6-4 救出劇
§ § § § §
薬師のメルテは森の中をなりふり構わず走り抜けていた。背後からは「はぐれ亡者」の不気味な足音が迫っていた。肺が焼けるように熱く、息も切れ始め、じわじわと絶望が彼女の心を包んでいく。そんな中、彼女の視線の先には馬に跨った鷲獅子の紋章の一団が飛び込んできた。
普段の彼女だったら、身の危険を感じるため近づかない相手だったが、背に腹は代えられない状態だった。思わず彼らのもとに駆け寄っていた。
「むっ?」
「亡者かっ!!」
いち早く異変に気が付いた鷲獅子の兵士たちが槍を振るい、いとも簡単に亡者を討ち取る。無駄のない、集団での亡者討伐のために訓練された動き……かなり手慣れた感じに見えた。
「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございます」
窮地を脱し、メルテは荒い息を整えながら深く頭を下げた。
「どういたしまして」
礼に応じた兵士たちの目が、じろじろとメルテの体や顔を値踏みし、舐めまわすように見る。
「ふむ……いい女だ」
「いい腰つきしてるねぇ……」
「こんなところでどうした?」
男たちの双眸に宿る、男性特有の欲望に満ちた視線……それを感じ取ったメルテは冷や汗が背中に伝うのを覚え、思わずあとずさりした。
「薬草を探して……」
か細い声で答えるメルテをよそに、鷲獅子の兵士たちはお互いに顔を見合わせて不敵ににやりと笑った。一人の兵士が馬から飛び降りると、鞍袋の荷物から手際よく太い縄を取り出す。
明らかに雰囲気がおかしい……危機を察知したメルテはすぐさま反転した。下卑た視線が背中に突き刺さる中、無我夢中で駆け出す。だが、鍛え上げられた兵士の足にかなうはずもなく、彼女の体はあっさりと組み伏せられてしまった。
「ちょっと待てよ!」
「嫌!離してっ!」
暴れるメルテを、鷲獅子の兵士たちは手慣れた手つきで押さえつけ、持っていた縄で容赦なく簀巻きにしていく。
「お礼をもらってないなぁ……さぁ、ゆっくりとしようじゃないか」
「ちょっと!解きなさい!! 離しなさい!」
「元気がいいやつだなぁ……」
兵士は抵抗するメルテを笑いながら軽々と抱え上げ、馬の背に乗せると、自らもそのまま馬の後ろへと跨った。
「ん?」
ふと、周囲の空気が変わったことに気が付いた兵士が振り返る。木々の奥から這い出てくる異形の集団を指さした。
「おい! 亡者の群れだ!」
「これは逃げた方がよさそうだな!」
メルテを前に抱え込んだ兵士が、手綱を握る腕に力を込めて下卑た笑みを浮かべる。
「いい拾い物したな!!」
笑い声を上げながら、兵士たちは一斉に馬の腹を蹴った。
激しい馬上の揺れの中で、メルテは遠ざかっていく町の方向を見つめることしかできなかった。これから我が身に降りかかるであろう恐ろしい不幸を想像して、深い絶望に包まれていた。
§ § § § §
― トルクレイスへの寂れた街道で……
一行は、川に架かる橋をわたり、亡者の依頼のあった町「トルクレイス」に向けて移動を開始していた。道中にはぐれ亡者は出るものの、日中と言うこともあり動きも緩慢だった。ヴァルターが馬上から手際よく槍で魔核を貫き、哀れな魂を幽世へと還していた。
その時だった。前方の十字路を横切るようにして、鷲獅子の兵士の一団が砂煙を上げて駆け抜けていった。そのうちの一頭の馬には騒ぎ散らし抵抗する女性が乱暴にくくりつけられていた。
ルディアが不審そうに眉をひそめ、ヴァルターに問いかける。
「……あれはなに?」
「鷲獅子の兵士……ちっ、こんなところに……大丈夫だよな? 興奮していないな?」
ヴァルターの真剣な視線に、ルディアが戸惑う。彼は瞳が紅に染まっていないのを確認すると安堵の表情を浮かべる。
「よかった……」
「な、なによ……」
「今回の任務では変異しない……そう言う約束だったはずだ」
