7-1 境界線の町を襲う脅威
§ § § § §
ー 10年前……
陽が沈みかけ、黄昏の赤が闇へと呑み込まれようとする森の中を、何者かの集団が激しい足音を響かせて駆け抜けていた。彼らが追う先には一人の貴族の少年が息を切らしながら応戦をしていた。
少年は襲い掛かってくる暗殺者たちを無我夢中で切り伏せていた。洗練された力強い剣技……だが、多勢に無勢、体格に物を言わせた乱暴に振られた短剣が彼の太腿を深々と貫いていた。
激痛が走る。それでもなお、少年の剣技は鈍らなかった。残る気力を振り絞り、襲いかかってきた最後の暴漢を斬り伏せる。荒い息を吐きながら、彼は自身の太腿へと視線を落とした。
(……くそっ……ここまでかっ……)
周囲に人の気配がないことを確かめると、肉に突き刺さっていた短剣を一気に抜き去る。激痛に声もなく悶絶しながらも、少年は即座に羽織っていたマントを引きちぎった。溢れ出る血を抑え込むように腿へときつく巻き付け、そのまま自らの身体の状態を確認していく。太腿の深手だけでなく、全身に無数の裂傷を負った満身創痍の身だった。
(……これ以上は……動けないか……助け……は来ないか……やはり嵌められたか……)
)
膝の力が抜け、彼は泥の上に身体を投げ出した。徐々に暗がりを増していく空を見上げると、木々の隙間にひとつの一番星が揺れている。
(……クソみたいな人生だったな……)
自嘲気味に息を漏らしたその時、一番星よりも揺らめく強い光の玉が視界をかすめた。まるで御伽噺に描かれる光の精霊のようだ。死に瀕した今の彼にとっては、まるで黄泉の国へと誘う幻影のようにも思えた。
「……妖精? ……俺は死ぬ……のか……」
唐突に訪れた不可解な光景に、少年はしばし呆然と佇む。急速に緊張が解け、全身の力が抜けていくのを感じていた……
「……待って。暗くてよく見えないわ!」
場違いな幼女の話声に一瞬驚くが、死を受け入れた少年は再び剣を取ること無く、ただ声のする方向を眺めていた。光の精霊に誘われるかのように一人の幼女が姿を現す。暗い色の髪がうっすらと銀色に光り、まるで死に誘う妖精のように見えた。
幼女は少年に気が付くと、目を見開き驚いていた。
「……え? た、大変。怪我をしているわ!! 大丈夫?」
少年は幼女が貴族らしい服を着ているのを見て、完全に生きるのを諦めた。
「……大丈夫……ではないな……仲間はいるんだろ?」
「ええ、抜け出してきたの。ちょっと待って……ええっと……ありがとう。それでお願い……」
幼女は浮遊する光の精霊に向かって語りかけているようだったが、少年の耳に精霊の声は届かない。やがて幼女は少年の傍らにそっと跪き、胸の前で手を合わせると、静かに祈りを捧げ始めた。
「わがけつみゃくにこたえよ、たましいにきざまれしきんきの力よ 、今こそそのふういんをとかん…… 」
言葉と同時に、彼女の周囲に神秘的な圧力が満ちていく。空間から無数の光の粒子が集い始める光景に、少年は息をのんだ。
「われはかいほうする。天をすべるヒカリのかみエルテナよ、とこやみを照らすじひのみてよ……」
(……エルテナ?……獣人達の神? 御伽噺の祝詞? ……この光は??)
