7-7 竜巻の惨劇のあとで
「……」
「なんと凄まじい……」
「恐ろしい……」
凄惨極まる光景を前に、牛人族の戦士たちは言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くしていた。
事態の推移を見届けると、ルディアは展開していた魔法障壁を静かに解除した。その魔力が霧散した瞬間、ようやく我に返った牛人族の視線が彼女の姿を捉える。
「すごいわね……血の竜巻なんて……」
「あいつ、すごかったんだな……ここまでじゃなかったはずだが……」
普段から剣や弓による泥臭い殺し合いには苛烈なまでに慣れ果てている二人だったが、目の前に広がるあまりにも超常的な魔法の惨劇には、さすがに衝撃を隠せない。どこか放心した面持ちのまま、次の行動に移れずにいた。
一方、術者であるグウィンは、己の手のひらをただじっと凝視していた。
(……あ、ああ、怪我人を出すくらいな……まさか……こんな威力で……そんな……)
命を奪う意図など毛頭なかったグウィンは、自分の招いた過酷な結果に、激しい自責の念に押し潰されそうになっていた。
その場に居合わせた者たちの大半が、その惨状に意識を奪われていた、その時である。
暴風の刃に切り刻まれ、全身を血で染め上げた満身創痍の聖従士が、最後の力を振り絞るように祝詞を口ずさんだ。
「大地母神アリテリウスよ。我に大地母神の加護を、血に宿りし御力を解き放ち真の力を見せ給え!『聖気解放』!!」
大気を震わせて不意に膨れ上がる異質な魔力。その気配を察知し、ルディアとヴァルターは即座に正気を取り戻す。
見れば、竜巻の直撃を免れ、息も絶え絶えに残されていた聖従士たちが、次々と「聖気解放」の儀式に取りかかろうとしていた。
「大地母神アリテリウスよ。我に大地母神の加護を、血に宿りし御力を解き放ち真の力を見せ給……」
「大地母神……」
しかし、異形の肉体へと変貌を遂げる猶予など、二人が与えるはずもなかった。
ヴァルターとルディアは地を蹴ると、超絶的な脚力で一瞬にして間合いを詰める。ヴァルターの構えた槍が閃き、詠唱中の聖従士の胴体を一刀両断に切断すると、間髪容れずにルディアの剣戟が空を舞い、別の聖従士の首を軽々と跳ね飛ばした。
二人はそのまま祝詞を唱え終え、膨張と変形を始める最中の者たちへ斬りかかろうとする。だが、全身傷だらけのマンティが凄まじい執念で立ちはだかった。彼は振るう双剣に加え、異形化した体躯から突き出た大鎌のような腕を荒々しく振り回し、二人を強制的に弾き返す。
「くっ! 卑怯者めっ!!」
「ふん! そんな化物になった姿で言われてもな!!」
吐き捨てたヴァルターは大盾を構えて突進を阻むと、間髪をいれず流麗な槍の連撃を繰り出した。そのままマンティとの一対一の死闘へと雪崩れ込んでいく。
一方、祝詞を最後まで完了させてしまった別の聖従士は、身体を爆発的に膨らませ、巨大なイノシシを思わせる醜悪な姿へと変貌を遂げていた。その醜悪な膨れ上がる巨躯を前に、ルディアはあからさまに嫌そうな顔をしかめる。
「ねぇ! 聖従士って、みんな動物になるの??」
「知らんが、その様だなっ!」
敵の怒号に応じながら、ヴァルターは向かってくるマンティの懐へ肉薄し、精密かつ容赦のない連続突きでその手足を易々と両断していった。
対するルディアもまた、イノシシ型の巨漢を前に風のごとく速度で舞い、縦横無尽にその肉体を切り刻んでいく。
暴れ回ろうとしたイノシシ型の聖従士は、武器を握っていた指を根元から切り落とされ、ガタリと長剣を取り落とした。
「くそっ!! なんだ!? 何なんだお前はっ!!」
武器を失った聖従士は、なりふり構わず巨大な腕を振り下ろし、ルディアを叩き潰そうと試みる。だが、彼女はその一撃をあっさりと紙一重でかわし、すれ違いざまに極めて深い一閃を叩き込んだ。
「ぐうっ!!」
落ちた武器を拾おうと振り向こうとした聖従士だったが、足に力が入らず、そのまま地響きを立てて崩れ落ちる。何が起きたのか解らず慌てて自分の下半身を確認すると、そこには太ももの半ばまで深く斬り込まれ、繋がりを失いかけた自身の脚が存在していた。
