2-1 赤狐族の破戒僧
— 討伐者組合の酒場
喧騒の絶えない討伐者組合の酒場の一角。 赤狐族の女性のミュカは、使い込まれた木製テーブルの上に広げられた羊皮紙の地図を凝視していた。指先で現在地からの距離をなぞるうちに彼女の整った眉が険しくなっていく。
「『魔瘴気の森』の近くの調査っすか?」
ミュカの声は、周囲の荒くれ者たちの笑い声に消されそうなほど不安げだった。
「地図だと……この辺だな」
「『魔瘴気の森』の中じゃないっすかぁ!? 止めておいた方がいいっす!」
机を囲んでいた五人パーティのリーダー格、帝国風の板金鎧をまとった重戦士のラザルスが意外そうな顔をする。
「なんだ? 乗り気じゃないのか? 森の探索は得意だろ?」
「得意っす、じゃなくて、これとそれは話が別っす! その辺は結構危険っす……亡者も出るっすよ?」
ラザルスが指を四本立て、声を潜めて告げた。
「金額はこれくらい出るみたいだぞ?」
「え?? 金貨四枚?? ……ま、マジ? 本気っすかぁ?」
いやそうな表情を浮かべていたミュカの顔が一瞬にして綻ぶが、すぐに我に返り元の表情に戻る。パーティメンバーもお互いに顔を見合わせ、堪えきれないといった様子で笑みをこぼした。
「そりゃ割りは良いな……」
「金貨四枚……半年は暮らせるよなぁ……」
「くたびれてた装備も新調できるわね……」
各々が夢を膨らませる中、ミュカはおもむろに財布を取り出すと、指を忙しなく動かして計算を始めた。その表情は、期待と現実の間で再び苦悶の色に染まっていく。
「困ったっす……借金、全部返せるっすね……」
「……ミュカはギャンブルしなければいいのに」
「本当に、そうだな」
呆れたように肩をすくめるラザルスだったが、仲間たちの食いつきが良いことにひとまず安堵したようで、椅子に座り直し、姿勢を正して説明を続けた。
「……調査内容は二つ、地図周辺にあると言われている「落ち人の集落」の調査、それと、森の奥から響き渡る『金属音』の調査だ」
「……ん? 落ち人? そんなところに集落なんてあったの?」
「おいおいリーダー。なんだその「ふわっと」した依頼は? どうやって探すんだ?」
横で話を聞いていた大斧を背負う戦士が、呆れ顔で首を振る。他のメンバーも同意するように頷き、ラザルスへ疑念の視線を向けた。
「報酬の割が良いのはこれしかなかったんだ。ミュカ、君はこの辺の出身だろ? 何か情報が少しはあるんじゃないのか?」
「その辺はそれなりに詳しいので案内はできるっすけど……本当に大丈夫っすかね?」
赤狐族のミュカは、地図に示された場所にある「落ち人の集落」が、彼女が良く知る「隠れ里」なのを瞬時に理解した。
先日の聖騎士団による「魔女狩り」。その後、『白銀の魔女』の首が王都の城門前の処刑台にさらされた。彼女の想像通りだとすると、「魔女狩り」の際に逃れた「隠れ里」の生き残りの調査ということになる……
(『白銀の魔女』がいなくなった今なら、聖教王国の監視も緩んでいるはず。なら、安全なはずっす……)
ただ、金属の異音というのはおかしい。心当たりはなく、その不気味な響きに疑念を抱かずにはいられなかった。
「隠れ里」から離れ過ぎるとかなり強い魔獣や亡者、場合によっては厄介な「幽鬼」もいる可能性が高い。五人で戦っても勝てなさそうな『森の主』もいる。パーティを組んでからそこまで長くは無いが、半獣人である彼女と気さくに接してくれる、気の良い人間の仲間を危険な目にあわせたくはなかった。
「……何か心当たりがあるのか? ちょうどこの辺りで聖騎士による「白銀の魔女」を……「魔女狩り」が行われたらしい……報酬が跳ね上がるのは「魔女」がらみの時だからな」