少女へ集まる光の密度の濃さに、少年は言葉を失う。かつて大神殿で目にしたどの神官の儀式よりも、はるかに絶大な魔力がその場を支配していた。
「いまここにわがこえにこたえ、そのおんけいをそそぎたまえ。さかれしにくをつむぎ、くずれいくいのちをふたたびむすばん……しんいの光よ、かのものを闇のふちより救いあげよ……「せいゆ」」
幼女を中心に凝縮された光が一気に解き放たれ、神々しい輝きとなって少年の全身を包み込む。傷口が温かな光を放ち、目の前でみるみると塞がっていった。
「成功ね……よかった」
あれほどの激痛が嘘のように消え去っていく感覚に、少年はただ困惑する。
「……え?」
少年は飛び起きて自分の傷を確かめる。服の破れや汚れはそのままであったが、身体は元通りになっていた。
「あ、ありがとう……俺の知らない……魔法の言葉があったんだな……」
感謝を口にすると、幼女はあわてて小さな口元に手を当て、キョロキョロと周囲を警戒し始めた。
「あ、だめよ。これはヒミツのおまじないよ。人前では使っちゃダメって言われてるの」
その幼女らしい愛くるしい仕草に、少年は夢でも見ているのかと錯覚し、しばし固まっていた。
「……そ、そうか……名前は?」
問いかけられた少女は、何もない空間を視線で彷徨わせ、そこに存在する誰かの言葉に耳を傾けているようだった。やがて小さくうなずくと、まっすぐに少年を見つめ返す。
「……えっと……アルヴィル……。アルヴィよ」
「俺は……ヴァルティリウス」
「ヴぁるてぃ……りす?」
うまく舌が回らず、困ったように首を傾げて微笑む幼女……
「お嬢様!! どこですか!?」
「お嬢様~!!! ここは危険です!!! 早く戻って来てください!!」
遠くから遠くから探す声が響くと、光の精霊が再び少女へ何かを告げた。
「え? あなたは逃げた方がいいらしいわ。私を探している人に見つかると……大変な事になるらしいわ」
「……なるほど、ありがとう。このお礼は……必ず……」
幼女は柔らかく微笑むと、その場を辞して軽やかに走り去っていく。……
「わたしはここよー! メイディ! ヨジュア!! ここー!」
十分に離れた場所まで行くと、アルヴィと名乗った幼女は大きく声を張り上げた。
一人残された少年は、いまだ目の前で起きた現実を呑み込めずにいたが、ふと幼少期に読んだ異国の物語を思い出していた。
「御伽噺の聖女ってやつか……」
少年は名残惜しそうに幼女の背中を見届けると、彼女の護衛がいる方向とは逆に向かって、力強く走り出した。
§ § § § §
― 境界線の町ブルックヘイブンで
境界線の町ブルックヘイブン……元々は牛人族が主体の町だったが、ヴァリアス共和国との国境近くにあったため、人間たちが移り住み、この周辺の主要の町となった川のほとりの町……瘴気に呑み込まれた村からの亜人の避難者も多く、旧ヴァリアス共和国の様な雰囲気を醸し出していた。
そのブルックヘイブンの広場で、緊迫した雰囲気のもと臨時の作戦会議が始まろうとしていた。
勢いよく泥水を跳ね上げ、馬にまたがった牛人族の斥候が駆け込んでくる。彼がもたらした報告に、広場を埋め尽くしていた牛人族たちの間に激しい動揺が広がった。
並の牛人族よりも一回り以上大きい体躯を誇る英雄的存在……片角の重戦士ガリウスが、胸の奥から絞り出すように唸る。
「……やはり来たか……」
「ああ、情報通りだった。鷲獅子の軍旗を持った奴らが集まりつつある。この町を襲撃するのは確実だろうな」
「距離は?」
「一日もあれば到達……明日には到着することになるだろう」
斥候の言葉を受け、牛人族の戦士達の瞳に覚悟の意思が宿る。さまざまな種族で構成された町人たちも、少し離れた場所からただならぬ気配を察し、不安そうに会議の様子を遠巻きに見つめていた。
「俺達も戦うぞ!」
「そうだ、あいつらが、聖教王国のやつらが町に来たら……何をしでかすかわからない!」
集まった町人の中から声が上がる。牛人族の戦士たちは温かい眼差しで彼らを見つめた。種族こそ違えど、本来なら自分たちが守るべき存在である町人たちの目にも、明確な戦意が燃え上がっているのが見て取れた。
しかし、ガリウスは静かに首を振る。