「えっ?」
上半身を起こそうと大地に突き立てた腕にも、直後に激痛が走る。次の瞬間、彼の視界は急速に地面へと急降下していった。
「な?」
景色がぐるりと回転したかと思うと、唐突に体の感覚が消失する。転がり落ちた視界の先……最後に映し出されたのは、腰から下を完全に失い、きれいに真っ二つとなったマンティの胴体であった。
(……何が起きたんだ……)
イノシシ型の聖従士は、事態を理解することすらできないまま深い闇へと意識を手放し、そのまま静かに朽ち果てていった。
敵勢力の魔力が霧散したのを確認したルディアは、イノシシの頭部であった部位が、徐々に人間の顔立ちへと戻っていく様を冷ややかに見下ろして呟く。
「やっぱり『戻る』のね」
「そうだな。魔術の一種なんだろうか? 祝福とは思えんな……」
ヴァルターもまた、周囲への警戒を解くことなく生き残りの有無を確認していた。しかし、見渡す限りの惨状に眉をひそめると、赤黒い血の海と化した竜巻の渦中にはそれ以上近づこうとしなかった。
ルディアは、ショックで立ち尽くしたままのグウィンを気遣い、彼のもとへ歩み寄ろうとする。だがその途上、歓喜に湧く牛人族の戦士たちが押し寄せ、彼女を取り囲んでしまった。
「ありがとうございます!」
「魔術師の方……なんとお礼を言ったら」
「風の魔法を使ったのはあそこの耳長族では?」
口々に感謝を述べる声が重なり、歓喜の輪が一瞬大きく広がる。しかし、足元でうめき声を上げる戦士長ガリウスの存在に気づき、戦士たちはハッと息を呑んで静まり返った。
「……おい! 戦士長が!」
「ガリウス様がっ!」
血臭の漂う原野で、牛人族の悲痛な叫びが響き渡った。
慌ただしく作られた人垣の輪の中心に、全身を傷口で刻まれ、呼吸すら途切れ途切れとなったガリウスが倒れていた。
惨状に気づいたルディアが迅速に歩み寄り、躊躇うことなく腰の短刀へと手を伸ばす。自身の血を放つべく刃を抜こうとしたその瞬間、腕を強い力で掴まれ、動作を遮られた。振り向くと、冷徹な眼差しをしたヴァルターが立ちふさがっていた。
「なぜ止めるの?」
「血を無計画に使うな……」
「……でも、助ける……助けたいの」
ルディアの瞳が徐々に紅く染まりゆくのを視界に収め、ヴァルターは深くため息を吐いた。強引に自傷を試みようとする彼女を制し、低く言い聞かせる。
「今から俺が言う祝詞を唱えてみろ。彼の前で」
「……やったことないわ。私が使えるのは魔術。神聖術ではないわ?」
「いいからやってみろ。ミュカが使っているのを見たことあるだろう?」
急な提案に困惑の色を隠せないルディアを、傷ついたガリウスの前に力任せに座らせる。そして、彼女の細い両手を胸の前で固く組ませた。
「……これはエルテナ教の? 知らないのよ、本当に……」
「まぁ、あれだ。神様に祈るように言葉を復唱しろ」
ルディアは怪訝な顔で眉をひそめたが、意に介さずヴァルターは淀みなく言葉を紡ぎ始めた。
「天を統べる光の神エルテナよ、常闇を照らす慈悲の御手よ。」
「……天を統べる光の神エルテナよ。常闇をてらす慈悲のみてよ」
「今ここに我が声に応え、その恩恵を注ぎ給え。」
「今ここに我が声に応え、その恩恵を注ぎ給え……」
復唱と同時に、ルディアの身体の周囲に淡い光の粒子が集まり始めた。自身の身に起きつつある異変を感じ取り、彼女の表情が驚きに染まっていく。
「裂かれし肉を紡ぎ、崩れ行く命を再び結ばん……」
「……裂かれし肉を紡ぎ、崩れ行く命を再び結ばん……」
「神威の光よ、彼の者を闇の淵より救いあげよ……「聖癒」」
「……神威の光よ、彼の者を闇の淵より救いあげよ……「セイユ」」
その語句が完遂された瞬間、凄まじくも神秘的な圧力が一帯を満たした。大気中から幾千もの光の粒子が集束し、流れるように集まっていくその光景に、ルディア自身はもちろんのこと、取り囲んでいた牛人族の戦士たちも息をのんで見守る。
眩いばかりの光芒は瀕死のガリウスへと注ぎ込まれ、たちどころにその裂傷を塞ぎ、失われた生命力を満たしていった。