ラザルスの言葉に、弓を携えた狩人の女性が顔をしかめる。 斧戦士が抗議の声をあげる。
「おい、マジかよ。いくら金が良くても「魔女」なんて相手できるわけないだろ?」
「そうよ。冗談じゃないわ。そんなの「聖教王国人」、聖騎士たちに任せておけばいいのよ!」
斧戦士と狩人の女性が本気で嫌がっていた。ミュカも重々承知していた。「魔女」のとんでもない常軌を逸した能力、魔法、超常の力を。だが、『白銀の魔女』なき今はあの周辺が「宝の山」になってる可能性も考えていた。隠し砦に自分が渡した「魔法の武器」を運んでいるのを彼女は見ていた。この仲間たちを使ってうまく回収することができれば……
「待て待て、違う、魔女が相手じゃない。『魔女』がいなくなった地域の調査になる。恐らく魔女がいたと言われる集落の周りを調査……金属音の調査の方がメインなんじゃないかな」
「だとしても……『魔瘴気の森』にかなり足を踏み入れることになるぜ?」
「そうね……私たちだけじゃ荷が重いわ? 五人じゃ無理な気がするわ」
狩人の女性は不安げに仲間を見渡す。リーダーの重装戦士、斧戦士、便利屋の槍使い、それに怪力のノコギリ鉈を振り回す神職者……確かに魔獣一匹を相手するのが精いっぱいだろう。つがいの魔獣や亡者の群れと出くわしたらかなり分が悪い。
「……それについては、アルガスのチームと組む相談をしている」
「合同ってわけね」
「だけど、あいつら……大丈夫か?」
斧戦士がちらりと赤狐族のミュカ、獣人と人間の間の存在、「半獣人」である彼女を見る。差別や偏見が根強く残るこの地において、その血筋はしばしば火種となっていた。
「……メンバーの一部が獣人差別酷い……のは知っているが、殲滅魔術を使え、あの辺を生き残れるグループ……探したところ、今は奴らしかいない。ミュカ、いいかな? 君なら跳ねのける事は出来ると思うけど。往復と調査で……二週間の辛抱だ」
「……大丈夫っす。慣れっこですし。貞操は自分で守るっすよ」
若干の不安を感じつつも、背中に背負っているノコギリ鉈の柄を軽く触る。女性が振るうにしては大きすぎる武器だった。この討伐者組合の酒場にいるメンバーなら誰もが彼女の「半獣人」の「剛腕」っぷりを知っていた。
「……あまり無理はしないでくれ。勇猛な「癒し手」である君を直接襲ってくるなんてことは無いと思うけど……みんな、言葉から彼女の事を守ってくれ」
ラザルスの言葉に、仲間たちが力強く応じる。
「わかった」
「了解」
「あいわかった。狐の嬢ちゃんを泣かせる奴は、俺の斧が許さねえよ」
赤狐族のミュカは気のいい仲間たちの心遣いに立派な尻尾をユラユラさせて喜んでいた。
§ § § § § §
― 『魔瘴気の森』の奥で
「だ、大丈夫なのか?」
上擦った声を押し殺し、ヴァルターは問いかけた。
「落ち着きなさい、静かに……」
対照的に、隣に立つルディアの声はどこまでも穏やかだった。
ヴァルターはそびえ立つ大樹の、苔がむした巨大な幹の陰に隠れ、息をひそめていた。すぐ後ろを巨大な狼の魔獣がゆっくりと移動をしていた。
先ほどまでは亡者や魔獣が存在していた。突然それらの気配が無くなったと思ったところにこの「森の主」であろう牛三頭分の大きさもある黒毛の狼の魔獣が登場した。
「よしよし、久しぶりね。シャドウガイル。変わったことは無い?」
「……マジかよ……」
ヴァルターの目が見開かれた。
ルディアが巨大な魔狼の鼻先に手を伸ばし、慈しむようにその顔を撫でたのだ。彼には信じられない光景だった。魔力を宿し、狡猾な意志と知識を備え、人間を単なる獲物としか見なさないはずの「魔獣」が、襲いかかるどころか心地よさそうに目を細めている。