「いや、お前たちは逃げろ……足手まといだ」
「相手は人間だけだろ?! 俺たちでもなんとかなる!」
「そうだ、俺たちも武器を持って立ち上がるぞ!」
立ち上がらんとする町人たちの気概に、戦士長は胸を打たれつつも苦笑を浮かべる。だが、戻ってきた斥候が苦々しい表情で現実を突きつけた。
「いや、盾の紋付の……全身鎧が五人いた。聖従士ってやつだろう。噂どおりだとすると、「人間」の強さではないだろう」
「……聖従士……化け物、幽鬼の類の強さだと聞く……我々でも危ういのだ」
戦士長の慎重かつ真剣な言葉に、町人たちの間に今度こそ重い動揺が走った。
「そんな……こんな辺境の地に……」
「聖従士は、「壁の中」……都会から離れないんじゃ……」
戦士ガリウスは穏やかな声で、説得するように語りかける。
「あなた達には感謝をしている……ここで無駄に命を落とす必要は無い」
「そんな、あなた達も一緒に逃げるべきだ」
「いや、それはできない。あいつらはここを支配しているのは「牛人族」だと勘違いをしている……逃れればどちらが勝つにしろあなた達は生き延びられる」
ガリウスは、町を見下ろす丘の上に建つ建造物を指差した。
「丘の上の教会だったらおそらくあいつらも手を出さないだろう……そちらに逃げるんだ」
この町の人間たちの代表である町長ソンヨークが、心配そうに戦士長を見つめる。
「大丈夫なのか?」
「ああ、もちろん。犠牲は出るだろうが、我々は必ず勝つ」
なおも戸惑い足の止まるソンヨークの腕を、半牛人族の妻がそっと引っ張った。
「行きましょう。あなた。牛人族の誇りを穢してはいけないわ」
「あ、ああ」
ガリウスは勇気ある立ち振る舞いを見せた妻へ、敬意を込めた視線を送る。
「奥方……感謝する。ソンヨークは頑固だからな」
奥方と呼ばれた半牛人族の女性メイディは、牛人族たちに向けて胸の前でエルテナ教の祝福の印を結んだ。
「エルテナのご加護がありますように……」
「ありがとう……メイディ殿……」
不安を隠せない人間や力なき獣人たちは、何度も後ろを振り返りながら、山の上の教会を目指して移動を始める。
その道中、メイディは幼い娘たちの手を引きながら、夫であるソンヨークに声をかけた。
「ねぇ、あなた、教会に逃げただけじゃだめかもしれないわ……」
「なぜだ? さすがに教会まで攻撃はしてこないだろう?」
メイディは険しい表情を浮かべ、悲しみの籠もった眼差しを夫に向けた。
「聖教王国は「邪教」に容赦ないの……」
「エルテナ教が邪教? 本当にそう思っているのか?」
「……私は思っていないわ……だけど、熱心なデグライア教徒は、聖教王国の人間は……そう信じているわ」
ソンヨークは苦虫をかみ潰したような苦痛の表情を浮かべる。
「……だとすると、教会に逃げるのは悪手かもしれないな……」
「ええ、でも、あの人たちが負けたら……どちらにしろ……」
「状況を見て我々も戦わなければいけないな……」
「……逃げる事も考えないと……」
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牛人族の戦士たちは、山道を登っていく避難民の列を静かに見守っていた。
ガリウスは若い牛人族の戦士を呼び寄せ、一枚の手紙を託す。
「これを隣のグラスランドまで……」
「大丈夫なのですが?」
「心配はするな。ただ、休むことは許されない。出来るかぎり速く……」
「わかりました。……ご武運を」
若者が脱兎のごとく駆けて去っていくのを見送り、残された戦士たちは円陣を組んだ。
「勝てるのか……我らは?」
「難しいだろうな」
「救援は?」
「発見が遅れた。要請はしたが、来たとしても戦いが終わった後だろう」
「……そうか」
「教会に籠ってもらえれば……一日は時が稼げるだろう……」
戦士たちは、山腹へと続く道を進む町人たちの背中を見つめた。
「ああ、我らを飢えから救い、知恵と農業を与えてくれた彼らだけは守らないとな」
「そうだな。根なしの我らに安息の地を与えてくれた彼らに」
言葉を交わし終えた牛人族の戦士たちは覚悟を固め、静かに戦斧槍を掲げた。
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