ヴァルターはその奇跡の成就を真剣なまなざしで見つめていた。やがて光が収まると、ルディアはふらつきながら立ち上がり、振り向いてヴァルターへと歩み寄ろうとする。しかし、数歩踏み出したところで力尽き、そのまま彼に向かって倒れ込んでしまった。
「……どうした?」
「……頭が……頭が割れる……痛い……」
うわ言のように零し、力なくヴァルターを見つめる彼女だったが、そのまま一糸纏わぬように深く気を失ってしまった。ヴァルターは彼女の瞳に残る紅の残滓と不自然な魔力の乱調を感じ取り、彼女の精神に干渉している「記憶の封印」が悪さをしているのだと瞬時に見抜く。
「……そうか……こうなるのか」
ヴァルターはぽつりと呟くと、意識を失ったルディアを腕の中でやさしく抱きしめた。そして空いた手で口元を覆い、指笛を吹いて馬を呼び寄せる。
奇跡の術を目の当たりにした牛人族の戦士たちは、敬意と感謝を込め、倒れたルディアへ深く一礼を捧げた。
「奇跡だ……」
「重症だったのに……」
「ガリウス様……」
直前まで息も絶え絶えであったはずの戦士長ガリウスが、突如として弾かれたように跳び起きた。
「……どうなったんだ??」
「戦士長、魔術師殿が蹴散らしてくれました!」
「聖教王国の兵士は全滅ですよ!!」
身体の無事を確認したガリウスはゆっくりと立ち上がり、集まってきた牛人族の首長たちを真摯な眼差しで見つめ返す。
「……まずいな……全滅は」
「勝ったからいいのでは?」
「本隊が来るかもしれん……小競り合い程度でよかったのだ……」
昏睡するルディアを愛馬の背へと慎重に乗せながら、ヴァルターが静かに会話へ割り込んだ。
「そうだな。同意見だが……おそらく鷲獅子の援軍は来ないだろう」
「……何故言い切れる?」
「道中に鷲獅子の勢力は見かけなかった……それに……」
「それに?」
「鷲獅子の紋章は近々、この地域から消えることになるだろうからな……」
「……それは……ついに事を起こすつもりなのか??」
ヴァルターは戦士長が口にした言葉の真意を計りかね、僅かに眉を寄せた。
(……事?)
その言葉の裏にある不穏な気配を察した牛人族の首長は呆然とし、救援に駆けつけてくれた三人へ順に視線を送った。そして、惨状に衝撃を受け、放心した様子で空を見上げているグウィンの紅い瞳を捉え、ひとり深く納得する。
一方、ヴァルターもまた牛人族の戦士たちが浮かべる真剣なまなざしから、ある事実に思い至っていた。領内で急速に騒がしさを増していた鷲獅子卿たちの動向、ルディアが潜んでいた隠れ里の存在、さらには街の酒場で耳にした不穏な噂……
(反乱の兆し……と言うより反乱がおきる寸前……だったのか)
思考を整理したヴァルターは、今なお呆然として動こうとしないグウィンの元へ歩み寄ると、その身体を抱え上げて馬の背へと乗せた。
「……助かった……助力に感謝する……」
「……気にするな。これからが大変だろうからな……」
牛人族の戦士たちは突きつけられた過酷な現実を噛み締め始める。しかし、いま目の前で繰り広げられた理外の力に対する恐怖と驚愕ゆえに、誰ひとりとして口を開こうとはせず、重苦しい沈黙がその場を支配していた。
三人が馬を進め、丘の上の教会方面へと去っていく背中を見送りながら、ガリウスが首長へと問いを投げかける。
「……あれは……なんだったんだ?」
首長は深々と息を吐き、静かに答えた。
「……竜の戦士……」
「……竜の戦士? 御伽噺のか?」
問われた首長は、視線を遠くへ向けたまま言葉を重ねる。
「あれは救済者様……竜の巫女のお供の「竜の戦士」だ……紅の瞳……精霊の力……間違いない……」
「御伽噺……空想の話じゃないのか? ははっ……竜の巫女が街を一つ吹き飛ばすとかだろ? ありえないだろ……」
乾いた笑いを漏らすガリウスだったが、首長たちは固く口を閉ざしたまま、誰ひとりとして肯定も否定もしない。
その重々しい反応を前に、牛人族の若い戦士たちは隠しきれない驚愕に包まれる。
「それにあの「祝詞」は……伝承の通りだ……」
「伝承って……」
「事実だった……のか?」
牛人族の陣営に動揺と困惑の波が静かに広がっていく中、戦士長ガリウスは自らの拳を固く握りしめ、ぽつりと呟いた。
「我らも斧を取る時が来たか……」