それは単に手懐けているというより、魔狼の方が彼女に深く服従しているように見えた。
「え? 彼? 彼は仲間よ? 食べないでくれると嬉しいわ」
ちらりと影に隠れて覗き見るヴァルターに視線が集まる。もちろん魔獣の視線もだ。強力過ぎる二つの重圧に思わずヴァルターが後ずさりする。彼を無視するかのようにルディアが魔狼の顔をわしゃわしゃと撫でまわす。撫でられている魔狼も嬉しそうだった。尻尾が激しく振られる。
(……犬……だな……)
ヴァルターは魔狼がただの猟犬の様に見えていた。同時に、張り詰めていた生存本能が「敵ではない」と認識を改める。それと共に、一体どのような経緯があれば、これほどの怪物と心を通わせられるのかという疑問が湧き上がってきた。
「何か変わったことは?……そう、無いの……誰も来なかったのね……」
魔狼の鼻先をなでながら独り言のように呟く彼女に、ヴァルターは声をかける。
「……会話ができるのか?」
「簡単な意思疎通は出来るわ。狩人の師匠に習ったの……魔獣は言葉がわかるらしいわ」
「なるほど……」
ヴァルターは彼女だけじゃなく、彼女の先生たちも優れていたことに若干の安堵を覚える。
ルディアの卓越した技術が先天的な天賦のみによるものではなく、あくまで「教え」に基づくものだという事実は、彼にとって唯一の救いだった。教えによって得た力ならば、それ以上の高みへ至る道もまた、教えによって制御できるはずだと考えたからだ。
それからしばらくの間、魔狼シャドウガイルと共に森を駆け抜ける。巨大な荷物を背負ってもそこまで息切れしない体にヴァルターは驚きつつも慣れて行く。
不意に、周囲の空気が変わった。肌で感じる魔力の密度。ルディアと魔狼が同時に足を止める。
ルディアが唇を微かに動かし、古の響きを持つ呪文を唱えた。
すると、何もない空間が歪んだ気がした。彼女の手招きに従い歪んだ空間に入る。すると先ほどまでは見えなかった朽ちた砦らしき建造物が目の前に現れる。
「これは……姿隠しの魔法か? それとも転移の魔術?」
「「姿隠しの魔術」ね。この地域全体にかかっているらしいわ。大事なモノを隠すならココ……と言われていたの」
「……砦一つを隠せるとは……」
「この地にある「魔瘴気」を使っていると言っていたわね……」
「……原理がよくわからない世界だな……」
「ええ、そうね。私も教わった通りにやっているだけだもの……」
感嘆のため息をつくヴァルターに、ルディアは淡々と応じる。その横顔には、力を行使している自覚があまり感じられなかった。
「……君は魔術が使えるわけじゃないのか?」
「簡単なものは使えるわ。だけど、こんなにすごいのは……今の私だけでは無理だわ」
ヴァルターが振り返ると、「魔法の障壁」の外で魔狼シャドウガイルが律儀に座ってこちらを見ていた。先ほどまで感じていた、獲物を品定めするような殺気は消えていたが、それでも見張られているような緊張感からは完全に逃れられず、彼は少しだけ肩の力を抜いて前を向いた。
「「魔獣」と呼ばれるものはこの中に入りたがらないの。シャドウガイルもなのよね」
「……入れない。じゃなくてか?」
「嫌な気分になるだけという話ね。試してみたけど尻尾が垂れ下がっていたわ。里の猟犬は大丈夫なのに……」
「……なるほど……」
ヴァルターは話の半分も理解できないまま、魔狼の視線から逃れるように、砦の奥へと足を進めていった。
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