この数……あいつら、皆殺しにしたんすか?!)
猛烈な怒りと、取り返しのつかない後悔が同時に湧き上がった。「聖教王国」のやり方は、彼女の想像を遥かに超えていた。魔女を捕らえるという大義名分のもと、里そのものを根絶やしにしたのだ。
ふと、その中に「ルディア」と刻まれた墓標を見つけ、彼女の心臓が大きく跳ねた。
(……白銀の魔女は殺されている……埋葬したのは……墓標に名前が無い人物……狩人のおっさんの名前は……無いっすね、性悪猫も無い……え? シルヴィ様も殺されたっすか……)
ミュカが絶望と焦燥と、奇妙な安堵と複雑な感情にとらわれていると、いつの間にか重装戦士のラザルスが傍らに立っていた。
「……知り合いだったのか?」
「……そうっすね……たまに……商売しに、この里に来てたっす……」
「そうか。お気の毒に……」
そこへ、魔術師のアルガスが杖を片手にやってくる。彼も何かを感じ取っているのか、周囲を警戒しながら慎重に歩いていた。
「ここは……獣人族の村だったのか?」
「そうっすね。獣人族……亜人と言われる人……それと「混ざった」人たちの住処だったっす……」
「そうか……聖騎士の討伐隊が来たのだろうな……可哀そうに」
アルガスは帽子を取り、死者への黙とうを捧げる。ミュカもそれに倣い、神職らしくエルテナ教の「地の神オース」に祈りを捧げる。アルガスは聖教王国の魔術師には珍しく、獣人への偏見を持ち合わせていないようだった。
沈黙を破るように、他の仲間たちが合流してくる。
「これって……全部墓?」
「ああ、そうだ。そっちはどうだった?」
「あんまりめぼしいもの無かったかな……村は綺麗なままなのにね」
「持ち出された形跡はあったな。魔術師っぽい家に魔導書もスクロールもなかったな」
「こっちも。農耕器具しかない感じ。小銭が少々って感じだ」
「武器っぽいのが全然無いんだよなぁ」
「『魔瘴気の森』の近くなのにおかしいよな」
探索者の一人が大量の木の杭が真新しい事に気が付く。刃物で刻まれた名前を指でなぞる。
「最近だな……埋葬した人がいるって事は……」
「ここを出るときに武具も財産も……持ち出しちゃっただろうね」
「調査終了かぁ……」
里に縁のない彼らにとっては、単なる「終わった後の光景」に過ぎない。ミュカは彼らの無神経な言葉に、内心で激しい苛立ちを募らせていた。
……ガァーン! ガァーン!!!
突然、遠方の森の奥の方から金属が激しくぶつかる音が聞こえる。鍛冶の音ではない、何か金属同士をたたきつけ合っているような音だった。
「何の音?」
「……金属がぶつかり合う異音……これか」
「森の奥……だな……」
「随分デカい音だな……」
一同は音のする方向を見るが、森中に音が反響し合っているせいか、完全に位置が特定できなかった。
「『魔瘴気の森』に入らないと……だめみたいだな」
「ここで引き返すとどうなるの?」
「金貨一枚と半分だな、違約金はとられる可能性が少しある」
「……行くしかないか」
「幽鬼は出ないんだよな?」
「そうっすね、『瘴気』が薄い方なので魔獣と亡者くらいっすね……」
「……それでも亡者はいるのか……」
ここまで心身を削って辿り着いたのだ。報酬が半分以下になるという選択肢は、彼らにはなかった。
拭えぬ不安を抱えつつも、ミュカの証言で「幽鬼」の危険が低いと判断した彼らは、大まかな方向を確認すると、重い足取りで森の奥深くへと移動を開始した。
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