ヴァルターは声をひそめ、背後で手綱を握るグウィンの方に視線を一瞬送り、ルディアを睨みつける。
「大丈夫……でも、運んでいるのは……」
二人の会話を聞いていたグウィンが状況を理解し、険しい顔を向ける。
「女性ですね。あんな扱いをするとは。おそらく近隣の村か、狩人をさらった感じです……本当にどうしようもないやつらですね……」
その言葉に反応したのか、ルディアの瞳が徐々に紅に染まっていく……それを確認したヴァルターは半ば諦めながらも、自分たちを「監視している」立場のグウィンに向き直った。
「あいつらは殺しても問題ないか?」
「足が付かなければいいのですが……いいのですか? 「国から逃れるまで」は揉め事を起こさないのでは?」
ヴァルターは諦め顔のまま、グウィンをじっと見つめる。
「ちっ……どこまで知っているんだ……」
「女性は口が軽いものですからねぇ……」
「……なるほどな」
「私はやりませんが、いいですか? 職員だとバレますので……」
グウィンは自身が「討伐者組合の職員」の証であるマントと組合の紋章を指さす。
「もちろんだ」
ヴァルターが笑みを浮かべ槍を構え直し、その隣でルディアが獲物から目を離さずに弓を肩から外す。
「そこでじっとしていなさい」
「あ、やるならば、逃がしてはだめですよ、一人も」
グウィンの言葉が終わらない内に、ルディアとヴァルターは馬の腹を蹴った。鷲獅子の兵士の馬群に向けて後方から猛然と追従する。
白馬のルーチェは、とんでもない速度で疾走する。だが、ルディアは激しく揺れる馬上という不安定な足場ながら、足の膝を柔らかくして揺れを殺し、流れるような手つきで弓矢をつがえる。乗馬を始めて間もないはずの彼女が見せたその姿に、並走していたヴァルターは驚く。
(騎射だと?? 乗り始めて間もないのにか?!)
ルディアの指から放たれた矢は、空気を引き裂く風切り音をあげて最後尾を走っていた兵士の頭部を正確に貫く。彼女は命中したことを喜びもせずに、淡々と次の矢を番えて連射していく。放たれた矢はまるで吸い込まれるかのように、後続の兵士の頭を次々と打ち抜き、兵士はそのまま馬上でバランスを崩し、地面へと転がり落ちていった。
(……馬鹿な……なんという技術……射線が直線過ぎる!?)
前方を走る兵士たちは、背後の異変に気が付く事も無く、全員が頭を射貫かれ、糸が切れた人形のように馬上から崩れ落ちて行く。
(……すごすぎる……魔術を使っていないのに!?)
並走するヴァルターは、あまりに美しく無駄のない動きに呆然とし、ルディアに目を奪われていた。
「ヴァルター、お願い!! あの人が落ちてしまうわ!」
「ん? 承知!」
ヴァルターは馬をさらに早駆けさせ、最後に射抜いた兵士の馬の隣に滑り込ませた。既に兵士は絶命していた。馬の背に横たわって乗せられていた女性が懇願の目を向けてくる。ヴァルターは片手で彼女の胴体をつかみ、強引に己のもとに手繰り寄せる。
「あ、ありがとう、助かったわ。力持ちなんだね」
「礼は後ろの嬢ちゃんに言ってくれ」
「すごいね、馬の上から弓矢なんて……町一番の狩人のザリュウドでもできないよ」
「まぁ、普通は出来ないな……」
兵士達を振り落とした馬は、そのまま集団となり、骸となった主人たちを振り落としながら逃げて行く。
ルディアは矢の回収のために馬を降り、遺体に歩み寄った。兜と骨をやすやすと貫通し、深々と刺さった矢を引き抜き、付着した血糊を兵士の服に無造作に拭い取っていた。その凄惨な様子を後ろで見ていたグウィンが追いつき、声をかけた。
「すさまじいですね……手伝いますよ」
矢の名手でもある黒耳長族のグウインが矢の回収を手伝う……が、深々と刺さった矢は引き抜きにくく、全力を込めていた。ようやく引き抜いた矢の異様な「重さ」に驚愕する。
(……これは、なんという重さの矢……芯が鉄製? 矢尻は魔法金属か?)
矢尻だけでなく、シャフトの中にも「鉄」がつまっていることに気が付く。これほど重い質量の矢を彼女は平然と扱っていたのだ。
(これを平然と馬上から放つ? ……矢は不自然なほど綺麗に飛んでいましたよね? 魔法の弓なんでしょうか?)
グウィンは心に尽きない好奇心が沸き上がり、ルディアの弓に興味が湧いていた。
「ルディア嬢、弓を貸していただけません?」
「? ええ、いいわよ。でもあなたじゃ引けないと思う」
ルディアは気さくに弓を手渡した。それを受け取ったグウィンは、重量と、弓に取り付けられた奇妙な照準に驚きを感じる。
「変わった弓ですね……なんですか、この突起は?」
「それは、そこに敵の姿を合わせると矢が意のままに飛んでいくのよ」
「なるほど……魔法の「追跡」のようなものですね……」
「すごいでしょう。義母と鍛冶士のグルーディが作ってくれた弓なの」
我が事のように誇らしげに自慢するルディアの姿を、グウィンは微笑ましく見つめた。しかし、試しに弓の弦に指をかけ、軽く引いてみようとした瞬間、彼の笑みが凍り付く……ピクリとも、全く引けないほどの硬さにさらに驚愕する……
「え? か、固い?? 何か仕掛けが?」
「? 無いわよ?」
「……なるほど、魔力を込めて引くのですね? ……ぐっ……」
全力の力を籠め、魔力を体にまとわせても、弦はわずかにたわむことすら拒絶する。不甲斐ないグウィンをルディアは不思議そうに見つめた。
「力が無いのね。ヴァルターだってフィデラだって引けたのに」
「これを引ける……のですか?」
ルディアはグウィンから弓を受け取ると、驚くほど軽々と弓を引く。そして何気なく指を離す……
矢を番えずに弓の弦を離しただけのはずだった。ただ、それだけのはずなのに、彼女の手元から放たれた衝撃波のような風圧がグウィンの長髪をなびかせた。ただ、「音」がしないのが不自然なくらいの風圧だった。
「な、なにが?」
「あ、なんでも音が凄いから「静音」の魔術を仕込んだって言ってたわね。おかげで狩りがはかどるのよね」
「そ、そうですか……」
グウィンが引きつった笑みを浮かべながら、段々とルディアを人間ではなく、何か底知れない化け物を見るような目になっていた。
(大男を片手で投げたとも聞きますし、高度な魔術を使ったとも聞きますから……両方の混合でこの弓を引いている? どういった身体構造なのでしょうか?)
グウィンは残りの矢を回収しながら、頭を正確に射貫かれた鷲獅子の兵士の死体を見る。
(……それにしても……皆殺しとは、しかもこうもあっさり……躊躇しているようには見えませんでしたね……)
彼は行きずりの女性を、兵士から助けた事には感心をしていたが、彼女一人で躊躇なく皆殺しをするとは思っていなかった。おそらくヴァルターが殆どの兵士を討ち取るであろうと予想していた。心を全く乱した様子の見せないルディアに若干の恐怖を感じていた。
(……私はもしかして、とんでもない人間の観察を任されたのでしょうか? あのボルロードの様子がおかしかったのは……最初から知っていたからでしょうか?)
グウィンは目の前で無邪気に微笑む少女が、人間らしい振る舞いを模倣している怪物に見え始めていた。
§ § § § §
― とある街道の脇で……
日もだいぶ傾き、周囲の山々の稜線へと沈みこもうとしていた。薄暗くなり始めた平原の片隅で、ルディアは香木の塊のようなものに火を灯し、静かに魔術の詠唱をしていた。
『森の息吹よ、不浄の存在を退け、生命に安息の場を成したまえ……「退魔空域陣」』
ふわりと柔らかな光の粒子が弾け、周囲のよどんだ空気が澄みわたっていく……傍らにいたヴァルターは、感覚で大気が清涼なるものへと変化したのを感じ取っていた。
「……これで大丈夫よ」
ヴァルターは自然と香木のにおいが混じり始めた夜の空気を深く吸い込んだ。
「今ならわかるが、魔力がほんのりと漂っているのだな」
「ええ、魔獣や亡者は寄ってこないのだけれども、人は寄ってくるから注意ね」
「……野盗には見つかるということか」
「ええ、それに鷲獅子の兵士にもね」
そのやり取りをすぐそばで見ていた薬師の女性、メルテは感心したようにルディアを見つめていた。
「凄いのね、討伐者って、魔法も使えるなんて知らなかったよ」
驚くメルテに対し、荷物を整理していたグウィンが苦笑を交えて口をはさむ。
「……魔法も使えるのは稀ですね。大体の魔法が使える討伐者は、見た目が、魔術師っぽいのですよ」
「そうなんだ、あんたも使えるんでしょ? ウチのオババ様に似た雰囲気してるよ」
「ええ、まぁ……」
「やっぱり! 耳の長い種族は魔法が使えるって本当だったんだね!」
「そうですね……はは……中々威勢がよろしいようで……」
黒耳長族に対する偏見のないメルテのざっくばらんな態度に、グウィンは気圧されながらも微笑む。
そんな中、手際よく野営の準備を進めていたヴァルターが、ふと思い出したようにメルテに質問を投げかける。
「それで君は、なんで鷲獅子の兵士に捕まっていたんだ?」
「薬草を取りに行って……その途中で亡者に絡まれてね……逃げた先にいたのが「鷲獅子のやつら」だったんだよね。ほんとう踏んだり蹴ったりだよ……」
会話に耳を傾けていたグウィンが、ふと手を止めて尋ねる
「この辺は亡者だらけなのですか?」
「そうよ。討伐を頼んだって言ってたけど、もしかしてあんたたちかい?」
「……たしか、町の名前……トルクレイスだったな」
メルテの目が輝く、心底喜んでいるようだった。
「良かった。来てくれたんだね。町のみんなも助かるよ!」
「……見たところ、亡者も多いですし、しばらく私たちと同行した方がよいですね」
グウィンの提案に、メルテは大きくうなずく。
「そうさせてもらうよ。あんなすごい弓の腕前みせられちゃね。町で一番の狩人よりすごかったよ」
「そうなの?」
自分の実力をあまり自覚していないルディアが不思議そうに小首を傾げる。
「そうよ。討伐者を引退した戦士も、人間の頭なんてなかなか当たらないって言ってたしね!」
メルテの熱弁に、ルディアが若干照れながらも荷物から葉に包んだ肉の塊を取り出す。それを見たメルテが目を丸くする。
「それよりも……なんで生肉があるんだい? 腐らないのかい??」
「氷の魔法をかけると持ちがよくなるのよ」
「……聞いたことないね……氷の魔法も使えるなんて、討伐者って、すごいんだねぇ……」
感嘆の声をあげるメルテの後ろで、同じく魔法が使えるはずのグウィンも驚きを顔に浮かべ、思わずヴァルターに視線を投げた。
「私もすごいと思うのですが……ヴァルター……あの、彼女の登録は狩人ですよね?」
「ああ、そうだな。狩人が魔術を勉強している……という感じだな」
「……どちらも超一級の腕前に見えますよ……」
「……だよな。ひよっこ魔術師とだいぶ違うんだが……」
ヴァルターも同意するように呟く……
二人の評価を気にする様子もなく、ルディアは鍋を取り出し、具材を小気味良く切り刻み、手慣れた手つきで夕食を作っていく。その無駄のない動きにグウィンは感心を通り越し、呆気にとられていた。
「……すごいですね。荷物から鍋と調理器具一式が出てくるとは……」
「ああ、ルディアの料理は美味いんだ……」
ヴァルターが手慣れた様子で荷物から全員分の食器を取り出し、早くご飯にならないだろうかといった風にソワソワし始める。
メルテはその様子を眺めながら、先ほどまでとは違う意味で感心していた。
(凄いわね、胃袋をつかんでいるってこういうことを言うんだねぇ……私も見習わないとね……)
やがて、ルディアが火にかけた鍋からは、一日の旅の疲れを芯からとってくれそうな、何とも言えないいい香りが漂い始めていた。




